~IF 神世紀306年の深夜~

~IF 神世紀306年の深夜~

ナナシ





「はぁ……はぁ……ぁ……しゅご……かっ……たぁ……」

 

 

息も絶え絶えとなった園子が布団の中で脱力する。

周りには役目を果たしたゴムが無数に散らばり、溢れ出た精子が布団や部屋を白く汚していた。

 

 

「…………お疲れさまでした、園子様」

 

 

大赦ワイも汗だくとなり息を整えながら、主の額の汗を手で拭う。

本当は使い終わったゴムなどの片づけもすぐにしたかったが、身体をしっかりと彼女の手足で拘束されていたため、諦めて彼女にされるがままになっていた。

 

 

「……ワイくん……すごかったよ……ほにゃほにゃって……こんなに、気持ち良いん……だねぇ……」

「…………」

 

 

うっとりと幸せそうな顔をする彼女に、彼は何も答えない。

すぐ側にある彼女の顔を直視できずに、ただ目を逸らすだけだった。

 

 

「……ワイ君は……気持ち、良かった……? 私……上手く、できたかなぁ……?」

「……もちろんです」

「えへへ……やったぁ……」

 

 

彼の言葉に彼女は恥ずかしそうにしながらも、どこか嬉しそうな顔ではにかむ。

未だ熱の治まらない彼の身体を再び力強く抱きしめる。

彼もまた抵抗せずに、その抱擁を受けいれる。

 

 

「……ワイ君、ありがとう……本当に……夢のような、時間だったよ……」

「……はい。私も、夢のようでした……」

「……私、今日のこと……絶対に忘れない。……ワイ君も……忘れちゃ……嫌だよ……?」

「……もちろんです、園子様……」

 

 

幸せ気な夢見心地な彼女は対照的に、抱きしめられている彼の表情は暗い。

彼はすでに気づいているのだ。

今日の夜のことはお互いにとって、悪い意味で忘れない日になるということを……。

 

 

「……ワイ君。私、やっぱりあなたのことが好——」

「だめです、園子様」

「…………あはは。うん、ごめんね……」

 

 

忠実なる従者に言葉を遮られ、園子はバツが悪そうに目を逸らす。

……この逢瀬はあくまで今日だけのことなのだ。

明日からは、また彼とはただの主従関係に戻る。

彼はこれからもこの家に住み込みで働いてくれるが、このように閨を共にすることは……残念ながら、もうないだろう。

 

 

「ねぇ、ワイ君。お願いがあるんだけど……」

 

 

だからこそ、おそらく最後の機会になるだろうこの時間に、彼にずっとしてほしかったことを打ち明ける。

 

 

「……なんでしょうか、園子様」

「名前、呼んで……? 園子って、呼び捨てにしてほしいの……」

 

 

大赦ワイの顔がこわばる。

 

 

「ずっと、さ……。ワイ君は私のこと呼び捨てにしてくれなかったよね。私が命令しても、お願いしても……」

「…………園子様を呼び捨てになど、恐れ多いことです」

「私は呼んでほしいの、ワイ君に……」

 

 

顔を歪ませる彼に、彼女は畳みかける。

……彼の性格からして、今度二度と自分を呼び捨てにするようなことはないだろう。

今、この時間だけが、彼を好きになってから今日までずっと秘めていた願いを叶える……最後のチャンスなのだ。

 

 

「お願い……ワイ君……」

 

 

目を潤ませ懇願する彼女を見て、彼は苦しそうに目を瞑りしばらく考え込む。

そして、再び目を開けた彼は何かを決心した顔をしていた。

 

 

「…………私からも、一つお願いがあります。……少しだけ、体を離してもらえないでしょうか」

「え?」

「…………この体勢では、話を……しづらいので……」

「う、うん……わかったよ……」

 

 

真っ直ぐと強く自分を見つめる彼の視線に圧されて、彼女は名残惜しそうに抱擁を解く。

彼女の身体が離れたのを確認すると、大赦ワイは——

 

 

「…………申し訳ございません、園子、さま……。私に、貴女を名前で呼ぶ権利は……ないのです……」

 

 

——そのまま布団から出て、立ち上がった。

……布団の中で茫然とする彼女を残して。

 

 

「……え? ワイ、君……?」

「……もう、夜も遅い時間です。園子様もお疲れでしょう。早くお休みになられてください」

「う、うん……そうだね……。じゃあ、ワイ君も、一緒に……寝よ……?」

 

 

黙々と部屋に散らばっていたゴムを拾い集めて袋に入れている彼に、彼女は弱弱しく問いかける。

 

 

「……私は、自分の部屋で眠ります。園子様は、どうぞそのままお休みになって下さい……」

「ま、待って……! い、一緒に、このまま一緒に寝ようよ……!」

「……恋仲でもない男女が、同じ布団で寝るなんて許されません」

 

 

自分に背中を向けたまま、身支度を整える彼が冷たい声で拒絶する。

これまで聞いたこともないような彼の声に、思わず身が引いてしまう。

 

 

「お、怒ってるの……? だ、だったら、謝るから……! お願い! 今日だけ、今日だけだから!」

「……私の本日の御役目は、旦那様と園子様の初夜が上手くいくように、園子様に男女の営みを経験してもらうこと。それ以上は……御役目に入っておりません」

「そんな、そんなの……っ! 命令! 命令だよ、ワイ君ッ! 私の命令が、聞けないのっ!?」

 

 

悲痛な彼女の叫びを背中に浴びながら、片付けを終えて大赦ワイは振り向かずに襖を開ける。

 

 

「——お休みなさいませ、乃木様」

 

 

——ピシャリッ!

