heavy-koyuki

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コユキにあの極秘ファイルを見られてしまった日から2週間が過ぎていた。

色々な意味で大変な時間が続いたせいだろうか、何気なくカレンダーを見て驚くくらいに早く感じる日々だった。


現状、コユキの様子は落ち着いてきている。少なくとも表面上は。

最初の数日はほとんど私にしがみつくようにして離れず帰らず、離れたとしても通話を繋げるか鬼のようにモモトークが届く時間が続いた。初日に至ってはどうしても帰るのを嫌がったため、結局シャーレに一晩泊めて過ごした。

その後も健康診断に引きずって連れて行かれたり、常に健康状態を送信する装置や頑丈な防護アーマーを着用させられそうになったり、コユキの反省部屋をシャーレ近辺に移送する案を通そうとしていたり──本当に色々とあった。

彼女は今も用の有る無しに関わらずシャーレにやってくる。私が不在の際、職員に私の行き先を尋ねて出先まで追いかけてきたことまであった。


正直に言って、ここまでショックを与えてしまうとは思っていなかった。


私はあのファイルの扱いについて様々な可能性を考慮してきた。コユキ以外にも、自然とたどり着いてしまうかもしれない誰かのことを考えて、メッセージを用意したつもりでいた。

私が生きている間なら、例え覗き見されてもそう重く受け取られたりはしないだろうと高を括ってもいた。

あのファイルの中に、今まで隠し通してきた秘密などはほとんど含まれていない。皆が困らない為に必要な事項を記し、生徒たちへの感謝と激励を素直に書き出し、最後に"先生"そのものの話を遺しただけ。


私は少し、自分の死について軽く考えすぎていたのかもしれない。生徒のためならば命を捨てても構わない、それが当然だと思う覚悟が固まりすぎていた。

あるいは。覚悟しているようでいて、内心恐ろしかったのかもしれない。

私は何度でも同じ選択をするだろう。例え記憶が消えていても、別の世界や時間軸に行ったのだとしても。全ての先生が同じ道を選ぶ筈だ。プレナパテスと、私の意志が通じていたように。

しかしそれと、死を恐れないことは別の問題だ。私だって怖くないわけではない。恐ろしいに決まっている。私という存在が消えたとき、その後に何があるのだろうかと考えることもある。

