pokeope_ss(150)

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『悪い、遅くなる』

無造作にメッセージを送ったのが、およそ2時間前。

すっかり出来上がったダチたちを送ったあと、月明かりの濃くなった夜道を急ぐ。

別に、急ぐ必要はない。ただ家に帰るだけだ。約束を取り付けているわけでもなければ、催促があったわけでもない。ただ。

『待っているよ』

長丁場になりそうな席の空気に、どこぞのおとぎ話のお姫様の如く0時まで起きていられない同居人に気を遣って、『先寝てろ』なんて無愛想なメッセージを送ろうとして開いた液晶画面に。既読を待ちわびるように現れたその文字に。柄にもなく、口角をあげてしまったものだから。

「…久々に、一緒に飲むか」

明日はお互い、オフだったはずだ。たまにはいいだろうと緑ネオンの店先に足を向けた。その時だった。

「ポッケさん…?」

「おやぁ!誰かと思えば、久しぶりだねぇ」

音が。色が。一瞬。明滅して、消えた。

どくん、と音がなった。ウマ娘聴覚は、夜目の効く視覚は、ひとつも取りこぼしてなどくれなかった。

ふらつかないでください、と窘める声。いいじゃないかといつになく弾んだ声。

それはたしかに、感動の再会だった。宿敵と言うにはあまりにも儚くて、好敵手と言うにはあまりにも殺伐としていた。そんな、嘗て三冠を分け合った二人が今、目の前にいる。

「…カフェ、それに──タキオン」

ひさしぶりだな、と。口に出した音は、震えてはいなかったか。じっとりと汗ばんだ手のひらは、きっと酔だけのせいではなかった。

「ええ、ほんとうに。今からお帰りですか?」

「ああ、さっきまでダチと飲んでてな」

「いいねぇ、暇ならもう一軒付き合わないかい?」

「…タキオンさん、これ以上酔い潰れたら置いて帰りますけど」

「い〜じゃないか!つれないねぇ。ポッケくんも飲み足りないだろう?」

不思議だった。あれだけ焦がれた姿も。アメジストの奥に探したガーネットも、今ここにあるというのに。脳裏に浮かぶのは、『待っているよ』と告げる、映し鏡の相手だった。

「…悪いな。明日予定があるんだ。…また今度誘ってくれ」

「…ふぅん?」

不思議そうに首を傾げるその瞳が疑惑に揺れている。それは研究者たる純然な好奇心の色をしていた。勘違いなど、してはいけない。だって。

「そういや、直接言ってなかったな」

顎に手を当てた左手。酔っ払ってふらつく身体を支える左手。お揃いのシルバーリングに込められた意味など、ひとつしかない。

「…二人ともおめでとう、な」

ただ今は、あいつに会いたい。

それだけを考えていた。



気がつけば、玄関の前に立ち尽くしていた。あれからどうやって帰ってきたかは覚えていない。手ぶらなところを見るに、何食わぬ顔で酒を買って帰る余裕は、なかったようだが。

「…意外と言えるもんだな」

祝福の言葉なんて、一生言うことがないと思っていた。式は挙げないといった二人に安堵した昔の自分なら、きっと逃げ帰っていた。

酔っぱらいのせいか普段見せないような笑みを浮かべたタキオンも、時折牽制するように視線を送ってきていたカフェが僅かに目を瞠った後にはにかんだのも、きっと、思い出になる。思い出に、しなくてはいけない。

「…ただいま」

家にいても鍵はかけとけと釘を刺したおかげで、毎回律儀に閉められている鍵を回して中に入る。キッチン奥の部屋の明るさに、張り詰めていた緊張が解れていくのを感じた。汗ばんだままの手のひらを拭って、そっと扉を開ける。玄関を開けた際物音が聞こえてこなかった時点で、凡そ察しはついていた。

パジャマ姿の同居人が、ソファの上で横になっている。手のひらの下敷きになったスマホは──待って、くれていたのだろう。

王冠も耳飾りも取っ払った寝顔は、いつもよりも幼く見える。あの日見た消え入りそうに憔悴しきった影は、そこにはない。

ああ、そうだ。

俺はこいつに、会いたいと思ったのだ。

「…オペラオー」

近づいて、名前を呼ぶ。なぜだか酷く、新鮮な響きだった。風邪を引くぞと起こしてやるつもりだった。肩に触れようと手を伸ばした瞬間、伏せられた睫毛が震える。ゆっくりと姿を見せたアメジストが宙を彷徨う。何かを探すようにこちらを見上げた瞳の色に──息を呑んだ。


