GONG

GONG

のぶ代

「ふっ……! ふっ……! 」


 トレセン学園に併設されたトレーニングルーム。

黄金世代が一角、熱い闘志を胸に秘める大和撫子ウマ娘のグラスワンダーが一人鍛錬に励んでいる。

スクワット、懸垂、ベンチプレス、デットリフト……

基本の種目ばかりではあるが、確実に完璧にこなしている。

普段のおっとりとした雰囲気は消え去り、ただ只管に己を追い込む。その姿からは並々ならぬ気迫を感じられた。


「……ふぅ。これで、3セット終了、ですね」


息はそれほど切らしてはいないものの、じっとりと濡れたジャージ。額や腕にもじんわりと汗が浮かぶ。

身体を冷やさないように、小休止中はタオルで入念に拭きあげる。ゆっくりと、丁寧に。慈愛を持って。普段温厚としてよく知られるグラス。その顔をふと覗かせた瞬間だった。


そんな時だった。ガチャリと音を立ててトレーニングルームの扉が開く。顔の汗を拭い終わったところで、グラスの視線は自然と扉の方へ。


「グラスちゃん、来たよぉ」

「アキュートさん、来て下さりありがとうございます。本日は宜しくお願いします」

「そんなに畏まらなくてもええんよ〜」


現れたのはワンダーアキュート。

グラスワンダーの先輩に当たる、高等部のウマ娘。専門はダート走ゆえ、併走など通常の練習では顔を合わせることは無い。精々がお互いの練習風景を遠目で見ることくらい。

そんな彼女をトレーニングルームに呼び立てたのは、アキュートの実家にグラスが偶然立ち寄った事が切っ掛けであった。


「ボクシングに触れてみたいんじゃね?」

「はい。先日アキュートさんのジムを訪れた時の光景が忘れられなくて。

……ミットを叩く拳の音。……乾いた闘志の音。

聴き入るだけで身も心も清らかになるような、そんな場所でした」

「あの時のグラスちゃん、凄く嬉しそうだったものね。

あたしで良ければお手伝いするよぉ」


そう言ってアキュートが取り出したのは、顔の大きさ程もあるグローブ。所謂ボクシングミットだった。


「グラスちゃんは、こっちをつけてね。

普段うちで使ってる物だから、ちょっとばかりよれよれなのは申し訳ないねぇ」


ボクシングジムの名前が書き入れられたグローブ。それを丁寧に手渡すアキュート。

確かに年季が入っているようで、所々塗装が剥げている。だがそれ以上に丁寧に扱われた事も窺えて。

いえ、ありがとうございます。と一言お礼を添えながらグローブを丁寧に装着するグラス。

事前に手のサイズを伝えていたこともあり、特に違和感も無い。試しに腕を振ったりしてみたが、これならば不意に外れることも無いだろう。


「では早速やるかね? しっかり身体を解してからじゃが」

「はい。生兵法は怪我の元、ですからね」


軽く準備運動をして体勢を整えた後、二人はトレーニングルームの奥へ移動する。

やや広めの空間にマットが敷かれており、激しく動くトレーニングをする為には最適の場所。


「いつでも打ち込んできてくれていいからねぇ」


そう言ってミット打ち用の分厚いグローブをスッと構えるアキュート。普段の悠然とした雰囲気はそのままだが、少し腰を落としたその姿勢からはどこか熟練者の余裕も感じさせる。

顔の前にミットを構え、万全の姿勢で待ち構えていた。


「では、参ります」


はっ、と息を吐きながら拳を突き出すグラス。基本のワンツーパンチをテンポ良く。テレフォンパンチではなくしっかりと腰が入っている。

アキュートはそれに合わせてミットを軽く突き出し、リズムを整える。社交ダンスのようにリードを取ることで、パンチを打つ側もやりやすくなるのだ。


「足が閉じ気味になっとるよぉ。しっかり肩幅まで開いてね」

「はい!」


フォームが崩れれば、セコンドのように指示を出し。


「パンチを打ったら脚を引くのを忘れずにじゃ。打ったら戻るのを意識してな」

「……っ、はい!」


飛んでくる拳だけでなく、威力の根幹を担う下半身にも目を配り、檄を飛ばす。


そうしているうち、初めは多かった指摘もどんどんと減っていき。

スパン、スパン、と小気味良い乾いた音がトレーニングルームに響き続けていた。


(嗚呼。この音。これこそが私の求めていたもの……!)


あの日、アキュートのジムへ立ち寄った時に聞いたこの音。乾いた闘志の音。自らが習っていた薙刀や舞踊の時とは違う、余りにも無骨な音。

それがえも言われぬ高揚感を産み出していた。


日常では押さえつけている闘争心を、こうして解放出来る。黄金世代達との鬼気迫るレースともまた違った、只管にただ拳を突き出すだけのトレーニング。

それが今は楽しくて仕方がなかった。


だから、いつしか拳の勢いはどんどんと高まっていて。

あっ、と思った時にはアキュートがミットを構える前に打ち込んでしまっていた。


「避け……!」


と咄嗟に言うも、声などよりウマ娘のパンチが出る方が速いのは、にんじんを食べたらスペちゃんが喜ぶのと同じくらい当たり前で。

最悪の事態を想定した所で、パァン! という本日最大の破裂音がトレーニングルームに鳴り響いた。


「あれまあ。グラスさん、とっても飲み込みが早いねぇ。あたしもちぃとばかり焦ってしまったんよ」


気が付くと、コースから外れたはずの拳をしっかりとミットで受け止めているアキュートが居た。

これには流石のグラスも驚く他なかった。半ば無意識だったとは言え、手を抜いた訳では無い。むしろ全力で打ち貫いたはずの拳がいとも容易く受け止められていた。

とは言え、とても危なかったのは事実なので、思考もそこそこに切り上げて謝罪の言葉を伝える。


「申し訳ございません。アキュートさん。楽しくなる余りに自分を見失い、危険な行為をしてしまうとは……」

「ええんよぉ。門下生の子らとやっとる時も、おんなじような事はたくさんあったからねぇ。

それだけ集中してやっとる証拠なんじゃよ」

「……そう言って頂ける事、深く痛み入ります」

「そんなに気にせんでなぁ。あたしも久しぶりに拳を打ち込みたくなったよぉ」



ははは、と笑うアキュートに、どこか底知れないものを感じたグラス。やはりこの人と共に鍛錬をするのは糧になる。そう認識出来た瞬間だった。


「ちょっと想定外じゃったが、小休止も取れたねぇ。では続き、やるかぇ?」

「是非とも」


二人の稽古は始まったばかりだ。

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