逆凪
俄雨の昨日とは違って、今日の天気は良い晴れだった
早朝、まだ薄暗い空を見ながらベランダで煙管を吸う。すんと空気を吸い込むと空気が鼻を刺激してくしゃみをしてしまった。君が起きていないかと後ろを慌てて見たら、まだ疲れが抜けてないようで小さく胸を上下させていた
ほっと胸を撫で下ろして煙を消してから君の顔を見る。なんだか前より顔色が悪い気がする。身体に良いものを作ろう思ったけれど料理の材料は昨日買ってきたパスタとトマトの缶詰しかない。失敗したな…と頭を掻いても後の祭りだ。仕方がないのでこのまま作ることにした
朝を少し過ぎた時に君がようやく目を覚ました。いつもは休日でも早起きをするのに…そう思って
「変わってるね」
と言ったら何言ってるの?見たいな顔を返された
不満げに机に突っ伏したら隣に君が座って、太陽の光で温まってきた白んだ部屋でラジオを流し始める。雑音混じりの男性の声が静かな部屋に小さく響いた。それが厭に心地よくて、耳を塞ぐように腕の中に顔を埋める。目の前が暗くなって余計に音がよく聞こえるようになってしまった
いつの間にか昼のサイレンが聞こえて目を覚ます。机に突っ伏したまま寝てしまったようでお昼はとっくに迎えていた。慌てて立ち上がったが、不思議なことにまた君は寝ていた。眠りの浅さを調べようと耳を近づけて見ると微かに呼吸音が聞こえる。浅くはあるが寝ている…ようだ
「…これなら……大きな音を立てなければ大丈夫そうか」
こうなったら寝ている間に全て済ましてしまおう。そう思って机から立ち上がり、キッチンへ向かった
あまり使われてないもはや形だけのキッチンはとても綺麗だった。ヤカンと申し訳程度のフライパン、後は煤だけがついているガスコンロ、たったそれだけの単純なキッチン。初めての雪に足跡を着けるようなワクワクとした気分でフライパンをコンロへと置く。さ、気合を入れた料理の開始だ
……出来上がったものを見て沈黙した
まあ、まあ、僕にしては頑張った方だろう。間違っても君に出したくは無いが、でも作った以上は出さなければ負けな気がする。溜息を漏らしながら近くにあった適当な皿に盛ってなんとか誤魔化そうとするが…厳しい
もう君に笑われる覚悟で物を運んで――
眼の前で君が椅子から落ちた
無抵抗で
頭から
力なく
虚ろな目で
まるで、死んでるみたいに
「っ……は…?」
言葉が出なかった。頭が固まってしまって、身体も釣られて動かない。受け止めることも、叫ぶこともできず、ただ突っ立っているだけで何も出来ない
名前だって咄嗟に出なかった
君は動かない
「あぶ、ないよ……そんな…怪我する、だろうし………」
なんとか紡いだ言葉も喉が潰れたみたいに声が出ない。呂律も回らなくて途切れ途切れの言葉が零れた。乾いた笑いが込み上げてくる
掻き消そうと吐いた息すら震えてて、同じぐらい震える手から皿が滑り落ちた。がしゃんと言う音とともに皿は割れて、ぐちゃっと音がした
君は動かない
君に近づいた。走ってるのか、摺り足なのか分からない。ただ歩いているという感覚だけが足裏から伝わる。もう一度まじまじと見た君の顔は酷くやつれていた。頬はこけて長袖の下にある腕は骨と皮だけかと思う程に細かった。触れた腕は既に体温を亡くし始めていた
君は動かない
いつから?いつからこうなった?馬鹿みたいに大きくなった疑問が思考を占領して覆い尽くす。いつから冷たくなった?いつから痩せこけた?どうして。原因の心当たりはすぐ見つかった
「………ああ…僕のせい、か…」
君は動かない
君は死んだ
僕が原因だ
僕が殺した
たったそれだけの単純な事実が胸を刺す。些末で軽いはずだった死という言葉が今は吐きそうな程に重い。震える手は君の頭を撫でて……
…あ
君は黄色い蝶の髪飾りを着けていた。お気に入りだと、大切なのだと、ずっと身につけていた。なのに、僕が触れた途端に髪から滑り落ちて床に落ちてしまった
まるで誰かに嗤われているみたいだった。余計だったと突きつけられたようだった。お前さえいなければと責められているようだった
それが辛くて、悲しくて、嫌で、悔しくて、
どうしようもなく、いたかった