“Tot Musica”
Name?エレジアの食堂にて──
神妙な顔をした男が一人。
無表情に机に肘を突き、手を顔の前で組んだ骸骨が一体。
二人に呼び出されたが事情の分かっていない少女が一人。
ゴードンとブルック、そしてウタである。
「……で、これは何の集まりなの?」
椅子に座るや否や、ウタはそう切り出した。
どう考えても、この空気感はライブやら配信やらの打ち合わせに挑むものではない。
さらに、このような空気で話す話題についても、ウタには心当たりがない。
ウタが命を絶とうとした一件からも、既に一週間が経とうとしていた。
……今になって、わざわざ説教されることもないだろう。ウタとしてはそう思いたかった。
ウタの問いに、口を開いたのはブルックだった。
「今後に関して、少しばかり大事な話をしたかったんですよ」
「大事な話?」
「ええ。……ウタさん、あなたはまだ、外の世界に出たいと考えていますか?」
「えっ」
今更何故、そんなことを訊くのか。
そう思って、ウタはふと思い出した。
そもそもウタがブルックに伝えていた外に出たい理由は、一年前に言った『大切だった人たちへ、何故裏切ったのかを訊きに行きたい』からと、『幼馴染のルフィに会いたい』から、という理由だ。
そして、シャンクスが何故ウタをここへ置いていったのか。その理由は先日、ゴードンから聞いている。
つまりブルックからすれば、ウタが危険を冒して積極的に外へ出る理由が半分になってしまったことになるのだろう。
「特にそれは変わらないけど……」
ウタはそう応えながら、一度頭の中でその理由を整理する。
まずは、シャンクスたちと逢いたいから。
理由なんてない。理由がなくても会いたいから家族なのだ。会って謝りたかったり文句を言いたかったりはするけど、それ以上に、会いたい。
次は、自分の抱えた“約束”と“責任”のためだ。
ウタにとって“音楽”を諦めないことは、音楽を続けるだけではなく、このエレジアの復興やより音楽を楽しめる世の中を望むことだった。ライブで世界情勢を知りながらエレジアの復興について考え、そして、誰もが笑顔で音楽に触れ合えるような“新時代”を作るにはどうしたらいいかを考えたい。
そして最後はやはり、唯一の幼馴染と会いたいから。
どんな男に育ったのか、興味はあるし、十年以上経った今になったからこそ、もう一度夢について語らいたい。……なんて理由を付けてみたが、やはり友達と会いたいのにも、理由はいらないだろう。
「それで、それが大事な話とどうつながるの?」
ウタは首を傾げる。
ブルックが組んでいた手をほどいて、ウタの方へと向き直った。
「もうお気づきかもしれませんが、去年、うちの船長もその渦中にあった頂上戦争以降、世間はより混迷を深め、あちこちの治安は悪くなる一方だそうです。トナミの町にいた海軍のムササビさんも階級を上げて本部に召集されたとか。……つまり、何が言いたいかというと」
「外へ出る危険が上がっているけど、どうするかってこと?」
そうです、と頷いて、さらにブルックは続ける。
「さらに言えば、今後もしばらくは、世の中の情勢はより悪くなっていくでしょう。ですから、私がいなくなった後にも、外の世界を目指すというのであれば、今のウタさんの実力では、命がいくらあっても足りないでしょう」
「────」
確かに大事な話だと、ウタは唇を噛む。
ライブ遠征の旅は何度か行っているが、それですらヒヤっとすることは多々あった。そして、新聞を読むようになってから、最近はよく大きな事件が起きるようになったと感じていた。
大海賊時代が、一歩進んでしまったのだろう。
ウタとてブルックとの訓練はしているし、それに敵がまとまってくれていれば、最悪ウタウタの力で眠らせるなど、対処方法はある。
しかし、戦闘訓練に関しては、まだ素人に毛が生えた程度だし、ウタウタの力を十全に使ってしまえば、自分も猛烈な眠気に襲われてしまうから、それに頼るのは最後の手段だろう。
そう考えると、やはりブルックの言うように、実力が足りていないのだろうか。
「さて、そこで私、考えたんですよ」
ブルックはそう言うと、アフロも持って頭蓋骨を開けると、その中から何かを取り出した。
楽譜。
『Tot Musica』だった。
「……それを使えって言うの?」
ウタは眉を顰め、低い声で言う。
さすがに、それは承諾しかねる提案だ。他の提案であれば何でも試してみるかもしれないが、それを歌う勇気も、覚悟も、今のウタにはない。……町を、国を亡ぼす力を解き放つことを勇気や覚悟で済ませていいのかも、はなはだ疑問ではあるが。
ウタのその表情を見て、ブルックはヨホホと笑った。
「いえいえ、さすがにそれは言いません。これを使えば、無辜の民や味方、仲間を巻き込んでしまうでしょうから。ですが、どうやらウタウタの実と“Tot Musica”は切っても切り離せない縁にあるご様子。ウタウタの能力を磨くにしても、おそらくこれは避けては通れないと思ったのです」
なるほど、旅に備えて武術を磨くのと並行して、ウタウタの力を磨くのか。
ウタはブルックの話をそう解釈する。
しかし、ではどう“Tot Musica”と向き合えというのか?
