【SS】一般ウタファンとウタのその後の話(ある意味生存if)
世界で愛される歌姫の初ライブが彼女の命日となった、激動の一日。
ウタの魅せてくれた夢の世界が忘れられない――どころか、日に日に強く脳裏に焼き付いていく気さえする。それは今なお信じ難い、彼女の死というあまりに鮮烈な衝撃もあるだろう。
さっきゴミ箱から拾ったばかりの新聞を見る。そこにはウタのアルバムの広告があった。初めてで、最後のTDである。
……ファンとして、私はまだ彼女に起きた悲劇を受け止めきれずにいる。かつて彼女の歌と姿を受信していた映像電伝虫も、耐え切れずに野生へ帰してしまった。
もう二度と、新しいウタの配信を観られることはない――その残酷な事実が、あまりに辛すぎた。
もう一度新聞に目を落とす。
ライブ曲を余すことなく収録したアルバムの発売日は、今日から二ヶ月後。きっと近所のTD屋は、開店前から人が殺到するのだろう。
果たして、私はこれを買いに行けるのだろうか。二ヶ月後には彼女の歌声を聴ける気になれているだろうか。
嬉しくて、でもそれ以上に悲しくて、もう一度ゴミ箱に放り込みたい衝動を抱えたまま、私はしばらく葛藤していた。
――海賊に怯え暮らしながら稼ぎの少ない仕事に忙殺されていると、月日は飛ぶように過ぎて行く。何の希望もない毎日。ウタと出会う前の灰色の日々が戻ってきたようだった。
ふと、TD屋の気合いの入ったポップが目に入る。明日が、ウタのアルバムの発売日であった。
予約は完売、当日現品のみと言う張り紙が付け加えられている。
争奪戦になるだろう。下手すれば暴動も起きるかもしれない。しかし、私の懸念を他所に、ひと仕事終えたTD屋の主人の横顔は明るかった。「明日は忙しくなるぞ」と、嬉しそうに呟いて。
……なぜだか、風が吹いた気がした。自然現象のそれではない、見えない何かを晴らすような涼風が。
その日は急いで仕事を仕上げ、いつもより早く床に入った。
それから、目が覚めると同時に床下に隠していたベリー札を握り締め、TD屋に駆け込む。予想通り、すでに待機列が出来るほど人が並んでいたが、何とかギリギリでアルバムを買うことが出来た。
粗末な掘っ建て小屋に帰り、息苦しいほどの動悸を覚える中、TDを耳に当てる。
――“新時代”だ……――
涙が後から後から溢れ、腐りかけの床を濡らしていく。止まない嗚咽を隠すように膝を抱え、壁を背に縮こまる。
様々な感情の洪水が、胸の内から溢れ出すようだった。一曲聴いただけで疲れ果て、私はツギハギだらけのシャツの裾で雑に顔を拭うと、TDを握り締め、そのまま横になった。
「聴いてくれてありがとう!! 最初で最後のアルバムになっちゃったけど……ファンの君、どうだったかな?」
――目の前に、ウタがいた。かつての配信でよく観たエレジアを背景に、ウタが存在していた。
訳が分からず、私は自分の頬をつねった。ウタが困ったように笑った。
「あはは、ワケわかんないよね? でも、大丈夫! 私は、ちゃんとここにいるよ」
ウタが私の手を握り、言った。困惑はまだ続いている。何故? 触れ合う肌の温かさは、本物としか思えない。
「ここは夢のようで夢じゃない、ウタワールド。私が作った“新時代”――の、名残みたいなものかな? 知ってると思うけど、私の体はもう死んじゃってて……でも、最期に歌ったから、心はここに来れたんだ」
ここに? と、聞き返したかったのに、声が出ない。そんな私の意思を汲んだかのように、ウタは頷き、優しく微笑んだ。
「そう! このウタワールドは、私の歌を聴いてくれた、皆の心の中と繋がってるの。だから、苦しい時は、また私の歌を聴いて、会いに来てね! 目覚めれば忘れちゃうけど、きっと、幸せな気持ちにさせてあげるから!!」
――目が醒める。妙な体勢で寝たせいで節々が痛いが、不思議と心は軽かった。
傍らにあった、アルバムの箱を見つめる。涙がぽろりと零れた。苦しいからでも、悲しいからでもない。根拠は分からないが、ウタはまだ生きていると、確信できたからだ。
明日の仕事も早い。
誰かに盗られないよう、TDを大事に仕舞うと、私は久々に晴れやかな気持ちで日常に戻って行った。