Last Resort

Last Resort


黒くどんよりとして月を覆い隠す分厚い雲。ざぁざぁと降りしきる雨。水飛沫の中、モヤがかったようにうっすらと光る遠くのサンクトゥムタワー。

どこも埃っぽくて薄汚れた校舎の廃墟からただ広がる景色を見つめる。


何を思う訳でも無い。視界に写った情報と状況の関連付けの作業。それを身体が眠りにつくまで繰り返して、いつの間にか眠りについて、朝にまた目が覚める。それだけの事。


カツ…カツ…カツン…。

耳を通してまた情報が加わる。

誰かがこの廃墟を登ってきている足音。古びた教室の窓辺の机から足音を殺して移動し、教室入口から昇降口方面へと武器を構える。


カツン。足音が止む。


「……こんばんわ、ミサキ」


こちらに振り向きながら、両手を上げ投降の意思を見せている。スーツの袖口や足元は雨で濡れているようだ。

猫背気味ではあるけど、背丈は私より少し高い女性。髪は乱雑に後ろに跳ねたような形。遠くからでも目の隈が特徴的に写る。


両手に武器は無く、代わりにエンジェル24と書かれた大きく膨らんだレジ袋と傘が握られている。


「………来たんだ、先生」

かつての排除対象。現在の護衛対象。

こちらから連絡を入れた訳でも無いのに何故…という疑念が湧く。

これにも意味は無い。

結果的に敵では無かった。

それだけ。


「差し入れ用意してきたんだ…。皆、お腹は空いてない?…って言っても、インスタント食品とか簡易的な栄養補助食品ばかりだけどね…」


両手を挙げて疲れた笑みを浮かべながら、こちらが聞いてもいないことをつらつらと語りかけてくる。

そんな顔に辟易としながら、私も警戒態勢を解いて銃を下ろし、また窓辺の机へと戻る。


「ここにはミサキ独りだけ?」


しつこい。状況が把握できてるなら姫やヒヨリの元に行けばいいのに…。

「そう…。今は独りになりたいから皆とは離れてる。用があるならリーダーに連絡すれば?」


「皆と合流するまで少し時間かかりそうだし、今はミサキといたいかな」

重たげなレジ袋と傘を教壇に置いて私の後をついてくる。本当この人は…。


「さっきの私の話、聞こえてなかった?独りにして…」


今はただ、何の意味もなく虚しい時間と感覚を摩耗させて、体が眠りにつくまで待つ。ただそれだけなのに。


「ごめんね…。でも、今はミサキと一緒にいたいんだ…」

そう言いながら、私の座っている窓辺の机の前の席に、顔が向かい合うように座った。


「意味分かんない…」

どうせまた余計な世話でも焼きに来たんだろうと、再び雨の降り続ける外の景色へ意識を移す。虚しさは募るばかりだけど、それでも無駄な事に時間は取られたくない。


「そう。私にも分からない…。けど、今だけはここに居たい…」


回りくどい言い方をしながら同じように窓の外を見つめだす。なにか煙に巻くようにしている態度に段々と苛立ちがつのる。これだから、“大人”は…。


私に用があるなら、要件を言いなよ

……と凄みながら追い払おうと先生に振り返ろうとして―――止まる。


今にも眠りにつきそうな重そうな瞼と薄暗い隈。私と同じように景色を眺めている。その目には涙。

いや、雨で濡れた髪から伝って落ちた雫だろうか。

視覚情報と状況が関連付かない。


ただただ、古ぼけた暗い教室の中を雨と風の音が響き渡る。


「…………」

理由を尋ねてもきっと無意味だろう。

事情を聞いても、先程のように煙に巻いて“大人”をするのは分かってる。


私は私の痛みや虚しさを誰かに分けるつもりは無いし、私も誰かの痛みや虚しさを共有するつもりも無い…。

リーダー達を除いては。

それ以外の誰かに打ち明けるなんて無意味な事は絶対にしたくない。

ただ虚しいだけだ。


だから、ただ二人で雨の音を聞きながら暗い雲に覆われた世界を見つめる。

お互い何も言わない。言うつもりもない。ただ、無言の時間が過ぎていく。

時折、轟々と強い風が吹いては木々を揺らし、枝葉を強引に散らしていく。


「…………?」

いつの間にかこちらに視線が向けられているのに気がついた。泣いてるように見えたのは気のせいかと思える程、どこか穏やかそうな視線だった。


言葉は無い。交わす気もない。

でも、憎しみや虚しさからでは無い。

ただそうしたかった。

そう…思わされた。


……出くわしてからもう30分程経っただろうか?そう思い始めた頃。

先生がようやく口を開く。


「突然だったけど、ワガママに付き合ってくれてありがとうミサキ…」


「別に…。何もしてないけど…?」


「…でも少し落ち着いた。だから…“ありがとう”」


分からない。その言葉に何の意味があるの?

無機質に過ぎ去っていく筈だった時間に、感情の揺さぶりがかけられる。

この感情に名が付けられない。


「……そう。もう用は済んだ?」

「ううん。まだあと一つだけ。」

「……何?」

「小指出して?」

そう言うと先生は机の上に肘を立てながら、右手の小指をすっと出した。


「……何それ」

「……ダメ?」


何の脈絡もない行動に戸惑いながら右の小指を差し出す。


「ふふっ…またこんな雨の日はミサキに会いに来ても良いかな…?」

「別に良いけど…。ここには何も無いし、面白い話題も無いよ…」

「だからこそ…だよ」


そう言い終わると、差し出した小指を交わし合う。これに何の意味があるのかは知らない。ただ、先生にとっては意味のあるものなんだろう。


「……またね。ミサキ」

「……さよなら。先生」


教壇に預けた荷物を両手に教室の入口から去る先生を見送る。

そうして、今度こそ独りになって窓から広がる景色を眺める。名もない感情の揺れを感じながら。


暗く厚かった雲は少しづつ黒を薄めた色合いに変わり、雨は徐々にその音を弱めているようだった。

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