本当は誰かに気づいてもらいたくて、無意識に、探せば見つかるような場所にファイルを置いたのかも……そんな風に反省を並べ始めるとキリがない。情けない話だけど。


時折、コユキは奇妙な目で私を見るようになっていた。

例えば、何気なく交わしていた雑談が途切れた空白に。

例えば、私が目の前の仕事に集中していて、そこを横から覗き込まれていた一時に。

例えば、何事もなく一日を終え、軽く手を振って別れた瞬間に。


彼女は、彼女らしからぬ仄暗く濁った目をする。


そこに込められた感情まではまだ読みとれていない。

ただ、抑えきれない欲求が滲み出して瞳を染めているかのような……いつものキラキラとした無邪気さがない、そんな目だ。


「先生~! コーヒー淹れましたよ! 一息つきませんか?」


元気に呼びかけられて、深い考え事からふっと意識が戻る。

見れば、いつものようにニコニコと笑うコユキが持ってきたコーヒーカップを2つ、デスクに置くところだった。


「あぁ、ありがとう、コユキ。ちょっと一服しようかな……」


仕事に対する集中力が途切れたのを見計らったような完璧なタイミング。心底ありがたいが、見抜かれているようで怖くもある。

大きく伸びをしていると、コユキはデスクの横からキャスター付きの椅子を引っ張ってきて私のすぐそばにちょこんと座った。

……近い。少し椅子を回せば膝がぶつかる、特徴的なツインテールがもう肩に触れている、そのくらいの距離。

前々から距離感の近い子ではあったが、最近は特にその傾向が強い。もうちょっと離れよう、と何度言っても聞く耳を持ってくれないし。


気にしても仕方がないので、ひとまず自分の分のカップを口に運ぶ。いつもと変わらない、よく馴染む苦味が舌に広がる。


「…………」


何となしにコユキの方へと視線を向けた。

……じっと。動かず、コーヒーカップを両手で持ったまま、見つめられている。


「……はっ! ま、まさか、一服盛った……!?」


「え"!? いやいやいやいやそんな事しませんけど!? えっそれとも変な味でもしました!?」


……もちろん冗談だ。どうにも無言が耐え難く、いつもの賑やかなレスポンスが欲しくて、ついフリを入れてしまった。

普通に返してくれて良かった。いつもの反応だというだけで、どうしてだろうか、こんなにも安心してしまう自分がいる。


「ごめんごめん、冗談だよ。この前ドラマで見たから、ちょっと言ってみたくなっただけ」


「し、心臓に悪いですってば……もう。大丈夫ですよ、万が一にも先生が体を壊したりしないように、ちゃんと……ちゃんと確認してますから」


その時、目の前をふわりと立ち上っていく湯気の向こうに見えてしまった。

コユキがあの目を。暗い感情を孕んだ目をして、寂しげに笑みを崩すのを。


胸の奥がずきりと痛む。


全て私のせいだ。私の心が弱く、甘えた判断を下してしまったばかりに、コユキにそんな目をさせてしまう。

私1人で負うべき責任だったのに。私が最期まで、然るべき時が来るまでは隠しておくべき陰だったのに。


「…………ありがとうね、コユキ」


『ごめんね』と『ありがとう』の間で、少しの間揺れた。

傷つけてしまったことを詫びるよりも、それでもこうして傍にいてくれることに感謝すべきだと。そう思ったからそのまま口にして、コユキの頭を撫でる。


「にははは。そんな大した事してないですけど……でも受け取っておきますね」


言葉はいつもと同じでも、声色は乾いているように聞こえてしまう。私からは感謝することしかできないから、わしゃわしゃと頭を撫で続ける。


この日々の間に一つ、私は決意していた。万が一、億が一の可能性に決して屈さない、と。

コユキが抱いてしまっているであろう不安を、私があのテキストに記した可能性を、現実にしない。過たない。命を使い果たさなければならないほどの状況に追い込まれない。

あのファイル……遺書は過剰な心配性の産物だったと2人で笑い飛ばせるようになるまで。止まることなく歩み続ける。必ず。


「……あの、先生? いつまで撫でるんですか? いや別にやめて欲しい訳じゃないですけど~……」


……うん、確かに。またしても考え事にのめり込みすぎていた。

するりと手を離すと、コユキは喜んでいるような困惑しているような微妙な表情で私を見上げてきていた。

原因そのものの私が言える義理ではないけれど、どうか思い悩まないで欲しい。


私は机の方を向き直った。とにかく今は片っ端から仕事を片づけたい気分だ。コユキが私について何も心配しなくて良いように、ゆっくり休んだり遊びに行ったりする余裕を作らなくては。


「あ、先生。今作ってるそれって近いうちゲヘナの方に持って行く書類ですよね? その時は私も一緒について行って良いですか? ボディガードやりますよ!」


「ボディガードって……そんなに重要な書類じゃないし、普通に届けてくるだけだから平気だよ。それにコユキにはセミナーの仕事も……」


「そっちの仕事はちゃんと済ませてから来てるので大丈夫です! にははは、ユウカ先輩に叱られないようにその辺は抜かりナシですよ!」


……良いようにも聞こえるが、コユキはかなりの多忙であろうセミナーの役割を果たしつつ、こうして私の手伝いをしてくれているという事になる。持ち回りの当番という訳でもないのに。

ますます目の前の仕事を全て終わらせてしまいたい気分になった。無理に追い返して休ませるよりも、やることがなくなった上で安心して帰宅してもらった方がずっといいだろうから。


もうあんな目を、あんな顔をさせないためにも。

この気持ちだけはどこかに吐き出したりせず、ずっと抱えておこう。

コユキが休めるようにどうにか説き伏せながら、私は休憩する前よりもハイペースに書類と格闘し始めた。



















先生がゲヘナ学園とその自治区についてのんびりと語っている。

風評で言われているほど治安が悪くはないことや、仮に荒れていてもちゃんと説明すれば分かってくれること。

頼りになる風紀委員会がいて、そのトップの風紀委員長も何かと手助けをしてくれること。

私を出張についてこさせないための、安心させるような声色の説得。だけど私はこう思っていた。


「ゲヘナの誰が、先生の本当の内心を知っているんですか」、と。

「命を落とす可能性と真剣に向き合って、最悪の結末から目を背けず、後に遺される私たちのためにメッセージをくれる、先生の。何を知っているんですか」、と。

頭の中に渦巻いているのは憎しみでも優越感でもなくて。純粋に、誰一人知りもしないだろうから。


時折、先生は私から目を逸らすようになった。

申し訳なさや苦しさを封じ込めるみたいに。少しだけ目を逸らして、噛みしめて、それからまた笑顔に戻る。

先生は何も悪くないのに。悪いのは、軽い気持ちで隠されていたモノ……遺言に踏み込んでしまった私の方だ。


先生は私も含めて、生徒たちに降りかかる大人の悪意や不運を自分の身で防ごうとしている。

それが過酷で険しい道である事なんて火を見るよりも明らかで。1人の人間が背負いきれる重みでないことも、同じくらい簡単に分かる。そこに命の危険が絡んでくることも、あの文章から読み取れてしまった。

できなくて当然なのに、独りでやる必要なんてないのに……先生はそうする。

きっと、先生はその献身を最後まで誰にも知られなくて良いと考えている。だからそれを知ってしまい、考えてしまう私に、申し訳なさそうな表情を見せる。


でも、私は知ることが出来て良かったと思う。

支えてあげられる。守ってあげられる。心の底の底を理解してあげられる。そんな人が1人いるだけで、きっと大きく違うはずだから。

私がその1人になれる。偶然あのパスワードを解く力があって、偶然なにも考えずにあのファイルを覗くような性格に生まれ育った私が。


力に伴う責任がどうとか……お説教のたびに言われて、何度も聞き流してきた言葉が今になって腑に落ちている。

先生を支えるという責任。どこまでも先生と一緒に進んで、その果てで先生が遺した物を守る責任。そのために、私の力はあったんだ。


「……だから大丈夫。最近は本当にたくさん手伝ってもらってるから、コユキもたまにはゆっくり休んで。ね?」


先生が朗らかに笑いかけてくる。

どんな時も。極秘ファイルを覗いたあの日、私が泣き崩れてしまっていた時にも。先生は怒ったり責めたりせず、ゆっくりと話を聞いて落ち着かせてくれた。


……あぁ、私が守らなきゃ。私だけができるから、私がやるんだ。


「そうですか? じゃあその日はのんびり過ごすことにしますね。にははは~」


ハッキングして動かせるドローンの数と種類も。監視カメラの映像の覗き方も。全部頭に入っている。

誰にでも出来る事じゃないって、先生から認めてもらえたこの力を……他でもない先生のために使わなきゃ。


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