Under The Sea(魚人島2)
Name?魚人島、ギョンコルド広場──。
今まさに、魚人島の歴史を変え得る大事件が発生していた。
「旧竜宮王国との決別の時だ──」
帽子を被ったサメの魚人が言う。
「三時間後、ギョンコルド広場にて、この無能な王の首を切り落とす!!」
────
“海の森”、深部──。
サンゴの隙間から洩れる木漏れ日のような光に照らされて、それは鎮座していた。
正四面体の巨大な石碑。
“歴史の本文”である。
「これが……」
初めてその実物を目にしたウタは、周りの景色とその石碑による荘厳さに目を奪われる。
そもそも、この海底に森のような場所があること自体が、あまりにも幻想的なのだ。そこに、経てきた年月のこびりついた、自然とはまた異質な“石碑”。
光に蒼く照らされるその石に、目を奪われないわけがなかった。
とん、とんと足取り軽く、ウタはその石碑へと歩み寄る。
そのまま文字の彫られている面の前にしゃがみこんだ。
「へェー……」
文字を手で撫でながら、ウタが感心したように声を上げる。
残念ながら、ウタにはここに彫られた文字を読むことはできない。
それもそのはず、もうこの文字を読める者は、この世にほとんど残っていないのだから。
「…………凄い所に置いてあるのね」
ウタの後からやってきたロビンは、石碑から少し離れたサンゴに腰かけると、その石碑を見上げた。
「ロビンー、これ、なんて書いてあるのー?」
ロビンとすっかり打ち解けたウタは、しゃがんだまま振り返ってロビンに訊く。
「少し待ってね……うん、これは──謝罪文、かしら?」
ロビンが口元に手を当てて、考え込むように言う。
彼女こそ、この世にほとんど残っていない、この“歴史の本文”に彫られた文字を読むことが可能な人間なのだ。
「謝罪文?」
ウタが首を傾げた。
「歴史に関することが書いてあるんじゃないの?」
その疑問に、ロビンはそうなんだけど、ともう一度舐めるように石碑を見渡した。
「そうね、やはり今まで見てきた“歴史の本文”とは少し違うみたい。手紙、かしら……? 誰かに謝罪しているような……。ねえウタ、少しだけそこをどいてくれる?」
「あ、ごめん」
ウタは自分がロビンの解読の邪魔をしていることに気が付き、ぱっと立ち上がってとんたんとロビンの横へ行く。
「…………“ジョイボーイ”?」
ロビンが呟く。
ウタは首を傾げた。
「ジョイボー?」
「“ジョイボーイ”よ。……何者なのかしら?」
ロビンにわからないことが、ウタに分かるはずもなかった。
歴史と相対するロビンの横顔から、ウタは視線を“歴史の本文”へと戻す。
石碑は刻まれた文字以外のことを語ることはない。
────
“海の森”の浅部に向かい歩いていると、ウタの耳がその音を拾った。
どうやらロビンも気が付いたらしい。
「ケンカかしら?」
「ルフィの声だった気がする」
ウタは行こう、とロビンに声をかけて小走りで駆けだした。
無茶をするのは昔からだけど、この状態で戦う相手といったら、きっと魚人島の兵士たちだろう。
ウタはそうアタリをつける。
しかし、どうやらそれはハズレだったようだった。
「呆れた。味方同士何をやっているのかしら」
ロビンが小さく溜め息を吐いて言う。
「え!?」
ウタが驚きの声を上げた。
まだ音の鳴る現場は遠いはずだ。
そんなウタに、ロビンはウインクをしてみせる。
「私が生やせるのは、別に手だけじゃないのよ」
ロビンの額に、三つ目の瞳が現れる。
なるほど、とウタは納得した。
目をあちこちに生やして、それで状況を確認したのか。
ロビンは胸の前で腕をクロスさせると、
「体咲き《クエルポフルール》」
と呟いた。
悪魔の実の能力を使ったようだ。
ウタからは、ロビンが何をしたのかはわからない。
「…………ムの……」
森の向こうから、ついに言葉が明確に聞こえ始める。この声、やはりルフィのようだ。
「……の…………こ……か!?」
もう一人、低く太い声。そして──
「……ま………でよ」
女性の声!?
ウタは、え、と声を漏らして、ロビンと音の鳴る方を交互に見る。
そんなウタの様子を見て、ロビンはクスクスと笑った。
「分身よ」
「そんなものまで生やせるの!?」
ウタは先ほど、ロビンの能力を『曲芸師のよう』と評したが、どうやらその認識は甘かったらしい。その方向性で考えるなら、一人サーカスを行えるだろう。
ドゴッ!!
