Fall into the “BLACK”(2)

Fall into the “BLACK”(2)


「だめぇ〜、またスランプだよぉ……」


 静まり返った虹ヶ丘家の広い邸宅に、ペンが机に転がる乾いた音が、やけに大きく響いた。

 東堂との打ち合わせの後、早速新作に取り掛かるべく自宅のアトリエに引きこもったのだが、机に向かって一時間、筆はさっぱり進んでいなかった。

 十代の半ばからずっと絵本を描き続けてきただけあって、スランプは何度も経験してきたし、その度に乗り越えてきた。

 それに長年創作活動をやっていると、手癖、というものがいつの間にか体に染み付いてくるものだ。気乗りしなかったり、いいアイデアが浮かばない時でも、とりあえず過去作などから引っ張ってきた要素を継ぎ接ぎして体裁を整える。そんな小手先のテクニックがいつの頃からか意識しないままに使えるようになっていた。

 おかげで締め切りに間に合わない、なんてことは滅多に無くなった。昔、創作活動をしていた時に誰かから聴いたアドバイスが耳に蘇る。


──創作で大事なことは、質じゃない。量でも無い。完成させることだ。どんな作品であっても、完成させなければその価値は測れないんだ。


 至極もっともだと思う。でも……

 ……ましろは席から腰を上げた。

 キッチンへ行き、大きめのマグカップにインスタントコーヒーの粉を目分量で入れて、ポットのお湯を注ぎ込む。砂糖もミルクも無い苦いだけのブラックコーヒーに口をつけながら、ましろはアトリエに戻った。

 席に着く前に、本棚に並べられた自作の列に目を向ける。

 ヒーローガールシリーズ。ましろの代表作。既に十数巻は出ている人気作だが、最も売れているのは第一巻だった。

 今から十五年以上も前に描いたデビュー作。作家の技術も、人間としての経験もまるで足りなかった時代に描いた拙い作品なのに、世間はずっとそれを愛し、評価していた。

 ましろがそれ以降に描いた、どの作品よりも。

 ましろにとってデビュー作は、自分の原点であると同時に超えられない壁であり、そして呪いでもあった。

 十五年以上も描いて、どうして超えられないのか。その理由に、ましろはとっくに気がついていた。

 それは、自分が嘘をつき続けているから。

 子供に嘘は通じない。それは物事の事実という意味ではなく、もっと根本的な気持ちや想いの話だ。

 子供は、絵本に込められた想いの真贋を簡単に見抜いてしまう。

 ましろは本棚から一巻を手にとり、席に戻って頁を開いた。


──むかしむかし おそらにうかぶおうこくに ヒーローをめざして ひとりのおんなのこがやってきました……


 頁をめくりながら、これを描いた理由と気持ちを思い出す。

 親友が身籠ったことを知って、産まれてくる子のために絵本を捧げようと思った。親友が歩み、体現してきた想いを子に伝えたかった。ただ、それだけの気持ちで無我夢中で描いた。

 だけど、その絵本を書き上げたその日、全てが変わってしまった……


 ……ましろが物思いに耽っていた時、不意に玄関から呼び鈴が鳴った。


(誰かな? 来客の予定はなかったはずだけど……)


 玄関に向かう途中で壁掛けの時計に目を向けると、もう夜八時を過ぎていた。思ったより長く物思いに耽り過ぎたようだ。こんなペースだと締め切りが危うい、などと頭の片隅で考えながら玄関を開けた。


