film UTA:開幕前の舞台と観客席
電伝虫が起動し、謎の声に引きずられる様に視界が暗転し、どれほど経ったか…少しずつ身体が感覚を取り戻していき、ポフポフと何か柔らかいものが頬を叩いている事に気づいて【ウタ】は目を覚ます。
『…ぅ、ここは?』
「!ムー!」
『わ…ムジカ、起こしてくれてありがと』
目の前にドアップに移るのは自身の片割れであり、魔王の眷属とも言える人形のムジカ。【ウタ】が目を覚ました事に安堵した様に飛びつき、【ウタ】もまたムジカを抱きしめつつ周りを見る。
周りは霧の立ち込める屋外な様で、当たり前だが何故ここにいるのかは分からない。
ただ、目の前に広がる海で、ここは何処かの島の港なのでは?と考えて、立ちあがろうとする。
その時、先程まで自分が背を預けていた石に手が触れて、何か加工されている様な感触に気付いてソレに視線を向けて【ウタ】は驚愕する。
『え、なん、で…』
その石…否、石碑に刻まれるこの島の名前を知らないどころではない。
此処は自身が地獄の様な人生を歩むきっかけとなった場所。
はじめての同性の友達に、その地獄に突き落とされながらも、救われた場所。
エレジア…【ウタ】が12年前に人形となって世界に忘れられた…【赤髪海賊団の音楽家】としての死を迎えた始まりの地。
『は…ヒュ……ッ』
カチカチと歯が鳴り、呼吸がままならなくなっていく。ドクリと嫌な脈の打ち方をする心臓が煩くて、立ち上がったのにまた膝をついてしまう。
思い出すのは人形になって、シャンクス達を見つけた時。【ウタ】の事に関する記憶が消え「俺に人形をもらって喜ぶ娘はいなくてな」と置いて行かれそうになった時。
必死に食らいついて船に乗り込んだ時のあんなにも自分を可愛がってくれた赤髪海賊団の、自身を見るどこか鬱陶しそうな目…
『ハッ…はーっ…ヒュッ、ゲホッ』
実際に聞こえてる訳ではない過去の声を視線を遮りたくて、その日着ていた服のフードを引っ掴んで深く被る。それでも心の内から聞こえてくるトラウマに震えが止まらなくなった時。
《しっかりしろ》
『ッ…!ま、お…?』
その声が響いた時、先程まで自身の中に木霊していた過去の声が暴力的な程に静かになっていた。負の感情の集合体である古の魔王。かつてこのエレジアに封印されていた【トットムジカ】は、【ウタ】が意識を覚醒させトラウマを想起した事で生まれた負の感情を喰らい、無理矢理ながらも【ウタ】の正気を取り戻した。
《何故自分達がここにいるのかも分からないまま行動不能など話にならん…まずは息を整えろ、小娘》
『…はぁ…すぅ……ごめん、ありがとう』
【ウタ】の礼に対して、フン…と無愛想な応え方をする魔王だが、内心、魔王もまた動揺していた。
歌が溢れる、世界一の音楽の都を包む、この不気味な霧に似た静けさに…そして
《此処はどちらでもあり、どちらでもないらしい》
『…?どういう事?』
《覚えているか?お前はあの奇妙な虫の軌道と共に意識を失った…ならば本来此処はお前の夢であるはずだが、此処は現実だ》
余計に意味が分からない。そう言いたげに【ウタ】は首を傾げる。
真似をするようにムジカも口に手を当てて【ウタ】と同じ方に首を傾げたのを見て、魔王は呆れる様な溜息を吐く。
《ものは試しか…小娘、槍を呼べ。大声である必要はない》
『え?ヒポグリフ?……いいけど』
そうして出された提案は、【ウタ】の声を登録し、名前を呼べばその声が届く範囲ならば文字通り飛んできてくれるというフランキーとウソップお手製の【ウタ】の現実世界の武器…ヒポグリフだ。
ただ、ヒポグリフは記憶が正しければサニー号に置いてある筈で此処はエレジアで、しかも夢か現実かも分からないのだ。
ただ呼ぶだけで本当に来てくれるか不安だが…試す他ない。
『おいで、ヒポグリフ…!』
そうして呼んだ時…
『え!』
普段の物理的な移動ではなく、まるでウタワールドで能力を使った時の様にカラフルな音符が発生して、【ウタ】の手にヒポグリフが現れた。
【ウタ】の能力は現実世界では精々自分や味方にバフを与えたり、敵を眠らせたりする程度であって、現実世界で物を具現化させる事など出来はしない…
つまりこうして音符により現れたヒポグリフは此処が夢…ウタワールドの中である事の何よりの証明であった。
しかしそうなれば謎が多い。
『わ、私…歌ってないよ!?』
「ムー!」
そう、あくまで此処にいるのは電伝虫を起動したから。という仮説。
だが少なくとも【ウタ】は歌ってない為、能力など当たり前に発動している筈もない。なのに此処はウタワールドに限りなく近い…否、【ウタ】の夢の世界と一部混ざりかけている様な…
《それくらい分かっている。なにより…ウタワールドならば此処は我らの領域の筈なのに、この異様さは気味が悪い…情報を集める他あるまい》
『…そう、だね。なんか、私の見聞色も調子が悪いし……行動しかないよね』
念の為先程から【ウタ】は見聞色を発動して周囲を確認しているのだが、どうもいつもと比べて精度が悪い。電伝虫から流れたあの声を聴いたからだろうか?