ウタの表情を見ながら、ブルックは続ける。
「さて、“Tot Musica”の力は借りたいけれど、『Tot Musica』は歌えない。では、どうすればいいでしょう? 答えは、曲をこの『Tot Musica』でなくしてしまえばいいんです」
「??」
堂々巡りの禅問答のような問いと回答に、ウタは首を眉に皺を寄せて首をひねる。
そもそも、“Tot Musica”という存在に触れるには、同名の曲を歌わねばならない。ウタが他の曲をいくら歌おうとも、またウタウタの世界でどんなことをしようとも、その条件を満たさなければ、それは影響を及ぼさない。
「だから、それじゃあ前提が──」
そこまで口に出してから、ウタはふと思いつく。
──いや、しかし、この完成されたと思われるほど美しい曲を記した楽譜に、そんなことができるのか?
自分だけで考えても仕方がないと、ウタは思いついたそれを口にする。
「まさか、編曲《リメイク》するとか言わないよね?」
もしそうだとしたら、自信がない。
ウタの培ってきた十年間と、そして自身の才能から考えても、この曲に手を付けることははばかられる。
それほどまでに、『Tot Musica』の楽譜は完成されているのだ。
駄作に作り直したところで、魔王の怒りを買うのが関の山だろう。
だが、そのウタの予想を裏切って、ブルックは首肯した。
「その通り! ……もっとも、これは私ではなく、ゴードンさんの案ですけどね」
「え!?」
ウタは首を振ってゴードンを見た。
硬い表情をしていたゴードンが、重々しく口を開く。
「……本来であれば、この楽譜は触れない方がいいものなのかもしれない。歌われるべきではないのかもしれない。だが、昔の記録が、その楽譜は燃やそうが破こうが、意味がないことを語っている。……この十年の間、私はこの楽譜をどうにかできないのかと、いつも考えていたんだ。その案のうちの、一つだ。……もちろん、私一人では、編曲のとっかかりを掴むことも、ままならなかったがね」
ゴードンの話に、ウタは力強く頷いた。
誰が作曲したのかもわからないこの楽譜は、音楽に一番精通しているであろうゴードンですら、その完成度に気圧されているのだ。
「…………一人、では」
ウタは、ゴードンの言葉を反芻した。
そう、一人で手を加えるには、あまりにもこの楽譜は強大過ぎる。
……ならば。
「……でも、ここには今、三人の音楽家がいる」
「ええ、ウタさん。つまりはそういうことです」
ようやく、ウタの中で話がつながった。
今後の旅を見越して、戦力の強化を図りたい。そして、猶予の年月を考えると、のんびりはしていられない。
なら、既にあるウタウタの力として“Tot Musica”を組み込むのはどうだろう。
ただし、そのままで使うのは危険な上、ウタ自身がそれを歌うことを許せない。
それならば、“Tot Musica”を改造してしまえば、改変された魔王の力を使えるのではないか。あるいは、制御ができるのではないか。
そしてそのようにウタウタの力を使っていけば、身を護るための力を伸ばせるかもしれない。
つまりそういうことなのだろう。
国を滅ぼした楽譜にこんな感情を抱くのはよくないのかもしれないと、ウタは思う。
しかし、そんな理性とは裏腹に、ウタの頬が少しだけ上がった。
この荒んだ世の中で、世界屈指の音楽家が、今ここに三人も集まっているのだ。
その三人で力を合わせて、最高かつ最恐のこの楽譜に挑むなんて──
(──ちょっと、燃えるかも)
ウタは自分の中に、わくわくと心躍る気持ちがあることを自覚し、小さく苦笑する。
形を変えてでも歌ってもらえれば、『Tot Musica』も嬉しいだろうか。あるいは、嫉妬でもするのだろうか。
ただ、問題が一つ。
「編曲できたとして、それをどこで試すのかはきちんと考えないとダメだよね?」
ウタが真面目な顔で二人に尋ねる。
ああ、とゴードンが頷く。
でしょうね、とブルックも頷く。
「未知への挑戦ですから、どういった反応が出るかわかりません。やはり『Tot Musica』は『Tot Musica』で、魔王がそのまま顕現しようとするかもしれません。魔王が暴走するかもしれません。思惑通り、ウタさんが制御できる状態になるかもしれません」
