So I make this wish
ロサス王国、それは心からの願いが叶う国。
18歳、すなわち成人の儀として建国王マグニフィコに民は願いを捧げる。捧げられた願いを当人は忘れてしまうが、それは王自らが大切に保管し、幸運に恵まれれば叶えられることもある。
私は、子供の頃から願いが捧げられるところを見てきた。いつか自分もそうするのだと言い聞かされてきた。
ロサスに来てからは夜眠ることに怯えることも、今日の分のパンを手に入れられるか心配することも、咳をするお母さんが病に負けてしまうかもしれないなんて考えることも、仕事に行ったお父さんが帰ってこれないかもしれない日を想像することも、一切なくなった。私の願いは、この国の民になった時点で全て叶っていた。
だから考えた。たくさん考えた。まだ願いを捧げていない友達の意見も聞いて、家族にも相談して、自分一人では叶えられないけど叶えられたら良い願いを探し続けた。
結局思いついたのは儀式の前日の夜で、この願いを忘れたらどうなるのかわからなくて心配だったから両親には包み隠さず全部話した。二人とも驚いていたけど、でも今まで私が考えた中ではとびきり素敵な願いだと笑ってくれた。
いざ会場に足を踏み入れた時、緊張で口から心臓が飛び出しそうだった。その日はたまたま人が多かったのを利用して、私は最後尾に並んで順番に願いを捧げる人達を見ながら心の準備をした。
王様の前に最後の一人として立った時、忘れる前にと私は口を開いた。
「王様…私を、私の家族を、この国に受け入れてくださって本当にありがとうございます。感謝しきれません」
その言葉を聞いた王様は目を大きく見開いた後、とても嬉しそうな顔をしてくれた。きっと立場もあって直接感謝の言葉を聞く機会がないんだろう。
「たくさん悩んだこの願い、どうか受け取ってください…私にはとても叶えられない願いだけれど、捧げて忘れてしまうことに抵抗はあるけれど…だけど、これが一番伝わると思ったんです」
不思議そうに首を傾げながらも王様が願いを引き出すと、私の中から何かが切り離されるような感覚がした。
「ねえ、お母さん。私、一体何を願ったの?見間違いかもしれないんだけど、王様が今にも泣きそうな顔をしていたような…」
「あらあら、よっぽど嬉しかったのかしら。貴方の願いはね━━━。」
***
マグニフィコ王が禁断の魔法に囚われ、国民の願いを壊してエネルギーに変えていき、スターすらも杖に取り込んでアーシャを追い詰めた時。
国民全てが抵抗すらままらぬ状況にあると、誰もが思っていた時。
「━━━王様!」
一人の若い女性が、広場に響き渡るような大声で呼びかけた。王妃でもなく、アーシャでもなく、ダリア達でもない、その誰とも縁のない一国民。苦痛の悲鳴ではなく、断罪するような声でもない、ただ他者を思って必死な呼びかけであった。
「ん?」
他とは違う声色に、思わずマグニフィコが動きを止めて声の持ち主に視線をよこした。アーシャが彼の顔を見ていたのなら、瞳の緑色の光が少し弱まった瞬間を捉えることができたかもしれない。
「王様!私は、私はこの美しいロサスの民です!王様に家族を受け入れてもらって、救われた多くの者達のうちの一人です!」
「…ああ、そうとも。私は救ってきたとも。対価を求めずに、誰一人断ることなく!」
「ええ、ええ!よく知っています!ずっと見てきましたから!願いだって捧げました!」
「なんだ…お前も願いを叶えろと喚くだけの、叶えてもらうことしか考えていない民か」
失望のあまり再び緑色の魔法に包まれそうな彼に、その女性はさらに声を張り上げた。
「違います!どうして…」
「どうして私の願いを使わなかったのですか!?」
「何…?」
「どうしてそうなる前に、私の願いを使ってくださらなかったのですか!?」
時が止まったかのように辺りが静まりかえった。
「願いを、使う…?」
アーシャも眉を顰めてその女性を見下ろす。どこにでもいるような、すれ違っても記憶に残らなさそうな、普通の人にしか見えない彼女を。
「私は、願いを捧げる前に両親にその内容を伝えました!だから自分の願いを、覚えていないけれど知っています!」
彼女の願いを使うということは、王の臣下だろうか。しかしそれにしては普通の町民の服装をしている。
「……ほう。で?その願いとはなんだ?ああいや、言わなくていい。そこらに転がっているはずだ」
すぅっと、抵抗なくマグニフィコの手の中に収まった願いが輝きを取り戻していく。
「どれどれ、そこまで言うなら使って、やらなくも…」
言葉を失ったのは彼だけではなく、ようやく起き上がったアーシャもだった。
そこには、たっぷりと髭を生やした穏やかな老人が映っていた。
笑い皺がたくさん刻まれた顔で、子供達に美しい魔法を次から次へと披露している。はしゃぐ子供達にすごいすごいと讃えられ、周囲の大人達はそれを微笑ましそうに見守っている。シンプルながら綺麗な身なりのその老人の顔は、若かりし頃の美しさの名残が残っている。
