Glace de Noël

Glace de Noël


 メリークリスマス。

 風のない静かな夜、微かな雪がそっと舞う屋外のパーティー会場に、あたしたちの歓声が響き渡った。

 今夜はこの国のお祝い。あたしたちを招待してくれたこの国の人々は、今日があたしたちの暦で十二月二十四日ってことを知ると、だったらクリスマスも一緒にお祝いしましょうって言ってくれた。

 あたしにとって、クリスマスと言えば欠かせないのがbûche de Noël。フランス語でクリスマスの木っていう意味の、薪を模したロールケーキ……

 ……拓海が作ってくれる、ブッシュドノエル。それが、あたしのクリスマスだった。

 いつからこれが、あたしにとっての定番のケーキになったのか、実はよく覚えてない。ただ、あたしと拓海が幼い頃に、市販の安いロールケーキを買ってもらって、二人してそれにチョコレートクリームを塗りたくって、薪どころか丸太にさえ見えないようなブッシュドノエルもどきを一緒に作っていたのを覚えている。


──ゆい、ここはな、フォークでちょっとずつ模様をつけ……

──えい!

──うわ!? 力を入れ過ぎだバカ!

──あたしバカじゃないもん! バカ力なだけだもん!

──わかってるならちょっとは加減しろ!

──おばあちゃん言ってたもん。力こそパワーって!

──よねさん? よねさ〜ん! ゆいがこんなこと言ってますよ!? 嘘ですよね? 冗談ですよね!?

──あらあら、ゆいちゃんってば、どうやらちょっと間違えて覚えちゃったみたいねぇ。

──ほらな、ゆい。よねさんもそう言ってるぞ。

──えー、でも確かにこんな感じだったよね、おばあちゃん?

──よねさん、本当はなんて言ったんですか?

──わたしはただ、ゆいちゃんと一緒にカラオケで「チカラ!イズ!ぱわー」を歌っただけなんだけどねえ。

──よねさん!?


 ……おばあちゃん、新しいものでも何でも挑戦する人だったなぁ。

 あれ? でも楽曲が配信されたの西暦何年だっけ?


「ゆい、ぼーっとして、どうした?」

「あ、拓海ぃ?」


 彼に声をかけられて、思い出から現実に立ち戻る。


「おばあちゃんのこと、思い出してたんだ」

「そっか。……よねさんとのクリスマス、懐かしいな」

「アイドルゲームの変な歌をカラオケで歌った気がする」

「チカライズパワーな。しかもすっげー上手くてびっくりした」

「あたしも歌った。でも難しかった」

「めっちゃテンポ早いからな」

「拓海は歌ってくれなかった」

「なんでクリスマスにあんな変な歌を歌わにゃならんのだ。というか何であんなもん歌い出したんだ、よねさんは?」

「確か、あたしが拓海と一緒にブッシュドノエルを作ってたから、だよ」

「ブッシュドノエルを?」


 首を傾げた拓海の両手には、切り分けられたブッシュドノエルを載せた皿が二つあった。


「ほら、お前の分」

「ありがと」


 差し出された皿を受け取り、あたしたちはパーティー会場の片隅のベンチに並んで腰掛けた。

 このブッシュドノエルも、やっぱり拓海が作ってくれたもの。この国の材料を貰って、パーティー会場のキッチンを借りて、みんなのために作ってくれたもの。

 市販のロールケーキに二人でチョコレートクリームを塗りたくっていた頃とは比べものにならない、ケーキからクリームから全て拓海の手作りで、そのデコレーションも本物の薪みたいに精巧な、きっと本格的な洋菓子店にも負けないブッシュドノエル。

 毎年どんどん上達していく拓海に追いつけなくて、いつの間にかあたしは、調理する彼を見守るだけになっていた。


 ……ここ二、三年は、あたしにも色んなことがあって、そして拓海にも色んなことがあって、だから彼がブッシュドノエルを作っていることを見守る暇もあんまりなくなって、今日だって──


 ──あたし、あんまり拓海のそばに居られなかった。

 拓海と同じくらい大事な友達がいっぱいできて、そんなみんなと過ごしている間に、拓海はあたしたちのために一人でブッシュドノエルを仕上げてしまった。

 あたしは皿のケーキにフォークを立て、口に運ぶ。

 しっとりとした舌触りの、甘さよりも少しビターなチョコクリームと、ふわふわな生地。


「美味いか?」


 問いかけてくる拓海に、あたしは笑顔を作った。


「デリシャスマイル、だよ」

「そうか」


 ふっと微笑んだ彼の目が、一瞬、あたしから逸らされて、どこか遠くを見るように彷徨った。


(拓海……のどかちゃんを探しているの?)


