Rain or Shine

Rain or Shine


※ifDR本編風SSの続きです。





 生き物がその様相を変えた時、どこまでいけば生き物と呼べなくなるのだろうか。

 思うに人がそう定義する限り、生き物はどこまでいっても生き物だ。

 欠損しても、身体の大半を機械に変えたとしても、一度死んでいても、それまでと違う生き物に変わっていても、何かの材料へと姿を変えても、本質は変わらない。


 能力の要は、時に解釈の拡大である。十年以上も鍛えてきた。記憶はないが記録を見れば、自身が実験を繰り返し幾度も成功していることは分かる。


 生き物であればオモチャにできる。

 その状態を問わずとも。


 重苦しく沈む心から目を背け、シュガーは徐に手を伸ばした。





 時は少し遡り、花の都ドレスローザ。

 四皇の手は去れど混乱は続く。残留する海賊と賞金稼ぎ、そしてトラファルガーらにより国民は翻弄されていた。

 幸か不幸かオモチャ化していたことにより消耗を逃れた自衛軍が善戦し、各地で防衛戦が繰り広げられている。


 元王城跡に佇み戦局を見極めていたヴィオラが瞠目し、空を見上げた。

 只ならぬ様子にリク王は視線を傾ける。


「どうした」

「ローが……いえ、トラファルガーが」


『リク王様! 至急、ロー先生の安否をお確かめください!』

『こちらアカシア、船乗りだ! トラ坊に何かあったのか?』

『申し訳ありません。セビオ教会の者です。若様はご無事ですか?』


 ヴィオラが事を告げるより早く、伝令用の電伝虫が話し始めた。

 声の多くはトラファルガー・ローの安否を確かめるものであり、一様に焦燥に満ちている。


 現状、混乱を避けるためにトラファルガー・ローの関与については伏せられていた。それにも関わらず唐突に溢れる彼の名に違和感を覚え、リク王は一つの電伝虫に応答する。


「私だ」

『ああ、申し訳ありません、リク王様。ロー先生はご無事でしょうか。先程まで瓦礫を浮かし民を助けてくださっていたのですが、突然能力が途切れたので……先生に何かあったものかと』


 トラファルガーによって切り刻まれ、やっとのことで繋ぎ合わせた身体を見下ろし、リク王は眉間に皺を寄せた。


 突如豹変したトラファルガー・ロー。

 簒奪の意を示した彼は一部の配下と共に王宮を制圧するという暴挙に出た。リク王を含めドレスローザ勢力は、文字通り放り出された形だ。

 現在、キュロスと麦わらの一味、そして協力を申し出た海賊らが王宮攻略、タンクら自衛軍とトンタッタ族が町の防衛と人民救助にあたっている。


 見上げた空。特に何が変わったわけでもないように見える。しかし、ヴィオラの顔には不安の色が浮かんでいた。


「トラファルガーの能力域が消えたの。彼の身に何かあったのかもしれない」


 能力での移動を続けていた黒衣の男。彼の動向を追うのは難しい。

 現在、トラファルガーを追うべくルフィが単身王宮へ侵入し、途中現れたドンキホーテ・ドフラミンゴと合流。二人は謁見室を目指して疾走している。

 直前まで無人であった謁見室。そこへ視線を飛ばしたヴィオラが青褪め、口許を掌で覆った。


「ロー……!」


 王族としての責務と十年の情が彼女の中でせめぎ合い、抑えきれず溢れた感情が名を呼ぶ声に現れる。

 リク王はヴィオラを支えるように立ち上がり、王宮を見つめた。


「何かあったのか?」

「ローがトレーボルに拘束されているの。気を失ってひどく魘されている」


 状況が読めない。

 そもそもが何かおかしいのだ。

 王宮の移動がピーカの能力によるものであることは一目瞭然。事を起こしたのがトラファルガーらだと国民に伏せることは困難、当初はそう思われていた。

 しかし、その後も続々と入る伝令により、トラファルガーが簒奪開始後も防衛と救助に寄与し続けていることが判明。国民からすれば、トラファルガーらが王宮を囮に暴動の中心を廃墟群へ移動させ続けているようにすら見える状況だ。

