Game Of Deception
西流魂街・門前
瀞霊廷を守る門を抜けた先、四角い石畳が敷かれた市街地で、カワキは町の奥から悠々と歩いて来る男を見据える。
『あれが……三番隊隊長……』
すぐ後ろで落ちてくる門を支える巨漢の死神が、脂汗を浮かべて荒い息を吐いた。
それもそのはず——門番には左腕から先が無く、斬られたばかりの傷口からは大量の血が噴き出していた。
斬ったのは、カワキ達ではない。下手人は目の前に立つ痩せぎすの男、市丸ギン。
薄ら笑いを浮かべる市丸に、門番は恐怖を覚えながらも、己の意志を貫き通した。
「オラは負げだんだ……負げだ門番が門を開げるのは……あだり前のこどだべ!」
「わかってへんねんな。負けた門番は、門なんか開けへんよ」
門番を諭すような市丸の声に耳を傾け、その動向に気を配りながら、カワキは傍の一護にチラリと目を向けた。
一護もカワキも、つい先日、朽木白哉に実力差を思い知らされたばかり——大敗を喫したことは、記憶に新しい。
この短期間で、そう無鉄砲な行動に出るとは思えないが、釘を刺しておくに越したことはないだろう。
戻した視線は市丸に固定して、カワキは声を潜めて、背後にいる一護に忠告した。
『相手は隊長格、一護、くれぐれも……』
忠告の途中、雲がかかったわけでもないのに、カワキの半身に影が差した。カワキが言葉を途切れさせる。
すぐに戻った陽光を反射して、きょとんと見開かれた蒼の目に浮かぶのは——純粋な驚き。
『は?』
忠告の最中、一護がカワキの真横をすり抜けて市丸に突進したのだ。
同時、門番と対峙する市丸の殺気が一気に膨れ上がった。腰に差した脇差のような形状の斬魄刀に手をかける。
「門番が『負ける』ゆうのは——『死ぬ』ゆう意味やぞ」
片腕だけでは足りず、命まで奪い去ろうという一閃。迫る凶刃を、一護が阻んだ。
斬魄刀同士がぶつかり合う甲高い音に、カワキはハッと我に返った。
斬魄刀を受け止めて、驚きにポカンと口を開けた市丸に一護が叫んだ。
「……な……」
「何てことしやがんだ、この野郎!!」
それは、こちらのセリフだ。カワキが銃を手に駆けて行く。
何故、隊長格に突っ込んだ。
合理性を欠いて見える行動に、カワキは疑問符を飛ばしながら足を動かす。
門番を利用すれば、こちらに損害もなく隊長格の斬魄刀を、間近で観察できたのに——少なくとも、カワキならそうした。
「兕丹坊と俺たちの間でもう勝負はついてたんだよ! 後から出てきて、ちょっかい出しやがって、このキツネ野郎!」
憤りをあらわに、市丸へと斬魄刀を突きつける一護。カワキの内心に、焦りが侵食する。
とにかく、一護を退かせなければ。
頭にあるのはそれだけで、しかし、何を言えば、一護は引き下がるのだろう。
カワキには、一護がわからなかった。
交えた刃を弾いて間合いを開けた一護の隣、いつでも庇える位置でカワキは言う。
『さっき兕丹坊が言っていただろう。その「キツネ野郎」は三番隊隊長、市丸ギン。瀞霊廷でも上から数えた方が早い強者だ』
「……おう」
話を聞いているのか聞いていないのか、どちらとも取れない相槌が返される。
わからないなりに、カワキは凍りついた無表情の下で懸命に考えた。
一護を説得しようと、同じ隊長格である朽木白哉の名を、実力差の指標にあげる。
『彼は現世で君や私が戦った、朽木白哉と同格の敵だ。それはわかってる?』
「ああ」
淡々と返事はしても、市丸に向けられた斬魄刀が下されることはない。ますます、カワキの疑問符が増えていく。