 これ、あたしの好みの味とは、ちょっと違うよね。

 いつも作ってくれたのは、もう少しミルクが多くて、お砂糖も多めの、甘々な味だもん。

 でもね、あたし、知ってるんだ。


 これは、のどかちゃんの好みだって。


 あたしは、作った笑顔を崩さないようにしながら、小さく切り取った次の一口を飲み込んだ。

 そうしながら、拓海から逸らした目で広いパーティー会場を眺め渡す。

 ずっと向こうに、のどかちゃんの姿があった。ヒープリのみんなと楽しそうに話している。

 でも、彼女のその目が、不意にこちらを向いた。

 あたしは手元の皿に目を落とすフリをしながら、拓海の様子を横目でそっと窺った。


 彼の目はもう、あたしを見ていなかった。


〜〜〜


 俺がふと目を離していた間に、ゆいは皿のケーキをあっという間に平らげていた。


「ん〜〜、デリシャスマイル〜〜!!」


 いつもの笑顔、いつもの調子で、あいつは満足そうにそう言うと、座っていたベンチから腰を上げた。


「あたし、他のデザートも食べてくるね♪」

「あ、ああ」


 彼女のその態度に少し面食らってしまう。まだろくに会話してないのに、あいつは軽やかな足取りで料理が並んだテーブルへと駆けて行ってしまった。

 料理を皿に盛ったら俺の元に戻ってくるかと思ったけれど、あいつはテーブルの側で他の仲間と会話を始めた。

 どうやら戻ってくる気配はなさそうだ。

 俺はため息をついて……自分でも何のため息かよくわからない、そんな気分で席を立った。


 ……俺は、ゆいと何を話したかったんだろうな。


 雪が微かに舞い散る屋外会場は、不思議と寒くなくて、見上げるとそこには満天の星空が広がっていた。

 雲もないのに降る細雪。それは夜空を流星のように飛ぶこの国の妖精たちが降らせたものだった。

 雪の結晶を尾のように引きながら星々の間を流れる妖精たちを目で追いながら視線を下ろしていくと、彼女と……のどか先輩と、目が合った。


 心臓が跳ねた。それは恋心か、それとも、罪悪感なのか。


 きっと、両方だ。どんな顔をして良いのかわからない俺に、のどか先輩はその顔にやわらかな笑みを浮かべてくれた。


──拓海くんが気にすることなんて、何にも無いよ。大丈夫……


 今朝、俺にそう言ってくれた時と、同じ笑顔。

 全てを許して受け入れてくれそうな、優しい、慈しみの笑顔。

 のどか先輩はその笑顔を俺にもう一度見せると、また仲間たちの輪へと加わろうとした。


 ……俺は何をやっているんだ。彼女に、言うべきことがあるだろ!


 ……彼女の笑顔に甘えて、全部許されたつもりになるなんて、そんなの卑怯だろ!


 俺は早足で彼女の元に歩み寄った。


「のどか先輩」

「拓海くん?」

「あなたにお話があります」

「え──」


 俺は彼女の返事を待たずに、その手を引いて仲間の輪から連れ出した。


〜〜〜


 拓海くん、怖い顔をしてる……

 私の手を引くその手は痛いくらいに力が込められていて、でも──


 ──震えていた。


 だから私は、大人しく彼に任せて歩き続けた。

 私の背中に、仲間たちの戸惑った視線を感じる。みんなが誤解しないようにちゃんと説明するべきかな。

 でも、誤解って、私は何を誤解されるつもりでいるんだろう。

 ……それとも、誤解されたいのかな。拓海くんと私が、そういう関係なんだ、って。

 そんなバカなことを一瞬考えてしまい、慌てて内心から振り払う。

 そうしているうちに、私は、会場から外れた、人気のない場所まで連れてこられていた。

 私の手を握ったまま、拓海くんが立ち止まった。でも、その顔は前を向いたままで、少し俯いていた。


「拓海……くん?」


 横顔を覗き込むと、彼は奥歯を噛み締めたように、唇を震わせていた。


「のどか先輩……俺は……あなたを──」

「何にもないよ」


 彼の言葉を遮って、私は何度も繰り返した言葉をまた口にした。


「私たちは、何にもなかった」

「嘘だ。俺は」

「言わないで」


 振り向いた彼の唇に、人差し指を押し当てる。


「言っちゃ、だめ」


 何度となく重ねてしまった、彼の唇を、指でそっとなぞりながら、私は告げた。

 震える唇、私を見つめるその瞳が、罪悪感に揺れていた。

 そう、罪悪感。彼が私に抱いている感情は、それが全てだから。


 愛じゃない。


 あなたが本当に愛している人は、ちゃんといるでしょ?

 だから、一時の気の迷いで抱いた女のことなんて、気にしちゃダメだよ?

