The fire is winter’s fruit.

The fire is winter’s fruit.


※ifDR本編風SSの続きです。




 夢だと思った。

 白銀の景色の中、突如現れた黒い影。


 夢でなければ死神だ。

 昏い金の眼。死の刻まれた指。


 許されるなら、妹だけでも安らかに。


 そう思い、少女は目を閉じた。



 雪原より助け出された少女の手足は雪に焼かれて腫れ上がり、激しく痛んだ。

 視線を落とせば目に入る黒ずんだ手足。少女にとっては妹を守った勲章であり、熱に魘される今でもなお誇らしかった。

 妹には痕一つ残らなかった。

 それだけで十分だった。

 もし、手足が崩れ落ちていたとしても、きっとそう思えただろう。

 これで良い。彼女は心からそう思っていた。


 妹が泣きじゃくるまでは。


 自分のせいで姉が手足の自由を、これからの自由を失ったと泣く幼い妹。

 解放運動を真似た賊が告げた『これからは自由だ』という虚実は、呪いとなってしまったのだ。


 自由なんてどうでもよかった。妹が生きてくれれば、それで。もし、妹がいなかったら、自由どころか己の命も早々に諦めていたに違いない。


 何度諭しても妹は泣き続ける。ひどく錯乱し、泣き疲れては深く眠った。

 病室を訪れた医師は妹を抱き上げ、独り言のように呟く。


「自由ってのはそこまで大事なもんか?」


 神のような彼にも分からないことがあるのか。そう考えつつ、少女自身も『自由』が何なのか思い出せなくなっていることに気付く。


「自由ってどういうものでしょうか」

「『自分の力でしっかりと歩んで、どこへだって飛んでいける』のが自由らしい」

「それなら、私、もうどこへだって行けると思いますけど」

「回復すれば、だ」

「元に戻らなくたって、鎖に繋がれていなければどこにだって行けるもの」

「お前は強いな」


 泣き疲れて眠る幼い少女を見つめ、救い主は目を伏せる。


「ただ、こいつは……」

「え?」

「こいつ、『自分のせいだ』って思っちまってるだろ。お前がどんなに否定しても、お前を見るたび思い出す。記憶の傷は根深い。消してやれれば良かったんだが……」


 彼は小さく呟いて、かぶりを振った。


「悪ィ。何言ってんだ、おれは……お前は偉いよ。こいつを守った」

「あなたに助けてもらったんです」

「いや、お前がいなけりゃこいつは死んでた。それにおれが来なくても、命を賭して守るつもりだっただろ」

「それは……姉妹ですから」


 沈黙が落ちた。

 妹の寝息だけがかすかに響く。誰よりも大切で、何よりも尊い命。守るべきもの。

 妹は彼女にとって拠り所であった。

 医師の腕に抱かれる少女を見つめ、彼女は微笑む。


「この子が無事で良かった」


 妹を撫でてやりたかった。よく頑張ってくれたと褒めてあげたかった。だが、腕は動かず、彷徨う妹の手を取ることすらできない。

 むずかる妹に指を掴まれ、医師が目を細めた。


「あたたかいな」


 絶望の中、嵐のように現れて二人を救った医師。そのくせ、自身は凍えた瞳をしている。不思議な人だ。


「先生。私、手足なんてどうでもいいと思っていたのだけど、この子が悲しむかもしれないんですよね」


 黒ずんだ手足を見下ろす。実のところ、動くか動かないかは五分五分だという。


「腕と足、切り取れるって聞きました」

「ああ。代わりに、別の奴の物や義肢も用意できる。リハビリは必要だが動けるようになるまではここにいていい」


 きっとそうだと思っていた。もし、手足が回復しなかった場合、彼ならば別の手段を用意してくれそうな気がしていたのだ。

 彼の仲間はどこか誇らしげに、時折呆れたように彼について語る。皆、何かしら彼に救われたのだと話していた。だから、期待してしまったのかもしれない。

