IF 太陽

IF 太陽



闇は取り払われた。

数十年に渡り空を隠していた雲は、ついに空の主導権を太陽へと渡した。

天使の階段は幅を広げ、雲散霧消、青い空が訪れた。

海は煌めいた。空は輝いた。空気は温もりを帯びた。分け隔てのない光が、人々へと降り注ぐ。

「ああー嗚呼!!」

海を越え、山を越え、大陸を越え、全てを包み込む青空が広がってゆく。

「…おい……おい!おいおいおい!!」

「青空だ……青空だ……!!」

ある港の釣り人に。ある島の無人の家に。ある町のスラム街に。ある村の子供達に。

「ねぇ、あれなんだろう!」

「すっごくあかるい!」

「うん、うん…あれはね、あれはね…!!」

東の海に。北の海に。南の海に。西の海に。グランドラインの島々に。空島、魚人島、マリージョア、インペルダウン、ーもう誰もいない場所に。


「もう何も燃やさなくていいの…?」

「もちろんだ!これからは暖かくなる!だってこんなにも明るい!!」

何も知らない次の世代も、


「ああ、…神は…存在したガネ……」

「晴れた…」

「おい、これは何年ぶりだ……?」

混沌も、


「太陽が見える…」

「それは本当ですかい?元帥…あぁ、確かに暖かい…」

秩序も、


「ー手前ェら!もう死体を燃やす必要は無ェ!ウルフ!見えるだろ?!」

「空が、空が見えつった!」

「船ちょ…提督!本当かァ!?」

「片目でもハッキリ分かるー青空だ!!」

闇も、


「ーーみんな!!」

「ああナミさん!!」

「綺麗…」

「ルフィ、見えるか?!」

「スーーパーーな輝きだぜェ!」

「ヨホホホホ!!私この体験二回目です!!」

「魚人島にも届いているかのう…」

「見ろよ船長、空を」

「ああああんまり動くなよ?!重症なんだぞ!」

「ーーーああ!見える!!」

光も。


「「「「太陽だ!!!!!」」」」

太陽は等しく全てを包んだ。


「……たい、よう…ゴボッ……」

海の底へと沈んでゆく一人の男にも、太陽の煌めきは届いた。麦わら帽子が遠ざかってゆくのが彼には解った。手を伸ばそうとするも、力は入らない。はて、今までどうやって手を伸ばしていたのか。かつての仲間を重ねてしまった大船団の子分たちにも、悪いことをした。そう考える思考もだんだんとぼやけてきた。


海賊王に一番近かった男だった。

仲間を失った男だった。

仲間の影を追いかけた男だった。

振り返る事ができない男だった。

夢を諦めきれなかった男だった。


祖父がいた。父がいた。兄たちがいた。行く先々で出会った人たちがいた。殴り合った相手がいた。共に戦った戦友がいた。救った国があった。滅ぼした組織があった。失った仲間がいた。


失ったと思い込んでいた仲間がいた。


「…いルフィ…おいルフィ……」

船大工の声がした。

「独りぼっち、辛かったでしょう。これからは一緒ですよ、ヨホホホ!」

音楽家の声がした。

「見ないうちに随分貫禄が付いたのお!」

操舵手の声がした。

「痩せたんじゃねェのか?また美味いもん食わせてやるよ」

コックの声がした。

「あんたら゛よくこの海で生き延びられた゛わね…グスッ…久しぶり、ルフィ」

航海士の声がした。

「ルフィ!すっごくでかくなったな!」

船医の声がした。

「おいおい、このおれを忘れてもらっちゃ困るぜ?」

「迎えにきてやったぜ」

狙撃手と戦闘員の声がした。

「行きましょ、船長。次の目的地は決まってるの?」

考古学者の声がした。


「みんなー」

ルフィはサニー号の甲板にゆっくりと降り立った。柔らかい芝生が足を包み、ルフィは20数年前のあの日の姿に戻っていた。三つの傷が残る麦わら帽子を被った少年がそこにはいた。少年は並んだ仲間の顔を見渡し、大きく深呼吸をし、また息を吸い込んだ。


「……ししし!!!野郎ども!!!出発だ!!!!」

「「「「「おう!!!!」」」」」

サニー号は色とりどりな世界を進み始めた。


キャベンディッシュとバルトロメオは、彼の船出を見送っていた。サニー号の後ろ姿にしばらく手を振ったあと、キャベンディッシュはサニー号の進行方向とは反対側の暗闇に踵を向けた。

「?キャベツ、何処いくんだべ?」

「…どこって……」

「キャベツはルフィ先輩と一緒に行くんだべ!」

「……ぼくが?」

「んだ!おらはサイと一緒にやる事があるべ。あともうちょっと待ってろ。おらたづはおらたづでルフィ先輩を追いかけるべ!」

キャベンディッシュは逡巡した。どこにも行けないような気がした。バルトロメオはすっかり昔のニワトリ頭だというのに、キャベンディッシュは短髪のやつれた姿のままだった。

「ぼくは…多くを…手にかけて……」

いつからか自分が誰かも解らなくなった。ルフィに切られた自分の金髪が、かつて人型だったという戦艦の甲板に落ちた瞬間を何度も思い返し、自分が底無しのぬかるみに沈んでいく感覚を何度も味わっていた。今更戻れるのか。

「ぼくは……」

船長ですら裏切ってしまったことになる。守れたものより、傷付けたものの方がもっと多い。

ーーー『…いろいろ迷惑かけちまった』

『………麦わらのルフィ…』

『なんだ』

『ぼくは、誰だ……?』

『ー"白馬のキャベンディッシュ"だ!』ーーー

ルフィに屠られたあの時の会話を思い返す。あの瞬間キャベンディッシュの脳は、打ち水をしたかのように確かに冴えた。


キャベンディッシュはルフィの方へ体を向けた。色とりどりな世界にぼやけてゆくサニー号。重くまばたきをしたキャベンディッシュの目に、サニー号の他の動く何か映った気がした。

「あ!大船団だべ!」

バルトロメオが手を振っている。

耳を澄ませると聞こえたのは、懐かしい声に始まり、もう随分前に聞いた声、数千人はいるかのような声、隣のニワトリの船員の声、愛馬の鳴き声。

「大、船団……うわっ?!」

何かに背中を押された。横目で振り返ると涙を浮かべるバルトロメオの顔があった。

「たぶん遠くないうちにまた会うべ!キャベツ!!」

キャベンディッシュの金髪は伸び、隈があった顔はいつの日かの美貌を取り戻しはじめていた。

「ーキャベツじゃない!キャベンディッシュだ!!それとーもっとゆっくり来い!!」

大船団の方へとキャベンディッシュは走りはじめた。白いシャツに身を包み、白馬のキャベンディッシュは怒りながらも、満面に笑みを浮かべた。

明るい世界へと向かったキャベンディッシュを見送ったバルトロメオは満足げにため息をついた。


「まだまだやることは残ってるべ!いよォーし!ルフィ先輩に会うときにはもっど自信を持ってるようにするべ!!」

バルトロメオはそう意気込み、目を閉じた。


そう、まだやる事があるのだ。太陽が現れて終わりではない。世界はこれからも続いてゆくのだ。


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