TKab-135

TKab-135


TKab-135軽騎兵戦車


TKab-135はカブール自動車が開発したウマムスタンの軽騎兵戦車(軽戦車)。第二次大戦におけるウマムスタンを代表する戦車の一つであり、1935年設計という比較的古い設計ながら、その拡張性から構造を変えつつ第二次大戦終戦まで使用された。


開発

1930年代からウマムスタンは兵器の国産化を進めており、当時ガリアからの輸入に頼っていた騎兵戦車も国産化の対象の一つとして選ばれた。1935年に関係組織に要求性能が通達され、設計作業が始まった。開発が始まった当時、隣国ウマエトがBT-7を開発、配備していたこともありカブール自動車はこれに対抗すべく快足戦車を作ることに専念した。


1936年初めには設計作業が完了し、試験に出された。カブール自動車は比較的低出力のエンジンを使用しながらも、足回りの設計上の工夫により最高速度60km/hを確保した。主砲には45口径37mm砲を搭載し、装甲もある程度確保した上で生産性も非常に優秀であった。TKab-135は他の試作戦車に比べ優れた性能を発揮し、採用が決定した。


運用

1936年中頃に製造が開始され、1936年末から1937年初めには部隊配備が開始された。TKab-135はウマムスタン軍騎兵部隊の数的主力になることが期待され、当初から比較的大規模な生産が行われていた。1939年になると装甲、エンジンの強化が行われ、特に砲塔前面の装甲は30mmになるなど大幅に強化された。この改良型はTKab-135-2と命名され、配備が加速した。


1941年のエウ戦争開戦と共にTKab-135シリーズは連合各国への供与が開始された。ほぼ同時期に装甲を強化し、主砲を53口径37mm砲に換装し、砲塔前面の装甲を40 mmにまで強化したTKab-135-3の生産が開始され、こちらも大規模な供与が行われた。これらの戦車はアフリカ戦線、太平洋戦線においてはM3スチュアート、東部戦線においてはT-60,T-70などと共に戦うこととなった。しかしながら他の軽戦車と同様に装甲、火力ともに強化されたとはいえ敵の主力戦車と戦うには不足していた。TKab-135は北アフリカ、東部戦線の両方で大きな損害を出し、ガリア軍の騎兵戦車のように偵察任務、あるいは歩兵支援に用いられることが多くなっていった。この時の経験が後継戦車たるTKab-144(メタ視点:軽戦車の戦中ダイス開発が行われなかったので独自設定)の開発に繋がっていくこととなる。


バリエーション

TKab-135

初期生産型。TKab-135-2と合わせて戦争勃発までに1028両が生産され、後に一部がTKab-135-2に改修された。


TKab-135-2

1939年から生産開始された型。装甲、火力がTKab-135に比べ強化された。


TKab-135-3

1941年から生産開始された型。装甲、火力が強化されており、生産終了までに6243両が生産された。


派生型

QKab-141

1941年から生産された駆逐戦車型。TYi-137-40と同様に40口径 75mm砲を搭載しており、その火力の高さから連合軍で多く用いられた。終戦までに6251両が生産された。


QKab-143

1943年から生産された型。TYi-137-60と同様に60口径 75mm砲を搭載しており、連合軍戦車の中でも特に高い対戦車能力を持っていた。終戦までに7716両が生産され、QKab-141、SU-76などと共に連合軍の機動火力として活躍した。


補足

あんまり活躍してなくない?:大戦前に設計された戦車はな、大体こうなるんや… SU-76やヘッツァーみたいに自走砲型が使い勝手よくて大活躍したということで一つお願いします…

戦前軽戦車としては重めだからウマムスタンが誇る60口径75 mm砲も搭載できそうだしかなり活躍したんじゃなかろうか

多分北、南和寧軍でも活躍している


TKab-144:便宜上の後継軽戦車。多分M24を強化したような性能になっている


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