Re:Tot Musica(ドレスローザ18)

Re:Tot Musica(ドレスローザ18)

Name?

「──ぐ……、何が……起こってやがる……!!」

 喉に絡まった血の塊を口から吐き出して、ドフラミンゴは忌々し気に呟いた。

 ずるり、と山肌に一度食い込んだ体がずり落ち、落下する。

「く、くそ……ッ!」

 イトイトの実の能力で、喰らった内臓のダメージと、イカれてしまった骨を修復する。

 何が起こったのか?

 当事者であるドフラミンゴすら、よくわかっていなかった。

 女が──“歌姫”が、次の曲に移った途端、また一段、その力が強まったのだ。

 何か、黒い影が蠢いた。

 攻撃される──と思ったその瞬間には、ものすごい力で殴り飛ばされていた。

 あの“麦わら”の一撃と同等か、それ以上の力──。

「……ちくしょうが──っ!!」

 咄嗟に防御に使った腕の震えが止まらない。

 そして何より──

(この威力で、“覇気”を纏ってねェだと……!?)

 ドフラミンゴを吹き飛ばした“何か”は、“歌姫”とは違い、“武装色”を纏ってはいなかった。

 能力由来の力なのだろうか。

 しかし──

(……ウタウタにこんな力があるなんて、聞いてねェぞ……!!)

 ドフラミンゴは歯を食いしばり、内心で文句を垂れる。

 天竜人で教養のあるものであれば、多くが知っていることだ。

 かつて世界を恐怖に落とした、“ウタウタの実の能力”のことを。

 その能力の基本にして最大の力は、『歌を聴いた者の心を、自らの作り出した架空の世界に閉じ込める』という力のはず。

 決して、現実の自分をどうするだとか、そんな使い方は聞いた事がない。

 いや、それまではいい。能力を拡大解釈して、戦術の幅を広げることなんて、この海では誰もがやっていることだ。

 問題は、切り札と思われるその力が、その拡大解釈された能力の先にあるということ。

 “歌姫”の切り札がウタウタの実本来の力でないのであれば、いつでも耳を塞げるようにと準備していたイトイトの耳栓も意味をなさない。

 何とか身を起こしたドフラミンゴの顔に、影が差した。

 歌声が聞こえる。

 勇ましく美しく、優雅な激情の乗った、天上の悪魔の歌声が聞こえる。

 ドフラミンゴが目を上げる。

 そこに、いた。

 巨大な翼で羽ばたき、太陽を背に負う、その女が。

 いや、翼ではない。

 あれは……

(……鍵盤、か?)

 ふつふつと湧く怒りを自覚しながら、ドフラミンゴは冷静にウタのその姿から、今の彼女の能力を推察する。

 まず、その背中から生えた鍵盤は異質だ。

 巨大な手にも、翼にも見えるその鍵盤が、彼女の歌に合わせて、妖しく蠢く。

 そして──、いや、もはや先ほどと同じ個所を見つける方が難しいかもしれない。

 衣装も、雰囲気も、その歌声すら、なに一つとっても同じものはない。

 黒を基調とするジャケットを着ていたはずの彼女が、今身に纏っているのは、青よりも黒に近い深藍色を基調とした、襟付きのロングドレス。演奏者や指揮者を彷彿とさせるようなその落ち着いた色合いに、孔雀青の淡い輝きと白いフリルが良く目につく。

 首には、一度落としたヘッドホンをかけており、そこからはひっきりなしに音楽が流れている。

 そして、ドフラミンゴが一番気に入らなかったのは、彼女の頭だ。

 “歌姫”は、冠を戴いていた。

 通常の黄金の王冠ではない。

 太陽を彷彿とさせるような、輝かしい赤の金属でできた王冠だった。

 いや、それは正確には王冠ではない。帽子だ。

 王冠のような帽子──、まるで“魂王”が被っているような。

 それを知らないドフラミンゴは、ただ『自分を見下ろす王冠を被った存在』に、耐えがたい不快感を抱く。

 天竜人であるおれの上に立つんじゃねェ──!!

 その沸き立つ怒りをばねにして、ドフラミンゴは再度戦闘態勢に入る。

 糸を縒り、敵の懐へと飛ばす。

 敵の能力はわからず、体のダメージも深い状態で、懐に入るわけにはいかない。

「“死生(ダイナマ)──」

 その能力を発動しようとした途端、

 

「──────♪!!」

 

 “歌姫”の歌声が、揺れた。

(────!!?)

 姿が、ない。

 ドフラミンゴは咄嗟に防御を試みて、すぐさまその防御ごと殴り飛ばされた。

 ピンボールのように弾き飛ばされて、ドフラミンゴが地面を転がる。

(────翼か、鍵盤か、じゃねェ!!)