 何を考えているのか分からない彼自身の不気味さと行動の苛烈さ。言動の不一致。また組織も一枚岩ではなく、トラファルガーは捉えられている。

 意図を読むのはヴィオラをしても困難であった。


 ヴィオラによれば、トラファルガーは確かに自らの意志で簒奪を始めた。また、それは十年前から予定されていた行動だ。しかし、実のところ、何のために簒奪を始めたのかは読み取れないと言う。


 ヴィオラの報告を耳にしながら、王は己が胸の内を振り返った。


 トラファルガー・ロー。

 ドレスローザの良き隣人。憂い多き友。


『この身は蛮行しか為せぬ卑賤の身』

『どこまでいっても、海賊は海賊なのですから』


 地位を固辞し、自身を遠ざけるようにと幾度も述べては薄く翳っていた金の瞳を思い出す。


「君の忠告を聞くべきだったと言うのか」


 この十年、悩める時は隣で耳を傾けてくれた若き友。

 今、呟きは誰にも受け止められず、ただ胸を締め付けるばかりだった。





 王宮の一角。二人の影が駆け抜ける。

 トラファルガー・ローを縛る枷。ドンキホーテ・ドフラミンゴはその鍵を探して走っていた。

 前方には外部へ繋がる大扉。

 併走するルフィが扉を蹴り開け尋ねる。


「おれ、もう王のおっさんのとこ行くけど、結局どいつが鍵持ってんだ?」

「重要な鍵をその辺の雑魚に預けるとも考えにくい。幹部が妥当だろうな」

「そりゃそうだ。で、そいつは誰だ?」

「そうだな。根本的にあいつを裏切る幹部ってのがトレーボル以外に想像できねェ」

「おれの船に来てた奴は?」

「ジョーラは除外だ。敗者に預けたままってのは考えにくい」

「そっか。負けたってんならオモチャの奴もだな。ベタベタの部下だって聞いたぞ」

「オモチャ? ああ、そんな奴もいたか。そいつも敗退してるとなると益々予想がつかねェ」

「んー……わかんねェなら最初からそう言えよ」

「────うるせェクソガキ! あいつがどいつもこいつも心酔させてんのが問題なんであっておれは何も悪くねェんだよ!」


 予想外の連続に理性が薄れかけ、思わず怒鳴ってしまう。


 正直なところ、ドフラミンゴはヴェルゴを退けたことすら後悔し始めていた。

 彼を生かしておけばトラファルガーも捕らわれず、万が一があっても救助の手が入ったのではないか。そもそもパンクハザードで妙な勘違いを起こさずすみ、この事態に陥っていなかった気もしてきた。

 勿論、対峙した以上、一方が一方を下す他に道はない。

 つまり、まずもって無計画にパンクハザードに侵入したことから間違いで、さらに言えばその無計画な行動を誘発したのは麦わらへの興味であり、遡れば二年前のシャボンディと頂上戦争あたりからしてコースアウトの兆しが────


「フフ、フッフッフ! ああああ! もう笑うしかねェ‼︎」


 耳を塞いだ麦わらが胡乱げな半眼で文句を言った。


「うるせェとか言うけどよ。お前の方が声でけェよな」


 正論を黙殺し、旧王城跡を指で示す。

 そこにいるのはドレスローザ王族に小人、そしてウソップとニコ・ロビンに侍。

 同盟関係者である後者はともかく、ドフラミンゴはこの国になど微塵も興味がない。ドレスローザの王が死のうが国民が死のうが、果てに国が滅びようが知ったことではない。この世界では弱さも悪となりうる。子どもでも知っている道理だ。

