愛する人を失った世界にはどんな色の花が咲くだろう?

愛する人を失った世界にはどんな色の花が咲くだろう?


※タイトルと本文は関係ありません


記憶あり転生現パロ、恋人同棲設定


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「血圧が基準値から外れたな」

「そういう時もあるでしょう」

景虎の健康診断の結果表に目を通しながら晴信は眉をひそめる。

昨年までは検査結果の判定は全てAを保っていたのに、今回は血圧を始め肝機能、腎機能の結果が僅かながらその基準値を超えてしまっていた。正直景虎もまだ二十代。日頃から人並以上に体を動かしてることもあり、多少基準値を超えたところで目くじらを立てるものではないのだが…。

ちらりと晴信は目の前の景虎へと目を向ける。テーブルを挟んだ反対側で塩を片手に次々と酒を飲み込んでいくその様子は、ウワバミと称すのが相応しいだろう。

それ故に、晴信は頭を悩ませる。

これから先もこの飲酒ペースを続けていれば、10年後には景虎の健康が悪化の一途をたどることになるのは目に見えている。せっかく現代でもこうして出会い、恋人として同棲までする仲になったと言うのに不健康な時を長く生きるなんてのはつまらない。病なんてものは予期せず罹るものだとしても、防ぐ手段が分かっているならそれを実行しない道理はない。

「景虎」

もう一本、と空いたビンを手に持って、席を立とうとした景虎を晴信は呼び止める。

「何です?結果とにらめっこするのに満足したのなら晴信も飲みますか?」

空いた酒ビンを軽く振って晴信のへと笑顔を向ける景虎の様子に少しためらいそうになるも、これもこいつの為だと晴信は口を開いた。

「塩をつまむのも酒を飲むのもやめろとも言わんが量を減らせ。節制をしろ」

しん……、と音を無くしたように部屋を静寂が支配する。

戦が始まる前のような緊張感を孕んだ空気を切り裂いたのは景虎の苛立ちの声だった。

「なんでそんなことを晴信に言われなくてはいけないのですか!」

「恋人だから言ってるんだ!見ろ、これを!去年よりも悪くなってるだろ!」

突き付けられた健康診断の結果を見るも、多少悪くなったとは言え問題ない。景虎には目くじらを立てるほどとは思えなかった。

「結果が悪くなったとは言えまだ常識の範囲内じゃないですか!検査が必要だと言われてるわけでもないのに心配し過ぎです」

「そこまでいってたら手遅れだ馬鹿。そうならないためにも今から改善しろと言ってるのが分からんのか」

「そんな1年や2年で悪化して死ぬわけでもないのに何をそんなに必死になってるんですか」

「……お前は前世の死因を繰り返したいのか?」

景虎の死については晴信の死後の事のため、残された史料による記述でしか知ることはできなかった。

けれど、症状や文面を見るに景虎の大酒飲みの生活が祟ってしまったのだろうというのは推察できた。このままいけば前世の二の舞になるのは避けられない。

「……それでも五十近くまでは生きましたし」

「現代の平均寿命は何歳だと思ってるんだ。おまえは30年以上俺を一人にする気か?」

これから先、轡を並べて生きていこうと言うのに、先立たれる予定を入れられるなんてたまったもんじゃない。

拗ねるように目を逸らす景虎に、晴信は呆れつつも小言をこぼした。

「…………また貴方において逝かれるよりかはいいかもしれませんね」

目を逸らしたまま、ぽつりと景虎が呟く。思わず口から出た言葉が脳の海馬を刺激して、景虎の頭に思い出したくもない記憶がよみがえらせる。

生きていさえすればまた向かい合って、その命の輝きを狙うことができる機会を与えられると願っていた。決して辿り着くことはできないとしても、その光を目指して行くことはできると信じていた。

請うように、祈るように、縋るように、次の機会を求めた。

そんな微かな希望を見据える日々が、飛び込んできた晴信の訃報によって唐突に終わりを告げる。

最強を謳う男も病には勝てず、道半ばで尽きたとの知らせに自分の中で何かが失われた気がした。

夜闇を照らす火の如く、人を惹きつけた男の残り灰を辿るように自分も病で没すれば、少しは人に為れるだろうか、と無意味で浅はかな考えが一瞬でも頭によぎるくらいにはこの世に意味を見出せなくなった。

晴信のいなくなった五年の歳月を、何を思って生きていたかなんて、今世で再開できた日から遠くの彼方へと追いやっていた。

きっとこの男はどれだけ自分が喪失感を持ったかなんて知らないだろうと、景虎は晴信の顔に目を向ける。

「おまえが一人になりたくないから俺を一人にするのか?」

そこに、感情はなかった。

顔にも、声にも、瞳にも。人が感情を乗せ、時には隠した想いさえ露わにさせる部分全てに何の想いも込められていなかった。

――口にするべきではなかった。

そう景虎が思うもすでに遅く、景虎が口を開く前に晴信から目を逸らされた。

「強制はしない。でも考えておけ。おまえの問題だ」

紙をテーブルへと置き、晴信は部屋を出る。大きな音など立たなかったと言うのに、完全に閉められた扉を見て、晴信に拒まれたという意識だけは景虎の中に強く残った。

強調されるように「おまえの問題だ」と晴信が言った言葉が、鈍い刃で身を切るように景虎の心を削っていく。晴信は恋人だからだと、2人の問題だと言ってくれていたのに。

孤独に生きることは難しい。けれど誰かと生きることはもっと難しい。勝手気ままには生きていけず、我が強い者同士なら尚のこと。言葉が通じてしまうという事は、不意に相手の脆い部分を打ち砕いてしまう可能性があるということ。

