HANABI・学術バーQの入り口に立つ

HANABI・学術バーQの入り口に立つ


しょうた


この記事は"学術バーQ・Communicative Bar & Cafe HANABI Advent Calendar 2024" 19日目の記事です。


初めましての方もそうでない方も、しょうたです、よろしくお願いします。


HANABIや学術バーQには、あまりたくさんは行けていないですが、ファンではあります。なので、アドベントカレンダーの企画に参加しました。


僕には特別好きと言えるものが3つあります。哲学対話と日本酒、そして、俳句です。僕は、好きなものについて語るのがとっても大好きです。HANABIも学術バーQも好きなので、そこに、自分の特別好きなものを織り交ぜて話せたらなと思っています。このアドベントカレンダーではHANABIや学術バーQに行ってみて考えたことと、俳句を一句だけ書かせていただきます。もしよければ、最後まで読んでくださると嬉しいです。では一句詠みますね。


未知の「み」は道しるべの「み」竜の玉


僕は「み」という音が好き。みーんみーん。夏なら蝉の声が頭の中でこだまする。みゃーお。道を歩けば猫が物欲しそうな顔をしている。「み」という音には、なんとも言えない心地よさがある。気だるいような、どことなく、熱を帯びているような音。そんな「み」が奏でる一番好きな単語は「未知」。


知らないということ。僕はこの世のことを知りきれないと知っている。つもりだ。いや、本当に知っていると言えるか?世の中が広すぎて「知りきる」ということを想像すらできないのかもしれない。「知らない」が多すぎて全貌が見えない。その一方で、僕らは常に発見の嵐に晒されている。例えば、昨日歩いていた時には咲いていなかった花を見つけたとする。花を見つけるということを僕は多分前にも経験した。けれど、「この花」のことは今初めて知った。「知る」ということにも僕らは囲まれすぎている。些細なことでも僕らは「知ってしまう」。知らないことを知らないままでいることに免疫がない。だから、僕らは知りたがる。一つの中毒である。「知らなかった」と「知る」時の快感によって今までの視点をガラッと変えられ、麻薬のような幻覚を見せられてしまう。僕も「知る」という劇薬を貪っている一人だ。「知らない」を思い知った時の、あの打ちのめされる感覚が好き。だからこそ、HANABIや学術バーQに惹かれるのだろう。


僕はHANABIと学術バーQも好き。HANABIとは、高田馬場にある、対話をコンセプトとしたバーである。対話とは何か、それはまだ僕もわかっていないけれど、立場を意識しないでコミュニケーションすることだと今は思っている。人のことを否定したり、除け者にしたりしないで、人を知るというコミュニケーションを重視している。学術バーQとは、御徒町にある、一つの分野について熱意を持っている人がそれをお客さんに伝えるための発表をするバーである。発表者は毎日入れ替わるから、毎日新しい分野を知ることができる、とっても素敵なバー。HANABIが人と対話する場なら、学術バーQは知と対話する場だと個人的には認識している。二つのバーには様々なコンセプトの企画があり、毎月のスケジュールを見るだけでも、眼福である。例えば、「カナダのSAKEについて語るバー」とか、「『あきらめたもの』について語らう夜」とか、「詩の『ほんとう』?:詩における真理を哲学する」などなど。タイトルだけでも楽しめてしまう企画がゴロゴロとある。中でも、HANABIのBAR DIALOGUEと学術バーQの哲学入門という企画が強く印象に残っている。そこには、僕の「知ってみたい」が転がっていた。BAR DIALOGUEでお客さんとあおきさんによって語られる個人的な体験が僕の感覚をアップデートしてくれた。また、BAR DIALOGUEでは、自分の普段抱えている問いを匿名で出し合い、それを問いとして対話をしたことがあった。その時、匿名であるが故に、自分の出した問いがあまりに本能剥き出しで、自分はこんなことを疑問に思っているのか、と新しい自分を知れた。他者との対話を通して、自分を知っていく。それが楽しいと再認識させてくれた。また、哲学入門では一人では理解するのが難しい考え方を易しく丁寧に教えていただいた。特にレヴィナスの考える他者論がとても面白かった。専門的な知識がないので深くはわからないが、他者と自分の間にある断絶がより浮き彫りになったと感じる。もっと、哲学のことを知ってみたいという気持ちが生まれた。この「もっと知ってみたい」という気持ちこそ、「未知」なのではないか。


「未知」とは、単純に知らないことではないと考える。物事を知り、その物事の奥行きをとらえて、その先へ行くための原動力を「未知」と呼びたい。知るということも、知らないということも、どちらも、この世には溢れかえっている。そこから、知ってみたい、と思えることを選び取っていく。僕らが「知っている」世界には、外側がある。そこに足を踏み入れるための淡い希望こそ「未知」なのではないか。自分の「知る」世界の外側に向かって歩いていった軌跡が僕らのこれからを照らし出す、道しるべとなっていく。その道しるべは、世界に対する自分の変わらぬ想いを灯してくれる。自分の「知る」世界の外側への入り口として、今宵もHANABIの、学術バーQの扉に手をかけるのだろう。


いかがだったでしょうか?この文章を読んで、楽しんでもらえたら嬉しいです。この文章を読まれている方、HANABIや学術バーQでお会いできる日を楽しみにしております。ありがとうございました。


しょうた


Report Page