そうして、カワキははたと気付いた。
一護は瀕死で白哉に吼えた命知らずだ。もしかしたら、「実力差」は説得の材料として弱いのかもしれない。
引き下がる様子がまるでない一護の反応を見て、理屈で攻める方向に切り替える。
『彼の言うことは理に適ってる……私達がやるべきことは、兕丹坊に下る処断の刃を防ぐことじゃない。目的を思い出して』
門番が上官の指示を無視して、敵を通すために開門する——立派な裏切り行為だ。
死神を統率する立場にある隊長が、門番を処断するのはおかしなことではない——少なくとも、カワキが育った場所の価値観ではそうだった。
今回の侵攻の目的は「朽木ルキア救出」——道中では朽木白哉を含めた多くの強敵とぶつかることになるだろう。逃げる途中で追手もかかるはずだ。
その前に、無駄な戦いで手の内を晒して消耗することは悪手だ。そう告げるため、カワキが息を吸おうと口を開けた瞬間——
「理だのなんだの、関係ねえよ」
眉間に深く皺を刻んで市丸を睨みつけた一護が、相槌以外の言葉を発した——低い声に滲む感情は、カワキが知らぬもの。
開けた口をゆっくりと閉じて、カワキが一護の横顔を見上げた。
その目にギラギラと闘志が燃えるのを、カワキは確かに捉えた。
「武器も持ってねえ奴に平気で斬りかかるようなクソ野郎は……俺が斬る」
一護が市丸と向き直る。
後方で不安げに見守っていた井上へと、門番の治療を任せて、斬魄刀を構えた。
「……井上。兕丹坊の腕の治療たのむ」
「あ……、はっ……はい!」
『…………』
やはり自分に「話し合い」というものは向かないのかもしれない——カワキは溜息を吐いて、そっと目を伏せた。
「コラーー!! もう止せ一護!!」
一護を叱責する黒猫、夜一の怒鳴り声を聞きながら、カワキは考える。
こういう時の意見の通し方なんて、一つしか知らなかった。
『一護を止めてくる。君達は撤退の準備をしていて。……目立ち過ぎた、もうここを抜けて中に入るのは危ない』
「……ああ」
「わかった」
神妙な顔で頷く茶渡や石田に、聞き分けがよくて助かるなと、カワキは浅く頷きを返した。
見たところ、市丸はまだ遊び半分。本気でカワキ達をここから排除しようという気はないようだった。
侮られている今が好機、隙を見て一護を引きずってでも門の外に出す——カワキが行動方針を定めかけたところで、聞こえた言葉にピタリと動きを止めた。
「……キミが黒崎一護か」
「知ってんのか、俺のこと?」
『……引っかかる物言いだ。一護に、何か用事でも?』
「いやァ?」
誤魔化すように首を傾げてヘラリと笑う市丸に、カワキは警戒を解かなかった。
単なる侵入者の確認、というには、市丸の呟きには何か含みがあるように感じる。
妙な胸騒ぎ——何か、見落としている気がする。
戦場では直感が生死を分けることもあるのだ。小さな違和感の正体を探るように、カワキはここに来てからの記憶を辿り——
ふと、気が付いた。
——この男は、何故ここにいる?
一度、違和感の尻尾を掴むと、カワキの思考は一気に回り始める。
瀞霊廷の広さは相当なものだ、外壁付近など散歩で来る距離でもなければ、偶々、出歩くような場所ではない。
だが、警備というのも妙だった。市丸の他に、隊士の姿が見えないからだ。
瀞霊廷に13人しかいない隊長の一人がピンポイントで侵入地点に現れる。これは偶然か?
そんなはずはない——カワキの直感は否を唱えた。偶然にしては出来過ぎている。
では、この薄ら笑いが張り付いた男は、一体何の用があってたった一人、この場に現れたのだ?