 おかしな話だ。見ず知らずの他人を信じるだなんて。

 だが、本当におかしいのは救い主だ。

 死にかけの奴隷を拾って甲斐甲斐しく世話をした挙句、義肢まで用意するなど実に馬鹿げている。

 まるで、御伽話の神様だ。


 神様に願うならば、とびきりおかしなことを言ってみせなければ。


 少女は救い主の提案に注文をつける。


「ただの義肢では駄目。それじゃあ、私、自由じゃないわ。飛べないもの」

「そりゃ人はなかなか飛べねェよ」

「私、翼が欲しい。妹を温かく包むの。それで、何かあった時は空を飛んで助けに行く。物騒な世の中だもの、戦うこともあるでしょう? 足は鉤爪がいいかしら」


 呆気に取られ、動きを止めた神様。

 その様子が面白くてモネは笑った。


「先生。私ね、生まれ変わったら鳥になりたかったの」



 王宮の一室で目覚めたモネは自身に施された手当の痕跡を見下ろす。既に立ち去ったのだろう、主はそこにいなかった。


 懐かしく揺れる美しい記憶。

 手足の動かないモネに代わり図鑑を広げる主と図鑑を覗き込むシュガー。

 どんな鳥になりたいか意見を突き合わせるうちに笑顔を取り戻したシュガー。


 主を裏切った妹。

 彼女は心から主を慕っていた。害するなどありえない。それなのに、何故。


 何故、相談してくれなかったのだろう。


 かぶりを振り、身を起こす。翼を震わせ大きく広げた。

 開け放たれた窓から流れ込む喧騒と争いの気配。モネは大空へと身を踊らせた。


 たった一人の妹。彼女が何を考えているのか知りたい。主を害そうとするのは何故か。知った上で、止めなければならない。


 シュガーの居場所には予想がついている。彼女が主から任されていた『眠りの家』、そのそばにある管理小屋。そこが彼女の居場所だった。

 大鐘楼を横切り、セビオの教会裏に降り立つ。監視の目はない。そもそも人がいない。敵も味方も、市民ですら。


 管理小屋の扉が開いている。

 嫌な予感がした。


「シュガー様、しっかりするんだ! 目を開けて!」


 少年の叫び。少女の泣き声。小屋の扉から見える小さな手。赤く染まったナイフ。


 いつだって一緒にいた。

 今回のことだって話せば分かりあえると根拠なく思っていた。事情さえ聞けば、姉妹で協力して何とかできるはずだと考えていた。

 人が鳥になれるのだ。何だってできるはずではないか。

 そう信じていた。いや、信じたかった。


 だから、こんなことになるとは思っていなかった。


「シュガー?」


 声が震えていることを自覚する。

 覗き込んだ小屋の中、シュガーが倒れていた。

 腹部に滲む血。傷を押さえる少年の手が真っ赤に染まり、床を汚すほどの出血量。


 小屋の奥、返り血で服を汚した少女が泣いている。


「ごめんなさい、私、あなたたちを許せなかった。助けてくれたのに、でも」


 少女の周りには数人の子どもたちが集まり、皆一様に青い顔で狼狽えていた。

 だが、どうでもいい。知らない少女の嘆きなど今はどうでもいいのだ。


 シュガー。

 大切な妹。


 ふらふらと近付いたモネに気付き、少年が顔を上げた。

 血の気が引いたその顔に見覚えはない。奥で震えている少女もそうだ。

 彼らはシュガーがオモチャに変えて匿った子どもなのだろう。主が潰した国から連れ帰った、事情持ちの孤児達。

 彼らが人間に戻っていると言うことは、シュガーは。


「モネ様、落ち着いて。気を失っただけだ。まだ生きてる」


 そう言う少年の声もシュガーの身体も、どうしようもなくか細く震えていた。


 シュガーの小さな身体から大量の血が流れ出ていく。モネがどんなに自分を誤魔化し信じようとしても、赤い血溜まりの形した現実は広がっていく。


 きっと助からない。

 町を飛ぶ間に気付いた。今、主は何らかの理由で能力を封じられている。

 