「”あやべ、さん”……」


それは、夜の星を写していた。

過去に葬ったはずの、星屑の残骸だった。

「ッ……」

眼前を覆ったのは、炎だった。赤黒く燃え盛る炎が視界を有耶無耶にした。

気がつけば、その細腕を捕まえてソファに押し付けていた。見開いたこぼれ落ちそうなアメジストが、こちらを見ている。そこには既に星はいなかった。夜に沈んでもいなかった。驚きと、"しまった"という焦りが、その中に顕在していた。

ちがう。すまない。ポッケさん。寝ぼけていたんだ。もういわないから。言い訳を並べ立てる声が、右へ左へと流れていく。

知っていた。その傷が浅くはないことを。癒えてなどいないことを。諦めても、吹っ切れても、前に進んでも、過去に抉るように舐めあった傷は、簡単に消えてはくれない。そう知っているのは、同じだからだ。

知っていた。知っていながら、視界を焼き尽くすほどの炎に、抗えなかった。


「"タキオン"」


時が、止まった。

言葉を紡いでいた唇が開いたままぴたりと固まる。その唇が再び何かを言う前に、震えたそれに喰らいついた。

「っ…!?」

暴れる体を押さえつけて、もう一度名前を呼ぶ。何度も、何度も、当てつけの様に烙印を押す。次第に大人しくなっていく様に、いいようのない高揚を感じた。

覗き混んだアメジストの瞳は、こちらを映していた。他の誰でもない、ジャングルポケットを見ていた。

ああ、そうだ。そうやって見ていればいいんだ。

星なんて映さなくていい。

俺を、俺だけを──

「…ぇ……」

じわりと。射抜いた瞳が溺れていく様に、息を呑んだ。傷ついたように揺れた瞳が、断罪を受け入れるようにぎゅっと閉じられて、目尻からころりと雫が落ちる。

勢い良く火花を散らしていた炎が、一気に冷えていくのを感じた。泣かせた。違う。そんなつもりじゃなかった。俺は、何を。

「わ…悪い……」

我に返って、身を起こす。相手も、自分が泣いていることに気づいていないのか、呆けたように開かれた潤んだ瞳と目があって──逃げるように、背を向けた。

「…頭、冷やしてくる」

名前を呼ぶ声を振り切るように、夜の街へ逃げ込んだ。



ジャングルポケットは頭を抱えていた。

「…最悪だ」

夜風が僅かに火照った頬を撫でる。胃の中がぐるぐると不快なのは、酒のせいか。

あんなのは、ただの当てつけだ。癒えない傷を抉られて、お前も同じだろうと、相手の傷を眼前に突きつけた。それが鎖になることを知っていた。湛えた湖の先に、己が映ることに、高揚を覚えた。痺れは麻薬のように血液を巡って、バカの一つ覚えのように幻影の名を口にした。

まるで、呪いだ。一種の病のようでもあった。

過去を過去にするには、夢に溺れた時間が、あまりにも長過ぎた。

だって、知らないのだ。

ジャングルポケットは、テイエムオペラオーを、あまりにも知らなすぎる。相手の瞳がこちらを映す手段など、嘗ての成功体験の中でしか存在しなかった。

原因はわかっている。なのに抜け出せない。得られた充足感は甘い毒のように、乾いた心を満たしてしまった。──じくりと傷んだ喪失感に、名前はつけられなかった。





テイエムオペラオーは天井を見上げていた。

「…最低だな」

いなくなった獰猛な光を幻視して、目を瞑る。

あの時。ジャングルポケットは確かに、己を見ていた。赤色の原子を探していなかった。炎のように揺れた激情を、一心に、テイエムオペラオーへ叩きつけていた。夢に溺れて歪だったあの頃とは違う、確かに交わった視線に抱いたものは──歓喜だ。

口では幻影の名前を呼んで、そのくせ瞳は現実を求めていた。

ボクを、求めていた。

交わった視線に身体を満たしたそれに、気づくなと願った。罪を犯しておいて、求められることに喜びを覚えているだなんて。

歪だ。歪んで、ちぐはぐで、どうしようもない。

わざとでは、なかった。

夢を見ていた。砂浜の海岸で、夜明けを待つ夢だった。そこにいた焦がれた一等星は光を探していた。けれどその隣にいるのは、いつだって、淡く照らす月だった。

そんな記憶、どこにもないはずなのに。

忘れられない弱さが憎かった。星と太陽は交わらないと、最初からわかっていたのに。

だから、名前を呼ばれて。

夢だとわかって、手を伸ばした。それが現実だなんて、思いもしなかった。

「…ボクの名前なんて、今まで一度も、呼ばなかったじゃないか」

拗ねたように転がった言葉に耳を塞ぐように、テイエムオペラオーはソファに身を埋めた。


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