 痺れる右腕を振って転がる体を制動をしながら、ドフラミンゴは歯噛みする。

(両方か!!)

 そう、ウタの背中から生える鍵盤は、“魔王《Tot Musica》”の腕だ。

 それは、彼女の意志によって、敵を屠る矛にも、“歌姫”を護る盾にも、そして彼女の体を自由に運ぶ翼にも成り得る。

 

「────♪」

 

 ウタは唄う。

 今はもう使われなくなった旧い言葉で綴ったその詞《うた》を。

 曲の名前は、『Re:.Tot Musica』。

 エレジアの崩壊を引き起こした魔の楽譜を、希代の音楽家たちが再編した楽曲だ。

 ──再編するために、歌詞から何から書き換えたのだ。

 原曲の『Tot Musica』の歌詞は、あまりにも……そう、あまりにも歪んでいた。

 彼の存在を“救世主”と崇め求めながら、それを“破滅の譜”を呼ぶ、その歪さ。

 歌詞に出て来た古い言葉が、ただ称える意味を持つことを考えるに、その曲の“元”は賛歌だったはずだ。

『……しかし、賛歌にしては、「呪い」だのなんだのと暗い言葉が出てくるのはおかしいですねェ』

 とはブルックの弁。

 そして、彼の“原譜”からブルックが感じたという“寂しさ”。

 ふと、それを聞いたウタは思ったのだ。

『もし──、その心を歪められ、貶められ、そして忘れられていたとしたら、それはどれだけの苦痛だったろうか。たとえそれが、最高の楽譜によるものだったとしても』と。

 “Tot Musica”のルーツが何なのかなんて、もはや誰にもわからない。

 ただそれでも──、そのウタの考えによって、『Tot Musica』の編曲の方向性は決まった。

 原点回帰。

 今の『Tot Musica』になる前の、“Tot Musica”への賛歌──ではない。

 “Tot Musica”という存在が追い求めた“救い”。

 その“夢”を、詞とする。

 かつての彼──あるいは彼女が歌ったであろう言葉で。

 

「────♪」

 

 ウタは唄う。

 その夢は、間違っていなかったと。

 その考えは、誰にも理解されないわけではないと。

 何よりも尊いその願いは、確かに夢物語だったのかもしれないけれど、その心は誰の内にも眠るものであると。

 決して、独りきりではないんだと。

 ──その解釈が、合っていたのかはわからない。きっと、誰にも。

 しかし現に、“Tot Musica”はその歌によって暴走はせず、ウタと共にある。

 

「────♪」

 

 彼女の歌に、“Tot Musica”が応える。 

 目の前にいる男は、“新世界”の──“夢”の道を阻む敵であると。

 翼を広げ、ウタは追撃を図る。

 そんな彼女に対して、ドフラミンゴは左手を突き出す。

「“蜘蛛の巣がき”!!」

 その手から十四方向に放たれた糸が蜘蛛の巣を形作り、盾のように広がる。

 グン──

 ウタの右肩から生えた鍵盤が、握りこぶしを作るように折りたたまれ、そして後ろに引き絞られる。

 一見優雅にも見える恰好をしたウタは、その姿とは裏腹に、実に激しく力強く動く。

 ざりざりと、ウタのブーツが地面と擦れて音を立てる。

(──“魔王の《サルバトーレ》”)

 

「────♪!!!」

 

(“怒り《タスティエーラ》”──!!!)