 奇跡は二度も起こらない。


 シュガーが呻いた。

 痛むのだろう。苦しませたくない。


 神様がいないなら、神様から授かった力で。姉である自分がやるべきだ。


 せめて、安らかな眠りを。


「退いて」


 少年の肩を翼で押し除ける。


「あなたたち、危ないからここを出なさい。巻き込むのは嫌なの」


 少年は憔悴を露わにしながらも、子どもらの手をひき小屋の入り口へと走った。

 それでいい。

 主の行いで救われる者もいれば、大切な何かを失くす者もいる。報いは主だけが受けるものではなく、ファミリー全体が受けるべきものなのだ。

 主の願いは、ファミリー皆の願いなのだから。


 奪えば、奪い返される。

 それは神のいない世界の摂理。


 だからこれは、この世界にありふれた、ごく当たり前の結末だった。


 雪が積もり始める。視界を白く染めるほどの吹雪の中、時を経て姉妹は再び二人だけになった。


「大丈夫よ、シュガー」


 シュガーを抱きかかえる。

 幼いままの妹。変わらない姿。

 壊死した腕では抱きしめられず、能力を得てからは触れることすら難しくなった。こんな時だと言うのに少し嬉しくて、モネは小さく笑う。


「一人にはさせないわ」


 一瞬で体温を奪われ、深い眠りに落ちていく妹。その傷口を翼で覆った。赤く染まる羽根すらもすぐに凍り付く。

 モネはもう雪では死ねない。無意識に転がっていたナイフを引き寄せた。


 本当は。

 本当は全部夢だったのかもしれない。

 二人はまだあの雪原にいて、黒い影はやはり死神だったのだ。

 最期に幸せな夢をみせてくれる、恐ろしくて優しい神様。


 ああ、でも。きっと、彼はまだ一人で。


 雪の砦の中、モネはシュガーを抱き締め目を閉じる。

 恩人よりも裏切り者の妹を選んでしまった。その罪ごと抱く温もりはあたたかく、焼けるように胸が痛む。


「ごめんなさい、若様」


 呟くモネの頬を涙が伝った。




 教会へ繋がる地下通路から駆け上がった時、最初に目に入ったのは、子どもたちを必死に引き止める少年の姿だった。

 どこかへ走ろうとし、あるいはその場で座り込む子どもたち。そして彼らを背に庇う少年。唇を噛み締める少年の視線の先には雪に烟る小さな小屋がある。

 少年から事情を聞き、ドフラミンゴは歯噛みした。


 鍵。

 鍵を持っているはずの幹部が死にかけている。このままでは。


 焦燥に口を引き結び、思考を打ち消す。


 違う。そうではない。

 思い出せ。


 目を閉じれば浮かぶ笑顔。

 見守る眼差しと脇腹を小突いてくる肘、抱き止めてくれる温かな腕。

 低く凪いだ声。


 自身を変えろ。

 世界を変える方法が破壊だけではないということを己が身で証明してみせろ。

 己が進むべき道。それは決して、我欲と効率にのみ振り切った針の先にはない。

 小屋にいるのは死に瀕した妹と絶望に囚われた姉。

 考えるまでもない。ドンキホーテ・ドフラミンゴが為すべきことは明確だ。


 死と絶望を奪う。その程度出来ずして何が怪盗か。


 いの一番に目的を思い浮かべた正直すぎる自身の頭を殴りつけ、ドフラミンゴは少年を抱えた。


「止めるぞ」

「え?」

