Laz-40A

Laz-40A


Laz-40


Laz-40はウマムスタンのラズワルド航空技研(現ラズワルド航空宇宙産業)が開発し、ウマムスタン空軍の他連合国軍により使用された襲撃機。第二次世界大戦においてウマムスタン空軍の主力襲撃機として使用され、生産終了までにおよそ1万2000機が製造された。


概要

ウマムスタン空軍では1938年以降主力襲撃機としてLaz-38Aが使用されていたが、ラズワルド航空技研としてはこの扱いに不満を持っていた。ラズワルドには「攻撃機と制空戦闘機は統一しなければならない」という考えがあり、当初Laz-38は攻撃機としての任務もこなせる機体、Laz-38Fとしてウマムスタン海軍航空隊に提案されていた。しかしその速度性能、運動性は他国の戦闘機に大幅に劣っており、最終的にペイロード、襲撃機としては非常に優秀な速度性能および搭載量を評価され襲撃機として採用された。


この結果に不満を持ったラズワルドは即座に次期戦闘攻撃機の設計作業を開始、1940年に海軍に最終案であるLaz-40Fを提出した。しかしまたしてもその速度性能、運動性は他国の戦闘機に大幅に劣っており、襲撃機としては優秀な速度性能を買われ襲撃機としての性能に特化したLaz-40Aが採用されることとなった。


なお、この後ラズワルドは空軍により戦闘機の設計を禁止された。


開発・設計

Laz-40は当初戦闘機としての性能を向上させるため、単座機として設計が開始された。Laz-40Aとなってからは複座型に設計が変更された。


機体の軽量化のため外板そのものをモノコック兼装甲とし、骨格構造、外板、防漏ゴム、装甲板を省略できるようになっている。また機体全体にジュラルミンなどが使われておりこれも軽量化に貢献した。


主翼内には13mm機関銃が4門搭載された。Laz-40Fには搭載されていなかったエアブレーキはLaz-40Aでは燃料タンクのスペースを転用して搭載されるようになった。爆装量はLaz-40Fでは400kgとされたが、燃料搭載量の見直しにより後に600kgにまで引き上げられた。


エンジンにはラズワルドが開発した大馬力空冷エンジン、オルモスが用いられた。機体は1940年10月に初飛行し、その後空軍によりLaz-40Aへの設計変更の命令が下された。


運用

1941年4月より製造が始まり、1941年6月よりウマムスタン軍への引き渡しが開始された。その後エウ戦争の勃発、および武器供与法の成立によりLaz-40Aは連合軍への供与が始まる。


初陣は1941年10月4日、ヴャジマ-ブリャンスクの戦いであった。この時の攻撃には12機のLaz-40Aが参加し、2機が主翼に機関砲弾を受け損傷したものの全機帰還した。これ以降Laz-40Aは数多くの対地攻撃任務に用いられるようになる。


Laz-40Aは同時にウマエト軍以外の連合軍にも供与された。北アフリカ戦線では1941年11月より始まるクルセイダー作戦にて初めて投入された。Laz-40Aは枢軸軍地上部隊に打撃を与え、作戦の成功に貢献した。


他の連合軍の陸上機とは異なり空冷エンジンを採用したことで、対空砲が直撃したとしても他の連合軍機より飛行を継続しやすかった。上記の実戦参加以降、比較的優秀な防御性能と合わせて連合軍内でも「Laz-40Aに乗れば生き残れる」と評判になり、好んで乗る者が多かった。ウマエト軍パイロットはLaz-40Aを「IL-2に比べ装甲以外の全ての点で上回る」と評した。


またLaz-40Aの出現はエイシン軍にも大きな衝撃をもたらした。前線から「IL-2に比べ100km/h以上速い上に急降下爆撃が可能な爆撃機が確認された」という報告がもたらされた時、空軍上層部は前線部隊が戦闘機を誤認したに過ぎないと判断し、その後その存在が確認されて初めて対策を始めたとされる。


…以下運用史 多分モスコーやスターリングラード、クルスクにノルマンディー、そして朝鮮戦争にも参加してる


余談

ラズワルドが目指した戦闘攻撃機構想は後にTe-3Fにより実現されることとなる。Te-3Fは当初高高度迎撃機として開発されたが、その搭載量に目をつけた連合軍により戦闘爆撃機として運用された。重い高高度用装備を外し、一部機体に改造を施したTe-3Fは旧式の攻撃機を上回る1000kg程度の爆装が可能であった。そのためウマムスタンが主力戦闘機として配備したKar-23F以上に連合軍に好評であり大量生産されることになる。



補足(メタ視点)

生産機数およそ1万2000機:第二次大戦中に生産量が増加したと思われるので、Laz-38とLaz-40ではLaz-40の方が生産量の大半を占めるということにした


大馬力空冷エンジン、オルモス:ウズベク語で「ダイヤモンド」を意味する。航空機の心臓だしラズワルド製航空機エンジンは宝石の名前がつけられるかもという妄想。多分Yu-231F/A、Cak-120Fにも使われているであろう名エンジン


武器供与法:ウマムスタンが連合軍に兵器を売るための法律。レンドリース法みたいな


Te-3F:Te-3Fの性能はP-47Dにやや劣るものの結構似ている。速度性能がどの高度で測ったかにもよるが、迎撃機として運用されたことを考えるとまあ高高度だろう。速度と武装、耐久性ではP-47の方がよく、運動性能と高高度性能ではTe-3Fの方が良いぐらいだと思われる。航続距離はちょっと厳しいか?ヤーボとしても結構優秀そう。だからウケたのかね?


ウマムスタンの兵器群とか並行世界の中央アジアの歴史博物館に寄贈されてたりするのかな?されてたとしたら現存機一覧に並行世界の博物館が記載されて「現在の所在は不明」とか書かれてるのかな?


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