IF 序章
SSG一人の男が、岸辺で海を眺めていた。
その男は、世間一般で言う海賊であり、特にこの海に轟く”四皇”直下の海賊として、名前と容姿が広く知れ渡っていた。一般街を歩こうものなら、住民たちは恐怖に慄き道を開けることだろう。
しかし彼には、それを得意げに思うこともなければ、煩わしく思うこともない。
彼にとっては、自身がどう言われ、どう恐れられようとも関係はない。そう…自分一人の身で済めば、どれほど良かったことだろう。
一人の男は、岸辺で海を眺めていた。
彼は一日のほぼ全てを、この岸辺に座って海を眺めることに費やしている。そのことに関して、彼をどうこういう人間はいない。自身の船長にすら、だ。
船長はもはや、部下に対してほとんど命令することなく、まるで空気のように扱っている。しかしそれも当然だと、彼は思う。
自分達は、あの人の部下として…失格だ。
船長は、幾多の戦いで大切なものを失った。自分達はかつてその船長の傘下を名乗りながらも、それらの戦いに馳せ参じることはできなかった。自分達が駆けつけた時には既に、大切な”者”がその船長の手からこぼれ落ちていた。
なんと言えばいいのか。何をすればいいのか分からなかった。
声をかけようとしても拒絶され、手を差し出そうとしても振り払われた。
時間が解決すると信じて、自分達は船長から距離を置いた。
しかし自分達の思いとは逆に、時間は段々と船長を蝕んでいき…船長は、変わってしまった。
やがて船長のみならず、世界の全ては…”黒”に包まれた。
世界が暗黒に包まれてから、だろうか。
やがて世界各国では、何度も何度も…大きな戦いが勃発し続けた。
誰にも止められない”うねり”のような戦いは、津波のように世界を飲み込んでいく。
海軍 対 海賊
国軍 対 海賊
海軍 対 国軍
海賊 対 海賊
世界中で、多くの”者”が失われていく音がした。
それは、彼自身も例外ではなかった。
一人の男は、岸辺で海を眺めていた。
彼はやがて、懐から何かを取り出す。
それは、一丁のピストルだった。
カチャリ、という音と共に、そのピストルを自らのこめかみに突きつける。
…だがこの行動は、決して自殺を意味するものではない。”妻”が亡くなって以降…なんとなく彼に身についてしまった、癖だった。妻の遺品であるピストルを頭に当てていると…なぜか、落ち着くのだ。
彼にはもう、護るものは何一つない。
愛すべき妻も。
共に鍛え上げた、弟の部下も。
尊敬すべき大海賊であった祖父も。
棟梁として引き継いだ軍も。
彼にはもう、護るものは何一つない。
ただ…彼には、救いたい者がいる。
救うために、助けを求めるために、彼はずっとここにいる。
一人の男は、岸辺で海を眺めていた。
ただし、『左目を閉じながら』である。
なぜ、彼は左目を閉じているのか。
それは…彼の左目には今、”別の世界”の…”別の海”が見えているからだ。
なんの保証もない賭けだった。
自分の寿命までに見つけだせるかどうかも、分からない。だが、この世界と…自分達の船長を救えるとすれば、もはや”彼ら”だけだ。
自分がこの”悪魔の実”を食べたのは…決して偶然なんかじゃないと、彼は信じていた。
世界と船長を救うためなら、神でも悪魔でも…何にでも縋ってやる。
心を半ば殺しながら、じっと海を見つめ続ける日々。
1日のルーティンと化していたその行為が報われる時が来る日…しかし彼は、心のどこかでは諦めの感情が覗かせていた。
だから、その左目の視界の端に”救いの船”が現れたとき…彼はすぐに反応ができなかった。
「……………っ……!!」
「…………………み………つけた……………」
声を出すなんてのは、ずいぶん久しぶりだった。
枯れ果てた声は、自分のものとは到底思えなかったくらいだ。だが、自分のことなど彼にとってはどうでもいい。
咄嗟に立ち上がった彼は、自らの”能力”を行使するために手で構えを取ろうとして…動きが、止まる。
彼の内心に生まれたのは、良心から来る葛藤だった。
”別の世界”から、この世界とは全く関係ない”彼ら”を呼び寄せること。それがどんなに身勝手なことか。このことを知った”彼ら”の怒りはどれほどのものか。真相を話した瞬間に、怒りに任せて殺されても文句は言えまい。そうなった場合…自分が殺される前に、”彼ら”を必ず元の世界に帰すことだけはしなければなるまい。
例え、己の寿命がそれで尽きようとも、だ。
だが…もしも。万に一つ。億に一つでも。
自分の願いを、彼らが受け入れてくれるのなら。
自分達が生きる黒の世界の闇を、晴らしてくれるのなら。
自分の船長を、あの黒の闇から救ってくれるのなら。
神でも悪魔でも…何にでも。
自分の全てを、売り渡してやる。
彼は、改めて構えをとる。
左手は、指を揃えてまっすぐに。
右手は、親指とそれ以外の指が並行になるようにまっすぐに。
二つの手が合致して……”P”の文字が出来上がった瞬間、彼は叫んだ。
「……パラリングゲート!!!」
────頼む……”麦わらの一味”……
────この世界を…そして、ルフィ船長を……救ってくれやい!!!