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おやつおいしい(14)私はその日、初めて彗星というものを見た。
命を燃やして輝きながら真っ暗な空を駆けるそれは、人間のオスでオシバナと名乗った。
その日時空の裂け目から降ってきたオシバナは、手慣れた様子で次々に私達を奇妙なボールに収めていってしまった。強く抵抗すれば出られなくはないが、優しい手つきと眼差しを見ていると不思議とそんな気持ちもなくなるのだった。
ミジュマル、ヒノアラシ、そして私、モクロー。
この三匹の中から相棒を選べと褐色の肌の人間がオシバナに言う。彼は人目のない場所に私達を連れていくとこう告げた。
自分は15までしか生きられないと言われている。おそらくこのヒスイを救って死ぬ。
それでもいいから手を貸してくれるという者はいないか?
ミジュマルは自殺のような行為に手は貸せないと泣いて拒否した。
ヒノアラシは可哀想に、あるべき場所まで送り届けてあげるべきではと提案した。
私はそんなミジュマルを宥め、ヒノアラシを押し退けて、黙してただ手を貸すことを選んだ。
孤独な道行きに、一匹ぐらい同道する共犯者がいてもいいだろうと思ったのだ。
オシバナは私の考えを正しく理解してくれたのかはわからないが、困ったような顔で微笑みながらありがとうと言って私の羽を撫でた。
「君の名前を決めてもいいかな?モエギと同じくさタイプだから、ワカクサ…トキワ…うーん、しっくりこないな」
名前という概念にはピンと来なかったが、オシバナにとっては重要なものらしい。赤い瞳を瞬かせてしばらく悩んでいた。
「草…草といえばボウルタウン…アヴァンギャルドさん元気かなー。泣きながらキマワリ量産してないといいんだけど」
私はそこで一声鳴いた。ボウル、良い響きではないか。短くて呼びやすく、何より声色に愛情が籠っている。
「ボウルがいいの?」
『くぽ!もふもふう!!』
「はは、そっか。じゃあ、短い間だけどよろしくね、ボウルくん」
こうして私達の短く輝かしい旅路が始まった。
ポケモンは数多くあれど、酔狂な棘道に付き合おうとする者などそうはいない。オシバナはあらゆるポケモンを捕まえていったが、傍に残る者は極僅かだった。
青い鬣を持ち群れから浮いていたポニータ、シェダル。
キングからの差し金で仲間に加わったストライク、セルクル。
結局最後まで共にあったのは、ヒスイの神々を除けばこれだけだった。
オシバナは人間ながら非常に戦い慣れていて、攻撃を避けるタイミングや急所の当て方まで的確に指示を下してくるため三匹でも支障はなかったが…案外寂しがりの男が、逃がしたポケモンたちを見送る背中が妙に小さく感じたのを、よく覚えている。
私達だけは欠けることなく往こうと誓い合い、海を渡り、神の山へ登り、凍土を駆け、荒ぶる神々に挑み。
……そして、もうすぐ旅は終わりを迎える。
神との戦いで既に身体は限界を迎え、ゾロアークの面の下に死相を隠してヒスイの大地を駆け巡る。それはまさに綺羅星の間を落ちてゆく彗星の如く。
狂人の所業と言われるかもしれなかった。自棄になっているだけだと詰られるかもしれなかった。それでも。
私は、私達は、この輝きに最期まで寄り添い続けるのだ。
この旅が終わったら、セルクルはキングの元へと帰るらしい。変わりゆくこの土地を、それでも守っていきたいのだと言った。
シェダルはオシバナが友と呼んだツバキという者の元へ行くと言っていた。オシバナが唯一心残りだと溢していたのが図鑑とやらの完成だ。人里で見届けるものが一匹いてもいいだろう。
神々は何も語らなかったが、ヒスイを救った後はおそらくあるべき場所へと帰るのだろう。あるいはクレセリアは残るかもしれないが。
私は…
私の選択は、最初から決まっていた。
***
シンオウ地方、テンガン山。
この地方のチャンピオンである女性に導かれて、ペパーたちは霊山と呼ばれるその場所に足を踏み入れていた。
「シロナさん、すみません。道案内までしてもらっちゃって…」
「気にしないで。…いえ、むしろ私こそ感謝しているのよ。これでやっとご先祖様の言い付けが果たせるもの」
"パルデアからオシバナという少年を訪ねてくる者がいたら、英雄の元へ案内せよ"
シンオウ地方を放浪していたネモがたまたま彼女の前で溢したライバルの名前が、シロナの家系に口伝されている英雄の名と合致していた。互いに偶然とは思えず、紆余曲折あって親友達を急遽シンオウ地方に呼び集めて今に至る。
「でも、その…英雄の、お墓…っていうの?うち、調べてもオシバナの名前とか、出てこなかったんだけど…」
ボタンがところどころ言葉を詰まらせながら話す。親友の少年を笑顔で送り出すと決めた時から覚悟はしていたつもりだったが、やはり信じたくないという気持ちがあったのだ。
「名前は公式の資料では伝わっていないのよ。ただ英雄の少年と記述があるだけ。ご先祖様たちがあえてそうしたらしいわ。いつか来るであろう、彼が愛したパルデアの友人たちを、確実に導けるように」
そう言ってシロナが立ち止まったのは、彼女の身長の倍はありそうな大きな岩の前だった。
