Millefeuille
積み重なった私の中の感情に新たな層ができたのは、また私たちが交わり合ってから2日後の事だった。
「もーう…何よー!あんた達ってば最近全然つれないじゃん…!あ〜!?もしかして付き合ってんの〜?」
「ち、違う!そんなんじゃないって!たまたまだから!」
「……そうそう、偶然が重なる事は有り得なくはないよ、ヨシミ〜?」
週末の練習が終わった後、またしてもヨシミたちの誘いを断ってしまったのがきっかけ。
その時は本当に、先生に来週のテスト対策で聞きたいことがあったから、お仕事の労いがてらシャーレに行く予定だった。
ヨシミがアイリの目の前でそんな事を言ってからかうから、ついムキになって否定の言葉を口走ってしまった…。
これがマズかった。
「ナツ…ダメ…!待ってよ!」
のんびりしたリズムの足取りから、今日はやけにテンポの早い足音で帰り去ろうとするナツの左手を取って引き留める。丸っこくて柔和な顔つきには表れていないが、不貞腐れた時のナツの特徴の一つだった。
「カズサ…どうしたの…?週末はシャーレに用事があるんでしょ?」
足の速さは上がる代わりに話すスピードが遅れている。頭の片隅に何かが引っかかっているみたいに。
「そうだけど、さ…。ナツ、怒ってるから…。その、謝りたくて…」
なぜそんなに怒っているのかは分からなかった。
でも、私がヨシミに私たちの関係を否定した時から、ナツの態度がどことなく変わった気がしていたから…。
私のあの言葉が気に食わなかったんだとその時は思っていた。
「私が何に対して怒っているのか…。分かるかい、カズサ…?」
引き止めた私の右手をきゅっと握ってくる。顔はこちらに向いてくれない。うつむいて私の答えを待っている。
「えっと…私がヨシミに付き合ってないって言ったこと…だよね?」
またナツを傷つけてしまった不安を振りほどきたくて、私もナツの手をそっと握り返す。
「……ううん。これは私の勝手なエゴなんだ。カズサは悪くないって分かってる…。でも…だからこそ、余計に苛立ってしまったんだ」
「えっ…?」
手は掴んだままだけど、まだナツの言葉の意図までは掴めない。
「友人以上、恋人未満。でも、共犯者。そんな関係だと私なりに割り切ろうとはしたんだ…。でも、カズサに改めて声に出されて否定された時。腹が立ったんだ…私自身に」
「ナツ…?」
うつむいて手を繋いだまま、ナツの語気が段々と弱まっていく。私のせいじゃない…?
そうして、手を繋いでうつむいたままゆっくりとナツが振り返る。表情はうかがえないけど、明らかに落ち込んでいる。
「初めて本気で嫉妬したんだ…アイリに。友達でいられた時は気にもならなかった。むしろ良い事だと思ってた。でも、今は、カズサに特別な視線を向けられるアイリが羨ましいんだ…」
「………」
…そんな事言われたら謝れない。
今回みたいにバンドなんて突拍子もないことしたりもするけど、アイリは私の理想で…キラキラしてて…どうしても目が離せないのは事実だった。
もしあの時、私の邪な欲を鎮めてくれたナツがいなかったら、もしかしたらアイリに幻滅される事態になってたかもしれない。
でも、だからといって、私を許してくれたナツの優しさに甘えて良い訳もない。『共犯者』…都合の良い言葉で誤魔化したとしても、ただの言葉遊び。
共有する二人の内、片方の罪だけが重すぎてバランスが崩れてしまったら?
こんなにハッキリしない曖昧な関係には嫌気がさすだろう。
思えば、初めから私の意志の弱さが原因でナツを苦しめてるんだ。
全部、私のせい。
うつむいていたナツがやっと私と目線を重ねてくれた。その目元は今にも零れそうなほど潤んでいる。
「本当にごめんね…。私、カズサの事…好きになり過ぎてしまった…」
差し込んだ夕陽に照らされ、涙を流しながら笑いかけてくるナツ。
告白。
曝け出されたナツの罪が私の胸にしっかりと刻まれる。
カーテンのフィルター越しの淡い夕陽に照らされながら、ナツの口から私の心の内を見透かしたような言葉が胸を刺す。
「……ねぇ、カズサ?本当は君だって私が“初めて”だったんだろう…?」
「………ッ!」
秘密を分かちあった共犯者には暴かれたくなかった更なる秘密。
アイリにも宇沢にも先生にも邪な獣欲は抱いた…。
けど、本当にシたのは…。
「やっぱり…。そうだったんだね…」
潤んだ瞳のまま笑いかける。
「私じゃ、カズサの“特別”にはなれないかい…?」
ナツの私を握る手に更に力が入り、空いていた右手も私の手を取り――――
何度も重ねあったあの柔らかな唇がゆっくりと近づく。
「ナツ…」
アイリのような…遠く手の届かない場所で青くキラリと光る星のような…爽やかな眩しさじゃない…。
分かってるのに…。
ナツの夕陽に照らされながら、涙ながらに手を絡めて私を求めているその姿に…。くらりと、めまいがした。
喉が渇く…。
ナツ、ダメ。また、欲しくなる―――
「ダメ…」
なんとか理性を引き戻し、重なり合う寸前で顔を背けて頬に口付けを貰う。
「“私”を見てよ…カズサ…」
初めはナツに謝ろうとしてたのに余計傷つけてる…。何やってるの私…。
「違うの…ナツ…」
背けた顔をもう一度ナツに向ける。
「じゃあ、どうして…!?」
今度こそ理性を保って私も本心をぶつける。ナツが明かしてくれたように。
「私も…今になって、ズルいんだけどさ…。今のナツの言葉で、今まで見たことないナツの顔見て…。アイリに近づく憧れより、本気でナツのことが欲しくなったのが怖かったの…私から初めたのに…!これ以上傷つけたくなくて…!」
懺悔。
私…ズルくて酷い女だ。謝りに来たはずなのに、泣きながら許されようとしてる。
ナツは一瞬だけ呆気にとられていたけど、それも束の間。そして、くすりと私に笑いかける。
「ふふっ、それはもう済んだことだって言ったじゃないか、カズサ。」
潤んだ瞳は私を優しく見上げ続ける。
「これからは私だけを見てくれる……いや、私と見つめあってくれるんだろう?」
互いの頬に流れた涙の跡を見つめ合う。時間が経てば乾く傷跡。
言葉に詰まった私もナツの手を強く握り返す。
今度こそ言い訳はしない。
私が私の意思で。
そう思ったから、私の方からナツへと唇を重ねる。温かく優しい感触。
気づけば、互いに溢れ出していた涙の冷たさに凍えないように、身を寄せ合い二人で温もりを求めて絡め合う。
夕闇の中、遠い星の光が輝きだす前。
誰そ彼の時。逢魔が時。
そこにいる互いを確かめ合う。
ケダモノではない私と。
獲物じゃないありのままのナツを。
重なり合った私たちの指は、唇と舌を通した甘くて切ない痺れの中でピクりと跳ね合った。それでも離れない。
離したくない。例え、今、この瞬間。アイリが来てもナツだけは―――。
絶対に離したくない。
新しい感情が心の層に優しく重ねられていく。今まで無かった想いが。
知らなかった感覚が。
熱狂ではない熱さが。
夕闇と甘い痺れの中でだんだんと拡がっていく。
遙か遠く、頭上に輝く蒼い星に照らされるまで。