森の向こうで、人が人を殴るような鈍い音が響く。
そして、ウタたちが森を抜けると、そこには体に痣を作った麦わら帽子の男と魚人の男、金髪の男が地面に転がっていた。
「ウタ?? 何でロビンと森から!?」
ウタとロビンを見つけた、“麦わらの一味”船医チョッパーが驚いたように声を上げる。
立ち止まったウタの横を通り過ぎて、ロビンが言う。
「フフ……、事情は分からないけど、味方なんでしょう? ケンカはダメよ」
しかし、チョッパーの質問には答えていない。
そんな外野を後目に、ルフィと魚人のジンベエはむくりと体を起こした。
「ルフィ、考えてもみろ!」
ジンベエがルフィに訊く。
魚人であるからと差別されてきたゆえにできた、人間に対する不信感。
魚人の海賊団“アーロン一味”を倒したのが、よりにもよって“麦わらの一味”。
その二つが組み合わさることによって、事態はより悪い様相を示すこととなっている。
たとえ、この機に“麦わらの一味”が魚人島を救ったとして、その図式は過去に積み重ねられてきた『人間に立ち向かった魚人が人間によって抑圧される』図を連想させる。
「──とは言うがよ、ジンベエ」
サンジが地面に転がりながら言う。
魚人島には友達が幾人もいるということ。
そして、竜宮王国の崩壊を目論むホーディという海賊は、人間のみならず、人間に友好的な魚人まで手にかけるという事実。
そして、一味の仲間が数名捕まってしまっていること。
ウタは話を聞いて、ある程度の事情を把握する。
この魚人島では二つの事件が起きている。
まず一つは、竜宮王国転覆のため、ホーディという魚人が暗躍していること。
もう一つは、それのせいで“麦わらの一味”の数人が幽閉され、そして命の危機に瀕していること。
(──ブルックが!?)
ウタはその事実に驚愕する。ブルックがタダで捕まるとは思えない。
しかしここは魚人島、海水に囲まれたこの島は、悪魔の実の能力者のみならず、人間にとっては不利な立地だ。
最初はまたルフィが無茶を言ってジンベエを困らせているのではないかと疑っていたウタだったが、事情の分かった今となっては立場も変わる。
「そこどけよジンベエ!! おれは行くっつったら行くんだ!!」
ルフィがジンベイに向かって言う。ウタにも、その気持ちはよくわかる。
「いや、行かせん!! わしに任せろ!!」
しかしジンベエは頑なにルフィが行くのを拒む。
「この……!」
ルフィは顔に青筋を立てて、怒鳴った。
「じゃあお前をブッ飛ばして行くだけだァー!!!」
ウタには、ルフィの気持ちが痛いほどわかった。仲間に手を出されて、しかも魚人島を滅茶苦茶にしようとする相手に、怒りが抑えられないだろう。
しかし、ウタはルフィよりも冷静だった。
ウタがすぅ、と空気を大きく吸い込んだ。
「ルフィーっ!!!!」
今にも再びジンベエに跳びかかりそうだった幼馴染に、止まるよう大声を上げた。
あまりの声量に、空気がびりびりと振動しているような錯覚がある。
うわ、とルフィは驚いたようにその場に再び転がった。
体を起こしながら麦わら帽子を直して、ルフィが言う。
「なんだよ、ウタ! 状況わかってんのか!!?」
仲間を取られてるんだぞ、とルフィが怒り顔のまま言う。
ウタはルフィに歩み寄ると、昔ルフィにしていたように、腰に手を当てて体を傾けると、ルフィの鼻を人差し指でペシンと叩いた。
「わかってるから、ルフィ、まずは落ち着いて。ジンベエさんの話を聞こうよ。多分、ケンカした方が絶対時間かかるから」
焦った時こそ、努めて冷静に。ブルックからの教えだ。
ジンベエが任せろと言っていた案に乗るか反るかは、それから決めればいい。
ルフィは叩かれた鼻を抑えて不満顔である。
「ウタと言ったか、恩に着る。……ルフィ、お前とわしの関係は?」
「友達!!」
当たり前のようにルフィが言う。
そのルフィらしい真っ直ぐな答えに、ジンベエが静かに頷いてから口を開いた。
「そうとも。この造作もない関係を築けず、人間と魚人は長年往生しとる!」
人間と魚人の歴史が、そうさせているのだという。
ウタ以外の一味の皆は、どこか心当たりのありそうな表情をしているが、ウタにはピンと来ていなかった。
ただ、そのジンベエの台詞に、軽い既視感を覚える。
台詞そのものではない。
ただ、相手を許せないのは、大きな枠組みで見てしまっていて、個人を見れていないからではないかと。
海賊嫌いで、ブルックが海賊だと知って拒絶をしたウタが、ブルックを知ることで受け入れることができるようになったように。
そんな機会がなかったら、きっとウタは今でも“海賊嫌いの歌姫”をやっていたのだろう。
(ああ、つまり──)
そういうことなのだろうか。ウタはジンベエの心の内を量る。
彼はルフィという人間を見せて、魚人島を変えるつもりだろうか。ウタにとってブルックがそうだったように。
ジンベエが、ルフィの顔を見て言った。
「やるなら、ホーディをブチのめす凶暴な人間ではなく──」
真剣な表情で、言う。
「この島のヒーローになってくれ!!」