fantasma

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告白をされた。

相手はウマ娘で、見覚えはなかった。

ジャングルポケットのレースを見て、勇気をもらったらしい。それで、気がついたら好きになっていたとのことだった。

…どのレースだろう。

なんて、混乱した頭はそんなことを考えていた。ダービーか、それともジャパンカップか。勝ったG1レースを思い出して、目の前の頬を赤らめた鮮やかな栗毛の少女を見て、なぜだか真っ先に浮かんだのは。

「悪ぃ…好きなやつがいるんだ」

気がつけば、そう答えていた。間違いではなかった。ジャングルポケットには、ずっと焦がれ続けてきた、もう触れることのできない、背中があった。それが叶わないと知っていても、その思いに蓋をすることはできなかった。

けれど、どうしてだろう。

今、浮かんだのは。今、目の前の少女に重ねたのは。

『アヤベさん』

ジャングルポケットを"アヤベさん"と呼ぶ、歪な片割れの、みたことのないはずの、朗らかな笑みだった。



はじめの印象は、"面倒なやつ"だった。

ひとつ下の学年のそいつは、上だ下だなんて関係なく、自分の舞台に巻き混んでしまうような、そんな騒がしいウマ娘だった。面識も殆どないくせに、勝手知ったる様子で通りすがりに声をかけられて、劇に強制参加させられそうになったところをクリスエスにすべて押し付けたこともあった。(悪いとは思っていた。)

そんな、自画自賛の舞台で生きている彼女を、相容れないと、直感で感じ取っていた。もっと言うならば、あいつとは関わるなという野性的な危険信号をキャッチしていた。

今思えばそれは正しかった。

あのジャパンカップで。ジャングルポケットは、彼女の背中に、"最強"を幻視してしまった。"勝てない"と。一瞬でもそう思ってしまった。あの日追いつけなかった"皐月賞ウマ娘"の背中を、見てしまったのだ。

『来ると思っていたよ!』

だから。喰らいついた獣が応えてくれたことに、歓喜した。そこは二人だけの世界だった。観客も他のウマ娘たちも置き去りにして、魂を焦がすような競り合いを繰り広げた。あとにも先にも、あんなに魂が震えた瞬間を、ジャングルポケットは知らなかった。

『勝ったのはジャングルポケットー!!』

ゴールした瞬間、胸のうちに広がったのはいいようのない喜びと──ほんの一匙の、切なさだった。

雄叫びを上げる体力もなくて、大の字に寝転がると、視線が合った。ルビーを嵌め込んだかのようなギラついた瞳が、凪いだ紫雲に変わっていく様を、見た。

『ありがとうポッケさん、最高のレースだったよ!』

いつもの道化じみた動作のまま、片手を伸ばされる。その手を取る前に。見えた光が、色が、ああ、と。なぜだか確信した。

──こいつはオレと、同じだと。

焦がれていた。もう闘えない相手を、手に入れられない相手を、求めていた。おめでとうと笑う瞳が。悔しげに、切なげに細められるのを。まるで鏡と向き合うように、見上げていた。



(……なんで今更、あの日のことを……)

ジャングルポケットは、空を見上げていた。

星は見えなかった。雲がすべてを隠して、月明かりが僅かに除く空模様は、きっと逢瀬にはふさわしくなかった。だから、どうせこないだろうと高を括って、いつもの場所に寝転がっていた。

テイエムオペラオーは、星を求めていた。

そのことに気づいてしまった、あの日。二人の歯車が歪に重なってしまった、あの日。

あの日から、ふたりの関係ははじまって、そして静かに、終わりを迎えていた。

最初から、終わっていた願いだった。知ってなお、相手にその面影を求めた。求めて、押し付けて、最低だとわかっていても、お互い様だった。きっと、どちらかがやめるといえば、簡単に終わってしまう。なのにどちらもずるずると、縋るように、傷を舐め合うように、どうしてか、離れられないでいる。

あの日。鮮やかな栗毛の少女から、告白された日から。ジャングルポケットは、少しだけ、考えていた。幸せについて。恋について。

きっと二人は、彼女のようにはなれない。それは絶対で、相手もそれは同じで。

けれどと思う。

あの日幻視した、"アヤベさん"と笑うその顔が、"幸せ"だというのなら。

(…離れなきゃ、いけないんだろうな)

本当は、わかっていた。このままでは、二人は"幸せ"にはなれない。つい最近見かけた、すべてを吹っ切って新しい恋を見つけたあの栗毛の少女のようには、なれない。

そう、思うのに。

「……なんでイラついてんだ」

じり、と胸を焼いた感情に、名前をつけたくはなくて。ジャングルポケットは身体を起こした。そして、

やってきた足音に視線を向ける。

「…奇遇だな」

そこにいたのは、テイエムオペラオーだった。こないと思っていた。だって今は、星が見えない。ジャングルポケットは少しだけ焦っていた。

見上げた夜明けのような瞳が、ぐるぐると揺れている。小さな唇が何かを言いかけて、開けては閉じてを繰り返している。

「…座らねぇの?」

何も言わない彼女に、下手な取引をしかけるみたいに問いかけて、そんな体たらくなのに、彼女は黙ってジャングルポケットの隣にふらりと座った。

よかった、なんて。安堵した理由を振り払うように、今日は星が見えないだなんて当然のことを、まるで念押しするように投げかけて。何がしたいのかなんて、そんなのこっちが聞きたいくらいだった。

なぁ、お前、何考えてんだよ?

「…すまない」

まるで懺悔のようだった。何に謝ってるかなんて、そんなの、しらない。わかるわけがない。オレは神様じゃねえんだぞ。

少し手を伸ばせば触れられる距離。それ以上寄ってこない、星のない空を見上げて泣きそうに目を細めた横顔にあの日が重なって。

ジャングルポケットは、追いかけるように、白くなった細い指先に、そっと手を重ねた。


その夜、彼女を"タキオン"と一度も呼ばなかった自分に、ジャングルポケットは、あとになって気づくのだった。


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