 己が注力すべきはトラファルガーに関すること。ドレスローザの防衛は一先ず麦わらに任せるのが無難である。

 大体、トラファルガーにしても麦わらにしても、海賊が国を守るということ自体間違っている。

 そう、己は間違っていない。


「麦わらは王族、おれは鍵。ここからは分担でいいな?」

「わかった。でもよ、王のおっさん助けておれが鍵見つけたら先に戻るからな!」

「そこは連絡しろ。競争じゃねェんだ」


 額に青筋を浮かべるドフラミンゴに手を振り、ルフィが腕を伸ばした。支柱代わりに掴まれた大鐘楼の時計の針が撓み、衝撃に鐘が鳴る。

 鐘の音を背に遠ざかる同盟相手。

 耳を塞いでやり過ごしたドフラミンゴは、苛立ったまま無意識に胸元へ手を伸ばし、首を傾げた。


 立ち止まる。


「あァ……?」


 そういえば。

 何故、こんな安物の煙草を吸い始めたのだろうか。


 思い出せないままに指は煙草を弄ぶ。





 場所は戻り、再び旧王城跡。

 思案に耽るリク王の耳に、ヴィオラの焦ったような声が届いた。


「麦わらがデリンジャーとレベッカを抱えて、え、あの勢いは何?」

「何だ、どうした」

「何? 何故こちらに飛んでくるの⁉︎ お父様危ない、避けて!」


 見れば豪速で宙を飛んでくる影が三つ。

 避けてと言われても咄嗟に反応できるものではない。何とか身を屈めたリク王の頭上を弾丸となった三名が通過していく。


「きゃあああ! ルーシーお祖父様過ぎてる! あっ、わ、落ちる落ちる落ちる!」

「麦わらこの馬鹿、船長なら考えて動きなよ! 若様ならもっと!」

「あ、悪ィ」


 レベッカの魂切れるような叫びとデリンジャーの罵倒、そしてやたらに軽い謝罪。遠ざかっていく子どもらを振り仰ぎ、王族二名は呆然としていた。


「あら、危ないわ。“蜘蛛の華”」


 動じた様子もなくおっとりと呟き、待機していたロビンが能力で麦わら達を受け止める。網となった数多の腕に抱かれ宙吊りになったルフィが片手を上げた。


「ロビン、ありがとな。助かった」

「どういたしまして」


 微笑んだロビンに笑みを返し、ルフィが地面へと飛び降りた。レベッカを抱えたデリンジャーが後を追って舞い降りる。

 三人はリク王らの側に駆け寄り、それぞれに声を上げた。


「王のおっさん、くっついたのか。良かったな!」

「ふん、若様のオペが失敗するわけないでしょ。少しの間ズレやすいけど」

「怖いこと言わないでよ。お祖父様、ヴィオラお姉様も大丈夫?」

「怪我はねェな、よし」

「怪我はなくともさ。王様、あんた、病気だったんだから安静にしてなよね」

「ねえ、それ言っていいの? ロー先生が内緒にしてたことじゃない?」

「あっ……今回は若様もほんのちょっとは悪いから、うん」


 一人は海賊の若き船長、一人は七武海配下の若き海賊、そしてもう一人は王族の血を引き市井に生きる少女。

 三者三様に背景があり、目的もそれぞれ。そんな彼らは噛み合わないながらも、垣根を越え協力し合っている。

 その在り方はどこかドレスローザらしさを感じさせた。

 リク王とヴィオラは顔を見合わせる。


「もう、僕は王様なんてどうでもいいの! ちょっとそれ貸して!」


 鋭い歯を見せて周囲を威嚇していたデリンジャーが、全土伝達用の電伝虫に気付いて飛びついた。


「ちょ、何をするの⁉︎」

「何って連絡だよ」


 ヴィオラが止めようとするも時すでに遅し。本来リク王が話すはずの回線。それは簒奪者たるトラファルガー・ロー配下の少年の手に落ちる。

 少年は覚悟を決めたように息を吸い、静かに話し始めた。


『聞いて、ドレスローザのボンクラ共』


 少年の声は風に乗り、ドレスローザ全土へと響き渡る。


『海賊と賞金稼ぎが暴れてるけどあんたらでもそれくらいは何とかなるよ。これまで散々鍛えてあげたんだし、大物はもう他の奴が片付けたんだしさ。十年前ならともかく、一度くらいは自分達で何とかしてみせるべきじゃない? はい、レベッカ』

