magic hour
「景虎ー」
波打ち際で晴信が手を振っている。海開きにはまだ早いが少し足を浸けるくらいなら問題ない水温だ。
シミュレーターというのは凄い。本来なら今の時期はまだ水が冷たくて入れない海に、こうやって行くことが出来る。
「夏の日本海はこんな感じなんだなー」
「南国のエメラルドブルーの海とは違いますが、うちにも自慢できる海水浴場はありますからね」
今日の晴信はいつもとは違う装いだ。フレンチスリーブのひざ丈ワンピースに身を包んでいる。
上半身は白一色だが、ウエストの切り替え部分から裾に向かって、ライトブルー~マリンブルーのグラデーションになっている。
バケットタイプのストローハットに付いている赤いリボンの端が、風になびいていた。
かくいう自分もいつもの服ではなく、アイボリーホワイトのリネンシャツにサンドベージュのクロップドパンツだ。
足元は2人ともサンダルである。
「これでもまだ泳げないのか」
「20℃くらいですからね。海水浴をするならもう少し高くならないと」
「そっかー。残念だ」
そんなに残念そうには見えないのですが。
「確かに、ちょっと冷たい」
サンダルを脱いで足を浸けながらそう言うので自分も手で触れてみる。
「ウエットスーツがあれば入れましたね」
「そこまでやらなきゃいけないなら、いいや」
リュックの中からタオルを出して差し出せば、お礼と共に受け取られる。
「準備いいな」
「『海に行きたい』と言ったのはあなたでしょう」
話は今朝に遡る。なにをして過ごそうかと考えていたら、急に声をかけられた。
「景虎、暇か?」
「出撃予定はありませんので時間はありますよ」
「なら、シミュレーターを借りたから、一緒に出かけよう」
「出かける?」
模擬戦ではないのだろうか。
「服も用意したから、着替えてから集合な」
紙袋を手渡されたので受け取った。
「30分後くらいが目安でよろしく」
部屋に戻って紙袋の中を見ると、服とサンダルが入っていた。
「これを着て出かける場所…?」
見るからに夏の服装である。一体どこに行くつもりだろう。
「海か、避暑地あたりでしょうか?」
山に行く恰好ではない。こんな軽装では山に入れない。
「とりあえず、必要そうな物も持っていきましょう」
リュックに荷物を詰め込んだ。
シミュレーターの前で待っていると相手がやって来た。
「時間ピッタリだ」
「えっと、あの、その服は…」
「海に行きたいな、と思って。現代の服だとどんなのがいいか、結構悩んだんだぞ」
いつもと異なる印象にドキドキしてしまう。
「おまえもよく似合ってる」
「ありがとうございます。晴信もよくお似合いです」
「ありがとう。動きやすくていいな、これ」
くるりと回ると、裾がひらめいた。
「どこがいいかなー?」
操作パネルをタッチしながら考え込んでいる。
「海ならおすすめの場所がありますよ。そこに行きましょう」
「なら任せた」
そして冒頭へと戻る。
「こんな風に海を楽しめる時代が来るんだなぁ」
ただぼーっと海を眺めながらつぶやかれた言葉は、波間に消えていった。
「練兵のためでも、交易のためでも、塩のためでも、外征のためでもない理由で海に来るなんて、初めてだ」
「私たちが生きて、死んでいった先にこの景色があるのなら、今こうやって楽しめているのは繋いでくれた人たちがいるから、なんですよね」
「……どこで聞いたんだ。それ」
「内緒です」
少しだけ顔が赤くなっています。珍しい。
「満喫したから帰るぞ」
「…夕日が沈む所までは、見ていきませんか」
日が落ちて、名残の光が満ちる中を並んで歩いていく。
「たまには、こういうのもいいだろう?」
「そうですね」
「よかったら、また付き合ってくれ」
「はい……そうです、次は晴信のおすすめの場所に行きましょう」
「そうだなぁ…この恰好で行くなら、八ヶ岳の高原あたりとかか?」
「設定を合わせればどこにでも行けますよ。季節も服も時代も関係なく…シミュレーターですから」
「そりゃそうだ」
くすくす笑いあいながら今の日常へと戻っていった。