 放たれたその巨大な拳は、まるでルフィのパンチのように伸びて、鋭く敵に突き刺さる。

「ぐっ──!!」

 ガチン、という固い音が鳴り、しかしその程度でこの拳は止まらない。

 “蜘蛛の巣がき”を叩き割った鍵盤の拳は、そのままドフラミンゴを再び殴り飛ばした。

 うめき声をあげて吹き飛んだドフラミンゴは、今度は地面に落ちる前に、周囲へと糸を引っ掛けて空中で体を留める。

「…………フッフッフ!!!」

 歯を剥き出しにして、ドフラミンゴが笑う。

「“海原白糸《エバーホワイト》”!!」

 ふわりと地面に降り立った彼の足元から、石畳が白い糸へと変化していく。

 歌いながら、ウタは目を見開いた。

 ドフラミンゴの周囲の街並みが、もともと糸で縒られてできていたかのように解け、彼の操る糸となっていく。

 悪魔の実──“超人系《パラミシア》”の覚醒だ。

 ドフラミンゴの、奥の手である。

 ──この女は、決して楽をして倒せる相手ではない。

 彼は今や、ウタをそう評価していた。

 ドフラミンゴにとっての最悪は、このまま“歌姫”を相手取ったまま、“麦わら”が回復して二対一の状況に持ち込まれること。

 そうなれば、各個に対して地力が上回っていようとも、ドフラミンゴは圧倒的に不利だ。

 ボロボロの小僧を倒すために力を温存し、目の前の小娘に倒されましたでは洒落にならない。

 押し寄せる波のように、足元へと迫る糸の束に、ウタはふわりと飛び上がる。

「“《千本の矢》”──」

 地面から何かを持ち上げるように、ドフラミンゴの手が動く。

「──“羽撃糸《フラップスレッド》”!!」

 ウタの周囲を取り囲むように展開された糸の矢──いや、それは矢と呼ぶにはあまりに太く鋭いだろう。その糸の槍が、彼女を貫かんと迫る。

 

「────♪」

 

 しかし、ウタはひるまない。

 折りたたまれた鍵盤の翼が、彼女の身を掻き抱くように包み込んだ。

 “武装色”で固められたその糸の槍は、しかし鍵盤の盾を貫くことは叶わず、ただいたずらに音を鳴らすだけである。

 押された鍵盤が、音楽を一層盛り上げるように、ほろんほろんと音を奏でる。

 それを受けて、ウタはより高らかに、唄う。

 

「────♪」

 

 音楽はクライマックスに達し、それと同時に、ウタを中心として“うたの広場”と同様の能力が展開される。

 一瞬だけ出現した、無数の白い槍が、ウタを襲い来る槍の全てを叩き落とし、あるいは斬り落とした。

 そして、糸の槍が襲い来なくなったことに確信をもって、ゆっくりとウタの翼が開く。

「フッフッフッフッフ!!!」

 ウタの目の前に、なおも笑みを絶やさない男がいた。

 その笑みは勝利を確信してか、あるいは自らを鼓舞するものか、あるいはただの怒りか……。

 この瞬間を待っていたと言わんばかりに、懐に入り込んだドフラミンゴが、その毒牙を剥く。

 バギィィン……!!!

 黒い稲妻が走り、天を覆っていた雲が割れる。

 びりびりと揺れる空気は、恐らく錯覚ではないはずだ。

 ドフラミンゴの顔から、笑みが消える。

(何故、こいつも……!!?)

 今起こったのは、“覇王色”の覇気の衝突。

 “歌姫”によるものか、それとも“魔王”によるものか──。

 この戦闘最大の、ドフラミンゴの誤算。

 ──鍵盤の拳には、覇気を纏っていなかった。故に、先の能力を使っていた時のように、覇気を自由に使えるわけではない。それが、この能力の代償だろう。

 それが、彼の見立てだった。

 しかし、その見立てが間違っていたのだ。ウタの“Re:.Tot Musica”は“夢現重奏《ラルトリオ・デュオ》”を使用しながらでないと発動できない。つまり、この楽曲の歌唱中は常時、ウタは彼女のイメージ通りに、自らの体を操れるのだ。

 “Re:.Tot Musica”は、いわば外付けの武器。彼女はまだ、自分自身ではない武器に“覇気”を纏えない。

 ただそれだけの単純な理由を、ドフラミンゴは見落としていたのだ。

 ──まさか自分と同格に戦える者が、まだ発展途上もそこそこだなんて、思いもしなかったから。

 覇気を纏った“指揮杖《ブラノカーナ》”を振るうウタに、ドフラミンゴは咄嗟に“盾白糸《オフホワイト》”を展開して身を護る。

 確かに、ウタの“指揮杖”の一撃は防げた。

 しかし、次の瞬間には、“Re:.Tot Musica”の手によって、その糸の壁はいとも容易く引きちぎられる。

 ドフラミンゴは、咄嗟に後ろに跳び退っていた。

 そうなることを、予見していたから。

「人間風情が──!」

 ドフラミンゴの呟きに、無数の糸がドフラミンゴの後ろに縒り集まり、まるで回転式拳銃のようにギリギリと発射される瞬間を待つ。

 苛立ちが最高潮に達したのか、ドフラミンゴが叫ぶ。

「ハァ、ハァ……!! てめェら如きが、これから来る強者の“新時代”に何ができる!!! ……お前ら下等生物と、おれは違う!!!」

 ウタは、それに応えず、ただ、ただ歌う。

 

「────♪!!!」

 

「“神真糸《ゴッドマイト》”!!!」

 ドフラミンゴの声に、引き金を引かれたように勢いよく、そして鋭く風を切って、糸の弾丸がウタへと迫る。

 しかし、ウタはそれにひるむことはない。

 あまつさえ、その弾丸へと突貫する。

 ビュッ、とウタの地面が破裂して、一発目の弾丸を避ける。

 二発、三発とそのままやり過ごして、残った三発の弾丸を、右の翼が弾き飛ばす。

 

「────♪!!!」

 

 最後の歌詞《フレーズ》を歌ったウタが、左の翼を引き絞る。

 攻撃の失敗を悟ったドフラミンゴが、“蜘蛛の巣がき”で防御を展開しようとして──。

 しかし、ウタはそれを許さない。

(歯ァ、食いしばんなさい──!!!)