『え、そんな急に……皆、不安だよね。十年前のことも今日のことも、私も怖いよ。誰が悪い人かも、これからどうなるかも分からない。それでも、私は信じたいの。私たちの恩人、ドレスローザの友達のことを信じて、自分にできることをしたい』

『大体さ! あんたらいつも若様に頼ってばかりで恥ずかしくないわけ⁉︎  防衛も復興も発展も若様と一緒、朝は兵舎で鍛錬して昼は孤児院で夜は王宮って若様のこと占領し過ぎじゃない⁉︎  僕らの若様であってあんたらの若様じゃないんだけど‼︎』

『デリンジャー私情もれてるってば。今、ロー先生は大変なことになってて、でも、ルーシーが何とかしてくれるって言ってくれた。だから、私たちは私たちのこと、皆で助け合って守り合おう。戦いが苦手でもドレスローザは大丈夫だよって、ロー先生に教えてあげなくちゃ!』

『教えてあげる⁉︎  レベッカのくせに若様に向かって不敬だよ!』

『デリンジャーだってお祖父様に向かって不敬なんだからおあいこだと思うな!』


 実に決まらない、何ともごたついた伝達である。何の情報も伝えることなくただ喧嘩混じりに激励を飛ばすだけの、もはや宣誓とでも言うべき子ども達の声。

 それでもその声は混乱の最中、ドレスローザ国民の胸へと届く。未成熟で弱さも強さも相まってただ熱い、直向きな愛の言葉が彼らの上に降り注いだ。


 英雄の不在。または裏切り。

 心に影を落とし目蓋を塞ぐ暗雲を、少年少女の声が蹴り飛ばす。


 雲が消えれば、あとは晴れるばかりだ。


 怪我人を支えながら走り出す者、箒を振り回して退路を確保する者、戦局を見極め逃走経路を割り出す者、黒く染まった拳で瓦礫を打ち砕く者、聞こえぬはずの叫びを読み取り瓦礫の内の友を励ます者。

