Laughter wolf

Laughter wolf


ロブ・ルッチが忽然と姿を消してから二週間が経った。


普段から学校を離れることが多い彼だが、それは任務が大前提。本来ならば報告が必ず挙げられるはずであるし、そもそも今は新世界中学校付近の見回り強化に力を割いていたはず。ハットリすら置き去りにしていなくなるほどの心当たりがないのだ。

街のあちこちに設置された監視カメラには映っていない、それどころか家に帰った痕跡もない。生徒会は勿論教師陣も総出で探しているのに、行方は依然として掴めていない。

いくらルッチが強くとも彼は13、4歳の子ども、何かしらの事件に巻き込まれているのではと焦燥の空気が漂っていた。

そして、その空気は何よりも生徒会に。幼馴染で構成されたグループである故に結束が固いが為に、普段は表に出すことのない心配や不安といった感情が伝播しぴりぴりとした緊張感を生んでいた。


「ルッチの野郎、どこほっつき歩いてるってんだ……!」

苛立ちを募らせた様子で舌打ちをしたジャブラは、足早に廊下を突き進んでいく。

会長が不在でも生徒会の仕事は普段と変わらず積み重なっており、捜索と併せて業務を行わねばならないために必然的に負担も増えていた。

「書類仕事、仕事、仕事!クソッ、あの化け猫が居れば……」

思わず口を突いて出た自分の言葉にジャブラは再び舌打ちをして頭を掻く。普段から張り合っている相手の天才具合は一番よく分かっている、生徒会の雑務などすぐに片付けてしまうだろう。が、いないからこその現状だ。

頭を振って意識を切り替える。生徒会室の扉に手を掛け───



「うおッ!?」


───ドアを開くと同時に、真正面から一陣の風が吹き込んだ。思わず目を瞑れば、不意に潮の香りが鼻先を掠める。


「……?」

いくら新世界中学校が海に近いとはいえ、ジャブラがいるのは校舎の中。するはずのない香りに訝しみながら瞼を上げれば、そこには見慣れた生徒会室景色などなく。


視界に広がるのは煉瓦造りの家々と石畳、整えられた道沿いに流れる水路。以前テレビの液晶越しに見たことのあるような観光地にどことなく似た景色。


「…………は?」

呆けたように口を開けたまま、ジャブラは硬直する。まるで目を閉じた一瞬で全く見知らぬ場所に転移したような。白昼夢か、いいや晒した肌を撫でる風の感覚が現実だと訴えている。ならば能力者の仕業か、何の気配もなかったというのに?

混乱する頭を落ち着かせようと額に手を押し付けてぐるぐると思考を回すこと数秒。


とりあえず何を考えるにも情報が足りないと判断したジャブラは、賑やかな方へと足を踏み出した。


─────


朗らかな喧騒に向かえば、現れたのは人通りの多い市場。

大通りに連なる露店には、グランド市でも時折見るような商品から全く知らない工芸品まで様々なものが並んでいる。物珍しさからつい目を奪われ店を覗こうとして、そうじゃない、自分が今置かれた状況を把握することが先決だっただろとジャブラはかぶりを振る。

手頃な誰かに声を掛けるかと辺りを見回して───覚えのある匂いを狼の嗅覚が掴んで、動きを止めた。


「……ルッチ?」

呼び慣れた名を小さく呟き振り返れば、人混みの先には思った通りの影があった。

「オマケくれるの?うっは~~ありがとおねーさん!」

「もーヒョウ太くんは口が上手いんだから!」

「ぬはは、ホントのことしか言ってないよ~!」

肩まで伸びたうねる黒髪、野暮ったい四角メガネ。大袈裟な動作に気の抜けた語調は素を知っていれば笑いを通り越して寒気のするような変装時のもの。

いたって元気そうな姿を見つけてしまえば拍子抜けてしまって、ジャブラは大きく溜息を吐いた。

人通りが無くなるまで目で追いかけて、見失わないように駆け出す。呑気に笑いやがってだとか、無事でよかったとか、そもそもここ何処なんだとか、積み重なって湧き立った心配や安堵を苛立ちで覆い隠して息を吸い込んだ。


「どこ行ってやがったこのバカ猫!」

「───ッジャブ、ッ!!?」


勢いのままに走り寄り頭に一発拳骨を叩き込めば、ルッチは回避すら取れずもろに食らってよろめいた。焦点も定まらずに顔を上げた彼が目を白黒させているうちに、腕を掴んで怒鳴りつけた。

