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 玄関から聞こえた鍵の開閉音にラウダはリビングから顔を上げる。帰ってきたのはペトラだ。義足の調整がしやすいワイドパンツ、しかしカジュアルすぎないようスラックス素材でセンタープレスの入った、社会人らしい装いだ。

「ただいま」

「お帰り。遅かったね」

 リビングに上がってきたペトラを迎えるように、ソファでくつろいでいたラウダが笑みを浮かべた。ラウダは先に帰宅してシャワーも済ませ、部屋着に着替えている。

 二人が住む家は集合住宅の五階にある。リビングは吹き抜けになっていて窓が大きく、太陽の光を取り込みやすい造りだ。白を基調とした爽やかな内装は統一感があり、ナチュラルカラーの木目調の家具がアクセントになっている。窓際にはペトラが好きだという観葉植物を何鉢か置いている。ラウダが出勤前に水をあげるのが日課となっていた。

「うん……試作機の調整があって」

 玄関で靴を脱ぎながら、ペトラは今日も遅くなった理由を答える。

「そっか、辛くない?」

「ううん、思ったより疲れてないよ」

「シャワー、先に入る?」

「うん」

 ペトラはバスルームに向かった。義足を装着したまま浴びることができるのは、ペトラにとって本当にありがたいことだった。


 ラウダはペトラを見送ると、キッチンに向かう。ペトラがシャワーを浴びている間に、夕食の支度を始めるつもりだ。

 冷蔵庫を開け、中を覗き込む。パスタを作ることにしよう。カットトマト缶を使えば、手早く作れる。

 まずはニンニクをみじん切りにし、ブロックベーコンを棒状に切る。続いてズッキーニを輪切りにしていく。フライパンを中火にかけ、オリーブオイルとニンニクのみじん切り、ベーコンを入れて炒める。ニンニクの香りがオリーブオイルに移ってきたところで、ズッキーニも加えてさらに炒める。ズッキーニが柔らかくなってきたら、カットトマト缶とコンソメ顆粒を加え、中火のまま煮立たせる。煮立ったらハーブソルトと黒こしょうで味を調え、一旦火を止める。

 一方、鍋のお湯が沸騰したら、塩とスパゲティを入れる。茹で時間は短めでザルにあげたら、フライパンに加えて再び中火にかけ、全体に味がなじんだら火からおろす。お皿に盛り付けて完成だ。


 ラウダが料理を並べ終わったところで、ペトラがリビングに戻ってくる。

「わあ、パスタだ! 美味しそう!」

 出来立てのパスタを見て、ペトラの表情がぱっと明るくなる。

「味見してみて」とラウダ。

 一口食べたペトラは、目を輝かせる。

「すごく美味しい! 料理上手ですよね。私じゃこんな風に作れないな」

「そんなことないよ。難しくないし、トマト缶を使ってるから10分もあれば作れる」

 ラウダは照れくさそうに言葉を返す。ペトラに喜んでもらえて、彼も嬉しそうだ。

 二人で食卓を囲み、会話を楽しみながらパスタを味わう。温かな雰囲気に包まれたリビングに、笑い声が響く。


「昨日の開発会議でさ、義足がもっと本物の脚に近づけられるかもしれないって話があったんだ」

 食卓に向かい合う二人。ペトラが嬉しそうに話し始める。

「へえ、すごいな」

 医療ベンチャーに勤めるペトラにとって、開発中の義足の話題は尽きない。

「私の義足ってまだ試作機だから、外見がちょっと特殊で。でも昨日の会議だと、もっと自然な見た目に近づけられるかもしれないんだって」

「それは良かったな。ペトラも嬉しいだろ」

「うん。きっと患者さんたちにも喜んでもらえると思う」

 ペトラの瞳が輝く。使う人の立場に立って考えられるところが、彼女の強みだ。

「そういえば最近、スカートを履いてるの見ないけど」

「……そうだね」

 ペトラは視線を伏せるように目を瞑る。

「街中では目立つから……できるだけ隠れるようなの穿いてる」

「そうか」

 ラウダの表情が曇る。

「でも、この義足は試作機だからこそ使えるような、量産品じゃ無理な高価なパーツが使われてるんだよね。そう考えると、悪いことばかりじゃないかな!」

 暗い雰囲気にならないよう、ペトラは明るい口調で言葉を続けた。ペトラの義足は、非常に高価な部品が使われている。先端技術の粋を集めた義足は、一目で分かるほど特徴的だ。そんな義足を着けて歩く彼女を、道行く人がじろじろと眺めるのは想像に難くない。好奇の目なのか、被害者に対するあわれみの目線なのか、あるいは義足の価値を値踏みする品定めの眼差しなのか。それが何だとしても、ペトラにとって居心地の悪いものに変わりはないだろう。