特に印象的なのは、キラキラと幸せそうに煌めく青い瞳だ。
「こ…こ、れは…!」
マグニフィコの顔からいかにも悪人らしい表情が流れ落ちていき、彼を覆っていた禁断の魔法が悶え苦しむように蠢いている。
「私の願いは…私が貴方に叶えて欲しかった願いは、『マグニフィコ王が幸せに長生きしますように』…!貴方とは離れたところにいる、ただの一国民でしかない私には叶えられない願いです!」
彼は、その願いをよく覚えていた。国民の前で泣き崩れそうになったのを必死で堪えていたのを、昨日のことのように覚えている。
儀式の後、妻であるアマヤにも思わず見せてしまうほどに嬉しかったあの日。これ以上ない報酬だと、涙が止まらない自分を彼女がずっと摩ってくれた。自分の立場もあって下手に叶えられないという事情もあったが、その願いの存在そのものだけで十分すぎると大事に大事にしまい込んでいた。どうしようもなく落ち込んだ時に自分の手元に転がり込んできて、春の陽気のような光景で何度も自分を奮い立たせてくれた願いだった。
「私はもう、貴方に全部叶えてもらった!私が欲しいものはこのロサスに、貴方が創り、愛し、守ってきたこの国に全てあります!」
ロサスを愛した一人の民の胸に、星が輝く。
「ああ、思い出した…!そう、あとは貴方だけなんです!マグニフィコ王、私は貴方の幸せな姿が見たかった!私を幸せにしてくれた人に、幸せになってほしかった!」
それに呼応するように彼女の願いが眩く輝き始め、そのまぶしさのあまりマグニフィコが取り落としてしまう。
「や、やめろ…!」
王と、別の何かが混ざったような濁った声が塔の上で響く。しかしそれを掻き消すように、輝ける願いとその持ち主が歌い出す。
「━━━空の星が呼ぶ方に 進もう、自分を信じて」
禁断の魔法が徐々に弱まっていき、国民達が、捧げられた願い達が次々に解放されていく。それは、決して歌い手が魔法を使っているわけではなく、何か超常的なものが力を貸しているわけではない。
「何が起きても恐れず、乗り越えると誓うわ」
王自身が、禁断の魔法に抵抗をしている。挫けそうな自分を何度も慰めてくれた願いを見て、忌まわしい力の甘い誘惑に抗おうとしている。
それを感じ取ったのだろう、他の願い達も自ら輝き歌い始める。この国の誰よりもマグニフィコ王の献身を見てきたのは、この願い達だった。自分達を心から美しいと思い、慈しみ、守ってくれた王の乱心を、誰よりも悲しく悔しく思っていた。
「この願い、今日よりもっと輝く」
願いとは、心の一部だ。力を持って輝けば、たとえ切り離されても本来の持ち主はそれを感じ取れる。願いを通して真実を、国を思うあまり一人苦悩していた孤独な男の姿を知ることができる。
「この願い」
暴れ回る魔法の杖と緑色の光に対抗するように、アーシャも立ち上がる。本当に助けなければいけない人をしっかりと見据えて、高らかに声を張り上げて。
「諦めることはない!」
***
マグニフィコ王が禁断の魔法から解放され、それがスターによって鏡に封じ込められて城の地下深くに放り込まれた後はまた大層忙しいことになった。
願いの扱い方に程度はともかく問題はあったのは確かで、アーシャのやり方も褒められたものではないのも事実で、これからどうするかはともかく叶えられなかった願いは一旦全て返却された。再開するのであればきちんとしたルールを作って、それを国民に周知してからだと満場一致で決まったのだ。
願いはたった一つの例外もなく、全て持ち主に返された。
「あの、私は別に返してもらわなくても…」
「いいや、これは決まったことだ。受け取りなさい」
王の幸せを願った彼女は、随分と居心地悪そうな顔で自分の願いを見下ろしている。
「返してもらったところで私にできることはありません」
「とんでもない!君はもう、十分すぎるくらいやってくれたさ」
国を救った英雄同然であるにも関わらず自信なさげな民に、マグニフィコは柔和な笑みを向けた。
「君の願いがあったからこそ、私はもう一度やり直せるチャンスが手に入った。この願いは確かに君一人で叶えられるものではないが…私と、君を含めた皆で叶えられるものだ。そうだと、私は信じている」
ぽんと軽く彼女の肩を叩くと、彼は王妃を呼び寄せた。
「アマヤ、彼女の新たな職場の紹介を任せてもいいかな?意見箱に届いた民の声にいい加減目を通さないと」
「ええ、でもまずは整理するだけにして。実際に目を通して考えるのは皆でやりましょう」
「ああ…ああ、そうとも。もう独りで頑張りすぎないさ」
自分に言い聞かせるような口ぶりではなく、もう少し気楽な、安心したような声でロサスの王が返答する。
ここはロサス、夢と現実が出会う場所。
そう、ここはロサス。
貴方が願いを叶える、魔法の国。