mojiの周りにあるものを観る
Moeko Ehara普段、ネット上の情報やニュースを見聞きして
「理解した気になっている」物事って
どのくらいあるのでしょうか。
もしかしたら、”ほぼ全部” そうかも知れません。
自分が望まなくても
誰かの意見やデータが世界中に溢れていて、
どんどん向こうからやってきます。
無意識に入った情報を、
脳が過去の経験と勝手に結びつけて
なんの検証もしないままに
「真実」だと結論づけてしまう事も
多々起きます。
だけど本来、物事って、
1分のニュースで語れるような
400字程度の文字で書き表せられるような
そんな単純なものじゃないと思います。
30代半ばに入ってやっと、
私はこの社会の(というか人間の)複雑な気持ちの揺れや
グレーゾーンの大きさを知り始めました。(遅っ)
「書くほどでもないから」
「まだ形にはなっていないから」
「結論が出ていないから」
「ネガティブだから」
「曖昧だから」etc…
と、ふわふわと漂っている無数の出来事がいかに多いことか。
そしてその全てが点と線でつながっているのに
切り捨てられる場面がいかに多いことか。
当事者からしたらかけがえのない無数の点が
私たち他人までは届けられないのです。
ここからは自分の話をします。
私は「革」を使って物を作っています。
この仕事を始めてから、早7年が経ちました。
今の私にとっての大きな課題は、
「皮革を識る」です。
え、今更、と自分でもつっこんでしまうのですが、
そもそも私にとって
この世界に入ったきっかけは「靴づくり」で、
「革」という素材そのものについては
それほど興味がありませんでした。
ただ、靴と革は切っても切れない関係。
製作の経験値が上がるにつれて
自然と必要な革の知識も増えていきました。
だけどある日、
届けられた革を確認した際に
「あ~・・・Bランクか・・・」
と、ハズレくじを引いたような残念な気持ちになった自分に気づきました。
革は天然素材。個体や状態の差があるのは当たり前なので
傷が少なくて繊維が詰まった状態の良いものが届く時もあれば
なんだかイマイチ・・・というものが届く事もあります。
それはこの7年、何度も経験しています。
しかし今回、自分自身で問題だと感じたのは
少なくとも7年という短くもない期間、
「皮革」という素材を扱っている者としては
あまりに受け身な姿勢と、
「ハズレくじを引いた」というバカみたいな言葉しか
浮かんでこない、自分の浅学さでした。
やっとその事に気付いた私は(遅っ)、
もっと革業界を知りたい、
革製造に関わっている人のリアルな現場を知りたいと思い
機会を見つけたら可能な限り現地へ赴くことにしました。
youtubeでも簡単に、革製造についての動画は見つけられます。
だけど私が本当に知りたいことは、
やはりネットには落ちていないのです。
タイミングよく見学できた「東京都立皮革技術センター」や、
社長さんら自らが案内してくれた東墨田や葛飾の工場。
そこで出会ったどの方も、革への情熱が溢れていて
ネット上に溢れる「革産業の衰退」の文字からは想像もできなかった
リアルな声を聴くことができました。
私が長野で受け取る革たちが
どのような場所で、どのような人たちが関わって
作られているものなのか、何百倍もクリアにみえるようになりました。
それは今後の私自身の方向性を、大きく左右していくと感じています。
10月には、今まで斜にみていた「レザーソムリエ」という資格へも挑戦し
無事に初級に合格することができました。
改めて教科書で習う「革」はまた新鮮であり、とても勉強になりました。
来年は姫路の工場見学も行かせていただける事になり
西日本の革業界への知識も深めていけたらと思っています。
長年自分が関わってきていた「革」という素材であっても
ネットやニュースでは受け取れない情報がほとんどです。
文字からは何も体感できないし、
文字に書かれていない事の方が大切だったりします。
タイトルを敢えてmojiとしたのは
文字は記号のような物だと思ったからです。
記号は簡単に意味を伝えてくれるけれど
なかなか背景は読みとれないなと。
毎年、このアドベントカレンダーで私が書くことは
自分への戒めのような気がしています。
言葉に振り回されないで、体感を得ながら検証すること。
時間も手間もかかるけれど
とても大切な事だと身を以て感じている2022年の年の瀬です。
最後に少しだけ・・・
日々飛び交うニュースに、
刺激即反応で強い言葉を持って野次を飛ばしたり
当事者でもないのに被害者ぶる発言で攻撃することは、
一体何を生み出していますか。。。