Film PiNK 中編

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Chapter 2.5



 クー、クー、という独特の鳴き声に、見張り台に登っていたナミはその方向を振り返る。新聞配達のカモメ────ニュース・クーが羽ばたいてきて、手すりに止まって新聞を差し出した。ナミはそれを受け取り、首に下げている赤い鞄に代金を入れる。


「はい、どーも」


 すぐさま次の配達先へと飛び立ったカモメを見送るでもなく、早速新聞を広げる。そこに掲載されていた記事の一面に、ナミはギョッとして目を瞬かせた。慌ててマストから降り、肉を頬張っているルフィの元へと駆け寄る。


「ねえルフィ!」

「んあ?」

「見てこれ」


 バッと新聞を広げ、近くにいたブルックとチョッパーも顔を覗かせる。そこにデカデカと載っていたのは、“コビー大佐拉致!!”という見出しと険しい表情をしたコビーの写真だった。傍には彼の所属を証明する海軍のマークも載せられている。


「おー、コビーじゃねェか! またでっけェ記事だなあ」

「ああ、ルフィさんのお友達だという海兵……」

「この写真、仮面作れそうなぐらいでっけェ……」

「能天気か!! よく見なさいよ! 拉致されたのよ、拉・致! しかも黒ひげ海賊団により、ですって!」

「じゃあ行ったらいるってことか」


 サウザント・メリー号は今まさに、黒ひげ海賊団の拠点・海賊島へと向かっていた。あらゆる手筈を整え、大船団同士の決戦に持ち込もうとしている。


「いるだけならまだしも、海軍が寄ってくるかもしれないでしょ! 今から四皇を相手にしようってのに、相手にしなきゃいけない奴が増えると面倒よ」

「そっか……! どうするんだ?ルフィ」

「いや、進路は変えねェ」

「ヨホホ! 何事もタイミングが大切ですからね」

「なら尚更様子見るべきじゃないの!?」


 やいのやいのと騒ぐ四人の元に、他の船員達も集まってきた。サングラスを上げながら、フランキーが呵々と笑う。


「ンなモン、全部終わってから来るんじゃねェのか? あいつら、消耗させておいて漁夫の利を掻っ攫うのが好きだろ!? スーパーとっておきを仕込んでおかねェとなァ」

「しかし生死不明とは穏やかじゃねェな……」


サンジは煙を燻らせながら、その特徴的な眉を顰める。


「捜索中とすら書いてねェ……こりゃ続報もどうなるか怪しいな」

「新聞社としてはこのビッグニュースを逃すわけにはいかなかったんでしょうけど……。少なくともこの記事に海軍は関わってなさそうね。内容があまりにも薄い。探りを入れられなかった結果なら、本当は不都合なのかも知れないわ」

「けどよォロビン、これだけ有名人で不都合ってことあるか?市民の英雄サマだぜ?」

「どうだかな」


 ウソップの発言に、唯一輪に入らず壁にもたれかかって聞いていたゾロが口を挟んだ。


「あいつは海賊船のクルーだったことがある。海軍もそれくらい把握してるだろ。今更になって掘り返してこないとも限らねェぞ」 

「それでお払い箱なら海軍も薄情なもんじゃ……」


 ジンベエは眉を寄せて瞼を下ろし、首を振った。聞きたくもない話だと言わんばかりに、その場をスイと離れる。


『プルプルプル……プルプルプル……』


 集まる船員たちに釣られて寄ってきていたのか、いつの間にかジンベエの足元にいた電伝虫が鳴き出した。普段擬態している小さな麦わら帽子は三角帽に形を変え、口には薔薇をくわえている。麦わら大船団一番船船長・キャベンディッシュからの電波を受信したらしい。