「彼のお墓にも名前は刻まれていないの。その代わり、見て」
恐る恐る岩に近づいたペパーたちは、口々に声を上げながら泣き崩れる。
子どもが描いたような拙い三匹のくさねこポケモンと、トサカがあるトカゲのようなポケモンの絵。
オレンジをあしらった校章のようなマーク。
中の模様は風化して潰れてしまっているが、全部で18個並んだ小さな円。
「彼が大事に身に付けていたものが目印として刻まれているのよ。…見覚えが、あるのね?」
その場の誰からも返事は戻ってこなかったが、シロナも答えを促すことはなく、そっと墓石を撫でた。
『くぽ!』『もふっふう!!』
「わ…っ、何?」
しばらく経った頃、不意に茂みから顔を出した鳥のようなポケモンたちにネモが泣き顔のままボールを握るが、シロナに制止される。
「待って。この子たちは"墓守モクロー"の一族よ。攻撃してはいけない」
「墓守モクロー…?」
「シンオウ地方でもこの辺りにしか生息していないからそう呼ばれているわ。一説には英雄の相棒の子孫だと言われているけれど…」
『はにゃ…!?』『アギャ…』
泣きべそをかきながらも同時に反応したマスカーニャとコライドンに苦笑しつつ、シロナは集まってきたモクローやフクスローたちに視線を送る。
「あくまで一説よ。…ともあれ、シンオウ地方では珍しい種だから最近はこの子たち目当てに山に来る人間も少なくなくてね。逆に保護するべきでは、という声も上がっているのよ。だからバトルや捕獲は避けてほしいの」
その言葉を聞き終わらないうちに、それまで一言も発しなかったペパーが大きなバックパックを地面へと下ろして開けだした。
「ペパー?」
取り出された大きな包みにネモは不思議そうにしているが、ボタンは中身を知っているのか黙って見守っている。
「これは…サンドウィッチ?」
ペパーは墓石の前にランチクロスを敷くと、大ぶりの5種類のサンドウィッチを山と積み上げて遠巻きにこちらをうかがうモクローたちへと呼びかけた。
「これ…本当は供えようと思って作ってきたんだけどさ!お前たちに全部やるよ!今までこいつのこと…ずっと守ってきてくれたんだろ!ありがとな!」
「みんな…スター団や先生たちも一緒になって集めた特別なスパイスが入ってるから、きっと今より元気に、強くなる」
「そっか…そっか!いーっぱい強くなって、密猟者なんか逆にやっつけちゃうね!」
一匹の若いモクローがそろそろと近寄ってきて、サンドウィッチを啄んだ。口にあったのか二口、三口と食べて嬉しそうな声を上げる。
「…信じられない。この子たち、普段は人間の食べ物なんて絶対に食べないのに…」
やがてモクロー、フクスロー、ジュナイパーと次々に群れが集まってきて、サンドウィッチはあっという間になくなっていく。ペパーたちは涙を拭いながら笑顔でその様子を見守っていた。
『…くぽ』
サンドウィッチの山がすっかり消えた頃、年老いたジュナイパーたちがペパーたちの前へと並んだ。同じ種のはずだが見覚えのある緑色もいれば、落ち葉のような茶色い姿の者もいる。不思議な光景だった。
「なんだよ?ああ、礼ならいいぜ。これからもオレたちの親友のこと、よろしく頼…、…ん?」
ジュナイパーたちが差し出してきたのは、小さなタマゴだった。
「た、タマゴ…?モクローの?」
「くれるってこと?でもまずいんじゃ…」
ペパーたちは慌ててシロナを振り返る。「まだ保護条例は施行されてないからセーフではあるわ」と肩を竦められてしまったが、それでも貴重なものであることには変わりがない。
ジュナイパーたちに返そうとペパーはそっとタマゴを両手で拾い上げようとするが、一足遅くそれは目の前で音を立てながらひび割れていき、
『くぽ!!』
飛び出してきたのは翡翠色の羽毛を持つ幼いモクローだった。
「う、生まれちまったんだけどどうする!?ボタン!?」
「そ、そんなのうちに言われても…!ネモ!?」
「すごい!モクローの色違いってこんな色なんだ!!」
「あ、振る相手間違えたわ。…って、ちょっと、ペパー?その子何か食べてるんだけど」
「うわマジだ!食いしん坊ちゃんかこの赤ん坊!!」
拙い足取りでランチクロスの上に散らばったサンドウィッチの欠片を啄んで回っている幼いモクローを慌ててペパーが抱え上げる。モクローはしばらくきょとんとしていたが、ペパーの顔を見上げると『くぽ!くぽ!』と鳴いて嬉しそうに羽をバタバタと動かした。
「…なんだか、嬉しそうだね?サンドウィッチが気に入ったのかな?」
「……あ……」
「ペパー?」
『くぽ?』
その頭にぽたぽたと大粒の水滴が落ち、モクローは不思議そうに首をかしげる。
「ペパー?モエギとコライドンも…なんで泣いてんの…?」
「わかんねえ…けど、勝手に…」
ペパーは幼いモクローを潰さないように、宝物を抱えるように、そっと両手で包み込んで抱き締めた。モクローはきょとんとしながらも、翡翠色の羽をそっと伸ばして涙を拭うようにしてその頬に触れる。そこにマスカーニャとコライドンが駆け寄り、マフィティフが慰めるようにして寄り添った。
「 」
ペパーが囁いた言葉は、誰の耳にも届くことなく風に攫われて消えていった。