寿司食べる話

寿司食べる話



 父に代金を払ってもらい、届けられた寿司を玄関で受け取って兄の部屋へ向かう。

 扉を開けると、びくりと中にいた人物が微かに動く気配がした。

「兄ちゃん、夕飯食べよう」

 部屋にあるテーブルに寿司の容器を置いて、兄の拘束を解く。兄は恐る恐るといった様子で起き上がり、即座に扉へと向かった。

「どこに行くの?」

「会社!確かめなきゃ…」

「なんで?もうないって言ったじゃん」

「だから、それを確かめに行くんだろ…!?本当になんでこんなこと、」

「それ言ったら兄ちゃんもおかしいよ。なんであんなにボロボロになるまで働いてるの?兄ちゃんはこうでもしないと過労死しちゃうじゃん」

「そんなことない…!」

「まあもうあそこで仕事はできないんだしさ、少しぐらい休もうよ。そうすればそのうちまた一人暮らしして働けるかもよ?」

「………。」

「今出ていってもいいけどさ、多分そうしたら兄ちゃんは一生この部屋から出られなくなると思う」

 兄は、脱力したように膝をついた。ここから出ていくことは一旦は諦めたようだった。やがて支払いを終えた父が部屋へと入ってきた。兄の身体が強ばるのを横目で見ながら、父に寿司を手渡す。


「はい、父さんの分」

「あ、ありがとう、ルイ。……本当に、カード使えて良かった……」

「好きなの頼んでいいって言われたし。はい、兄ちゃんの分だよ」

「え?え、えっと…」

 兄に手渡すと、一転して動揺し始める。

「どうしたの?…もしかして寿司苦手?別の頼もうか?そっちは俺が食べるから」

「苦手っていうか、食べたことない…」

「え、ないの?一度も!?」

「……高いから、手が届かなくて…」

「マジかぁ〜!じゃあほら、食べてみてよ。好き嫌い分かれる食べ物ではあるけど、新鮮だしきっと美味しいと思うよ?」

 なんせ父さんが請求金額聞き直したレベルだし。


「え、いや…その、ルイが好きなら食べていいよ」

「もしかして生の魚苦手?」

「いや、なんていうか…そもそも味とかよく分からないというか…。俺、味覚あんまり良くなくてさ、だからほんと何でもいいって感じで…」

「味覚?…ああ、コンビニの弁当とカップ麺ばっかだったもんね。それと時々携帯食料」

「…なんで知ってるの?そういえばお父様も…」

「帳簿つけてたじゃん。すごい細かく書かれてたからつい見ちゃった」


 そう、兄は何でも詳細に記録をつける癖があるようだった。家計簿や手帳に何時から何時まで仕事をしたか、何を買ったか、何をしたか。全てみっちりと記載されていた。そのおかげで兄がどのくらい働いていたのか、それでいくら貰えたのか、そしてそれをどのくらい使ったのかなどを十分すぎるほど把握することができた。

 ともあれ、兄の食生活は余りに良くなかった。とにかく早く食べられるものを買い込んで、買ってきたものを食べる時間がないからと放置して期限が切れた食べ物を口に入れるなんて日常茶飯事だった。

「高いものと安いものの違いなんて分からないし、そもそも栄養が摂れるのなら俺は味なんてしなくても構わない。だからこんな良い物食べるなんて流石に申し訳ないというか…」

「うちは、父さんは仕事で忙しくて、俺も学校があるから、家事はお手伝いさんにやってもらってる」

「彩り豊かで、栄養のバランスも良い物を作ってくれるんだ。味もすごく美味しい」

「う、うん」

「兄ちゃんが明日から食べる食事だ。これからたくさん美味しいもの食べよう。時々みんなでご飯作ったりもしよう、ね?」

「………分かったよ。ルイが言うなら、そうする。いただきます」


 兄は戸惑いながら俺たちの食べ方に倣って箸を口に運ぶ。味わうというよりは食感と味を舌で確かめているような感じだった。味覚があまり機能していないというのは本当らしい。





……


「それが、今はこんなに美味しそうにたべてるんだもんなぁ…」

「……?ルイ、要らないなら俺が全部食べちゃうぞ?」

「待って待ってそれ俺の好物!」

「知ってる。実はルイの分は別に取ってあったりして」

「うわーありがとうさすが兄ちゃん!」

「なあ、俺の分は?」

 今の兄はあの頃を信じられないほど楽しそうに食べるようになった。顔も体も痩せてやつれていたあの頃からは見違えるほどに元気になった。

 早く一緒に暮せばよかったなとは思うけれど、兄は一人で暮らしたがるから強引な手段でなければ共に過ごすことを許容しなかっただろうし、父も兄があそこまで追い詰められていなかったらあんな強行はしなかったかもしれないから、そこは仕方がない。

「残りは兄貴が食っていいよー」

「ありがとう。二人で独占しよう」

「ちょ、二人共〜!俺にもくれよ〜!」




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