それに加え前世よりも狭い居住で、前世よりも近しい仲で、前世よりも長い期間、晴信と自分が共に生きるということはきっと殺し合うよりも難しい。

床に落ちた紙を拾うため、景虎は身をかがませる。床に自分の影が映り、視界の先が暗くなる。

かさりと指先に触れた紙は、晴信が声を荒げたにも関わらず、皺の一つも付いていなかった。




どれだけ大きな喧嘩をしても寝る時は同じ布団で、というのは最初に二人が決めたルールだった。

意地を張っても、どれだけ罵り合っても、寝る時に隣にいるのなら、怒ってはいても見限るほど嫌いにはなっていないということだと語ったのは晴信だった。それがどうにも経験則からくる言葉のように思えて、少し面白くなく思った自分がいたことを景虎は思い出す。

酒と塩を片付けた後に景虎が寝室を覗けば、そこには既に晴信がいた。ベッドの上で半身を起こし、本を読んでいた。

晴信がいつも通りいることに景虎は安堵して、小さく息を吐いた。外に出ていく音は聞こえなかったけれど、寝室にいないのではないかとほんの少し気にかかっていたのだ。

その吐息に気付いたのか、晴信が本から視線を上げる。

ぱちりと目が合ったかと思うと、本をベッドのわきに置いて晴信は景虎へと無言で手招きをした。

晴信の感情が読めず一瞬戸惑うも、景虎は晴信の方へと近付く。1歩、2歩、と薄氷の上を歩いているかのような気分で景虎は足を進める。氷ほど冷たくないのに足先がやけに冷えているように感じていた。

腕を伸ばせば触れられる距離まで来たところで、晴信が景虎の腕を取り、その身を自分の腕の中へ引き寄せた。抵抗することなく、景虎もされるがままにその腕の中へと収まった。

そのまま身を半回転させ、晴信と景虎は向かい合うようにベッドの上へと横になる。

しばらくの無言。明りも落とさないまま横になっているせいで、お互いの顔がよく見える。

迷っているかのように、怒っているかのように、泣きそうになっているかのように、感情が混ざる晴信の顔を景虎は見つめる。その眼を見つめ返し、揺れていた瞳が瞼の裏に隠されたかと思うと、固く結ばれていた晴信の口がようやく開いた。

「…………悪かった。俺が一人になりたくないだけだったのにおまえに意見を押し付けた」

景虎は背中に回された腕に力が入るのを感じる。離れてほしくないと、言っているかのようで、それに応えるように景虎も晴信の背に腕を回してその身を抱きしめた。

「晴信が一人になったことなどないでしょう」

「大切に想う相手を失った時は、どれだけ周りに人がいようと世界でたった一人になったように感じるもんだ」

ああ、前世の奥方か。景虎の脳裏に僅かに残る晴信の周囲の人間の情報が浮かび上がる。

晴信が正室に先立たれたという話は耳にしていた。晴信が生きて戦を行っているという情報以外はあまり気にせず横に流していたけれど、そう言えば家臣からはそんな知らせも伝えられていた。それにとどまらず、確か跡継ぎとなる子も…。

あれだけ人に慕われて、あれだけ人に思いやられて、絶えず誰かが傍にいた晴信が自分と同じ喪失感を抱いたことなどあるのだろうか。私は、晴信を失った世界に一切の光を見出せないほどの喪失を味わったというのに。

そう言葉にしたい気持ちをぐっとこらえ、景虎は抱きしめる腕に力を込める。

きっとその言葉は言うべきではない。否、喪失感を比べるなんてあっていいはずがない。前世で生きた環境も、築いた人との関係も、辿った人生の道筋も自分たちは異なるのだ。自分が知らない感情を持った晴信にしか持てない悲哀と、自分しか知らない感情を持った私自身にしか持てない悲哀。どちらも押し付けるべきではない。

そんなことは分かっていた。景虎も晴信も十分に理解していた。それでも。

「……それでも私は、もうおいていかれたくはありません」

そのまま景虎は頭を擦り付けながら晴信の首元へと顔を埋める。隙間も生まれないようにぴったりと、更に体を密着させた。

自分に密着してきた景虎の頭を撫でつつ、晴信はその耳元で言葉を紡ぐ。

「だからって早死にする必要はないだろ。……さっさと死ぬよりも、長く生きた方が酒も多く楽しめる」

「そこで自分と一緒に生きる事より、お酒を飲める事を利点として挙げるとこがらしいと言うかなんと言いますか」

「おまえの好みに合わせただけだ」

呆れるように笑う景虎に、晴信はぶっきらぼうに言葉を返す。その声がまたおかしくて、景虎はくすくすと笑いながら再び顔を晴信へと擦り寄せた。

「私はどちらも欲しいです」

「それなら長生きしろよ?」

「晴信も一緒なら良いですよ」

顔を合わせず、抱きしめ合ったまま二人は笑う。

武田晴信と長尾景虎、武田信玄と上杉謙信、自分たちは共に生きるよりも殺し合うことの方がきっと性に合っている。けれど、それでも乱世が遠い過去となった現世では、共に生きていけるのなら生きたいと、どちらも互いに思うのだった。


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