 互いを信じて助け合い、愛に生きること。ドレスローザの民にとってそれは自然な在り方であった。


 電伝虫を放り出して言い合いを始めた二人を見つめ、ルフィが楽しげに笑う。

 この国に何ら関わりのない青年。トラファルガー・ローを何とかするなどと無謀にも宣言したらしい新鋭の海賊。

 彼を見て思い出すのは、その太陽のような笑顔とは全く似ても似つかない、春霞の微笑みだ。


『彼らには光の中を、自由に生きてほしいのです』

『この十年、本当に幸せでした』


 あの笑みはきっと本物だった。

 真実かどうかは知らない。

 ただそう、信じたいのだ。


「お父様、ごめんなさい。私、もう少しだけローを待ちたい」


 言い合いながら走り出す少年少女を見つめ、ヴィオラが涙の滲んだ目元を拭う。

 リク王は小さく頷いてから、ルフィに問いかけた。


「君は何故戻ってきたんだね?」


 ぼろぼろの様相で泣き言を垂れるウソップの傍ら、しゃがみこむ青年。彼は何かを思い出したように柏手を打った。


「そうだった。ミンゴが王のおっさん達が狙われるっていうから戻ってきたんだ」

「成程、すまない。だが」

「おう。心配いらねェみたいだな」


 背伸びをして、彼は立ち上がる。

 何度か屈伸を繰り返し、身体を整えているのだろう。小柄な体躯はバネのような強さを秘め大きく見えた。

 ヴィオラが彼の横に並び、その視線を追う。見上げるは王城。トラファルガー・ローのいる場所だ。


「これからどうするの?」

「まずは鍵だな。トラ男があのままじゃ話も出来ねェ」

「鍵?」


 何かを思い出したようにリク王は呟く。同時にヴィオラも首を傾げ、自らの胸元へ手を差し込んだ。

 取り出されたのは金の鎖に繋がれた細い鍵。数日前、トラファルガーから預かっておいてほしいと頼まれたものだった。


「これは……枷の鍵ではないわね」

「だが、ローのことだ。何か意味があるのでは?」


 ヴィオラはほんの一瞬迷いを見せつつ、ルフィへと鍵を渡す。


「いいのか」

「あなたに託すのが正しい気がするの」

「よし、分かった。預かる。鍵も、トラ男のことも」


 不敵に笑んだ青年は言うが早いか足を撓めて飛び出して行った。


 青年の背を見送り、王は電伝虫を取る。

 さすがに少年少女が示す愛と希望だけでは国を守りぬくことは難しい。

 それらに指向性を与え力となすのが指導者、つまりリク王の仕事なのであった。




 同時刻帯、王宮前広場。

 暗紅のスーツを身に纏った偉丈夫が所在なさげに佇んでいる。


 煙草を取り出しはしたものの吸う気が起きず、ドフラミンゴは眉間を揉んだ。


 違和感がある。

 煙草だけではなく、シャツの下、首から下げた装飾品もやたらに子どもじみてどう考えても自分の趣味ではない。だが、妙に愛着が湧く上、触れると落ち着くのだ。


 そもそもだ。


 無辜の人間が謂れなき被害を受けている時、『ドンキホーテ・ドフラミンゴ』は彼らを助けるべきではなかったか。

 そうだ。

 海賊でも怪盗でも結局は悪人だが、そうある中でも可能な限り善であるべきだ。

 それが、なんだ。


 この国の現況に微塵も興味がない?


 それはその通り。内心は誤魔化せない。関心が薄いのは間違いないが、だからといって行動まで悪であってはならない。

 悪行に恭順し嘆きを見逃すのはバケモノの所業。ドフラミンゴはそうであってはならない。

 己は善でなければ。善としてトラファルガーに会わなければ。


「なんで、そんなことを」


 一人呟く。


 十三年前、トラファルガーの下を離れた。あんなに憧れていたのに、なぜ。しかも、十三年も経った今、戻ってきた。

 何故だ。


 今、あの男に対して、己は何を伝えようとしている?


 足下が覚束ない。

 確かに計画は大破綻している。思い通りになどこれっぽっちも進んでいない。それは間違いないが、この不安はなんだ。

 実力差? 跳ね除けられる予感?

 受け入れてもらえないことか?


