Te-3F

Te-3F


Te-3は第二次大戦期のウマムスタンの戦闘機、戦闘爆撃機。特に戦闘爆撃機型はその高い性能が評価され、第二次大戦中のウマムスタンで最も製造、輸出された機体となった。


開発


第二次大戦中の欧州における戦略爆撃の応酬を知ったウマムスタン空軍は、飛来する敵戦略爆撃機の迎撃に効果的な機体を求めた。当時すでに迎撃機として運用可能な機体としてCak-120Fが存在したが、戦略爆撃機の実用高度の進化を考えると同機の高高度性能は不足していた。改良型を開発することも考えられたが、Cak-120Fはかなり高価な機体であり、むしろ大量生産可能な迎撃機を新規に開発し量産した方が安上がりであると考えられるようになった。


バトルオブアルビオンの詳細な分析がなされた1941年4月にティニス設計局に開発が命じられた。空軍の要求は今後の爆撃機の性能向上を見込んで最高実用高度15000mとかなり厳しいものであり、その上ターボチャージャーをはじめとした重い高高度用装備を備えつつも高い上昇力を求めていた。ティニス設計局は空軍の要求する上昇性能、高高度性能を同時に満たすため、新開発の離昇2200馬力を誇るSMN-5液冷エンジンの搭載を決定した。


1942年6月に行われた試験飛行で試作Te-3Fはわずか7分で高度1万mまで上昇するという優秀な上昇性能を見せた。その他の耐久テストにも合格したため12月には空軍により正式に採用が決定され、戦闘爆撃機型の開発に伴いTe-3F-11と改称された上で200機が発注された。初の量産型は1943年4月に引き渡され、さらにその一部は義勇航空艦隊に配備され実戦試験が行われた。


実戦


Te-3Fは東部義勇航空艦隊で初めての実戦を経験した。ちょうどこの時期、ツィタデレ作戦の前段階としてゲルウマン軍によるウマエト拠点への爆撃が盛んに行われており、Te-3Fを装備した部隊は転換訓練もそこそこにこれの迎撃に当たった。


しかし、当初Te-3Fの評判は芳しくなかった。当時のゲルウマン軍爆撃機の飛行する高度は本来Te-3Fが想定する高度よりかなり低く、Te-3Fが誇る高高度用装備は機動性を下げる重りとなっていた。13.2mm機銃4門という火力の低さも問題視され、より大型の戦略爆撃機が相手となれば火力の不足はより深刻になることが予想された。


同時期にシチリア島上陸作戦に参加し、試験用として各種の連合国軍機を運用していた西部義勇航空艦隊からも同様の報告がなされた。同部隊の報告によると


・上昇力は申し分なく、あらゆる連合国機を上回る。グリフォンエンジンを装備したスピットファイアを上昇力で上回るのは間違いなく本機の優秀な点である。

・機動性は決して良いものではない。大型の機体である故仕方ないことではあるが。P-47の機動力を上回るだけまだ良い方であるとも言える。

・こうした機体性能に対して武装は不足している。13.2mm機銃4門では戦術爆撃機相手ならまだどうにかなるものの、戦略爆撃機を迎撃するには力不足であると言わざるを得ない。


とされた。こうした報告を受け、1944年にはエンジン出力の強化と共に武装が13.2mm機銃2門、20mm機関砲2門に増強され、迎撃機として十分な性能を有することになった。


Te-3F-21


迎撃機Te-3Fの開発が進む中、1941年の秋には空軍において戦闘爆撃機型の開発が唱えられ始めた。Te-3Fに搭載された大馬力エンジンを考えれば、もし同機を戦闘爆撃機にした時の搭載量はかなりのものになると予想された。また、Te-3Fの航続距離900kmは同国の運用する他の戦闘機に比べかなり短いものであったが、近接航空支援機としては必要十分だと判断されていた。


加えて、ウマムスタン空軍が運用する近接航空支援機は今までも戦闘機を改造したものであった。元戦闘機であったLaz-38A、Laz-40Aは共に優秀な性能を発揮し、東部戦線、西部戦線の両方でその性能を遺憾無く発揮していた。こうした成功体験も後押しし、1942年1月には高高度装備を排除し、翼面積を拡大、20mm機関砲の追加装備などの改造を施した戦闘爆撃機型たるTe-3F-21の開発が正式に決定された。


戦闘機型のTe-3Fが初飛行を行った2ヶ月後の1942年8月、Te-3F-21の試験機が初飛行し、優秀な性能を発揮した。同機の最大爆装量は当時の単発機としては破格の3000kgであり、機械的な問題が存在しないことが確認されると即座に採用が決定された。


Te-3F-21の投入


量産型は1943年6月に引き渡された。クルスクの戦いには間に合わなかったものの、続く各地の戦闘でその高い性能を発揮した。最大爆装量3000kgは少し前の戦略爆撃機並みの爆装量であり、原型となったTe-3F譲りの爆撃機としては高い速度性能も評価された。


高高度戦闘機を必要としていなかったウマエト、すでに航空優勢を手に入れつつありウマムスタンから戦闘機を輸入する必要性がなくなり始めていたダート、アルビオンもこの機体には興味を示し、早くも1943年7月には各国に義勇航空艦隊から数機が試験用として引き渡された。ウマムスタン空軍と同様に各国空軍も同機に対して高い評価を与え、即座に輸入を決定した。


これを受けTe-3F-21はウマムスタン空軍が採用する以上の大量生産が決定された。1944年にはLaz-40Aからの生産転換により余剰となったラズワルド社の生産能力を活かすため、同社製の2500馬力を誇るオルモス空冷エンジンを搭載した準同型機、Laz-44F/Aの生産が開始された。


Te-3F-21、Laz-44F/Aは合計して第二次大戦中に7000機が製造され、その内5000機以上が連合国に引き渡された。大戦末期、制空権を失いつつあった枢軸軍にとって同機は最も重大な脅威の一つとなり、枢軸軍兵士から恐れられる存在となった。1945年には改良型のエンジンを搭載し爆装量が4000kgに増加したTe-3F-22、Laz-44F/A-12が生産開始された。


派生型

Te-3F-21A:基本型。13.2mm機銃2門、20mm機関砲2門を搭載。

Te-3F-21B:襲撃機型。13.2mm機銃を撤去した上で20mm機関砲を両翼に合計で8門搭載した。

Te-3F-21C:対戦車攻撃機型。ソミュアS35の生産停止に伴い余剰となった47mm砲の生産ラインを活かす目的もあり、両翼にガンポッド形式で47mm砲を搭載した。


補足

地上攻撃機型:まぁ連合国の需要考えるとこれが一番売れそうだったので…戦闘機ならダートやアルビオンはもう自前でどうにかなるし、ウマエトは需要にミスマッチだ。レンドリースされたものの使い道が特に思い付かず後方で訓練用に使われるだけだったウマエトP-47みたいになりそうで


爆装3000kg:F4Uコルセア派生型のAU-1(爆装3700kg)を参考に設定。まぁあれだけの上昇力を持つ高高度戦闘機ならこれぐらいの馬力は出る…はず


型式命名法:大日本帝国海軍式。アルファベット方式だと機体名の後に着く機種を示すアルファベット、その後の派生型を示すアルファベットがあって紛らわしい。帝国陸軍式でも良いけどね



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