「兄弟が死にかけて自棄になってんだ。誰かが止めてやるべきじゃねェか。刺し傷ならおれでも塞げる。お前らも手伝え」


 返り血だろう。服を汚した少女が震える声で訊ねる。


「シュガー様、助かるの……?」

「ああ、必ず助ける」


 少女が走り出し、他の子どもたちも彼女を追った。ドフラミンゴもまた子どもたちと並走し、吹雪く小屋へと向かう。


 雪は好きではない。あの日を思い出す。

 己を包む白の外套。滴る血と溢れる涙。

 動かない身体。暗く冷たい宝箱。

 凪いだ声。


 雪原に神はいない。

 今も昔も。


 だが、まだ間に合う。己がいるのだ。

 あの男に与えられた能力がある。恩人の導きとあの男の教導により鍛えられた技術がある。友によって示された道が見える。

 己ならやれる。


『お宝より人命』


 それはハートの海賊団、最古のルール。だが己も成長した。海賊たるもの、ちまちま選ぶのではなく総取りするが王道だ。

 どちらも手に入れてこその“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴなのだ。


 破壊に振り切った“超過鞭糸”。運命を変えるため、今、その力を振るう。


 金糸の鞭が雪雲と吹雪を打ち払った。

 崩れた雪のドームの中、抱き合う姉妹の姿が見える。




 衝撃と共に小屋の壁ごと雪の帷が吹き飛んだ。

 目に入るのは打ち払われた雪の天蓋。

 差し込む陽光に解けゆく金糸の輝き。


 眩しさに顔を上げれば、偉丈夫が息を切らせ立っていた。


「てめェ、何やってんだ!」


 呆然とするモネを押し退け、男はシュガーの傷口を検める。よく見れば、彼は片腕に先程の少年を抱えていた。さらに、彼の後ろには逃げたはずの子どもたちが集まっている。


「傷口が凍ってるな。いける、むしろこれなら痛みもマシかもしれねェ。おい、お前ら、こいつの手足押さえてろ」

「何をするつもりなんだい」

「いいから! 時間がねェんだ!」


 子どもらに指示し喚き散らすのはドンキホーテ・ドフラミンゴ。主に宣戦布告してきた謎の海賊だ。

 ファミリーによれば彼もまた元構成員だと言う。今は敵であるはずの彼がシュガーを抱え、指を閃かせた。

 思わずその腕に縋りつく。


「妹に何をする気⁉︎」

「離せ、手元が狂う!」


 腕を振り解かれ、よろめいたモネの目の前で糸が舞った。

 きらきらと光るそれはシュガーの傷口へと入り込み、その動きに合わせてシュガーの身体が跳ねる。

 少年少女が総出でシュガーを押さえ込むが、痙攣と痛みにのたうつ身体は固定しきれない。


「くそ、起きるとまずい……鳥女、こいつだけ眠らせることは出来るか?」


 声に焦燥を滲ませながら、ドフラミンゴが問う。緻密な操作をしているのだろう、額には珠のような汗が浮かんでいた。

 呆然と座り込むモネを睨みつけ、男が眉を顰める。


「聞け」

「え?」

「いいか。トラファルガーは来ない。こう言う時こそ居ろって話だが仕方ねェ。あいつだって神じゃねェんだ」

「…………」

「そもそも治療自体は能力よりもあいつ自身の努力の方がでかい。人間の努力で何とか出来ることなら、おれたちにだって出来る。一つ一つ分担すりゃいい。だから、お前も出来ることをやれ」