「どなた………って、ソラミちゃん!?」

「こんばんは、ですわ。お姉さま♪」


 私服姿のソラミが、にっこり笑いかけながら手に持っていた少し大きめのバッグを掲げた。


「お夕食の差し入れに来ましてよ」

「夕食?」

「オジさまが持っていけ、と。どうせまたお仕事に没頭してまともな食事を摂っていないだろうから、って」

「あははは……参ったなぁ、カバトンさんにまで見透かされちゃったかぁ……どうぞ、上がって」

「お邪魔しますわね」


 ソラミを招き入れ、ましろはリビングに通す。ソラミがバッグからタッパーと、そして数個のおむすびを取り出した。


「私も手伝うよ」

「いいえ、お姉さまは座っていてください。すぐに温めてきますわ。キッチンお借りしますわね」


 ソラミは勝手知ったる風にキッチンで鍋を取り出して、そこにタッパーの中身を開けた。

 それはオデンだった。カバトンの屋台はスカイランドでも知る人ぞ知る名店として評判だ。

 ソラミは鍋を火にかけ、オデンを温め直している間に二人分の食器を用意して、リビングで待つましろの元に戻った。


「最近、自炊されてないようですわね。調理器具も食器も使った形跡がありませんでしたわ」

「そんなことないよ。電子レンジとポットはちゃんと使ってるよ」

「さては冷凍食品とインスタントのヘビロテですわね、お姉さま」

「あはは…」


 笑って誤魔化すましろを横目に、ソラミは再びキッチンへ戻り、暖まったオデン鍋を運んできた。

 おむすびも並べ、ましろの向かい合わせに席につく。


「「いただきます」」


 オデンの具をお玉で掬い取ると、コンニャクとシラタキが乗ってきた。味がしっかり染み込んでいてとても美味しい。おまけにヘルシーだ。

 おむすびを口に運ぶと、中身はシャケだった。これももちろん美味しい。

 美味しいけれど、これ、もしかして……

 二人して他愛ない話をしながらほぼ食べ終えた頃になって、ましろはようやく気になっていた疑問を口にした。


「ねぇ、ソラミちゃん。一つ訊いてもいいかな」

「なんですの?」

「これ……本当は私への差し入れじゃないよね」

「…………な、何をおっしゃっているのか、わ、わかりませんわね」


 ソラミは露骨に目を背けた。相変わらずこの子はウソが下手だ。あの親友の娘だけある、と思いながら、ましろはその親友の名を口にした。


「ソラちゃんへの差し入れだよね、これ。だって、オデンの具も、おむすびの具も、ソラちゃんの好物ばかりだもん」

「…………」

「また家出してきたんだ?」

「お、お母さまが悪いのですわ! あの男のことをいつまでも引きずり続けて……あんなの、カッコ悪くて、惨めで、見ていられないのですわ!」


 それだけで、ましろはこの母娘の間で何が起きたかを悟った。

 あの男とは、ソラミの父・品田拓海のこと。自宅の目につくところに飾ってある彼の遺品をソラミは片付けようとして、母ソラと言い合いになり、挙句ソラミが家を飛び出したのだろう。これまで何度もあった事件だった。

 その後の展開も簡単に察することができた。家出したソラミが向かう先なんて、彼女が父親代わりと慕うカバトンのところ以外にない。

 だけどカバトンはソラミをちゃんと叱って、ソラの好物を持たせて家に帰れと諭した……


 ……なのに、ソラミはここに来てしまった。


「ということかな、ソラミちゃん?」

「そのとおり……ですわ……」


 ぐぬぬ、と悔しそうな顔をしながらソラミはおむすびにかぶりついた。

 その様子を眺めながら、ましろは訊いた。


「ソラミちゃんは、お父さんのこと……嫌い?」

「私たちを捨てた男でしてよ。父とさえ呼びたくはありませんわ……ッ!」


 吐き捨てるように言い切ったソラミを前にして、ましろはため息を吐いた。


「そっか……」

「……お姉さま、私を追い返すおつもりでして?」

「帰りなさい、ってお願いしても聞く気ないくせに」

「よくおわかりですわ」


 まったくもー、とましろは盛大なため息を溢した。


「今夜一晩だけだよ。明日になったら帰ること。いいね?」

「お約束します。ご厚意、感謝いたしますわ」


 ソラミは背筋を伸ばし、折目正しく頭を下げた。


〜〜〜


 夕食の後片付けを終えて、ソラミに入浴を勧めて……というより指示して風呂に送り出した。

 その間に、ましろは自室に戻りミラーパッドを使ってソラに連絡を取った。


『──そうですか。ご迷惑をおかけして申し訳ありません』


 二十年近い付き合いの親友は、こんな時でも……いや、こんな時だからだろうか、生真面目な言葉遣いでミラー越しに頭を下げた。


「私は気にしてないよ。むしろ久しぶりに美味しいものを食べることができて助かったし。後でカバトンさんにお礼言っておかなくちゃ……あ、でも私のために作ったんじゃないって怒られちゃうかな!? ど、どうしようソラちゃん!?」


