cook

cook


 ある夜のこと。ペトラとラウダがダイニングテーブルで夕食を取っていた。テレビではニュースが流れており、製鉄所の操業停止を政府が発表したことや、プラント計画をめぐる与野党の対立が伝えられていた。

 ラウダの視線はもっぱらテレビに釘付けだ。ニュースに関心が向いているのか、ただ考え事をしているのか、フォークは動いているがほとんど味わっていないようだった。

 そんなラウダを横目に、ペトラは不満を隠しきれない表情で自分の料理に手を伸ばす。せっかく腕によりをかけて作った料理なのに、ラウダときたら味わうどころか、考え事に集中しすぎてほとんど味に意識が向いていないではないか。

 ペトラは、食事に集中しないラウダの横顔をまじまじと見つめると、思わずこんな言葉を口にしていた。

「ねえラウダさん、せっかくの食事なんだからちゃんと味わってよ。ミオリネじゃあるまいし」

 ラウダはその言葉に我に返ったのか、ハッとした表情でペトラを見た。

「ミオリネ? どういう意味だ」

「だってミオリネも食に興味ないじゃないですか」

「僕は三大栄養素のバランスくらいは考えて食べてるぞ」

「味に興味がないって意味ですよ。あと、ミオリネだって最近はマシになってきてるんだから。少しは野菜ジュースとか飲むようになったみたいだし」

「味か……」

 ラウダはそう呟くと、皿の上の料理をじっと見つめた。確かに、栄養バランスを取ることに気を取られ、味わって食べることはあまりなかったかもしれない。

 要領よく食事をこなすラウダの食生活は、まるでマシンのメンテナンスのようだ。摂取カロリーと消費カロリーのバランスを常に意識し、必要な栄養素を効率的に補給する。

 ペトラは、ラウダに向かって真剣な眼差しを向けた。

「ラウダさん、効率ばっかり気にしてちゃダメだよ。たまには贅沢して美味しいものを食べに行こうよ。食事だって楽しまなきゃもったいないよ」

 ペトラの言葉にラウダは驚いた表情を浮かべる。そして、少し考えた後でこう答えた。

「…わかった。そこまで言うなら、少しは考えてみるか」

 ペトラの顔が嬉しそうに輝いた。


 それから数日後、いつものように仕事を終えて家に帰ったペトラを、珍しい光景が出迎えていた。

 リビングのテーブルには、調理器具が並べられ、ラウダは熱心にタブレットを操作している。ペトラが「何してるの?」と声をかけると、ラウダはタブレットの画面をペトラに向けた。

「ペトラ、これを見てくれ。この包丁、刃の部分がモリブデン・バナジウム鋼でできてるらしい。普通の包丁とは切れ味が全然違うんだ」

 ペトラは戸惑った。料理の腕を磨こうと思ったのかと思ったら、包丁のスペックとは。そんなペトラの反応など気にせず、ラウダは話を続ける。

「この炒め鍋も凄いんだ。熱伝導率の高い銅を使ってるから、食材を素早く調理できるんだって」

 まるでスペックの高い調理器具を手に入れたことが嬉しくてたまらない、そんな口ぶりだ。言葉の端々から熱意がほとばしっている。

(私が言ったのは、そういう意味じゃないんだけど…)

 これはこれで立派な "食への興味" なのだろうか。ペトラはそんなことを考えながら、ラウダの様子を見守ることにした。


 そしてある日、ペトラの期待が少しだけ報われる出来事があった。

 いつものように仕事から帰宅したペトラの前に、ラウダが自信満々の表情で料理を差し出したのだ。

「ペトラ、今日の夕飯はこれを食べてくれ」

 美しい一皿だった。高級な食材を贅沢に使い、まるで芸術作品のように盛りつけられている。その美しさに、ペトラは思わず息を呑んだ。

 そして一口食べた瞬間、ペトラの表情が驚きに変わる。口の中に広がるのは、これまで味わったことのない絶妙なハーモニー。選び抜かれた食材の持ち味が生かされ、互いを引き立て合っている。

 ラウダ渾身の料理は、間違いなく美味だった。

「すごい…!めちゃくちゃ美味しい!」

 ペトラが感動の声を上げる。

 すると、ラウダは得意げな笑みを浮かべながら語り始めた。

「そうだろ? メインに使ったのは、スペイン産の最高級イベリコ豚、ベジョータ。これは生後約2年間、ドングリだけを食べて育った貴重な豚でな、旨味が段違いなんだ。それに、フランス産エシャロットを合わせることで、甘みが引き立つ。あと、隠し味に使ったのがタスマニアマウンテンペッパーで、これは豪州タスマニア島の原住民が古くから薬用としても使ってきた、上品な辛さが特徴のスパイスなんだ。もちろん、それらを調理するのに使ったのは、ドゥナーエ社の包丁とマトファー社の鍋。素材の味を最大限に生かすには、これ以外ありえないだろ」

 ラウダの言葉を聞き流しながら、ペトラは微笑んだ。ペトラが心から嬉しく思うのは、料理について熱弁するラウダの姿だ。目を輝かせ、楽しそうに語るその表情を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくる。

 そして何より、ラウダの作った料理が本当に美味しいのだ。口に入れた瞬間に広がる、豊かな味わい。選び抜かれた食材が織りなすハーモニーは、まさに絶品といえる。

「優れた料理というのはな、科学的に導き出された、究極の食材の組み合わせを作り出すことを言うんだ。つまりそれは料理の頂点に立つってことで、言い換えれば勝負なんだよ」

 ラウダの価値観はさておき、こうしてラウダが心をこめて作ってくれた料理を、二人で楽しく食べられる時間。ペトラにとって、それが何よりの幸せなのだった。

Report Page