 

 

勢いよく閉まった襖が、彼と彼女を分け隔てた。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

閉まった襖を茫然と見つめる。

彼は行ってしまった。

もう、ここに戻って来ることはないだろう。

……それは同時に自分の恋が明確に終わってしまったことを意味していた。

 

 

「ふ、ふふふ……。あはははは……」

 

 

笑うしかない。

せっかく最後に思い出を作ろうと思ったのに、それすらも上手くいかなかった。

さっきまで感じていた多幸感はもう霧散してどこかにいってしまった。

残されたのは彼の後を追うこともできずに、ただ襖に向けて手を伸ばすだけの一人の弱い女だけ。

 

 

「……なんで、こうなっちゃったんだろうね?」

 

 

——来週、自分は結婚する。

結婚相手はワイ君が紹介してくれた男性だ。

悪い人じゃないし、嫌ってもいない。

むしろ、人柄としてはとても好感の持てるいい人だ。

明るくて、優しくて、気遣いや配慮もできる人で、神樹や天の神がいなくなったこの世界を良くしていきたいという気概も持っている。

きっと、この人と先に出会っていれば、恋に落ちて、真っ当に愛を育むこともできただろう。

 

 

「……でもね。私が好きになったのは、あなたなんだよ……ワイ君……」

 

 

最初の印象は良くなかった。

当時の自分にとって大赦は自分や友人達を道具のように使い潰した人達の集まりでしかなかった。

そこに所属していた彼のことを良く思えるはずがなかった。

しばらくしてからも印象は良くなかったし、むしろ評価は下がった。

真面目だけど、頑固で不器用で融通が利かない。

自分の命令に従うことしかできないくせに、その癖その命令すら上手くこなせない。

何度鈍くさいと野次っただろう。

何度もう来なくていいと言っただろう。

……それでも彼は自分の元に通い続けてきてくれた。

 

 

「……ほんとに、嬉しかったんだよ……?」

 

 

彼以外にもお世話係の大赦の人間は何人もいた。

でも自分が少し意地悪したり、来なくていいと拒絶すると、すぐにいなくなって代わりの人間が補充された。

彼だけだった。

彼だけがずっと自分の側にいてくれた。

 

 

「あの日、泣いて喜んでくれていた姿……今でも覚えてるよ……」

 

 

満開の代償に供物として捧げられた身体の機能。

それが返って来た時に自分以上に喜んでくれたのが彼だった。

ボロボロと子供のように泣きじゃくって、良かった……良かったです……と呟き続けていたあなた。

……きっと、その時に自分は彼に心を奪われたのだ。

 

 

「……どこで、間違えたんだろ……?」

 

 

最初に出会った時に、彼の好意を受け止めていればよかったんだろうか?

身体が回復した後、すぐに自分の想いを告げればよかったんだろうか?

勇者部として活動している中で、もっと彼に素直にアプローチをしていればよかったんだろうか?

天の神と最後の戦いで稲穂になろうとする彼を止めた時に、自分の気持ちを打ち明けていればよかったんだろうか?

邪神の騒ぎの時に衣蛸を憑依させて自分を助けてくれた彼に、キスでもしていればよかったんだろうか?

邪教団残党の事件で無茶をした彼に怒った時に、大切な人だと言っていればよかったんだろうか?

……あのお見合いを断っておけば。

……今、もっと強引にでも彼を繋ぎ止めておけば……。

 

 

「……後悔しても、もう……遅いのに、ね……」

 

 

布団を頭から被る。

彼の臭いが、体温が残っていた。

確かに、さっきまで彼は隣にいたのだ。

 

 

「……う、うぅ……ワイ君……どう、してぇ……」

 

 

もう、彼は自分の隣にいない。

そう思ってしまった瞬間、さっきまで堪えていた涙が零れ墜ちた。

……弱くなった。

今の自分はずいぶんと弱くなってしまった。

友人がいなくなっても、倒れても、それでも戦い続けた勇者の自分なら、きっと失恋くらいで泣く事なんてなかっただろう。

 

 

「……ワイ君の……せい、だよぉ……」

 

 

孤独な自分を救ってくれた彼。

どんな時でも隣にいてくれた彼。

悲しい時も、辛い時も、怒った時も、彼はずっと一緒にいてくれた。

彼のおかげで、自分は弱い……普通の女の子になってしまった。

なのに……。

 

 

「……責任……責任、とってよぉ……っ」

 

 

——もう彼は隣にいない。

 

 

「……ワイ君……ワイ君……っ」

 

 

布団に僅かに残った彼の温もりに縋りつく。

……それが、自分に残された彼の全てだった。

 