 出来ることがあるのだろうか。

 まだ、助かるのだろうか。

 信じられない。神様を裏切った自分達に救いが齎されるわけがないのだ。


 業を煮やしたのか、ドフラミンゴが立ち上がる。

 小屋に影が差すほどに大きな背。拳を握り、男は壁を殴りつけた。音と振動に子どもらが縮み上がるのに気付き、彼は頭を抱えながらも苛々と小屋の床を蹴り付ける。


「しっかりしろ!」


 声につられ、顔を上げた。毛を逆立てて怒る男の眼はサングラスに遮られて見えない。しかし、額に浮いた血管は隆起し、怒りの激しさを伝える。


「こいつはまだ生きてる! お前が諦めんじゃねェ! 海賊なら宝のために最後まで戦え!」


 それでもぼんやりしたままのモネの肩を掴み、ドフラミンゴが怒鳴りつけた。


「てめェはこいつの姉上だろうが!」


 あまりの大音声に耳鳴りが起きる。

 驚いた拍子にこぼれ落ちた涙が雪となって宙を舞った。

 シュガーの動きが鈍る。その隙に子どもたちが互いに手を取り合い拘束を強めた。

 急激に下がった室温に舌打ちをし、男がぐしゃぐしゃと髪を掻き回す。


「何でおれはコートを置いてきたんだ。寒いじゃねェか。このガキの治療だって本来は奴がやることだってのに、何でおれが」


 額に青筋を立てて怒る男はそれでも手を止めずに糸を放つ。最初は何をしているのかわからなかったが、損傷部位を疑似的に作り上げ縫合しているらしい。


「くそ、それもこれもあの男が悪い。大体、トレーボルなんぞに出し抜かれてんじゃねェ! あとで殴る、絶対殴る!」


 独り言にしては声量が大きく、もはやただ自身への喝を入れているようにすら見える。その姿に何故か惹きつけられ、モネは立ち上がった。

 雪を呼ぶ。ドフラミンゴを避け、シュガーを子どもたちごと抱き締めた。体温を下げすぎてはまずいので翼で調整。さらに雪を患部に押し当てる。麻酔代わりだ。


「よし、やりやすくなった。続けろ」

「ドフラミンゴ、若様と敵対するあなたがどうして助けてくれるの?」

「そりゃこいつが鍵を握ってるからだ。あと単純にチビが死ぬのは胸糞悪ィ」


 頬に伝う汗を拭ってやりながら問えば、ドフラミンゴは笑みを浮かべて答える。

 おかしな男だ。

 主と比べれば技術は未熟。感情の波も激しい。どう考えても敵わないのに主に歯向かい、当然のように一蹴されたくせに、屈することなく再び現れた。

 時を止めたような主とは真逆。

 留まることなく、進み続ける熱の塊。


 どこか淡い期待が滲み始め、モネはぎこちなく笑みを返した。


 シュガーを刺した少女が泣きながらシュガーの腕を押さえる。その少女を他の子どもたちが支えていた。

 彼らの目には複雑な感情が浮かぶ。

 彼らの多くは主やファミリーの手により親族や国を亡くしている。故郷では不遇であった子どもばかりではあるが、人間の情というものは複雑だ。

 どれほど痛めつけられても父母の愛情を忘れられない子どももいる。

 オモチャとなった彼らは忘れられ、世界から消された。しかし、記憶は彼らの内に残り続ける。美しい記憶も、苦しい記憶も、傷も、願いも。そして、それはオモチャとなった後も増え続け、積もり続ける。