 ウタの“Re:.Tot Musica《左フック》”がうなる。

 (──“魔曲の嘆き《メッザノッテ・ジラソーレ》”!!!)

 ごう、と空気を圧縮する程の勢いで放たれたその鍵盤の拳は、やや下方からドフラミンゴの体に当たり、そして彼の体を上空へと吹き飛ばした。

 『Re:.Tot Musica』のアウトロを聞きながら、肩で息をしてウタが言う。

「『これから来る“新時代”』だって?」

 曲を支えるように最後まで鳴っていたスネアドラムの音が消え、音楽が終わる。

 同時に、ウタに掛かっていた魔法が解けた。

 羽も衣装もなくなって、ボロボロのジャケット姿に戻ったウタは、膝から地面に崩れ落ちながら、呟く。

「ばァか。“新時代”は、わたしたちが迎えにいくんだよ」

 そう、“わたしたち”が。だって──。

「さん──!!」

 今にも倒れ伏しそうな体を、“指揮杖”で支えて、ウタは空を見遣る。

 歌っていた時には聞こえなかったその声を聞きながら。

「にィ──!!!」

 スピーカーから聞こえるその声は、しかし街中のいたるところからも聞こえて来た。

 そのカウントダウンは、恐らく。

「いィーちッッ!!!」

 逆光と今の歌唱、そして移動時間も含めて、正味七分。

 ルフィは、“約束を守る男”だ。

 ガラガラと建物の崩れる激しい音が鳴り響き、覇気を体に纏わせた巨体が、空へと飛び出した。

“ギア・四・弾む男《バウンドマン》”。

 ルフィはウタに宣言した通り、一発KOを決めるため、空に飛ばされたドフラミンゴに肉薄する。

 それに気が付いたドフラミンゴが、能力を展開して、迎撃しようとするが──。

 ──もう、遅い。

 ウタと戦ったドフラミンゴに、それだけの力は残っていなかった。

「“ゴムゴムの”ォ──!!!」

 ルフィが、腕に息を吹き込むと、その右腕が大きく膨らんだ。

 ギリギリと引き絞る腕を構えて、ルフィがドフラミンゴの上を取る。

「──“大猿王《キングコング》”」

「“神《ゴッド》──」

「──“銃《ガン》”!!!」

 バリン──

 真正面からその攻撃を喰らったドフラミンゴの、サングラスが割れた。

 ドン、と吹き飛ばされたドフラミンゴが、真下にあった建物を破壊して落下する。

 地響き。

 おそらく、地面に叩きつけられたのだろう。

『──空を見よ、ドレスローザ!!!』

 おそらくこの声の主は、先ほどルフィを担いでいた剣闘士風の男の声だろう。

 その声を聞きながら、ウタは眩しそうに目を細めて、太陽を背にした幼馴染を見つめた。

「ほらね」

 小さく呟く。

 落下するルフィの向こうで、空に掛かっていた“鳥カゴ”が、ほどけていく。

 ただ広がる蒼穹は、どこまでも飛んでいけそうなほどに透き通っていた。

 ──だって、“自由”を鳥籠なんかで留めておくことなんてできないんだから。

『────ドレスローザ国防戦!! “ドンキホーテファミリー”対《VS.》“運命の戦士たち”……、その大将戦──』

 勝者、とスピーカーが音を立てる。

 ふわりと、ウタの唇が上に持ち上がる。

 ギャッツが、高らかに勝者の名を叫ぶ。涙と鼻水に濡れた、歓喜の声で。

『勝者──ルゥゥゥーシィィィー!!!!』

 ──このケンカは、わたしたちの勝利だ。

 ウタは遠くの空を落下する船長に拳を突き上げて、無言で勝鬨を上げる。

 ……これで、これ以上、あんな悪意によって引き裂かれる家族はいないはずだ。

落下していくルフィが、ニカッと歯を見せて笑い、拳を突き出したように見えた。

 ウタの体が、地面へと傾ぐ。

 彼女は静かに、微睡の海へと沈んでいった……。

 



Report Page