 

「……いや……いやぁ……」

 

 

その日、乃木家の一室から、すすり泣く声が途切れることはなかった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

罪悪感に駆られるまま、足早に自分の部屋に戻る。

 

 

「……なにを、なにをしているのですか……私は……っ」

 

 

断るべきだった。

今日、彼女の待つあの部屋に行くべきではなかった。

 

 

——初夜に失敗したくないから、ほにゃほにゃの練習台になってほしい。

 

 

自分の主からそう頼まれたのはちょうど一ヵ月前。

彼女の結婚の日取りが決まって、色々と忙しく動きだした頃だった。

無論、最初は断った。

婚約者のいる女性と閨を共にするなど、いくら当の本人から言われたとしても許されるべきことではない。

……だが、彼女の婚約者からも後押しをされてしまった。

 

 

——自分のことは良いから、彼女の思うままにさせてやってくれ。

 

 

確かに、初夜で失敗して結婚生活が上手くいかなくなる夫婦は存在する。

だからこそ昔の貴族やお偉いさんの家では男女問わずにそういう教育は念入りにされたとも。

……強引な論法だが理屈が通っていないわけではない。

その後、三好春信や夏ワイなども巻き込んで議論して、関係を結ぶのは今日一日だけ、絶対に避妊はすること、という条件で話はまとまった。

……まとまってしまった。

 

 

「…………くそっ!」

 

 

それから、せめて彼女に痛い思いをさせないように、夫婦の人やそういう経験のある男女に話を聞きに行き、そして……毎日のように夜は娼館に通った。

どうすれば初めてでも痛くなく済むのか。

どうすれば女性の人を気持ち良くできるのか。

マナーやエチケット、気遣うべきこと、色々なことを勉強し、時には実践で練習した。

……そして、今日に至ったのだ。

そして、その結果は——

 

 

「…………最悪です」

 

 

——上手くいった。

上手く、いきすぎてしまった。

 

 

彼女との行為は、向こうが初めてとは思えないほど上手くいった。

自分はとても気持ち良かったし、彼女もきっとそうだろう。

だがいくらなんでも、普通は初めてで、あんなに感じることなんてない。

……時として肉体の相性が良い男女がいるとは娼婦の人からぼんやりと聞いてはいたが、まさか自分と彼女がそうだとは……っ!

 

 

「……この愚息は、なるべく早く切り落とすとしましょう」

 

 

おそらく、もう自分は彼女以外を抱いても満足できない。

毎日のように通って顔馴染になってしまった娼婦の人達。

プロである彼女達との行為ですら、今日ほどの快楽は感じなかった。

そして、自分は二度と彼女とこういうことをするつもりはない。

ならば、無くなったとしても支障はないだろう。

……だが、そんなことよりも。

 

 

「……申し訳ございません、園子様、旦那様……」

 

 

……心配なのは、彼女達の今後だ。

初夜で失敗することはもうないだろうが、問題は今日の快楽を知ってしまった彼女が満足できるかどうか……。

……もし、これで今後の彼女達の夜の営みに支障が出てしまったら……。

 

 

「……………やっぱり、断るべきでした……っ」

 

 

彼とて男である。

理性では分かっていても、密かに好意を寄せる女性から誘われて……欠片も嬉しくないわけではなかったのだ。

口ではどれだけ否定しても、心のどこかで彼女との逢瀬を楽しみにしていた気持ちがなかったというと……間違いなく嘘になる。

例えそれが一夜だけの夢だとしても……。

……そして、その結果が、これだ。

 

 

「…………やっぱり、私は……僕は園子様に相応しくなかったですね……」

 

 

彼女に告白する勇気も。

彼女を幸せにしようとする気概も。

彼女から遠ざかるという選択もできない。

そして、今も彼女の元から逃げ去った。

中途半端で無様な男。

 

 

…………彼女に婚約者の彼を引き合わせて正解だった。

婚約者の彼だって彼女を愛しているだろうし、今日のことだって本当は良く思っていないだろう。

それでも、婚約者の彼は自分の気持ちを押し殺して、彼女の気持ちを優先した。

……同じ女性を好きになった男として素直に尊敬する。

 

 

「……園子……さま……幸せに、なって下さい……。旦那様なら、きっと貴女を……」

 

 

……幼い頃に見た彼女の笑顔。

あの笑顔を取り戻すためにお世話係を続け……。

彼女に笑顔が戻った後は、それを守るために仕え続けた。

……なのに。

 

 

「……最後の、あの顔……。僕は……僕は、結局なにを……」

 

 

布団から抜け出す時に見た彼女の顔。

驚愕。

悲嘆。

絶望。

……あんな顔をさせるために、彼女の側にいたわけではないのに……。

 

 

「…………明日から、また仮面を被りましょう」

 

 

もう、自分に彼女と婚約者に合わせる顔などない。

そして、彼女の笑顔を見る資格も……自分にはないのだから。

 

 

——名前、呼んで……? 

——園子って、呼び捨てにしてほしいの……。

 

 

「…………園子……」

 

 

口から零れた言の葉は、夜の闇の中に消えていった。


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