muta in strumento
「そろそろですかね…」
灯りの落ちた夜半時、シズカは事務作業の手を止めていた。
音楽が空間を満たす中、突如として大きな音を立てながら扉が開かれる。
「指揮者殿!今日こそ拙者と手合わせ願おう!」
彼女の名は勝ユク。先日からシズカのとの立ち合いを望んで彼女に付き纏っていた。
ようやくこの夜遅くに招待を受け、喜び勇んで馳せ参じたのである。
「戦うのは構いませんが…まぁお座り下さい、お茶の用意をしましょう。」
「いや、拙者は手合わせに…」
ユクの返事を意に介す様子もなく、シズカは部屋を後にした。
一人残され、手持ち無沙汰となったユクは仕方なしに席につく。
曲が終わり、また始まる。
数秒の沈黙を経て、再び音楽が空間を満たした。
空の時間が、意識せずとも曲の内容を理解させる。
遠く離れた恋人に会えない悲しみ。身を焦がす愛の熱。
それは…
「緑茶でよろしかったですか?」
気がつくと部屋の主は戻っており、茶会の準備を進めていた。
既に出された茶を無碍にする理由は無く、口をつける。
旨い茶だった。これを飲み干すまでは、話を聞いていくつもりにもなる。
「指揮者殿は茶人でもあるのだな。」
「優れた指揮者は接待も出来なくてはいけませんから。」
曲が終わると、シズカは連続再生を止めた。
「先程の曲は如何でしたか?」
「…拙者の好みではないな。想いを募らせるなら逢いにいけばいい、出来ぬならそれまでの話だろう。
…指揮者殿は如何に思う?」
「そうですね…歌詞については貴方と同じです。私の好みではない。
しかしメロディラインは好みですし、演奏技術も優れています。それに比べれば、歌詞の好悪など些事ですとも。」
「ふぅん、そう云う物か…拙者は音楽には疎い。めろでぃも演奏の技も、良し悪しがわからん。」
残り僅かな茶を啜る。
旨い茶も、良い曲も、十全に愉しむ事は出来ない。やはり、ここで立ち会いを───────
「メロディ、旋律がわからない。なんて事は無いのですよ。私達なら尚更、心が踊る旋律が有って然るべきなのですから。
では、こういった曲は如何ですか?」
そして音楽が再開する。次に流れたのは知らない言葉の歌だった。
歌詞を解そうとしなければ、後に残るのは情熱的な旋律。
勇ましい曲調が、確かにユクの心を捉えた。
「…好いな。」
「それは良かった。」
「始めから全てを理解しようとする必要はありません。
初めは甘い所だけを啜り、好きになる。渋みを知るのはその後で良いのですよ、私達はまだ子供なのですから。」
「ふむ…分かった、と思おう。」
気付けば湯呑みは乾いており、ユクは席を立つ。
満足気に脚を進める彼女を、シズカは引き止めた。
優れた指揮者は手土産を欠かさない。
「再生機と…鉄砲?」
「子供らしく、生徒らしく。ということで、一つ。」
「…指揮者殿が云うならば、有り難く頂戴しよう。」
「ええ。きっと、口に合いますとも。」