幕間・後編(DECIDE/BRADE②)
「そろそろ、頃合いかな」
断界に潜り丸2日。傷が殆ど塞がった剣司はゆっくりと身を起こした。
「もう良いのか」
「これ以上やっては藍染達が先に空座町に入ってしまいます。そうなったら一般人に被害が出る。そろそろ刻限ですよ。
長らく拘流を留めてくださり、ありがとうございました。雀部副隊長」
「…これくらい。別に、構わん」
立ち上がった剣司の前で、縄を解いた雀部が額に流れる夥しい汗を拭った。現世で見た英国紳士とやらに強い薫陶を受けた彼には似つかわしくない、荒れた手の動き。それを見て、雀部には表面を取り繕う余裕も残っていないのだと剣司は察した。
(副隊長ほどの霊圧でも、これだけ浪費が激しい…。そりゃそうだ、そもそも拘流を止めるのは本来なら数人がかりでやる大作業だ)
それを雀部は1人でやっていたのだ。剣司と話し、剣司の身体を治す時間を稼ぐ為に。彼のその献身にはひたすら頭が下がる思いだが、最早時間的な余裕も2人の霊圧残量の余裕もない。ここらが限界だろう。藍染とこれから対峙するに当たって、これ以上霊圧は削れなかった。
「して、これからどうする?」
「藍染と市丸が空座町に侵入するまで、恐らく外の世界の時間でまだ数分あります。その間に我々は先に町内へ入り、一般人を藍染が通らない道まで運び、接敵した場合足止めに徹します」
「市丸はどうする気だ。お前の視た未来では、市丸は藍染を裏切るのだろう」
「あまり殺したくはないですね。彼は松本副隊長の魂魄を取り戻したかっただけだ。彼が死んだら彼女が悲しむ」
「私情で救う気か?」
「まさか。捕らえて裁判に掛けてやりたいっていうのが本音ですよ。彼は藍染の側に長くいた証人です。それにここまで人斬ってまで好き放題しておいて、大事な女の為に世界を敵に回した男なんて良い格好で退場できるわけないでしょう」
「そうか」
乱菊には瀞霊廷で自分を信じてくれたり、日番谷との和解を後押しされたりと恩がある。恩ある人の流す涙を拭えるのに放っておけるほど、剣司はまだ人間性を捨てた覚えはない。
「藍染の足止めは副隊長にまずお願いします。その間私が藍染の通る道を先回りし、人間を避難させます」
「良いだろう。私に空座町の細かい地理は分からぬ、お前が走った方が適任だ」
雀部と並び、斬魄刀を腰に差し息をお互い整えながら今後の動きを擦り合わせる。剣司が見た未来の通りに藍染が動くなら、この後通る道は見えている。先に剣司が向かえば、そこで倒れている人達を回収して避難させることが出来る。
その間雀部は剣司と別行動を取り、藍染の足止めをする。雀部が稼げる時間はほんの少しだろう。雀部がどれだけ生き残れるかは、剣司がどれだけ早く戻って合流出来るかに掛かっている。
そして断界で「最後の月牙天衝」とやらを体得した黒崎一護が駆けつけるまで藍染をその場に留めておけば、剣司にとって最高のアガリだ。その時に剣司が生きているのかは定かではないが。
「本当にこれで良かったのか?」
「何ですか副隊長、今更」
「お前の卍解が見せるのは、最も都合の良い未来とその過程であろう。お前1人では倒せん藍染と戦うのは、お前にとって本当に最善の選択か?」
「……」
「剣司、死して護廷の英雄になろうとしているなら止せ」
「副隊長。お言葉ですが…私は死に場所を求めてこの決戦に来たわけではありませんよ。瀞霊廷を守り、守った明日を生きる。その為に戦うのです」
こちらを咎めるような目をする雀部に被りを振って懸念を否定し、目を合わせないまま髪を結い直した。
剣司は雀部に、自身の卍解の力は正しく伝えた。しかし「最善の未来の姿」に関しては、正確には伝えていない。
雀部にした説明は「現世の一般人を藍染から守る為に、怪我を押して黒崎一護が来るまでの時間稼ぎを自分達がする未来」。しかし、本当に剣司が視た世界は違う。
(あの空座町に、私達はいなかった)
剣司が見た未来では、剣司も雀部もいなかった。それ故に事態を把握出来ない多くの一般人はただ歩いていただけの藍染の霊圧で圧殺され、市丸は1人藍染の逆襲に倒れ。黒崎一護が駆けつけるまでに多くの犠牲が出たが、結果的に浦原の協力もあり藍染の封印に成功した。それが白道筆墨が剣司に見せる未来だった。