意識を失う前に見えた範囲ではルフィ達は無事に見えたが、確信はない。もしかしたら他の仲間もここに迷い込んでいるかもしれない…ならば探さねばならないだろう。
『折角の休日だったんだから、急いで帰らなきゃ。私達の船に…よし!』
パンッと手を叩き気合いをいれ直す【ウタ】はヒポグリフを掲げて声を上げる。
『麦わら一味音楽隊、点呼!!いち!』
「ム!」
《…我もやれと?》
『いち!!』
「ム!!」
《はぁ〜〜〜………………さん》
沢山腕がある自分だがこればかりはいくら頭を抱えようと解決しない。
諦めて、長い溜息をついてから嫌々、魔王は点呼に応えた。
『ブルック以外全員確認!!とりあえず一人じゃないし、頑張る!!』
《いや、一人だろ…我もムジカも人では》
『三人なの!!』
普段は周りに誰かしら人がいたウタにとって、どうもこの状況はかなり心細い。自分の幼馴染と同じく、自分は寂しがりやなのだから。だからこそ、これ以上自身が現状孤立している状態なのを【ウタ】は考えたくなかった。ムジカを抱き上げる腕はどこか強がる様に強張り、フードの奥の桔梗色の瞳は少し揺れている。
【ウタ】の半身とも言えるムジカも、ムジカを通して魔王もまた少女の強がりに気付いてしまっている為に、仕方ないと、その桔梗色に一人ではない証として、赤い×を灯らせた。
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一方、現実……【ウタ】が突然気を失った世界のルフィ達は慌てていた。
【ウタ】が止めたにも関わらず電源スイッチを押してしまったルフィに至っては顔面蒼白もいいところでチョッパーに「ウタを助けてくれ」と縋る程だったし、ナミなどは涙目になりながらウタの手を握り名前を呼び続け…それでも【ウタ】はピクリとも反応しない為にどんどん悪い方に想像が働いていた。
そんな時、ロビンが気付き、映像電伝虫の方を見ると先程の【ウタ】やムジカ達の様子が映像として映し出されてたのだから全員が驚く。
「こりゃどういう事じゃ…!?」
「まさか、この映像の中にウタちゃんの意識は取り込まれたってことか!?」
ジンベエやサンジがその映像を見るしかなかった時……【ウタ】がいる場所がエレジアであると分かり【ウタ】が突然尋常ではない怯え方をする。
「おいどうした…!」
「そういや、【ウタ】が12年前、シャンクス達と最後に行った航海は……」
「…エレジア、【トットムジカ】が封印されていた音楽の都でしたね」
ゾロが驚くのも束の間、ルフィが記憶の糸を辿り、ブルックが正解を導く。だが、つまり…と皆が察した。
「この島で【ウタ】は…私でさえ、あの少しの時間で辛かった人形としての12年間の始まりの島なんて…」
「大好きな父ちゃん達から忘れられて置いて行かれそうになったりしたんだよな…そりゃ、こうもなるだろうけどよ…!」
「スーパー歯痒いぜ…!何も出来ねェ!」
大事な仲間が、苦しむ状況に何もしてやれない。名前も呼んでやれず、抱きしめて宥める事さえ出来ない。
見たくないと映像電伝虫を壊したいがそんな事をしたらそれこそ【ウタ】がどうなるか分からない。見る事と、聞く事しか出来ない。許されない。
皮肉な事に、こんな異常事態でルフィ達は12年間、【ウタ】が苛まれたであろう無力感に近い気持ちを味わっていた。
その後、魔王が宥め、今、自分達が置かれている場が現実ではない事に気付いてくれた事に漸く少し安堵した一味だったが、この後…【ウタ】がいる場所や更にはこれから彼女が巻き込まれる事件に心が休まる時があるかは…今は分からないままだ。