 ジンベエはかがみ込んで電伝虫をすくい上げ、ルフィの方へと差し出した。


「ホレ。こりゃあ大方お前さん宛じゃろう」

「ぽいなー。キャベツか」


 ルフィは電伝虫を脇に抱え、受話器を取る。


「こちらルフィ!」

『こちらキャベンディッシュ! 麦わら、今朝の新聞は読んだか!?』

「おう。丁度読んでるぞ」

『ああ、こんな一面全部使うなんて……羨ましい……!!』

「何の話だ?」

『……彼の人望の話さ。いささか不名誉だがね。

 それより方針の話をしよう!海軍が来るならハチノスから出てくる海賊共の相手をしてもらいたいだろう? 少し待つべきかと思ってね』

「“来るなら”だろ? 来るか分からねェし先に取られちまったら困るからよ、このまま突っ込むぞ!!」





Chapter 3



 熱が下がってもなお、医務室はコビーの軟禁部屋と化していた。依然として右足は鎖に繋がれたままで、コビーは一日のほとんどをベッドの上で過ごしている。

 この医務室が居場所となってからというもの、誰とも性的接触はしていない。デボン以外の幹部たちも部屋を訪れてはいるが、傷口に軟膏を塗ったり、包帯を取り替えたり、食事や清掃などコビーの身の回りの世話を焼いていくばかりだ。酔ったバスコがデロデロになって入ってきて、そのまま行き倒れるように眠りこけるという珍事もあったが。しかしいくら“そういう事”はされていないとはいえ、敵の本拠地だという意識と直近の恐怖の記憶から気を張ってしまう。

 それ故かあまり睡眠が取れていないようだとドクQから聞きつけて、黒ひげが眠りにつくまでの付き添い役を買って出たらしい。今晩、部屋にやってくるというのだ。


 コビーは頭に彼岸花柄のバンダナをキュッと巻いて、気を引き締めるように頬を叩いた。

 今晩はコビーの方から仕掛けてやるのだ。ある意味、勝負とも言える。バンダナは黒ひげのお古らしい、先日デボンに貰ったものをあえて選んだ。手練手管なんぞ皆無なコビーなりの、媚びた仕草だった。ハンデを負った状態で勝てる相手ではないから、せめて被害者を増やさないよう、繋ぎ止めておくために。


 部屋の外に黒ひげの気配を察知した。いよいよだ。一歩一歩と近づいてくる気配を感じ取りながら、コビーは息を呑んでその訪問を待つ。五、四、三……心の内で到達までのカウントダウンを刻む度に、布団を握る指先に力がこもっていく。

 バン!と扉を開いて現れた彼は、分厚い本を携えていた。コビーの構えきった視線に笑い、黒ひげもまた目を逸らさないままベッドの方へと歩み寄ってくる。

 きっと目を逸らしたら負けだ。冷えていく背筋には気付かないふりをして、コビーもじっと見つめ返す。

 すぐそばまでやってきた黒ひげは、ベッドサイドに本を置くと、コビーの脇の下に手を差し入れ、抱き上げながらベッドに乗り上げた。


「わっ、えっ!?」


 黒ひげはベッドヘッドを背もたれにして座り、その前にコビーを下ろした。ベッドサイドから本を取り、コビーを抱える姿勢で本を開く。平然と、何もおかしくないといった様子で頁をめくっている。


(え、え〜〜〜〜〜!? 何この状況!!)


 完全に出鼻を挫かれた。こんな行動は予想外だ。しかも本を読んでいるだけに話しかけづらい。目前で捲られるページを目で追おうにも、何が書いてあるのかコビーには読めない。

 タイミングを見計らうしかないかと、コビーは黒ひげの腹部に背を預けた。


「ところで、コイツはまたどうしたんだ?」


 コイツ、と黒ひげはコビーの頭に巻かれたバンダナを撫でた。

 向こうから聞いてもらえるとは僥倖と、コビーは慎重に言葉を選びながら、首を傾げて黒ひげを見上げる。


「……いけませんでしたか?」

「いや? 懐かしいモンをしてると思ってなァ」


 黒ひげは上機嫌にコビーの頭を撫でる。その手つきの優しさに妙な気分になりながらも、ひとまずは好感触だと内心でホッと息を吐いた。

 コビーはこてりと頭を預け、黒ひげの方へと体を向ける。


「しばらく姿を見ていませんでしたが……どこに行っていたんですか?」

「提督が出て行かねェと締まらねェ用だ」

「忙しいんですね」

「意外とな」


 コビーの頭を撫でていた手が離れ、ペラリとまた一頁捲られる。黒ひげの視線は本の方へ向かっていて、見上げているコビーのことも見ていない。本を読むことに意識が傾いているようだ。


(ど、どうしよう。このまま構われようとしたって邪魔になっちゃうよ……下手なことをしたら逆鱗に触れそうだし……。

もっとこう、“そういうこと”で眠らせにくるというか、そんな雰囲気でくると思ってたのに……って、こんなの、まるで僕が期待してるみたいじゃないか……!)


