Wrath of God
「こんな…こんな変数は有り得ないッ!!」
シャーレの先生とアリウススクワッド達が、数々の妨害を潜り抜けてようやく到達した至聖所。
その先に在ったのは、異形と化したベアトリーチェが床に倒れ伏しながら血と呪詛を撒き散らす姿であった。
「何故マダムが…!?」
スクワッドの首魁──サオリは、思わず一歩前に踏み出しながら、その光景に見入った。
呻きながら苦痛に身を攀じる、異形のベアトリーチェ。その前に立ちはだかっているのは、もう一人の異形。
銀に染まった長髪の様なパーツを靡かせながら佇む、ゲンム・無双ゲーマーであった。
「…随分と遅い登場だな。主役より脇役が遅れて来るとは」
立ち尽くすサオリ達を一瞥した後、ゲンムは足元に倒れているベアトリーチェへ向き直った。
「おのれ…!おのれ、おのれ、おのれぇぇぇッ!!!」
ベアトリーチェの長い前腕が、怒りに任せてゲンムへと振るわれた。
それを見ても回避行動すら取らないゲンムへ、吸い込まれるように腕が近付いて行く。
『リスタート!』
刹那、ベアトリーチェの腕は爆ぜる様な音と共に捻じ曲がり、血飛沫を辺りに飛び散らせた。
「グ、ぅァァァアッ!!」
苦悶に満ちた声を上げながら、ベアトリーチェは異形地味た姿から、まるで風船から空気が抜けて萎む様に元の姿へと戻って行った。
“……!”
“そうだ、アツコは!?”
「私は…私は、大丈夫…」
「姫はこっちで確保したよ。軽い打撲と擦過傷位で済んでるし、意識もさっき取り戻した。…ほんと、奇跡みたいな軽傷」
アツコとミサキの言葉に肩を一旦撫で下ろしながらも、先生は目の前で行われる一方的な拷問に目を向けた。
「檀黎斗…!何故、貴方が私の計画を阻むのです!ミレニアムの貴方が、何故アリウスの問題に介入するのですか!」
近くの椅子や机に体を凭れさせながら、どうにか立ち上がったベアトリーチェ。唾を飛ばす勢いで問いを投げ掛けられたゲンムは、腰のホルダーから1つのガシャットを取り出した。
「見覚えが無いなどと言わせるつもりはないぞ。ベアトリーチェ」
ゲンムの握るガシャットは、普段から彼等の使っている物と異なり、鮮やかな絵柄も何も無い。色が赤く変色しているという点を除き、ブランクガシャットと全く変わらない造形をしていた。
「これは、私の技術を盗用して作り出された物。そうだろう?」
「…えぇ、えぇ。そうですとも。あなたの技術“だけ”は、非常に素晴らしい物でしたから。私が有効活用させて頂き────ぐぁッ!?」
ベアトリーチェの言葉を遮る様に、ゲンムの蹴りが彼女の腹を捉えていた。
数回程床を転がり、うつ伏せで地面を這いずる彼女の背中を、ゲンムが右足で踏みつける。
「私の技術を有効活用だと…?このッ、クズがァ!!」
「がはッ…!」
背中を押さえ付けていたゲンムの足が、まるで蟻を踏み潰す様に振り下ろされた。
「プレイヤーを、楽しませる、為の、技術をッ!!人殺し等という、下劣な、行為の為にッ!!」
「ぐッ!あぁっ!うぁあッ!」
何度も振り下ろされるゲンムの足の動きに合わせ、ベアトリーチェの肉が打たれる音と呻き声が上がる。
それでも尚肉体が中々壊れずに原型を保っているのは、キヴォトスに住まう者故の体質だろうか。
怒りに身を任せてベアトリーチェを嬲るゲンム。その鬼気迫る雰囲気と凄惨な光景に、スクワッドの面々は声を掛ける事すらも出来なくなっていた。
一心不乱にベアトリーチェを痛め付けていたゲンム、その右肩を背後から誰かが叩く。
ゲンムが振り返った先に居たのは、コートを纏った首無しの男と、その胸元に抱えられたシルクハットの男が映り込んだ写真であった。
「…檀黎斗先生、少々宜しいですか?」
「何だ、お前達は…?」
「お邪魔をして申し訳ありません。我々は“ゲマトリア”のゴルコンダ。このコートの男はデカルコマニー。マダムを連れ戻しに来たのです」
「成程…このクズの同類という事か。ならばお前達も──」
写真の男“ゴルゴンダ”の言葉を聞くや否や、拳を形作って殴り掛かろうとするゲンム。それを静止するように、デカルコマニーは持っていたステッキを辞典に突き刺した後に右手を広げて突き出した。
「私達は戦いに来たのではありません。戦って勝てる自信もありませんから…」
「そういうこったぁ!!」
「そこのマダムは…ベアトリーチェは、まだ生きていますね?」
「ああ…残念な事にな」
「…少し、マダムと話しても宜しいですか?連れ戻す前に、伝えるべき言伝も有りますので」
十秒程の沈黙を挟んだ後、ゲンムは不承不承といった様子で後ろへ下がった。
“黎斗先生…”
“大丈夫?”