 少女とて、シュガーの全てを憎んでいたわけではないのだろう。モネの内に怒りと後悔と希望が重なっているように、様々な思いが少女を苛んでいるのだ。


「シュガー様、死なないで」


 少女の声は祈るように震えていた。


「死なせるかよ。こいつには言ってやりたいことがある」


 ドフラミンゴが暗い声で呟く。彼にもまた、思うところがあるのだろう。治療を着々と進める中、数度歯を噛み締めているのが見てとれた。

 仕草から伝わるのは強い怒り。その度に感情を制御するように膝を殴りつけ、彼は治療を続ける。




 糸を紡ぐ。傷そのものは深いが、抵抗しなかったのか切り口は綺麗だ。ただ、位置が悪い。身体も小さいため、出血量を抑えなければ危険は増すばかり。

 凍りついた傷口を真剣に検分し、脳内で工程を組み立てる。糸で血管を代用し循環を迂回させ損傷部位を独立、その間に片をつけるのだ。

 間違いは許されない。痛みと失血で跳ねる小さな身体に何度も手元が狂いそうになり肝が冷える。


 広げられた翼が子どもたちを包み、ドフラミンゴの頬に伝う汗を拭った。顔を上げれば、戸惑いを浮かべた虚な瞳が見つめている。


 笑わなければ。苦しく耐えがたい不安の中でこそ笑うのだ。

 恩人がそうしてくれたように。


 ぎこちなく笑みを返してきたモネから視線を切り、再び集中する。

 子どもたちが祈る。モネが祈る。

 ドフラミンゴはただ手を動かし続けた。




 モネたちが見守る中、ドフラミンゴが手を止めた。

 糸は完全に傷を塞ぎきっている。


 しかし、シュガーの痙攣は続いていた。

 血を失いすぎたのだ。


 ドフラミンゴが歯を噛み締める。


「くそ」


 悔しさに震える声。握りしめられた拳に翼を添え、モネは言った。


「ありがとう。もう十分よ」


 意識を失ったままのシュガーを抱き、頬を寄せる。能力は切った。少しでも安らかに眠れるようにと翼で包み込む。


 奇跡は起こらなかった。

 だが、雪の中で眠るよりきっとこの方がいい。


 モネは目を伏せる。

 感じるのはシュガーの鼓動。今にも消えそうな儚い音。

 最期まで一緒にいる。

 それだけが己に出来ることなのだと、モネは耳を澄ませた。




 ドフラミンゴは拳を握りしめた。

 噛み締めた唇に血が滲む。


 モネが翼を広げた。彼女はこぼれ落ちていく命の砂を受け止めるようにシュガーを抱きしめる。


 出来ることはしたのだ。だが、これ以上出来ることがない。

 己がしたことと言えば、死に行く者に鞭を打ち、別れに僅かな猶予を与えただけ。


 頭の中で誰かが囁く。


 あの男ですら出来なかったことだ。出来るわけがない。世界など変えられない。

 否定したくとも、目の前の現実は揺るぎなく無情を語る。

 何もできなかった。変えられなかった。


 口を引き結び、目を閉じる。そうでもしなければ罵声が漏れてしまいそうだった。


 無力感に沈み瞑目したドフラミンゴの耳に蝶番が軋む音が届いた。


 『眠りの家』に続く扉が開く。

 現れたのは愛くるしい小人達。


 マンシェリー姫。

 ドレスローザの癒し手。


 姫は兵士の背から皆を見つめ、ふわりと舞い降りる。清廉な花の香りをつれ、彼女は傷付いた少女へと駆け寄った。


「大丈夫。まだ間に合うれすよ」


 姫が皆を安心させるように微笑む。愛らしい大きな瞳から涙が溢れ、縫い止められた傷口へと降り注いだ。


 雪解けの太陽が輝く。

 花開くように、祈りは届く。




 まるで、夢のようだった。

 花の香と共に降り立ち、マンシェリー姫が涙をこぼす。


 反応は劇的だった。


 シュガーの痙攣が止まる。青ざめていた頬に血の気がさし、閉じていた瞼がゆるりと震えた。


「おねえちゃん?」


 掠れた声は、されど、確かに生を感じさせるもので。


 あたたかい。

 生きている。


「お姉ちゃん、手が当たる」


 モネは思わずシュガーをきつく抱きしめる。とめどなく溢れる涙が頬を伝い、シュガーの頬をも濡らした。

 能力の宿る涙とは違い、何の効果もないただ温かいだけの雫。それは姉妹の溝を埋めるように流れ続ける。


「危ないからだめ。離れて」

「いやよ。絶対に離さない」


 裏切りなどどうでも良かった。

 生きていればそれでいい。全てはそれからなのだから。


 崩壊した小屋の天井から降り注ぐ陽光。二人に降り注ぐ金色の光はあたたかく、どこまでも柔らかだった。




 泣きじゃくるモネと困ったように手を宙に向けるシュガー。姉妹を見つめるドフラミンゴは複雑そうな顔で頭をかき、脱力と共に口の端を緩めた。

 離れた場所で一塊になっていた少年少女へと近付き、視線を合わせしゃがみ込む。

 怯えや警戒、そして威嚇。様々な反応を見せた彼らは、それでも逃げ出さず真っ直ぐに見返してきた。

 ドフラミンゴもまた、意図が伝わるようサングラスを軽く浮かし目を晒す。


「安心しろ。あいつは助かった」


 子どもたちは驚いたように目を見張った。そして、お互いの顔を見合わせ震えながら問う。