 顔を青くしたかと思えば顔を赤く茹で上がらせ、密かにあわあわと百面相をする。そこへフッと第三者がベッドの側に現れ、目が合ったコビーは真上に飛び上がった。


「うわあああ!!」

「……そう驚くことはないだろう。提督、言われていたものを持ってきた」


 現れた大きな人影の正体はオーガーだった。湯気の上がるカップが二つ乗ったトレーを手に、呆れたような眼差しをコビーに向けている。それもまた恥ずかしくて、逃げ場もないので出来る限り目を逸らした。

 黒ひげは本を置いてオーガーからカップを受け取り、 コビーにも差し出した。


「お前の分だ」

「あ、ありがとうございます」


 コビーには少し大きいそれを受け取って、立ち上る芳しい香りを吸い込む。


「コーヒー、ですか」


 馴染み深い、今や恋しさすら覚える香りだ。それと同時に、初めて船に乗せられた時もコーヒーを出されたことを思い出した。思い返してみれば、あのコーヒーに何か混ぜられていたのだろう。香り高い反面、薬の匂いもよく打ち消したに違いない。

 キャラメル色の水面に視線を落とし、浮かない顔でぼんやりとそんな事を考える。


「提督はブラックコーヒーだが……お前の方はミルクを多めにと聞いている。カフェオレだ。砂糖も入れてある」

「おい、警戒してるのか? 何も入れちゃいねェよ。なあオーガー」

「無論だ」

「あ、その……僕らはミルクを入れるという話を覚えていたんだなと思って。あの時も確かに甘かったですけど、コーヒーは黒色でしたから」

「そりゃあ、“いつもの味”の方が落ち着くだろう?」


 当たり前のようにそう言って、黒ひげはコビーの背をさすった。彼なりに考えてのことだったらしい。本当に労わられているかのようだ。されたことを忘れたわけではないのに、警戒心が溶かされてしまいそうだ。


「そう、ですね。いただきます、オーガーさん」

「ああ。……ごゆっくり」


 黒ひげにも目配せをして、オーガーは姿を消した。

 取り敢えず一口、コビーは口に含んだ。特に変な味はしない。二口、三口。自分が作るものより苦めではあるものの、慣れ親しんだ味だ。ここまで来ればもう大丈夫だろうと、ゴクゴクと飲み干した。

 ほう、と息をついていると、コビーがカフェオレを飲み終わったのを見計らってか、両手で持っていたカップを黒ひげに攫われた。そのまま視界がぐるりと反転して、マットレスが背に触れる。「あ」と声を出した時にはもう遅くて、覆い被さる黒ひげに唇を奪われていた。


「んっ……ふ、ん、んぅ、ぁ……」


 ちょんちょんと柔らかく吸いついてきて、唇を開いた隙に舌が潜り込んでくる。いつもの貪るようなそれではなくて、あやされているようなキスだ。


「ふっ……んん、は、はぁ…っ、な、なんですか急に……」

「ハッ……。“急に”? 白々しいなァ、コビー……」


 コビーの頭からバンダナが引き抜かれ、額や顳顬にも丁寧にキスが落とされる。黒ひげはバンダナとコビーとを見比べて、笑みを深めた。


「おれァ誘われてるもんだと思ったが……違うか?」

「ぁ……」


 違わない。違わないけど。

 コビーは顔を赤くして、口をはくはくと空回りさせることしか出来なかった。今も黒ひげの手がコビーの桃色の髪を優しく梳いていて、慣れない対応に狼狽えてしまう。


「──コビー?」


 いつもより低く、うんと甘い声で名前を呼ばれる。

 返事をしなくちゃ。でもこんな黒ひげは知らない。どうしよう。目を回してしまいそうだ。

 そう思っているうちに黒ひげの顔がまた近付いてくる。コビーは縮こまるようにギュッと目を瞑って、黒ひげの胸を押し返した。


「ッま、待って、ください! あの、ひとつだけ、約束してほしいんです……」

「なんだ?」


 黒ひげの声色は甘いままだ。

 大丈夫。言えるはずだ。

 コビーは自身を鼓舞しながら、震える唇をもう一度開いた。


「…………他の人のところには、行かないでほしいんです。僕だけ、僕だけを……」

「誰かの入れ知恵か?」


 コビーは黒ひげの顔も見られないまま、ふるふると首を振った。

 大きな手がやわやわとコビーの髪を撫でていく。


「じゃあ交換条件だ」


 ハッと顔を上げると、楽しげに笑う黒ひげがそこにいた。


「おれのことは“ティーチ”と呼べ」

「ティーチ?」

「そうだ」

「てぃ、ティーチ……」


 恥じらいに舌がもつれそうになりながら、懸命に名前を呼んだ。突き出していた両腕で、黒ひげのシャツを控えめに掴む。黒ひげは満足げに目を細めてもう一度コビーにキスを落とした。





