TYi-137妄想記事その2

TYi-137妄想記事その2


TYi-137はなんで強いの?

・装甲の厚さ

まずTYi-137は同世代の戦車に比べかなり厚い装甲を持っている。TYi-137は1939年2月生産開始(メタ視点:他のウマムスタン兵器の採用年と型番の関係を見るにこれでも生産開始を遅らせた方、もしかしたら1938年中には生産開始してるかもしれない)の初期型時点で装甲は

砲塔前面76 mm 

車体前面50 mm

であった。

なお、同世代のT-34 1940年型(といっても生産開始は1940年3月なのでTYi-137はこれに比べ生産開始が早い)は

T-34 1940型 

砲塔正面 45mm 

車体正面45mm

であった。そしてダートは1942年3月生産開始のM1A1戦車で

砲塔正面76 mm

車体正面51 mm

とTYi-137の生産開始から3年以上経ってようやくTYi-137初期型と同程度の装甲を持つ戦車を手に入れているのである。T-34 1942型に至ってはこの時点で

砲塔正面65 mm

車体前面47 mm

と未だTYi-137初期型にすら及ばない程度の装甲しか有していない。なお1941年より生産開始したTYi-137-40は1941年時点で装甲厚を

砲塔正面 100 mm

車体正面. 57mm

に増強されていた。1943年より生産されるTYi-137-60は

砲塔正面 110 mm

車体正面 75 mm

と、パンターより全体的に5 mmぐらいカタログスペック上では薄いかな?レベルの装甲を持つに至った。もちろん傾斜角や防楯もあるので単純な比較はできないが、連合軍戦車の中では特に厚い装甲を持っていたと言える。しかも生産するウマムスタンが戦争に巻き込まれていなかったため、T-34のような戦車ごとの品質のばらつきを発生させずに余裕を持って生産することが可能であった。


(メタ視点:T-34とM4シャーマンの年毎の装甲厚の変化を平均したりして出した進化。TYi-137-40からTYi-137-60にそのまま進化すると砲塔正面の装甲がパンターを超えるのでその分車体正面に回した)


・火力

初期型TYi-137、TYi-137-40の時点で75mm砲という優秀な火力を誇っていた

その上でTYi-137-60からは60口径75 mm砲という敵戦車絶対殺すマンとでも言うべき主砲を積むことになった。この主砲はファイアフライに積まれているロイヤルオードナンス QF 17ポンド砲 Mk4と同じぐらいの威力を持つ高威力戦車砲である。大量の発射薬と、それによって得られる猛烈な弾速はパンターはもちろん、カーブリスターンで採掘されるタングステンを使った高速徹甲弾を用いればティーガーIIの砲塔正面すらぶちぬけるという代物である。コイツが3万両も生産されて前線に送られたんだからエイシンとアキツ、ロマーニャは泣いていい。


・でもお高いんでしょう?

高い

めっちゃ高い

TYi-137は重装甲と高火力、低重量を両立するために様々な工夫がなされた。まず徹底した小型化が行われ、少しでも重量を削った。それでも足りなかったのでウマムスタンの豊富な資源を湯水のごとく用いて各所にアルミニウムなどの各種金属、希少金属を用いて更なる軽量化が行われた。

そして当時のウマムスタンに大馬力の戦車用エンジンを開発する技術がなかったので小型エンジンを2個積むという力技でこれを解決した。ついでに機動力を上げるために優秀なものの製造コストの高いトランスミッションを採用している。

そして防御力をさらに高めるために傾斜装甲が採用されたし、その他にも全車備え付けの通信機などいくつか贅沢な設備が追加されている。


しかしこれらの工夫により生産コストは膨れ上がり、なんと初期型のコストは軍の要求の倍に達した。実に貴族国家らしい豪華戦車である。


・問題点

しかしいくら高コストでもこれだけ重装甲、高火力、低重量の戦車なんて強いに決まってる。実際強かったしエイシン軍はTYi-137を最優先撃破目標に設定している。

…のだが結構問題点も多かった。


・極端な小型化により居住性が悪い

・元々ウマムスタン人向けに作られた戦車なので大柄な欧米人からするとさらに窮屈である

・砲弾の巨大化、当初は想定されていなかった改修により装填速度が悪化した

・60口径 75 mm砲用の砲弾は高初速に耐えるため外核が厚くなり、その分榴弾内の炸薬が減少し歩兵支援には十分でない

・大型の砲弾を積むことになるため搭載弾数が少ない

・マズルブラストが激しすぎて目立つし、乗員の目に著しい悪影響を与える


とまあ結構前線からは苦情が来た。結局TYi-137シリーズは傑作戦車であったものの第二次大戦中から徐々にこれらの問題を解決したTYi-145に置き換わっていくことになる。


しかしながら、TYi-137シリーズはいくつかの問題を抱えながらも常に第二次大戦の主力を担ってきた。

その装甲は連合軍の中戦車としては破格のものであり、特に西部戦線ではこれを超える装甲の戦車は1944年製造開始のチャーチル歩兵戦車MkⅦやシャーマンジャンボ程度しか存在しなかった。しかも本車はその製造コストとは裏腹に3万両も生産された正真正銘の主力戦車であり、チャーチル歩兵戦車MkⅦやジャンボ、あるいはシャーマンファイアフライとは文字通り投入数の桁が違った。その結果TYi-137は常に攻撃の先陣を切ることになった。

東部戦線でもその重装甲は非常に頼りにされた。T-34、TYi-137に比べ少数なIS-2重戦車に代わって重戦車的な運用をされたこともあり、歩兵部隊や他の戦車部隊の盾となって戦った。泥濘地帯などではIS-2などの重戦車が突入できず、軽量なTYi-137が代わって突入することもあった。

その戦いぶりは連合軍兵士が呼んだ通り、現代に蘇ったカタクラフトと言えるものであったのだ。


補足

装甲の進化:硬すぎじゃない?と思われるかもしれんが多分これぐらい硬くなってる

というか自重せずTYi-137からTYi-137-60でより初期型の配備時期が近いIV号戦車D型からH型、J型レベルの進化をした場合

砲塔正面 127 mm

車体正面 133 mm

とパンターを普通に超えてしまう


Report Page