「…すまない、今は話しかけないでくれないか。少々気分が悪い」
“…そっか。ごめんね”
その身を案じる「先生」の方を向くことも無く、ゲンムは近くの柱に凭れ掛かりながら腕を組んでゲマトリアの3人を監視し始めた。
「ゴ、ゴルコンダ…私に手を貸しなさい…!まだ私には、バルバラやアリウスの兵力が無傷で残っている!複製能力も保持しているのです!一度の勝利を奪われた程度の事で、終わりになど───」
「いいえマダム、この物語はここで終わりです。先生は、あなたの敵対者ではありません。そして、檀黎斗先生の敵対者でもない。これはあなたの物語ではないのです」
「な……ッ!」
「あなたの起こした事件、葛藤、過程の数々…。それらは、“知らずとも良いもの”に格下げされました」
空いた口が塞がらないと言った様子のベアトリーチェに、ゴルコンダは次々と言葉を浴びせ掛ける。
「あなたは主人公どころか…先生達の敵対者でもなく、ただの舞台装置(マクガフィン)だったのです」
淡々と語るゴルコンダを抱えながら、デカルコマニーは足元に落ちていた不正ガシャットをステッキで小突く。それに気付いたのか、ゴルコンダは小さく笑いながら更に言葉を紡いだ。
「…ああ、ゲーム(これ)に準えて例えるならば…その他大勢、モブキャラといった所でしょうか」
「…く…ぐぅッ……!」
「物語の根幹を揺らがせる事など到底出来ない、居ても居なくても構わない、名前すら覚えられることのない末端。それが貴方です。マダム」
「…ほう?」
ピクリと肩を揺らし、ゲンムはゴルゴンダに向けていた視線をベアトリーチェへと移した。
「さて…これ以上醜態を晒す前に帰りましょうか、マダム」
ベアトリーチェに近付いたデカルコマニーの手が、彼女の肩へと伸びていく。
『ポーズ!』
その瞬間、目の前にいたベアトリーチェの姿が視界から消え失せた。
『リスタート!』
「どういうこった!?」
「もしや……!デカルコマニー、後ろを!」
普段の冷静なゴルゴンダらしからぬ、切迫した声が飛ぶ。
その声に従って振り向いた2人の視界に入ったのは、ベアトリーチェの首を羽交い締めにしながらバグヴァイザーの刃を突き付けるゲンムの姿であった。
「…時を止める力、ですか。これはしくじりましたね」
「そういうこった…!」
ゲンムに囚われたベアトリーチェは、どうにか彼の腕から逃れようと藻掻いている。
突きつけられたバグヴァイザーからは、電動鋸の様に刃が回転する不快な音が響いていた。
“黎斗先生…何を!?”
「決まっているじゃないか、然るべき罰を与えるのさ」
“罰…!?”
ゲンムは羽交い締めにしていたベアトリーチェの首を右手で掴み、ぎりぎりと体が軋むような音を響かせながら少しずつ持ち上げていく。
「ぐ、ぁ…あッ…!」
「この者は、私のゲームの技術を悪用し、ただ兵器を作り出すだけの下賎な機械へと改造した。私の心血を注いだゲームを、最悪な方法で侮辱したァ!!満たされない人々に夢と冒険を与える、それがゲームというエンターテインメントの使命だと言うのに!!」
ゲンムが叫ぶのと同時に、彼は右手で持ち上げていたベアトリーチェの体を思い切り地面へ叩き付けた。
這う這うの体で足掻くベアトリーチェの首を押さえ付けながら、ゲンムは更に言葉を続ける。
「私にとってゲームは血であり、肉であり、骨であり、臓腑であり、人生そのもの───ひいては私の命と同等の存在だ!!此奴のした事は、私の人生そのものに対する冒涜!!そして、私のゲームを愛するプレイヤーに対する冒涜も同然ッ!!」
「待ってくれ黎斗先生!あなたが手を汚す必要は──」
「有る!!」
「……!」
画面越しでも伝わる怒りと、透けて見える鬼の形相。黎斗を制止しようとしたサオリは、萎縮したように半歩後ろへ下がってしまった。
「ゲームを侮辱した落とし前は、ゲームで付けて貰おう…。一度は私の命を奪った、このガシャットでなァ!!」
『ガシャット!』
ゲンムは、ホルダーから取り出した白いガシャットをバグヴァイザーに装填し、その銃口から禍々しい色合いのモヤをベアトリーチェに浴びせ掛けた。
モヤはベアトリーチェの体に吸い込まれ、彼女の身体にはノイズのような光が走り始めた。
「ッぐ、あァあああぁぁぁッ!!?」
「檀黎斗先生、何を…!?」「どういうこった?!」
苦悶の声を上げながら、のたうち回るベアトリーチェ。
数時間前までの余裕は微塵もなく、ただ苦痛に喘ぎながら蠢く。サオリ達アリウススクワッドは、見た事も無いマダムの惨状に顔を逸らすことも出来ずに居た。
ゲンムはゆっくりと屈み、ベアトリーチェの顔を眺め始める。
「先程浴びせた物は、デンジャラスゾンビガシャットに内包された“死のデータ”だ」
「死の、データ…?」
「ああ…数分も経たずして、お前は細胞の欠片も残さずに死ぬ」
説明を終えたゲンムは立ち上がり、ベアトリーチェへ背を向けて歩き出した。
まるで道端で死にかけている虫を、見て見ぬふりをする様に。
「そ、そんな…!嘘です、高位の存在となった私が、私が死ぬなど!!そんな事はッ!!」
錯乱したベアトリーチェは強引に立ち上がり、子鹿のように覚束無い足取りでゲンムの背中へと向かっていく。
“黎斗先生!!”
