It's only love
温かい感覚に意識が浮上する。しかし瞼が重く、目を開けるまでには至らなかった。目を閉じたまま、おれは先ほど自分の身に起きた出来事を反芻していた。
おれは確かに負けた。過去のおれと麦わら屋、そして他でもないおれ自身に。
じゃあおれは死んだのか。それともこれは単なる夢か。
別にどうでも良かった。むしろこのまま彼女の元に逝けるのならばそれでもいいとさえ思う。行き先は故郷のシスターが信じていた神の国か、いや、生前の罪を考えるともしかしたら地獄行きかもしれない。彼女がいてくれれば、天国でも地獄でも何でも良かった。
目を瞑ったままそんなことを考えていたが、もう一度頭を撫でられる感覚に意識がハッキリと覚醒する。さらに自分の頭が何か温かく、柔らかいものに乗せられていることにも気がついた。
ゆっくりと瞼を開くと、視界に映ったのは女の顔だった。女性というよりは少女のようで、大きな瞳がじっとおれを見つめている。そしてその目の下にあるのは傷跡。波打つ心臓を押さえ上の方へ目を移すと、頭に大きな麦わら帽子が乗せられていた。
「…トラ男」
あの頃と何も変わらない麦わら屋がおれの頭を膝に乗せて見下ろしていた。あまりのことに飛び起き、改めて彼女を見る。最期に見た時の服装だが、それでも傷や出血はどこにも見当たらない。髪はあの頃に比べ幾分か長い。都合のいい夢かとさえ思う。でも先ほど感じた体温は、紛れもなく彼女が本物である証だった。
「何故…」
「…馬鹿だねトラ男は。私はずっとトラ男のそばにいたのに」
おれの問いに呆れたように麦わら屋は返してくれた。ため息をついて、そしてどこか寂しげに笑う顔。そんな顔をさせたいわけじゃない。そんなふうに笑う麦わら屋を見たくない。
だからおれは彼女を抱きしめた。麦わら屋が不思議そうにおれを見上げているのが分かったが、離すことは出来なかった。
「…好きだ」
気づけば口からそんな言葉が漏れていた。それを皮切りに想いが洪水のように溢れ出した。伝えることのできなかった、数年越しのラブレター。おれは彼女を抱きしめたまま、言葉を紡いだ。
「ずっと好きだったんだ。1人の男として、お前を心の底から愛していた。いいや、今でも愛している。でもガキだったおれはまたのが怖くて、親愛だ妹みてぇなもんだと馬鹿みてぇな理由をつけて、お前からの好意に目を背けた。そしてこのザマだ。笑えるだろ?それでもおれはお前に」
「…知ってたよ」
静かな声がおれの言葉を遮った。思わず体を離して麦わら屋の顔を見ると、やはり彼女は寂しげに笑っていた。
「全部分かってた。言ったでしょ?ずっとそばにいたって。トラ男がずっと私を想ってくれてたのも、後悔していることがあるのも、ずっと分かってた」
「…麦わら屋…」
「まさか過去に行くとは思ってなかったけど…私って愛されてるんだなぁって、すごく嬉しかったよ」
そう言って微笑む麦わら屋だったが、次の瞬間には少し怒ったような顔に切り替わった。
「なのにトラ男は向こうの私にばっかり好き好き言ってるんだもん!私には一度も言ってくれたことないのに!「こらーっ!」って出てやろうかとも思ったんだから!」
『私だって嫉妬するんだからね!』
頬を膨らませる麦わら屋に、過去のこいつの言葉が重なる。アイツの言う通りだったなとぼんやりと考えていると、不意に麦わら屋がおれの腕を引っ張った。そのままバランスを崩したおれは、彼女の胸に顔を埋める形で膝をつく。そのまま思い切り頭を抱きしめられた。懐かしい感覚を覚えつつも息が苦しくなったので解放してくれという意味を込めて背中を叩くと、やっと腕を緩めてくれた。顔を上げて麦わら屋の方を見て、驚いた。
先ほどの怒りの表情から一転し、彼女が泣いていたからだ。双眸から落ちる雫がおれの顔にも降り注ぐ。麦わら屋は泣きながら、おれの頬を両手で挟んで告げた。
「…ありがとう、トラ男。ずっと想っていてくれて。愛してるって言ってくれて」
ポロポロと涙を流しながら、麦わら屋は太陽のように笑う。
「私もずっと、ローのこと愛してる!」
_あぁ、そうだ。これがおれの見たかった、おれが愛したルフィの笑顔だ。
そう悟った瞬間おれは目の前の愛しい存在にしがみついて、子どものように声を上げて泣いた。