Hilfe

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 「…トラ男?」

 気遣うようなルフィの声に、ローはハッとした。少し前を歩いている彼女の大きな瞳が、どうしたのと言いたげに瞬きを繰り返す。

「…あぁ、悪い。今行く」

 目前の教会まであと数m。しかしローの歩みは止まったままだった。

 白い外壁の教会。そして屋根に飾られた大きな十字架。

 その全てがローが昔通っていた教会に酷似していた。そしてそれを認めた瞬間、彼の脳内には今はもう存在しない故郷の記憶が濁流のように押し寄せていた。

幸せだった頃の記憶。

血溜まりに沈む遺体の記憶。

そして炎に包まれる病院の記憶。

 もう10年以上も前のことだ。病は治した。恩人の本懐だって遂げた。完全に乗り越えたと、そう思っていた。

 しかし現実はそう上手くないようで、教会を目にしただけで歩みが完全に止まってしまった。情けないと自分でも思う。過去に囚われている場合ではないというのに。一刻も早く計画を遂行して奴をあぶり出さなければいけないというのに。

 それでもローは、伝い落ちた冷や汗をぬぐうことも、足の震えを止めることも出来なかった。

 止まっている時間は数分も無かったと思う。それでもローにとっては長い時間に感じられた。そんな中で、ローの耳に優しい声が耳に届いた。

「…トラ男」

 十字架からゆっくりと目線を下ろすと、柔和な笑みを浮かべたルフィがローに手を差し伸べていた。呆然とその手を見つめるローに向かって、ルフィは真っ直ぐに告げた。

「…大丈夫だよ。私がついてる。だから、一緒に行こう」

 刹那、敬虔だったシスターが最期に告げた言葉が蘇った。

『ローくん、この世に絶望など無いのです。このように慈悲深い救いの手は必ず差し伸べられます』

 涙を浮かべながら、それでも力強い彼女の表情に希望を垣間見た。しかし結果的には、信じていた人間にも神にも裏切られ彼女は死んだ。彼女だけではない。親も、友達も、妹でさえ殺された。あの日からローの中では神は死んだも同然だった。慈悲も救いの手も、自分には関係のないものだと思い込んでいた。

 しかし今、教会をバックに差し伸べられたルフィの手は、何故だかあの日の『救いの手』を彷彿とさせた。目の前にいるのは神でも天使でもない、他ならぬルフィなのに。それでも気付いた時には、導かれるように手を伸ばしていた。頼りなさげに伸ばされたその手をルフィはギュッと握り返す。

繋いだ手は熱いくらいに温かく、冷え始めていたローの手にルフィの体温が伝わってきた。そう言えば普段はあんなに引っ付かれているのに、こうしてコイツと手を繋ぐのは始めてかもしれないと、ローはボンヤリと思った。手が自分より随分と小さい事もこんなにも温かい事も、今初めて知った。

 ローが手を握り返したのに満足したルフィは満面の笑みで頷くと、踵を返して教会へと向かって行った。ルフィが纏うドレスのスパンコールが太陽に反射して、キラキラと光輝いている。自分には眩しいくらいだと、ローは目を細めた。

 足の震えはもう止まっていた。

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