ゲヘナ、部長、2年生
轟音、次いで衝撃。
日常とは言えないが異常とも言い難い、食堂の入り口を吹き飛ばす派手な爆発音。
衝撃で吹き飛んだ鍋の蓋を拾い、何となく盾のようにしながら見れば、立ち込める砂煙の中に人影が一つ。
「……全くもう、普通に入ってくればいいじゃない……」
眉間にしわを寄せながら呟くと、それに応じるように声が響いた。
「やあやあ、我らゲヘナの食を支える給食部! 仕込み中とは思うが失礼するよ!」
「…………えっ、誰?」
砂煙の向こう側から聞こえた声は、想像よりも幾らか───いや、かなり溌溂としていた。
遅れてこちらへ進み出てくる姿は、イメージより背丈が低く、髪色も想像通りではなく。
「うん? ああ、これはこれは給食部の部長殿! 忙しいだろうにすまないね!」
裾をショートパンツからはみ出させた紅色のシャツに、ダボつく真っ白な白衣を羽織って。
ご機嫌に揺れる長い尻尾にはゲヘナの校章入りの布が引っかかって。
鉄黒色の長髪を辿って視線を上に滑らせれば、黄昏色の瞳と目が合った。
「だが丁度いい、君に用事があったんだよ……愛清フウカ君」
ゲヘナ内外にその名を轟かせる温泉開発部。
所属生徒数200を超えるとさえ囁かれる巨大危険集団をまとめ上げるトップ───鬼怒川カスミが、そこにいた。
「は……あ、え、私? 温泉開発部の部長さんが、私に用事……?」
「ほう、すぐに誰かを言い当てられるとは」
私も有名になったものだ……と小さく呟くと、彼女はニッと口角を上げて、満面の笑みでこう言い放った。
「そうとも。誰でもない、君に……我が温泉開発部の、専属調理係になってもらいたい!」
「……は?」
そう悪い話ではないはずだ、と前置きをして、カスミは語り出す。
「私たちは日々、温泉で癒しと活力を齎すべく各地で尽力している……しかし当然私たちも生きている、故に疲れは溜まる」
「……」
「食事もまた、温泉と同じく人々の活力となるものだが。それを用意する者の疲れは誰が取るのか……君も似たようなことを考えはしなかったかい?」
「……無いって言ったら?」
「それならそれで構わないさ。問題は、私たち温泉開発部も癒しと活力を求めているということだからね」
言葉は澱みなく、すらすらと彼女の口から出てくる。
「数千人ぶんの給食を日頃用意する君なら、たかだか数百人ぶんの料理を作るのはそう難しくないだろう?」
「まあ、大変は大変だけど……否定はしないでおくわ」
「そして聞いた話だが、なんでも偶に襲撃を受けて、そのうえ誘拐さえされてしまうと言うじゃないか!」
「……これも否定できないのがイヤね」
「つまりは、多少の荒事には慣れているということ。どうだい? 否定できるならそうと言ってくれて良いが」
「……ノーコメントで」
「肯定と取らせて貰うよ。とにかく、一度に大量の調理ができ、且つ面倒事の対処も覚えがあるということだ」
「改めて事実を突きつけられると、本当に嫌になるわ……」
嘆息を吐く私を見、カスミも小さく息を吐きながら目を閉じて。
……ゆっくりと開いた瞳には、先程よりも真剣な色が宿っていた。
「……どうだろう、愛清フウカ君。我々温泉開発部の専属調理係として、その腕を存分に振るうというのは」
「……」
「調理の量が減れば君の負担も減る、今より質に拘ることも出来るだろう」
「私たちは厄介者の集団として扱われるが、それでも開発用の機材や大量の爆薬を用意できるだけのモノはある」
「君が満足できるような調理器具も、少し値が張るような食材だって、きっと用意できるさ」
「もちろん、様々な連中に目を付けられているのは否定しない。ちょっとしたいざこざもしょっちゅうだ」
「だが幸か不幸か、君もそういったアレコレには度々巻き込まれる……つまり騒動には慣れている」
「さっきも言ったが、食事は温泉と同じく大事な活力の源。それを提供してくれる存在を、皆丁重に扱うだろう」
「下手すれば私よりも優先的に逃がされ、庇われ、守られる……時折襲われる現状と比べても悪くないんじゃないか?」
ここで一旦言葉が切られ、すっかり砂煙の晴れた食堂に静寂が満ちる。
「私の提示できるメリットは今の通りだ。さあ───答えを聞かせてほしい」
「……」
確かに、カスミの言う条件は、今の自分が置かれている状況からすれば魅力的に映る部分がある。
温泉開発と一口に言っても、爆破に掘削、果ては整備まですると噂で聞く。それはかなりの費用がかかるはず。
なのに活動が続いているのは、つまりそれを支える元手があるということだ。
今よりもっと良い道具で、今よりグレードの高い食材を、今より更に手間をかけて調理できる。
その光景に、夢を見ないとは言えない───が。
「私の、答えh『ドカアアアアァァァァン!!』───えっ何なに!?」
「……おっと……ふむふむ、そうか成程な!」
「ちょっと、一人で納得しないで!」
「ハーッハッハッハ! いや何───これは想定より難しい仕事かもしれないぞ、と思っただけのことさ」
「え、それってどういう───」
「───フウカさん、そちらで何を?」
カスミと同じく一本芯の通った、しかしまるで異なる声色。
再びの爆発で舞い上がった砂埃の奥から、つかつかと近づいてくる『いつもの』足音。
やがて現れたのは、肩にかけた漆黒の上着と艶やかな銀髪を靡かせる、淑やかな姿。
「は、ハルナ……?」
「ええ。ハルナです」
美食研究会のリーダー、黒舘ハルナだった。
「それで、フウカさん。私の質問に、お答え頂けますか?」
「え、質問……ええと、そこで何を、ってやつ?」
「そうです」
「何をって言われても……見ての通り、勧誘されてただけだけど」
「……誰にです?」
「だから、見ればわかるでしょ……」
歩み寄って来たハルナに問われ、カスミの方へ向き直れば。
「……って、いない!?」
「おそらく、今のやり取りの間に逃げたのでしょうね」
「はぁ……いきなりやって来て、いきなり勧誘してきて……何だったのかしら」
「…………」
「あれ、ハルナ?」
美食研究会の他メンバーと比べて、ハルナは声を荒げたりはしない方だ。
しかし今は、普段以上に静かだった。それこそ、どこか不穏なものを感じるほどに。
「フウカさんに手を出そうなんて、それこそ美食に……いいえ、私たちに対する挑戦ですわ……」
「もう、ハルナ! 何をブツブツ言ってるの?」
「……はっ! い、いいえ、何でもありません」
「……ふーん」
改めて声をかければ、少し焦ったように取り繕って、そしていつものハルナに戻った。
気が付けば、周りの光景も含めてすっかりいつも通り。
……いつも通りの範疇に、盛大に破壊された跡が含まれていることには、今は目を瞑ろう。
「ま、いいけど。それで、何しに来たの」
「ええ、よくぞ聞いてくれました! 実はフウカさんに折り入ってお願いが……」
いつもより少し大きく揺れる、ハルナの尻尾に免じて。