 視界が翳り、思考が中断される。

 見上げれば城壁にへばりつく大男の影。


 トレーボル。裏切り者。

 薄汚い真の簒奪者。


「よォ、ドフィ」

「……トレーボル」


 警戒を強めるドフラミンゴの前に降り立ち、トレーボルは笑った。


「べへへ、さっきは悪かったな。七武海様が二人もいちゃ勝ち目がねェもんで、つい。背中は大丈夫かァ?」

「てめェ、どの面下げてここに来た」

「それはお互い様だろォ?」

「御託はいい。鍵はどこだ」

「言うと思うー? んんー?」


 ぐらぐらと頭を揺らし嘲笑う男に苛立ちが募る。虎の威を借る狐が虎を捕らえてのさばるなどと笑わせるではないか。


「あいつを捕らえて何がしてェんだ。お前如きが御せるタマじゃねェだろうが」


 吐き捨てれば笑声が途絶えた。

 粘液の滴る音だけが嫌に響き、ドフラミンゴは顔を顰める。


「鍵はおれの部下が持ってる。でもォ? いいのか? あいつを解放して本当に後悔しねェのねー?」

「拘束なんざ趣味じゃねェ。昔話をするにもこれじゃおれが臆病者みたいだろうが」

「話ィ? べっへへへ! どいつもこいつも、笑いすぎて鼻でるわ!」


 トレーボルが足を踏み鳴らす度、鎖が擦れる重い音が鳴った。ちぎれた枷の残骸。己が主にすら枷をかける捻れた欲の権化。

 話にならない。


「鍵の在処を言わねェんならそれでもいい。お前が笑おうが泣こうがおれには知ったこっちゃねェんだ」


 こんなものに拘っている暇はない。

 そう思い、ドフラミンゴが踵を返すより早く、トレーボルが呟いた。


「話、話ねー。お前、何を話しに来た」

「……うるせェな。おれにも分かりゃしねェんだよ、そんなことは」


 苛々する。

 何か決定的な核が抜けているような気味の悪さが腹の中で暴れてしかたない。トレーボルという一筋縄ではいかない男を前にしてすら違和感が先立って集中できないほどに、その穴は大きかった。