“後ろを!!”
「死ぬべきは其方だ!!あなたの様な異物こそ、この世界から消え───」
『ポーズ!』
ベアトリーチェの手がゲンムに触れる直前、彼のベルトに装填された幻夢無双ガシャットが操作される。
そして、ゲンム以外の時間が。キヴォトス中の、宇宙中の時間が制止した。
そこには聖女の祝福も無く、悪意の呪詛も無く。
ただ一人。神を僭称する男───仮面ライダーゲンムのみが動いていた。
「窮余の一策と呼ぶには余りにも無様だな、ベアトリーチェ」
『ガッチョーン!キメワザ!』
音も消え、光は止まり、塵すらも空中で静止した世界で、ゲンムの声とデバイスの音声だけが木霊する。
その右足に集約する力は、場違いにも思えるほど軽快な音楽に合わせて指数関数的に膨れ上がっていく。
「芥の世界へ沈めッ!!!」
『ガッチャーン!』
『ゲンム!!クリティカルフィナーレ!!』
ガシャットから響く音声と同時に、右足に集まったエネルギーが臨界点に到達する。
今にも爆発しそうな力の波涛を纏った右足が、カウンターの上段回し蹴りによって放たれる。
ベアトリーチェの胴体を的確に捉えた、膨大なエネルギーの直撃。しかし幻夢無双の時間停止によって、その解放は一時的に抑えられている。
『リスタート!』
ガシャットの操作により、再び動き出した時間。ゲンムの必殺技で弾かれた彼女の身体は、先程までアツコが囚われていた場所まで飛ばされていた。
「えぇっ!?何もしていないのに、マダムの身体が…!」
“…黎斗先生が、時間を止めたんだね”
一連の出来事を目の当たりにしたヒヨリは、思わず困惑した。静止した時間で起こった出来事を認知出来ない為、彼女にはベアトリーチェの身体が唐突に吹き飛んだように見えていた。
至聖所の祭壇の上で、ベアトリーチェは何かを求め縋るように消え行く両腕を天へ伸ばす。
「ああ…なりません、なりません!私の計画が…私の領地が…私の意識が…!ああぁぁぁああああっ!!!」
体の隅々まで浸透した“死のデータ”により、ベアトリーチェの身体は宙に溶ける様に霧散していく。
「お前には華やかなエンディングも、悲劇的なフィナーレもない。ただのエネミーらしく、主人公必殺技でフィニッシュを迎える。それだけだ」
消え行くベアトリーチェを見ることも無く静かに言い放ったゲンム。
彼は先生の側へ近づいて行くと、右手を肩に置いた後に耳打ちをし始めた。
「行け。まだ救うべき子供とやらが残っているんだろう」
“……!”