 ううん、あれは気の迷いでさえない……

 ……今もこうやって自分を誤魔化し続ける、私が狡くて、卑怯なだけだから。


「拓海くん。全部、夢だったんだよ。何もかも」

「でも、俺はそんな無責任な真似はしたくない!」

「責任なんて、私はそんな言葉が欲しいわけじゃない」

「え……?」


 責任なんてもので、あなたを手に入れたかったわけじゃない。


「心から、私だけを見てくれなきゃ、そんなの愛とは言わないよ……ッ!」

「………俺は!」


 唇のそばに置いた私の手を、彼は握りながら叫んだ。


「あなたが好きだ!」

「そんなの、知ってるよ!」

「ッ!?」

「私だって拓海くんが好きだよ! でも、でもッ……ゆいちゃんのことはどうするの……!?」


 拓海くんが息を呑んだ。

 そうだよ、拓海くん。君は、絶対にあの子を捨てられない。

 それがわかってるから、私は、こんなズルい真似しか出来なかったんだ

 私は、彼に握られた手を振り払った。


「行きなさい、拓海くん。こんな女のために、ゆいちゃんを捨てるなんて真似は、許されないよ……」

「のどか先輩……」


 頰を熱いものが滑り落ちていく。私はそれを慌てて拭った。

 この期に及んで泣いてしまうなんて、私はどこまでズルい女なのだろう。同情を引こうとしているように思われないように、私は背を向けた。


「……わかりました」


 その呟きと共に、彼の気配が遠ざかっていく。

 もう二度と会えないわけじゃないのに──でも何故だか確信していた。

 もう彼に会うことはないと。多分これでおしまいなのだと……それでもなお彼を愛しい想いが駆け巡って、心が引き裂かれそうになる。

 私は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え続けた。


〜〜〜


 拓海がのどかちゃんの手を引いて、どこかへ行った。

 その様子は、みんな見ていた。もちろん、あたしも。

 でも、誰もその様子を見にいくことは無かった。みんなわかってたんだ。拓海が、誰を選ぼうとしているのかってことを。

 これで良かったんだって、あたしは自分に言い聞かせながらパーティー会場から離れた。みんなも、あたしをそっとしておいてくれた。

 そして、人気のない場所まで来た時に……

 ……あたしは耐えきれなくなって泣いた。


「ぅ……っ……ふえぇ……」


 不思議な結界で護られていたパーティー会場と違って、外は冬の空気が冷たくて、頰を流れる涙の熱さえすぐに奪っていく。

 どうして? あたしの何が足りなかったんだろう? そんな思いが込み上げてきて泣きじゃくる。

 でも、わかってるんだ。全部あたしが自分で招いたことだって。

 あたしの拓海への気持ちに、あたし自身が全然気づかなかった、そのせいだって。

 せめてあの時に気づいていれば……十四歳のクリスマスの時、拓海がブラックペッパーだって知ったあの時の気持ちに、もっとちゃんと向き合っていれば……


 でも、わからない、わからないよ!


 あたし、自分がわからないよ!


 拓海が好き!


 でも、あんなに辛そうな拓海は見たくない!


 のどかちゃんばかり目で追いかけちゃう拓海なんか大嫌い!


 でも、拓海に幸せになって欲しい!


 あたしを幸せにしてくれない拓海は大嫌い!


 でも、拓海を幸せに出来ないあたしが一番大嫌い!


 のどかちゃんを嫌いになりそうなあたしが大嫌い!


 あたしの拓海を返してって叫びたい!

 でも、それをしちゃいけないんだ!

 ……そんなこと、わかってる。わかっているけれど……


「うわぁぁぁぁん!」

「ゆい!」


 泣きじゃくるあたしを、拓海が背中から抱きしめた。


「!? ……た、拓海……?」

「……ああ」


 あたしを抱きしめる彼の力が強くなって、あたしは苦しさに喘ぎながら聞いた。


「なんで……どうして……」

「お前が泣いている。他に理由なんか……ない」

「のどかちゃんは……いいの?」

「……いいんだ」


 背中に感じる体温と重みに、あたしの心臓が高鳴り始める。それはゆっくりと、でも確実に、鼓動を速めていく。拓海の鼓動と重なってるみたいに速くなる鼓動が、混ざり合っていくのを感じた。


「俺は……」


 背中越しに彼の体温が伝わってきて、あたしの身体の中に染み渡っていく。


「俺は、お前を……愛したい」


 その言葉は、胸の奥底から、振り絞るみたいな声で……

 ……あたし、わかっちゃった。


(のどかちゃんに、フラれたんだね)


 胸の中に拡がるのは、安堵と、そして自己嫌悪。


「拓海……」


 あたしは彼に抱きしめられたまま振り返り、彼と向き合うと、その胸に身を預けて抱きついた。そして──


「あたしも……あなたを愛したい」


 そう囁きながら、顔を上げて瞳を閉じた……

 ……彼の瞳の奥に残る、彼女の影を見たくなかったから。


「ゆい……」

「拓海──」


 あたしの呟きを遮って、彼が、深く口付けをしてくれた。

 あたしたちは、お互いの心の寒さを温め合うように、ずっと抱きしめ合い、唇を重ね続けた……

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