Chapter 3.5



「…………」


クザンは覗いていた双眼鏡を下ろし、海の向こうを睨みつけた。


(まだ、迎えに来ねえのか)


 彼は大海賊時代にしかるべき引導を渡すため、組織に属していては出来ない裏の手を回している。例えば四皇の娘たるシャーロット・プリンを攫うだとか、現在幽閉されているコビー大佐の被害状況を送りつけるだとか。麦わらの一味に喧嘩を売りつつ、海軍もこの島に引き寄せようとしていた。

 しかしながら、前者の報道が遅れるのは致し方ないにせよ、海軍には直接映像を送りつけたはずなのに軍艦の一隻もやってこないのである。

 元は黒ひげに頼まれて撮影した記録映像だが、内容はコビーが攫われてきたその日に受けた凄惨な陵辱だ。観て憤らない者はいないと思っていたのだが。


(参ったな。真面目に撮った俺が可哀想じゃあないの。ま、しかし四皇の提督とありゃ慎重になるか……)


 最悪、コビーのことは麦わらに任せられるだろう。コビーと麦わらに接点があることは、ガープがうっかり漏らしたことで知っている。そして麦わら達は度し難いまでに義理堅い。彼の映像は島内には広まってしまっている為、どこかでそれを見ることがあれば放っておくことはないだろう。

 何にせよ、本命は麦わらとその一味だ。彼らはきっと“夢の果て”に辿り着き、それを終わらせる────この残酷で、夢に歪んだ時代に引導を渡してくれるとクザンは踏んでいる。

 額に上げていたサングラスを下ろし、クザンは廊下の窓から離れた。


「アレは提督の獲物だったでしょう」

「俺ァ納得いってねえぞ」

「青いですね……弁えなさい」


 すぐ側で話していると思っていたラフィットとバージェスが、いつの間にか言い争いに発展していたようだ。バージェスが物に当たっている音がする。

 居合わせてしまった以上無視も出来ないかと、クザンは二人の間に割って入った。


「何なに?どうしたの」

「提督とコビー大佐の件ですよ」

「あー……」


 クザンは曖昧な表情で言葉を濁した。

 というのも、初めの頃こそ目を逸らしたくなるような輪姦が行われていたが、少し前にそういう接触は禁止というお触れが黒ひげから出されたらしいのだ。「らしい」というのはクザンが居合わせたのは最初の一回きりで、その後どのようであるかは知らないからだ。近頃は黒ひげとコビーが二人きりでよろしくやっているというのも、噂で聞いただけである。


「平等になんざ言わねェが、分け前がすっぱり無しなんてよォ」

「わかりませんか。独占したいのですよ」

「今までそんなこと無かっただろう!?」

「元々彼についてはおこぼれを頂戴しているようなものだったんです。提督の思い人に手を出そうなんて身の程知らず、貴方ぐらいのものですよ」

「えっ、思い人?」

「なんです? 貴方まで……。知らなかったんですか」


 素っ頓狂な声を出したクザンに、ラフィットは怪訝そうな眼差しを向ける。


「そういえば海軍は鉛玉の一つも打ち込んで来ませんね。小僧一人といえど、大切な戦力でしょうに」


 ホホホホホ、と笑うラフィットの顔は笑顔ではない。四白眼からは返答によっては殺すぞと言わんばかりの気迫を感じる。この男、クザンのことを信用しきっていないらしく、何かにつけてこのように試すような質問を投げかけてくるのだ。


「組織ってのは身内に冷たいもんなのよ。例え大将がヤバくても動かねェさ。ま、こっちが交渉でもふっかけない限り……海軍は来ないと俺は思うが」

「決裂する交渉など、初めからふっかけませんよ。敢えて持ちかけるにしても、良い大義名分を与えるだけでしょう」

「そうだな」


 これは長居をすると不利になりそうだ。この辺りが引き際か。クザンはぼろを出す前にと、その場を立ち去った。





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