“分かったよ。ありがとう、黎斗先生”
黎斗からの耳打ちを受けた“先生”は、アリウスの面々へ向き直った。
“じゃあ、ここで一旦お別れだよ”
「なっ……!?急に…待ってくれ、先生!」
“まだ、助けが必要な生徒が居るんだ”
「ま、待ってくれ…!!」
救うべき生徒──ミカの下へ向かおうとする先生に、慌てた様子を見せるサオリ。
彼は困ったような笑顔を浮かべた後、ゲンムのゴツゴツとした装飾で彩られた肩をポンと叩いた。
“後は、黎斗先生が引き継いでくれるから。”
“少し騒がしいけど…頼りになる人だよ。”
そう言いながら、彼は至聖所の出口へと駆けて行く。
至聖所の中に残されたのはゲンムと、アリウススクワッドの面々のみとなった。
部屋の中を満たす沈黙。
気まずい雰囲気に耐えかねたのか、ゲンムはそそくさと立ち去ろうと背を向けた。
その手を掴み、サオリは彼を引き止める。
「…黎斗先生」
「……どうした?」
小さく溜息を吐きながら、ゲンムは顔だけを軽くサオリの方へ向けた。
その顔は帽子の鍔で隠れているが、唇は細かく震え、手には少しずつ力が込められていく。
「…すまない、黎斗先生。私達も、あなたの大切なゲームの価値を貶めた側の人間だ」
「……ふむ…」
「罰は私1人で受ける。トリニティでも矯正局でも…何処に送られても構わないから…姫達だけはどうか…どうか…!」
「リ、リーダー?!」
「ちょっとリーダー、何を……!?」
動揺するスクワッドの面々を他所に、ゲンムは握られた手をさりげなく振りほどきながら、静かに言葉を返した。
「……君達は、アレに騙されていたんだろう?ならば、被害者の君が謝る必要はない」
「……でも…私は長い間、負うべき責任を放棄して生きてきた。だから私は、責任を負って…!」
「…確かに、君は責任を負わなければならないのかもしれない。だが……苦しんで当然、というのは少々違うんじゃないか?」
ゲンムの言葉に顔を上げ、驚いた様な表情を浮かべるサオリ。
頭から伸びる銀色の装飾を揺らしながら、ゲンムは腕を組んで言葉を続けた。
「私は君の過去に何があったのか知らないし、興味も無い。だが…もし、今此処に彼奴が…あのお人好しが残っていたら…こう言うだろう」
ゲンムは一息挟んだ後、ゆっくりと噛み締めるように告げていく。
「『子供が苦しむのは、その子が原因ではない。子供が苦しむような世界を作った責任は、大人が負うべき』だと」
「…仮にそうだとして、一体私は…私は、何の責任を負えば…」
狼狽した様な声を上げた後、その場に崩れ落ちるサオリ。
「それでも…それでも君が責任を負いたい、償いたいと言うのであれば、私から提案出来る方法はたった1つだ」
ゆっくりとした動作で、何かを取り出し始めるゲンム。
何をされるのかと硬直したサオリの前に、小さな箱が差し出された。
「これは…?」
「君達分のゲーム機さ。幾つかのソフトと…私の生徒が作った“テイルズ・サガ・クロニクル2”を、この端末にインストールしてある」
作戦用の無線機やスマートフォン程度しか使った事がないのか、サオリはゲーム機を手に取ってしげしげと眺めていた。
「これで、私達に何をしろと…?」
少し首を傾げながら疑問を投げ掛けるサオリに、彼は一呼吸挟んだ後に一言告げた。
「ゲームで遊んで欲しい」
「……え?」
「もし、君達が私のゲームを貶めたと思うならば。その分以上にゲームで“遊んで”、そして楽しんでやってくれ。それが、君達が私に対して負うべき“責任”だ」
手渡された端末から視線を反らし、サオリは僅かに目を伏せた。
「そんな事で良いのか?私は、先生達を…」
「私自らがこうして願っているんだ。何も憂う事は無い」
僅かに不安が残った様な顔を浮かべるサオリを他所に、ゲンムはくるりと背を向けた。
「私から伝えられる言葉はこれだけだ。他の言葉を貰いたければ、あの凡人に話し掛けると良い」
サオリ達に背を向け、至聖所の出口へ向かっていくゲンム。
出口の扉に手を掛けたところで、サオリは数歩前に出て再び彼を呼び止めた。
「黎斗先生!」
「またか…今度は何を────」
「…ありがとう」
「……何だって?」
サオリから伝えられた礼に、ゲンムは思わずフリーズした様に動きを止めた。
「動機はどうあれ…黎斗先生は、私達が奪われてきた人生の仇を討ってくれた」
「……」
「私が生きていていいのかどうかも分からない…。分からないけど…今は、ほんの少しだけ…生きていたいと願いたくなった。だから………ありがとう」
「……ああ」
サオリの言葉を聞き終えるや否や、ゲンムは若干早足で至聖所から立ち去って行った。
「…行っちゃったね、黎斗さん」
いつの間にか意識を取り戻していたのか、アツコがサオリ達の傍までやって来ていた。
「アツコ…!身体は大丈夫なのか!?」
「うん…儀式の生贄にされ掛けてた私を、あの人が助けてくれたみたい」
アツコは寂しげな表情を浮かべながら、彼の去っていった出口を見つめて呟いた。
「お礼、言いたかったな」
「…信じよう。また、会えると」
小さく溜息を吐くアツコに、サオリは普段よりも穏やかな声音で返答しながら、手元のゲーム機を───ワンダースワンを見つめていた。