「ジャブラ、なん、で」

「なんではこっちの台詞だっつーの!誰にも言わねェで二週間も失踪しやがって!マジに留年してェの、か……?」

そこまで捲し立てて、ジャブラは言葉を詰まらせる。



ぽた、ぽつ、と。

見開かれた瞳から溢れ続ける涙。

共に育ってきた気丈な幼馴染が、嗚咽ひとつ漏らさず、表情を歪めることも無く、ひたすら静かにぼろぼろと泣いていた。ジャブラが動揺している間にもぽろりぽたり新たな雫が落ちていく。

「……どうしたんだよ」

「どうした、って、何が」

どうにかそれだけ絞り出せば、ルッチはきょとんとした顔をこちらに向けた。泣いている自覚がないのか、コイツは。相変わらず人間味があるのかないのか分からないと眉を寄せ、邪魔な伊達眼鏡を奪って学ランの袖で頬を伝っていた水滴を拭う。

「お前、なんで泣いてんだ」


「…………は、」

ルッチはびくりと身体を震わせて、虚を突かれたように息を漏らす。そろりと手を目元に持っていって、濡れた感触に気が付いて、それでようやくルッチは自分が涙を流していることを知ったらしい。

「なん、で、違、これはっ……」

自覚すれば瓦解は早い。ぐっと唇を引き結んで堪えようとしても一度堰を切ったものはそう簡単に止められずに。言い訳は嗚咽に飲み込まれて形にならないまま、ルッチはごしごしと乱雑に涙を拭い始めた。

「あー待て待て!んな擦ったら腫れるだ狼牙!」

慌てて手を取り押さえる。普段ならば振り払われてしまうだろうそれを無抵抗で受け入れているルッチに、先程取り払われたはずの不安感がまた蘇った。

「マジで何があったんだよ……らしくねェぜ、調子が狂う」

「……ぅ、」

ぐす、と俯いて肩を揺らし続ける彼の姿にジャブラはいよいよ困ってしまう。

いつも不遜な態度で傍若無人に振る舞う幼馴染はこんな風に泣くような奴ではない、精神的に弱るところなど想像だにしていなかったのに。この二週間の間に何があって、いつも張り合ってばかりのジャブラの前でさえ取り繕えないほどに追い込まれていた?

あ、う、と口を開閉させ、突っかかった声色でルッチが話し出す。


「……一年前、こっちに、別の世界に来て、なんの手がかりも見つからない、帰れるかどうかも分からねェまま一年経って」

「いち、ねん?」

「一年だ。そっちじゃ、二週間だった、らしいが」

ぎゅう、とジャブラの袖端を掴む指は真っ白で。途切れがちの言葉を聞いて、認識の違いと事実に気付きゾッとする。こいつの言うことが全て本当ならば、ルッチは一年間、知らない土地でずっと一人で。


「……来るならもっと、はやくこい、バカ犬……」

悪態は震えていた。声だって弱々しくて、先程見た明るいガワなど本当に演技に過ぎないのだと否応なしに思い知らされる。

一体何を言えばいい、どう声を掛ければいい? かた、と思考を回そうとしたのだが。


「忘れろ、こんな、……クソ、情けねえ」

見たことのないぐしゃりと歪められた顔、拭っても拭っても溢れてくる水を鬱陶しそうにするルッチにどうしてか、どうしようもなく苛立って、ジャブラは思考回路を放り捨てた。


「いいか、ルッチ!」

「ッ」

袖を掴む指を振り払い、代わりに手を滑り込ませる。がしりと繋いだ手から、びくとルッチの動揺が伝わった。



「そのぐっちゃぐちゃの泣き顔も、さっきの弱音も!こっちにいる間は絶対に忘れてやらねェ!!……だから、」



「だから、さっさと帰るぞバーカ!!」



ジャブラの声に迷いはない。

真っ直ぐに自分を見つめて叫ぶ幼馴染の、単調な罵倒と一緒に放り投げられた言葉に根拠などないことは分かりきっていて。思わずふは、と口の端を持ち上げる。


……笑った、笑えた。心から笑えたのは、なんて久しぶりのことだろうか。


「ああ、そう、だな。バカヤロウ」


祈るように、縋るように。

いっそ痛いくらいに力の籠った懐かしい手のひらを握り返していれば、いつの間にかルッチの涙は止まっていた。

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