 トレーボルが勿体ぶるように続ける。


「戦いでもお喋りでも交渉でもなんでもいいが、ドフィ、お前の願いはかなわねェ。あいつを解放したら永遠にな」

「あァ?」

「あいつ、死ぬぞ」


 あまりに当たり前のことを言うものだから思考が停止した。

 トラファルガー・ローとて死ぬ。他に類を見ない強者だが死は平等だ。

 それはその通りだが。


「トラファルガーが死ぬ?」


 口に出して反芻した瞬間、焦燥感が生まれた。


「どういうことだ。病気、いや、誰かに狙われて……おい、トレーボル!」

「必死だな。お前にゃ関係ねェだろォ?」

「お前らこそ何のんびりしてる、止めろ! お前らの主だろうが!」

「だから、今やってる」


 掴みかかろうとしたドフラミンゴを避け、トレーボルは短く答える。杖が石畳を打ち、高い音を上げた。


「縛り付けて動きを止める。あのバカ、世界と心中する気だ」

「は……?」


 驚愕に脳が痺れる感覚。

 思考が回らない。


 トラファルガー・ローの目的は世界の破壊。驕ることなく着実に世界の勢力図を書き換え続ける冷徹さと比べて、掲げる目的の馬鹿さ加減はどうしたことかと常々考えていた。

 他に得たいものがあるのではと調べてもみたが何一つ出てこない。故郷の件での復讐と考えても違和感が募る。

 まさか、本当に破壊だけが主目的で。その後の世界などどうでも良く、ただ壊すだけがあの男の願いだとでも言うのか。

 あの強大な男が己が命を擲ってまで希うほどに、この世界は。


 ああ、だが。確かにこの世界は。


 早鐘を打つ心臓を押さえ込むように胸に手を当てた。煙草の潰れる感触。止まらない焦燥感と不安。怒りと憎悪。

 理解は出来ない。ドフラミンゴであれば、世の全てをかき集めてもなお己の価値に満たないこの世界を終わらせるために、己が命を擲つなどあり得ないからだ。

 手ずから壊してその結末を見届けないことには溜飲も下がらないだろう。

 己を拒んだこんな世界など。


 トレーボルが言う。


「なァ、ドフィ。お前はローに憧れてたよなあ。一緒に世界を壊すんだって喜んでたっけか。あいつを死なせたくないとは思わねェか?」

「────何が言いたい」

「おれと手を組め。お前主導であいつの計画を書き換えるんだ。あいつがいなけりゃ完遂できねェ形で、最悪の破壊を呼び込めるように」

「なんで、おれが」

「んねー、得意だろ? 悪事においちゃ、お前の方が遥かに優秀だ。あいつだって上等な計画が見つかりゃ方針も変えるし、お前のことを認める」


 返答に詰まった。詰まってしまった。

 その時点で答えは決まっているようなものだ。


「生きたその目にまざまざと。世界の破滅を見せてやりてェじゃねェか、なァ?」


 応えないドフラミンゴの傍ら、さも思わしげに宣うトレーボル。

 白々しい。どうせ、この男は自身のことしか考えていないのだ。

 そう思えど提案には一考の余地がある。


「例えばだ。ドフィ、お前ならこの国をどうする。聞かせてくれよぉ」

「おれなら……」


 一瞬で策が浮かぶ。

 悪党の身で専守防衛というのがいただけない。そもそも、部下にしても己の立場にしても利用価値の三割も活かせていないではないか。

 まずもって人の操り方がなっていない。

 大体が、だ。

 国も宝も守るものでなく盗るものだ。国盗りにしても十年もかけず一夜で。一度血を味わせれば愚民は挫ける。

 より大きな混乱を波及させたくば商売の形がいいだろう。財はどこにでも転がっている。価値などいくらでも作り出せる。人の欲には果てがないのだから。


 用意しよう。

 娯楽に賭博、溺れるような堕落を。


「おれなら」


 口を開きかけ、トレーボルを見た瞬間だった。


「────!」


 突如猛烈な怒りに襲われ、衝動のまま糸の刃を放つ。大男が飛び退き、行き場を失った殺意が石畳を抉った。

 憎悪という言葉ですらなお温い。砕けそうなほどに奥歯を食いしばり、ドフラミンゴは壁を這いずり上る怨敵へ次の手を差し向ける。

 しかし、トレーボルとて七武海直下の大幹部。怒りに茹った攻撃など通らず瞬く間に姿が遠ざかった。

 粘液の飛沫が頬に飛び、嫌悪感がドフラミンゴの胸を焼く。


「べへ、べへへへ! なるほど、あいつもやるときはやる! おれもすっかり忘れてたんねー! 生憎、肝心のローは寝てるが、なア!」


 連続して繰り出される攻撃に身を捩り、トレーボルが哄笑。杖を振るえば火花が散り、着火された粘液が連鎖爆発を起こす。


 逃げられる。


 そう直感し追撃を放とうとした時、胸元でコインが跳ねた。


 幸せのコインと宝箱の記憶。互いを思い合いながらすれ違った兄妹。守られたこと。守りたかったこと。


 煙草の香り。

 浮かぶのはいつも笑顔で。


 爆炎の向こう、トレーボルが屋上へと逃れるのが見えた。


「どういうことだ」


 片手で顔を覆い呟く。


 一時的ではあった。だが、確実に忘れていたのだ。

 かけがえのない思い出を。


 今もまだ手に取れるほどに鮮やかな記憶を一瞬前の己は忘れていた。

 否、奪われていた。

 トラファルガーには山と信奉者がいる。トレーボルの様子から推察するに一帯の人間から特定の記憶を奪う、そんな能力者がいてもおかしくはない。

 そう考えども、疑問は尽きなかった。


 何故、ここに来て彼女なのか。

 トラファルガー・ラミの記憶を消す意味がどこにあると言うのだ。

 気になるのはトレーボルの言葉。


『肝心のローは寝てる』


 目的はトラファルガー・ローの内から彼の妹の記憶を消す事だとすれば。


「コラさん」


 確かめるように名を呼ぶ。


 思い出にしか現れない幻。それを奪われた時、あの男はどうなるのだろうか。


 胸糞悪さと怒りを抑えていると、ざらついたノイズと共に少年少女の声が流れ出した。

 デリンジャーだ。己がファミリーを出た頃にはまだ物心もついていない子どもだった。

 彼の叫ぶ、趣旨も何もない愚かな伝達。

 強く、迷いのない選択。


「随分と熱い男になったもんだ」


 それと引き換え、己は。

 髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回し、ドフラミンゴは深く息を吐いた。

 落ち着かなければならない。

 目を閉じる。息を吸い、止め、吐き、それを繰り返した。単純な工程にのみ集中し一気に思考を取り戻す。


 聞こえるのは変わらぬ喧騒。覇気で把握する限り、戦況は膠着していた。

 島の中心部ではトラファルガー配下と麦わら陣営が交戦し、港周辺では“藤虎”と何者かが激突しているが、どうもお互い探り合っているようだ。

 巻き込まれる形でトレーボルの呼び込んだ海賊が倒れていくが、それでもなお多くの賊共が健在であった。

 しかし、意外なことに、トラファルガーの加護を失った今も防衛戦は危なげなく続いている。

 国軍が奮闘しており、さらに言えば明らかに一般市民と思しき面々が掃除用具を棒術さながら振り回し海賊を打ちのめしていた。筋骨隆々の翁共が瓦礫を放り投げ、買い物籠を持った主婦が膝蹴りの勢いのまま先陣を切って包囲網を突破していく。