「あるいは、何も起こらないかも?」
ウタの言葉にブルックは頷き、小さく息を吐いた。
「まあ、はっきり言ってしまうと、このやり方はギャンブルです。私の経験に、ゴードンさんの知識を足して、推論を重ねただけの砂上の楼閣。実際に中に入ってみなければ、リスクもリターンも──」
「いいよ、やろうよ」
ブルックの言葉を遮って、ウタはきっぱりと言い切った。
“音楽”を続けるためなら、それぐらいの覚悟は背負ってみせよう。
ウタの真っ直ぐな瞳を見て、ブルックはそれ以上の言葉を紡がなかった。
「じゃあ、試すとしたら……」
「エレジアの北西の森はどうです?」
ブルックの提案に、ウタは首を横に振る。
「ダメだよ。あそこには、生き物がいっぱい住んでるから。そこで暴れたくない」
「じゃあウタ、南にある昔のライブ会場はどうだ? あそこはもう使わないだろうから──」
ゴードンの提案に、ウタは首を横に振る。
「あそこを壊すのはダメだよ。エレジアを復興した後、あれだけのライブ会場をまた一から作るのはムリだよ?」
口を尖らせて言ってから、ウタは少しだけ考えるように目線を下に落とした。
やがて、決心したように目を上げると、ゴードンに提案する。
「ねえ、ゴードン。もう使えない、廃墟の町を使っちゃダメかな?」
ウタの提案に、ゴードンは息を呑む。
「だ、だが──」
言葉に詰まったゴードンは、言葉を探して焦った様子を見せる。
ゴードンが心配しているのは、やはり彼女の心だった。
場合によっては、廃墟とはいえ、十一年前の焼き直しをすることになる。
もしそうなった場合、再び彼女の心は傷つかないだろうか?
「…………ウタは、大丈夫なのか?」
うまく言葉にできず、そうとしか言えなかった。
だが、二人の間にはそれで十分だったらしい。
ウタは目線を窓の外へ向けて、言った。
「それは大丈夫だよ、ゴードン。……だって、この島にずっと廃墟の立ち並ぶ街しかなかったら、いつになっても復興できないでしょ」
どうせ“Tot Musica”を制御できない可能性があるなら、そうなった時には有効に使ってしまえばいいのだと、ウタは言う。
「さすがに、“Tot Musica”も廃墟解体のために使われるだなんて思ったこともないだろうけどさ!」
目を細めて笑いながら、ウタがおどけたように言った。
今までの彼女では、この楽譜やこのエレジアに対して、このようなふるまいはできなかっただろう。
一つ、二つと山を越えたことが、彼女に変化をもたらしていたようだった。
そんなウタの様子を見て、ブルックがゴードンに声をかける。
「ほらねゴードンさん、ウタさんはもう大丈夫だって言ったじゃないですか」
その言葉に、ゴードンはバツが悪そうに頭を掻いて、小さく笑みを浮かべた。
「……十年とちょっとの間、ウタのことをずっと見てきたから、余計に心配をしてしまったようだ。……娘を持った父親の気持ちは、こういうものなんだろうな」
誰に聞かせるでもなく、しみじみとゴードンが言う。
その言葉を聞いたウタが、目を丸くしてゴードンを見た。
「え」
何をいまさら、と言わんばかりの口ぶりで、ウタが言う。
「ゴードンって、わたしにとってのもう一人の父親だと思うんだけど」
あんな状態の自分にずっと寄り添ってくれて、そして支えてくれた、無償の愛を与えてくれた男のことを、家族でないと言えようか。
「それから多分、わたしの旅にはゴードンはついて来れないでしょ? だから、わたしが旅に出ている間に、父親が一人にならないように、この一年でエレジアの復興も頑張りたいって考えるのは、おかしいのかなァ」
ウタのその言葉に、ゴードンのサングラスの下から、滝のように涙があふれだした。
「えっ、あっ、ちょっと、ゴードン!?」
その様子に、ウタが慌てる。
ブルックはヨホホと笑い、どこからか取り出したバイオリンを奏で始めた。
“麦わらの一味”の約束の時まであと一年。
どうやらまだまだ、退屈とは程遠い日々が待っていそうだった。