「宇宙で暮らしてた頃は、経済格差のことなんて意識したことなかった」

 ペトラが、遠くを見るような目をしながら言う。

「そうだな」

 ラウダも頷きながら、手元に視線を落とした。

 アスティカシアは、ほとんどが富裕層の子女ばかりだった。寮に住み、同じ制服を着て、同じカリキュラムで学ぶ。学力と家柄で序列が決まる、ある種の閉鎖的な空間だ。与えられた枠組みの中で足掻いていた学生時代。外の世界の荒波は、まだ遠い世界の出来事に思えていた。

「地球に来て、初めて肌で感じたよね」

「アスティカシアを出たとたん、それまでの価値観が通用しないことを思い知らされた気がする。無自覚に、恵まれた環境で育ってきたんだな……」

 ラウダは自嘲気味に笑う。育ってきた環境が特殊だったことを、地球で暮らし始めてから痛感させられることが多い。

「だけど、ペトラは頑張ってるよね。誰もが使える義足の開発に取り組むのは、医療の発展だけが目的じゃないんだろ?」

 ラウダがペトラを見つめる。彼の言葉に、ペトラの瞳が潤んだ。

「……うん。私、富裕層を狙ったテロに遭ったけど、レベルの高い医療と義足のおかげで助かった。だから義足のことを、もっと理解してもらえるようにしたいし、より良いものを作りたい。経済的に恵まれない人たちにも使えるようにしたいんだ」


 ペトラは自室のドアを静かに閉めると、ベッドに腰を下ろした。今日も一日、義足と過ごした。医療ベンチャー企業で開発中の最新の義足は、従来のものよりも自然な動きができる。それでも、やはり義足であることに変わりはない。

 ペトラは義足に手を伸ばす。丁寧に取り外していく。まずは右足から。コネクタを外し、空気圧を調整する。次は左足だ。同じように慎重に取り外していく。義足を外し終えると、ペトラはベッドサイドのテーブルに義足を横たえ、専用の充電器と接続した。義足は精密機械だ。定期的なメンテナンスが欠かせない。

 義足をチェックしながら、ペトラはふと我に返る。こうして自分の脚を取り外す作業が、日常になってしまった。最初の頃は、受け入れがたい現実に直面し、涙が止まらなかったものだ。ペトラは、無意識に自分の太腿に手を伸ばしていた。そこには、生身の脚はない。九死に一生を得たが、代償は大きかった。

 メンテナンスを終えると、ペトラはそっと溜息をついた。疲れが出てきたのか、少し眠気を感じる。

 ふと、ドアをノックする音が聞こえた。

「ペトラ、まだ起きてるか?」

 聞き慣れたラウダの声だ。優しげな響きに、ペトラの表情が和らぐ。

「はい」

 返事をすると同時に、ペトラは掛け布団を手に取る。切断面を隠すように、布団を膝にかける。義足を外した姿を、ラウダにも見せたくないのだ。

 ドアが開き、ラウダが入ってくる。

「疲れてるんじゃないか? 無理し過ぎてない?」

 ベッドに腰かけながら、ラウダがペトラの顔をのぞき込む。

「ううん、大丈夫。心配してくれてありがとうございます」

 ペトラは精一杯の笑顔を見せる。けれど、ラウダには見透かされているようだ。

「無理するなよ」

 そう言って、ラウダはペトラの手を取る。温かな手のひらに、ペトラの指が包み込まれる。

 心配かけてしまっているみたい。なんて言おうかな。ペトラはそう思ったが、考えていることはうまく言葉にならなかった。

「ちょっと、ぎゅーっとしてほしいな……」

 ラウダは何も言わず、ただペトラを包み込むように抱きしめた。ペトラの思いを察しているようだ。

 しばらくの間、二人は無言のまま抱き合っていた。ラウダの胸に頬を寄せ、ペトラは心の奥底にしまっていた思いを吐き出すように、深く深呼吸をする。ラウダの温もりに触れ、ペトラの心は徐々に落ち着きを取り戻していく。抱擁を解くと、ペトラはラウダに微笑みかけた。

「……えへへ、ありがとうございます」

「ペトラ、辛いときは無理しないでいいからな。これからもずっと、君の味方でいるから」

 ラウダに励まされ、ペトラは小さくうなずく。二人の絆を確かめ合うように、もう一度抱き合う。

 ラウダに見守られながら、ペトラはベッドに潜り込んだ。布団を肩まで引き上げる。ペトラの穏やかな顔を見届けてから、ラウダは静かに部屋を出ていった。


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