『君は……誰の命令で、何をするために、ここに来た?』
飄々とした態度を崩さないキツネ顔の男をじっと見据えて、カワキはゆっくりと、一言、一言、問いかける。
「誰の命令か」と問うたのは市丸の呟きが、何者かに「黒崎一護」に関する情報の一部を、聞かされた者が取る反応に思えたから。
夜一が一護の名を呼ぶまで、市丸は門番を咎めるばかりで、一護を含めたこちらの誰にも、まるで関心がないようだった。
仮に、一護絡みで何か企んでいたとしても、単独犯ではないだろう。
「……!」
カワキの推測から出た問いかけに、市丸は、おっ、と眉を上げる。勘の良い子供だと、驚いているようだった。
僅かな変化も見逃すまいと光る蒼色に、ニイ、と口角を上げて言う。
「……おっかない子やな」
ややあって、市丸は自然な動作でカワキから視線を逸らした。ほんの一瞬、瀞霊廷の中心がある方角にチラリと目を向ける。
「……『ボクは』キミらに用はないんよ」
「ボクは」——そう強調する話し方に、カワキは市丸が何者かの命令で動いていることに確信を得た。
同時に、疑念が湧き上がる。
市丸の上で糸を引いている人物が誰で、何が目的であるのか、未だ判然としない。
現在、判ったことは、市丸がこの情報を伝えたのは、意図的なものであること。
知られても問題がないのか、あるいは、知らせることに意味があるのか——判断を下すには情報が足りない。
疑り深い眼差しを向けるカワキに、市丸は何かを伝えたがっているようだった。
「けどボク、これでも隊長やさかい旅禍は見逃せへんなァ。それに、何より……」
ゆっくりと動いた細い目が見据える先にいるのは——
「あっ!? おい! どこ行くんだよ!」
吠える一護に背中を向けて、町中へ歩き始めた市丸。
カワキは前を向いたまま、半歩後ろへと下がった。
市丸の視線が意味することは、何となくだが読み取れた。
この先に一護を進ませることはできないが、ここで一護を殺すことも避けたい——おおむね、そんなところだろう。
最終的な目的は知らないが、ここで一護を門外に出すのは、カワキとしても都合が良かった。
良いだろう——その思惑に乗ってやる。
『一護。防御を』
「は? この距離だぜ?」
『ああ、そうだ』
ある程度、進んだところで歩みを止めた市丸が、くるりと門を振り返る。
「ここ通すわけにはいかんからなあ」
「何する気だよ、そんなに離れて? その脇差でも投げるのか?」
「脇差やない。これがボクの斬魄刀や」
『反撃は考えないで。「来る」と思ったら後ろに跳ぶんだ。君の斬魄刀の強度なら、防げるはずだから』
腰を落として構えを取った市丸の姿に、カワキは早口で一護に指示を投げた。
ほぼ同時——死覇装の袖の陰に斬魄刀を隠した市丸が、大きく口を開けた蛇のようにニヤリと笑って、解号を告げた。
「射殺せ、『神鎗』」
刹那、袖に隠された斬魄刀が一瞬にして一護に迫る。延びた斬魄刀を同じく斬魄刀の刀身で受け止めた一護。
「く……黒崎くん!!」
「黒崎っ!!」
「しまった!!」
勢いに負けて、門番ごと流魂街へと押し出された一護を見届けて、カワキは不気味に微笑む市丸を振り返った。
同行者達が、慌てた様子で一護へと駆け寄る声を聞きながら、カワキは至極冷静に淡々と言葉を紡ぐ。
『…………。私は君の目的を知らない。礼は言わないよ』
「いらんいらん。ええよ、お礼なんかせんでも。ボクもキミみたいなおっかない子とは戦いたないだけや」
敵同士とは思えないほど、穏やかな会話だった。お互いに、目先の目的が一致したからこその、一瞬の騙し合い。
一護を追いかけて外に出た同行者達が、ゴォォォ! と音を立てて下りてくる門を目の当たりにして、内側のカワキに叫ぶ。
「門が下りる……っ!!」
「カワキちゃん! 早く外に!!」
「取り残されるぞ!」
懸命な叫びを背中で聞きながら、カワキは市丸を視界から外さぬように後退りする形で駆け出した。
下りきる寸前の門をくぐり抜け、カワキは去り際に一発の銃弾を撃ち放つ。
『じゃあね、市丸ギン。これは土産だ』
防がれることは織り込み済みの一撃。
露骨に頭を狙ったソレをヒョイと躱して市丸は大袈裟に驚いたフリをして笑った。
「おぉっ! 危ないなァ……やっぱり怖い子ぉやわ」
独特な笑みを浮かべた市丸は、腰を折り曲げて屈むと、閉じていく門の隙間から、ヒラヒラと手を振った。
「バイバーーイ♡」