SS なーんか> ゼロでいいから

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M

違和感に気づいたのはいつだろう?


「それじゃあねスレッタ」

「はい、おやすみなさい、ミオリネさん。また明日」

何度目かの別れの挨拶。

色々大変なことがあったけれど、その度に乗り越えてきたし、前よりもっと良い関係を築けている、と私は思っている。

だって、初めのころはあいさつでさえ気軽にできなかったもの。


ふと振り返ると、ミオリネさんが立ち止まっていた。

どこかを見ているわけでもないのに、じっとしている。


「ミオリネさん?」

「……」

「ミオリネさん!」

「えっ」

「大丈夫、ですか? 元気、ないとか」

「あ、いや。何でもないわ」

いつもよりずっと控えめな声。


「……ちょっと疲れただけよ。じゃ、おやすみ」

「あっ、はい……」

一瞬だけ目線があう。力のない灰色の目が何かを訴えている、気がした。

それからミオリネさんは足早に曲がり角を曲がって、部屋へ帰ってしまった。


私はあの目を知っている。

水星で働く人がなっていた、何もかもに疲れた人の目。

「病気になった」と周りの人は言っていたから、ある日私はお母さんに聞いてみた。

「注射したら、なおるんだよね?」

その時のお母さんの答えを頭の中で思い出す。

「人の心に『治る』なんてことはないの。忘れるとか、折り合うとかはできても、無くすことはできないわ」

治ることのない病気。いや、病気じゃないのかもしれない。

「一度抱いた気持ちとはずっと付き合って行くのよ、ずっとね」

そういうお母さんの目が、ずっと遠くを見ていたのを覚えている。


どうしよう。

迷っているうちに、ミオリネさんはどんどん変わっていった。


前はあんなによく来ていたのに、地球寮に来る回数が減った。

授業で会うことはあっても、すぐにどこかへ行ってしまう。

思い出したかのように電話がかかってくるけど、話す時間は少しずつ短く、感覚は長くなっていった。

最後はメッセージのやり取りだけが続いて、ある日、それも途切れた。


不安になっていろいろと調べたけど、今の環境で、子供の私にできることは少ないことだけが分かった。

寮のみんなにもそれとなく相談してみた。だけど、みんな困ったような顔をするばかりだった。

それもそうだよね、一番近い(はずの)自分が一番困っているのだから。

直接あの部屋に行くのは怖かった。

変わってしまったミオリネさんを見たくないから?

それとも、拒まれたら、本当にどうしようもないから?


「ねぇ、エアリアル。どうしたらいいのかな」

私はエアリアルのコックピットにいた。

いつものように、エアリアルは何も言ってくれない。


「逃げたら1つ、進めば2つ」

ずっと自分を支えてきた言葉を唱えてみる。


「だめだなあ……選べないよ」


進んでミオリネさんを助けたら、逃げてミオリネさんから離れたら、考えても考えても、何が得られるのか思いつかない。

力が抜けて、シートに体を預ける。


この小さな空間の中で、たくさん戦ってきた。

最初の決闘ではミオリネさんも一緒に乗ったっけ。

『よろしくね、花婿さん』

そう言われて最初は戸惑ったけど、今はいい関係になれたと思ってる。

それから、本当に色々なことがあって……

私が大変な時は、強く、厳しく、ときどき優しく励ましてくれたあの子。


「わたし、もらってばっかりだ」


小さな呟きがコックピットに漏れるのを聞いて、ある思いが湧き上がる。

1つとか、2つとか、そういうことじゃないんだ。

ゼロでもいい。

欲しいんじゃなくて、あげたいんだ。


やり方は間違っているかもしれない。

もっと酷いことになるかもしれない。


端末を手に取り、何十回目かの電話をかけた。

当然つながらないから、ガイダンス音の後にメッセージを残す

「もしもしミオリネさんですか、い、今から、スレッタ・マーキュリーがお部屋に行きます! 待っててください!」


さぁ、これからが大変だぞ。

息を吐いて切ろうとしたとき、効果音がして、向こうから声が聞こえてきた。

『……まってる、から』


Fin.

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