「シュガー様、もう大丈夫?」

「ああ。お前らもよく頑張ったな」


 我慢していたのだろう。年少者が泣き出し、年長者が背を摩って支え合う。ドフラミンゴは彼らをまとめて両腕に抱き、あやすようにその背を柔く叩いた。

 まったく、柄でもない。

 しかし、恩人やあの男、あるいはベポ。彼らであればこうするだろう。


 小人の姫と兵士がドフラミンゴを見上げ、にっこりと笑った。


「あなたがドフランドれすね?」


 妙な呼び名に転びそうになったドフラミンゴの前で姫がぺこりと頭を下げる。


「ありがとうれす。あなたのおかげで間に合ったのれす」


 マンシェリー姫と兵士レオ。当初、彼らは王宮に取り残されていたのだという。そして、異変に気付き王宮内を走り回り、囚われのトラファルガーを見つけた。

 黒衣の男は既に目を覚ましており、助け出そうとした二人を制してシュガーの救出を願ったそうだ。


「自分は大丈夫だから、あの子を助けてほしいと言っていたのれすよ」


 シュガーの能力。

 ドフラミンゴはその全容を把握していない。それでも、記憶操作をしたのが彼女だということは理解している。

 海楼石に繋がれ能力も覇気も封じられた中、彼女の異変に気付いた。つまりそれはトラファルガーもまた記憶を奪われたと言うことだ。


 それでも、シュガーの身を案じたということなのだ。


 どことなく感じる敗北感。ため息を吐いたドフラミンゴを見上げ不思議そうにしていたレオが、思い出したように感嘆の声を上げる。


「彼女の傷、丁寧に縫われていたれす。あれはドフランドが? すごい技術れす!」

「ん? あァ、それほどでもねェさ」

「誰に教わったのれす? たくさん練習したのれしょう?」

「……ノーコメントだ」


 これが他の技であればふんぞり返っているところなのだが、いかんせん縫合については経緯が複雑である。

 口をへの字にして座り込んだドフラミンゴの膝に乗り、マンシェリー姫が優しく微笑んだ。


「皆が頑張ってくれたから、私たちも間に合いました。信じる者こそ救われる、なのれす」

「まァ、確かに。頑張ったな」

「そうなのれす。偉いのれす」


 わざわざ肩までよじ登り、頭を撫でてくれる小人の姫。されるがままに髪をいじられながら、ドフラミンゴは口元を緩める。


 そうだ。

 頑張った。

 神などいなくとも、伝え継いだ人の技術と信じ願う心が命を繋いだのだ。

 姉妹は生き残り、雪解けは訪れた。涙は血と悔恨を洗い流し、凍りついた時を解かし動かしていく。


 無意識に胸元のペンダントを握りしめた。二枚のコインとクローバー、そして天道虫。春告げの虫は未だ本来の持ち主の元へと戻らず、寂しげに揺れている。


「いい加減、返してやらねェとな」


 幸せを託された。

 はっきりと言葉にして聞いたわけではない。それでも、恩人ならきっと兄が雪の中に取り残されることなど望まないはず。


 一時のこととはいえ記憶を奪われただろうトラファルガー。思い出すのは、トレーボルの関与について問いただした際、僅かに引き攣った瞼。

 妹を手にかけ、雪原に一人取り残されたままの男。


 ドフラミンゴは目を伏せ、訊ねる。


「なァ、姫さん。あいつはどうしてた? 起きてたってんなら焦ってはなかったのか? あと、辛そう……だったとか」

「ロー先生れすか? 『久しぶりによく寝た』と言ってたれすよ。鍵は誰かが持ってきてくれるだろうから少し休憩するって」

「…………」

「あ。ピンクの服、モフモフしてたれす」

「モフモフ」

「モフモフれす」


 さすがに苛ついた。


 人の善意を弄ぶとはどういう了見なのだろうか。いや、海賊なので普通といえば普通なのだが。トラファルガーのくせに。


 心中で悪態を吐き、その勢いのまま立ち上がる。転がり落ちそうになったマンシェリー姫を手に乗せ、レオの傍に下ろすことも忘れない。

 ちなみにハートの海賊団のルールには『女の子には優しく』『女の子を誑かさない』という意味不明な条項がある。前者を守ると後者に抵触したと判定が下り、シャチに尻を蹴られるという理不尽ルールだ。

 一塊になって泣いたり笑ったりしている子どもらの姿を眺め、何となくクルーを思い出すドフラミンゴである。


 何にせよ、鍵の手がかりは繋がった。鍵を手に入れればあとは向かうばかり。


 トラファルガーは何食わぬ顔で、何なら優雅に足でも組んで玉座にて待っていることだろう。

 さっさと解放して、その横っ面を張り倒さないことには収まりがつかない。

 加えて言えば、早急にファーコートを取り戻したいところである。扱いが難しい素材なのだ。


 各地の戦局は今や佳境に入りつつある。

 誠に遺憾ながら、ここまでは振り回されてばかりだった。今度はこちらが振り回す番ではないだろうか。


 ドフラミンゴは一つ伸びをし、口の端を吊り上げる。


 残雪は溶けた。

 変革の嵐はすぐそこだ。


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