Dear
とっても、とっても、気分がいい。
あの人と会える。そんな小さなことが、私の体を歓喜で小躍りさせている。
今日は二人でプラネタリウムを見る。
いつものように邪魔は入らず、二人っきりで星を見るのだ。時間が無いから郊外まで足を運べず、紛いものですませなきゃいけないのだけれど。……まあ贅沢を言っても仕方ない。
科学の相伴にあずかるなんて、魔術師としてどうかと思うけど。最新技術とやらがどれだけ素晴らしいのか、じっくり観察してやろうじゃない。
そう浮ついていたのは、さっきまでの話。
近くにあった時計を見上げる。時刻は予定より一時間も過ぎている。
こんなことは初めてだった。
あの人は時間を守る。遅刻は絶対しない人だ。そういうきっちりとした所に、私は惹かれていた。だから凄く、ショックだった。
なんでだろう?
私、なにかしちゃったかしら?
昨日合った時、約束を忘れないよう念を押したあの時に、彼を傷つけてしまったの?
いやでも、そんな変なコト言ったりしていない……。けれどやっぱり、思い返してみれば、私の口が変な風に開いたかも。──頭の中がぐるぐる回る。
答えは出ない。
答えてくれる人も来ない。
どうしよう。どうしよう。どう、──しよう?
散々待った。
だけれど結局、夜になった。
私が諦めたのは、十二時の鐘が鳴ったあとだった。
彼は来なかった。
約束を守ってくれなかった。
私は地獄に墜ちたよう。暗くて、辛くて、息苦しい。
彼に焦がれている。彼を必要としている。
彼に会いたい。別に謝ってくれなくていい。ただ一言、声が聞きたい。
私は彼の工房を尋ねた。
ロンドンの郊外にある古い下宿の一部屋が、魔術師である彼の全てだ。
家主の許可は貰ってない。そんなものあとでどうとでもなる。
鍵はなくてもこのくらい、すぐに開けてしまえる。
一刻も早く、会いたかった。
なんでもいいから、声を聞きたかった。
私は古びたドアを開けた。
迎撃用の術式も、トラップも、何もなかった。
薄暗い部屋の中ではただ静かに。
──彼の死体が、梁から吊られて揺れていた。
「……失礼、レディ。少々よろしいかね?」
声が、した。
顔を上げる。知っている、かお、だった。
「ロード・エルメロイ……」
「……そうだ。私の顔を覚えていてくれて嬉しいよ」
髪の長い男の人は、私の横にゆっくり座った。時計塔。魔術を学ぶ、場所。空き教室には、誰もいない。
「随分と憔悴しているようだ。食事と睡眠は取れているかね?」
声に、首を振った。
嘘をついた。だって、どうでもいいんだもの。彼がいなくなって、私は全部が、どうでもよかった。
「……無理はするな。時には休むことも大切だ。君が倒れてしまっては彼も──」
「やめて」
彼。かれ。
私のすき、な人。なにより、会いたいひと。
「なまえを、ださないで……!」
私の……、人。私の、だいじな、ひと。
でも、でも。
わたしを、わたしを……。
──きらいに、なった、人。
「うっ、うう、うあっ……!」
「レディ!? やはり、君は……!」
「あああああああああああああっ!?」
「──手紙を見て、いたんだな」
意識が、うすらぐ。
あたまが、いたい。どうしようもなく、痛い。
嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
もう嫌だ。
二度と、目覚めないで。
わたしは、心臓が止まってしまうことを、いのった。
オルガマリー。親愛なる貴方へ。
約束を破ってしまうこと、どうか許してください。
この手紙を見ている時、僕はもう死んでいるでしょう。
貴方が最初に見つけてくれないことを、心の底から祈っています。
君と初めて合った時。
僕は背筋が震えました。電撃を浴びたよう、なんて陳腐な言い回しですが、実際そのような衝撃に、僕の体は震えたのです。
僕はひと目で、君を好きになりました。
気がついたら君の姿を目で追っていました。
エルメロイ教室に通うようになったのも、君に少しでも近づきたかったから。
君に近づきたくて、僕は魔術に打ち込んでいました。
僕は魔術が嫌いでした。
人を道具のように消費する呪いを、嫌悪していました。
僕の生まれは君も知っての通り、そこそこ歴史の古い魔術の一家でした。嫡男という立場と、他より多少優れた魔術の才能を持っていました。
僕の出生を両親はいたく喜んでいた、と祖父母から聞かされました。
一族の悲願を叶えるのは僕なのだ、と家族はみんな信じて疑っていませんでした。
だから皆、僕を優秀に育てようとしました。
三歳のとき。生まれたばかりの弟を、自分の手で殺しました。
その跳ねる小さな心臓を、無理やり口に押し込まれました。術を使って強引に嚥下させられました。喉に残る血の味で、何度も吐きそうになりました。
僕をみて父は笑いました。
これで一層優秀になった。
父は笑って僕を撫でました。
五歳のとき。知らない女の子の首を絞めました。母が連れてきた孤児でした。
苦しそうに泡を吹いていました。
どうして?そんなふうに僕を見ていました。
凄く短い時間にも、とても長い時間にも思えました。
気がつくと女の子は死んでいました。その身体から骨を取り出し、呪具を一つ、作りました。
上手にできたね。えらい、えらい。
母は笑って僕を撫でました。
家族はみんな、優しい人でした。
怒られたことなど殆どありません。
優しく僕は撫でられました。
その手で人が、殺されました。何人も、たくさん、殺されていきました。
どうしても、僕は、魔術を好きになれませんでした。
したくもない残虐を、見たくもない悪辣を、強いてくる家族が嫌いでした。
なにより。その、行いに。馴染んでいくのが嫌でした。
とにかく家から離れくて、僕は時計塔に来ました。
本当は普通の学校がよかったけど、僕に選択肢はありませんでした。
そんな消極的な理由で時計塔にやってきて、僕は運命と出会ったのです。
オルガマリー、君がいました。
人生とはこうも、楽しいのだと。君に出会って僕は、初めて思えたのです。
ただ眺めているだけで、心が満たされました。
たまに会話を交わせたら、心の底から嬉しくなりました。
初めてのデートの約束が出来た時、生まれてきてよかった、と初めて思うことができました。
けれど。
ふと、思ってしまったのです。
僕の幸運は。
僕の幸せは、全部魔術のおかげなんだって。
大嫌いな魔術がなければ、君と出会う事すら出来なかった。
僕は気づいてしまいました。
ああ。ごめんなさい。
僕はダメな人間です。あんなに嫌で、見たくもなかった魔術の教本を、開くことが楽しみになってしまいました。
見る度吐き気を催していた呪具を握りながら、次に使う機会を心待ちにしてしまいました。
呪っていた血筋を、君と結ばれる為に有利なると、そう、思うように、なっていたのです。
結局は僕も。
唾棄していた魔術師達と同じ。
黒魔術を嗜む、邪悪な人間だったのです。
ゆるして、ください。
ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい。
でも、僕だって。
沢山、苦しかったのに。何度も助けて欲しかったのに。
もう、嫌になりました。
ごめんなさい。オルガマリー。
約束を破ってしまって。
ああ、もう。ダメだ。
こんなに、こんなにも。君を愛おしく想っていたのに。
今ではもう、君を、好きだなんて、言えないよ。
ごめんなさい。オルガマリー。