 ましろの慌てふためく様子に、ソラの表情に柔らかい笑みが戻った。


『ましろさん、大丈夫ですよ。カバトンなら許してくれます。ううん、むしろ感謝するでしょうね……』

「へ? 感謝?」

『……先ほど彼からも連絡がありました。ソラミが自宅に帰ってないことを知ってとても心配をしていました』

「あー、そっか。そうだよね。わかったよ、カバトンさんには私から連絡しておくね。オデンのお礼も言いたいし」

『何から何まで、申し訳ありません。……私は、母親失格です』

「ソラちゃん……」


 再び顔を曇らせてしまった親友に、ましろは言葉に詰まった。


──ソラミちゃんに本当のことを話そうよ!


──お父さん……拓海さんへの誤解を晴らしてあげようよ!


──拓海さんは二人を捨てたんじゃないって、はっきり言おうよ!


 そう声を大にして言いたかった。

 だけどそれは、この十数年間、何度も繰り返し議論してきたことだった。そして、その度にソラは首を横に振り続けてきた。


──真実を伝えたら、ゆいさんとゆみちゃんを傷つけ、苦しめてしまいます。


 だから、言えない。ましろもその結論には頷くしかなかった。

 そして議論の最後になると、ソラはいつもこう呟いていた。


──私は、ソラミに恨まれて当然です……


 ソラとの映像通話を終え、すぐにカバトンへと繋げる。彼もすぐに通話に応じてくれた。

 ボイスオンリーの通話でソラミの所在と、うちに泊まっていくこと、そしてオデンとおむすびの礼を告げる。


『すまねえ。明日、朝一番で迎えにいく。それまでよろしく頼む』


 普段とは違う、低いシリアスな声と口調で彼はそう言って通話を終えた。


(ソラちゃんの娘なのに……)


 分かっている。ソラだって本当は自分で迎えに行きたいはずだ。

 でもあの母娘は、今さら正面から向き合うにはあまりにも拗れ過ぎてしまった。

 ミラーパッドを棚に戻して部屋を出ると、ちょうど風呂上がりのソラミと出くわした。


「お姉さま、お風呂いただきましたわ。お次どうぞ」

「うん、そうするね。ソラミちゃんは夜も遅いし、早く寝るんだよ? いいね?」

「かしこまってますわ。おやすみなさいませ」

「うん、おやすみなさい」


 いくつもある空き部屋の一つに向かうソラミの後ろ姿を見送った後、ましろは一度部屋に戻り、着替えを持ち出して浴室へと向かった。

 途中、祖母であるヨヨの書斎の前を通り過ぎかけて、その足を止めた。

 長らく使われていないその部屋にまつわる思い出が、ふと脳裏をよぎった。


 今から十六年前、ソラが周囲から、拓海をスカイランドに連れて行って欲しいと頼まれ、悩んでいた頃のことだ。

 ソラがこの書斎に立ち入り、深刻な顔で一冊のノートを手に取っていた様子を、ましろは目撃した。


──ソラちゃん、どうしたの?


 声をかけると、彼女はハッと顔を上げ、持っていたノートを背に隠した。


──い、いえ、何でもありません! ご、ごめんなさい。ヨヨさんの大切な本を勝手に読んじゃって……!


 ソラはすぐに背に回したノートを本棚に戻し、書斎から出て行った。

 ましろは気になってそのノートを取り出して開いてみたが……

 ……そのノートには、何も書かれていなかった。


(白紙のノート……)


 ソラが拓海と共にスカイランドで暮らすことを決意したのは、その直後のことだった。その裏に、あのノートが何か関係していたのだろうか。

 気になったが、この扉の鍵を開けるほどの覚悟には至らなかった。


「今度、ソラちゃんに訊いてみようかな……」


 自分に言い訳するようにそう呟きながら、ましろは書斎の扉から目を背けて、浴室へと向かった。

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