 さすが新世界、市民も強い。

 しかし、うら若きシスターが熟練の覇気使いとはこれ如何に。なかなか救いの手を差し伸べない神の尻を武装色で殴る気か。


 萎れた心に風が吹く。ドフラミンゴは口の端を上げた。


「弱ェ奴は……違うな。生き方に口挟まれねェよう強くなる、か。やるじゃねェか」


 彼らは勝つためではなく護るための戦い方を学んでいる。技の端々に黒衣の男の気配を感じるのだ。たった数年ではあるが、ドフラミンゴとて彼に師事した。見間違うはずがない。


 それはただ壊すだけのバケモノではなく、愛する者を護る人間の戦い方だった。


 確信と共にペンダントを握り締める。


「コラさん、あんたを信じてる」


 まずは枷の鍵。

 トレーボルを見ると怒りが抑えられないが、本命はトラファルガー・ローだ。

 間違ってはいけない。ドンキホーテ・ドフラミンゴにはやるべきことがある。


 己は善たろうとする者。

 復讐などにうつつを抜かす暇はない。


 額に青筋を浮かべたまま無理に軌道修正をかけ、鍵の在処を探る。トレーボルの動きがおかしい。王宮にいる方が安全であるだろうに地下を移動している。


 トレーボルの性格からして敗者に鍵を預け続けることは出来ない。つまり、何処かで戦局が動いているのだ。

 怪しいのは教会周辺。妙に人が少なく、かつ、子ども一人が倒れている。その周りにはこれまた子ども数名の気配。彼らにまとわり付かれるように立つのはパンクハザードで見た秘書モネ。


 ドフラミンゴは『悪党面』『怪盗というより怪笑』『ただただ不気味』などと酷評される笑みを浮かべた。


 腐っても、“怪盗”。

 元より大切な何かを見つけるのはお手のものである。


 まずは“影騎糸”で分身体を形成しトレーボルにぶつける。その間に鍵を奪取して王宮に戻れば良い。

 寝惚け野郎を起こしついでに顔面をぶん殴れば目的は一つ達成である。


 走り出そうとした時、電伝虫が鳴った。

 連絡がつかなかった幼馴染だ。

 慌てて受話器を上げれば、向こうでは何やら歓声と野次が飛んでいる。


「ベビー5! 無事か?」

『え? ええ、無事、無事だわ、多分。ある意味無事ではなくて、そう、元気よ』

「はっきりしねェな。どうした」

『えっと、あのね、聞いてほしいことがあるの。突然で悪いとは思うのだけど、だからっていきなりファミリーの皆とか若様にお話しするのはハードルが高くて』

「何だ、藪から棒に」

『あの、私、婚約したのだけど』

「かける番号間違えてんじゃねェか?」



 思ったよりも冷めた声が出た。






(蛇足)

 願いが悪魔の実の根底にあるならば、ルートによってスキルツリーも異なり、指向も願いに依存するのかもということで、シュガーの能力に思いを馳せてみました。

 シュガーが事を起こせないルートも考えていたのですが、結局こっちに。


 このルートではシュガーの情報は出回っていないため事前把握できず。DRに入ってもifミンゴは前半ほぼ寝てた上、起きてる時は話も聞かずにすっ飛んで行ったので『オモチャを操る能力者』がトレーボル陣営にいることはギリギリ理解しているものの、その能力の本質を知らないままです。

 本調子であればこの状況でも情報収集できるのですが、本懐と復讐心の間でぐらつく中、併走するDと爆睡するDによる思考デバフが入っているイメージです。

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