戦場に立たないこと。それが最善だった。だが剣司は自分の心で、卍解が示した未来を拒んだ。
(…望むのは、都合の良い夢ではなく)
甘く横たわる楽と安寧の道を斬った先にある、理想の未来。それを手繰り寄せる為に剣司はわざわざ白道筆墨に背き、命を削るように戦い続けることを選んだのだ。
「私が視た未来を貴方に託すことは出来ますが…貴方が私から託されてくれることは、私が何もしない理由にはならない。未来を視る死神は今、私しかいないのです。ならば未来に視える敵を、自らの意思を乗せてこの剣で斬るのが私の役目です」
しかしそれを聞いても、雀部の表情は渋い。
「だが卍解はその強大な力故、使う者にも途方もない影響を及ぼす。未来に干渉するなどしようものなら…お前自身、既に何らかの影響が出ている筈だ」
雀部が懸念しているのは、卍解による反動だった。
卍解は、その斬魄刀が持つ力を全て解放する大業。つまりそれは使い手である死神に寄り添ったものではなく、ただひたすらに斬魄刀の力そのものなのだ。故に斬魄刀はその力で主人を傷つけてしまうことを警戒し、基本的に卍解を教えようとしない。斬魄刀が存在を明かすことすら恐れる卍解は、何らかの弱点や反動といった形で必ず主人を傷つけるからだ。
例えば千本桜景巌は、主人が傷つかない代わりに無防備になってしまう無傷圏。
例えば雀蜂雷公鞭は、数日に一発しか使えないという厳しい弾数制限と待機時間。
例えば黒縄天譴明王は、魂の近さ故に主人と卍解が傷を共有してしまう特性。
斬魄刀の卍解は、例外なく何らかの形で使い手を蝕んでしまう。それは薄黒とて例外ではない。そう雀部は言いたいのだろう。
「…そうですね」
それは間違いではない。
「この卍解を使えば、私は…過去を、少しずつ思い出せなくなっていきます」
「!」
「薄黒が言うには、能力で未来を見るほど古い記憶から段々と霧に呑まれていくそうです。…とは言っても、全く何かを忘れた感覚はないのですがね」
グリムジョーと名乗る破面と交戦した後、卍解を習得した時。精神世界の巨木の枝に腰掛けた薄黒が、涙を流しながら教えたことだった。
『この卍解を使えば、あなたは少しずつ未来の人となる。未来の人ということは、過去と離れたということ。あなたは少しずつ、より古い過去を捨てていくことになる』
『…記憶を失う、ということか』
『突然抜け落ちはしない。しかし霧がかかったように記憶は薄れ、見えなくなる』
『……そうか』
この卍解を使えば、剣司はより古い記憶から次第に過去を思い出せなくなっていく。生まれた時のこと、場所、何をして育ったのか、何故死神を目指したのか。見てきた未来の記憶に少しずつ侵食され、歩んできた道を見失っていくのだという。
しかし、剣司は実際に何かを思い出しにくくなった感じはしない。出身の流魂街番地やその風景、霊術院で日番谷に出会ったことなど、全てを覚えている。
「恐らく、一度の卍解で出る記憶への影響はかなり微弱です。現時点で大きな記憶の欠落は確認出来ません」
「…そうなのか?」
「はい。現に霊術院の時のことも覚えていますよ」
「だとして、お前は怖くないのか」
「記憶を失うことが?…まさか。私が恐れることは、失うことにはありませんよ」
(私が本当に、恐れているものは——)
そこまで考えて、被りを振る。
「扨、いよいよ本当に刻限ですよ」
話を打ち切るように手を叩き、尸魂界へ繋がる穿界門へ歩を進めた。剣司の様子を見て今話すべきことは話したと思ったか、雀部も穿界門の前に立つ。
「ここからは時間勝負だ。向こうは我々が鏡花水月を破ったことに気付いていない。最初の攻防で一気に片付ける」
「こちらも全速力で合流します」
「一丁前に援軍のような口を利くな。さっさと来なければ、黒崎一護が来ないうちに私が藍染の四肢を斬るぞ?」
「良いですね、それも。私が視た未来とはだいぶ変わりますが」
「それで良いだろう」
「え」
「我々は今を生きる者であり、未来の為に動く傀儡ではないのだから」
「…そうですよね」
「ならば行くぞ」
護廷の一番隊、ここで動かずして何とする。
雀部のその言葉を最後に、2人は飛び出す。
尸魂界に現れた本物の空座町。最終決戦のその場にて、望む未来へ辿り着く為に。