幕間・断界にて
拘突の気配が消えた断界の中。
両腕から霊圧を流し界境固定に専念している雀部。
自分の霊圧で身体の傷を塞ぎ続けている剣司。
「……」
「……」
普段から最低限の会話で業務を円滑にこなしている2人だが、今は殊更に会話がなかった。それはそれぞれかかっている負荷が強いからだとか集中力が欠けるからだとか直前まで斬って斬られてで気まずいとか色々と理由はあるが、何よりもお互いに言葉を探していたのだ。
雀部は、剣司から話を聞きたい。
剣司は、雀部に全てを話したい。
しかし何を話すにしても、何からどう話せば良いのか分からないのが事実で。
「…剣司よ」
「何でしょうか」
長い沈黙の末、結局先に口を開いたのは雀部だった。
「聞きたいことは山ほどあるが、まず比較的聞きやすそうなところから聞こう。
先ほどの白髪はどうした」
「そこから聞きますか」
相対する雀部に対し、胡坐を組んで全身に回道を回していた剣司は思わず苦笑いした。そういえば確かに、少し前まで頭が真っ白になっていたのだった。
「聞き違えでなければ、『卍解』などと口走っていたような気がするが、それと関係があるのか?」
そう問うてくる雀部の目は静かだ。だが剣司は瀞霊廷に勤めて未だ短い若輩の身でありながらもよく知っている。この眼で見つめられたが最後、もう隠し事など出来ないと。お天道様に嘘はつけないとはよく言うが、雷様の同じくらい嘘を見抜くんじゃないのか。
「そうですね」と返事を返しつつ、回道の手を止め雀部と向かい合う。既に2人が断界に飛び込んでから丸1日は経過している。そろそろ傷を治すのも止めて霊圧の回復に専念しても良いだろう。身体の様子を見てそう判断した剣司は、一度軽く息を整えてから真っ直ぐ雀部の眼を見据える。
「そのことも併せてお話ししましょう。今、私の身に何が起きているのか——」
これから話すのは、嘘のような本当の話。けど信じてくださいね、長次郎さん。
そう前置きしてから、剣司は話し始めた。自分の身に起きたことと、自分が見た未来について。
(間)
「未来を視る、卍解だと…」
「正確には少し違いますね。私の卍解・白道筆墨(びゃくどうのひつぼく)が示すのは、私が問うたか直面している出来事に関しての理想的な未来だけ。私にとって最も都合の良い未来は何か、その未来に辿り着く為に取るべき選択肢は何か。この卍解は、それしか映せない。未来を視ているというより、理想的な夢を見せるとでも言いましょうか」
「…だとしても、強力な卍解には違いなかろう」
「ははっ、確かに」
涼しく笑う目の前の部下に思わず眉間を押さえたくなりながら、雀部は大きく溜息をついた。拘流を押さえる為界境固定の縄に両腕を括られているので顔に手を当てることはないが、溜め息と共に思わずがくりと項垂れずにはいられなかった。
卍解は、その斬魄刀が持つ力を全て引き出して発揮する文字通りの最終奥義。それ故始解の時点で発揮される能力と卍解の能力は何らかの関係性があったり、単に始解の能力の延長線に卍解の能力があるのが常である。
分かりやすいのは朽木白哉の卍解「千本桜景厳」。あれは始解の千本桜より刃を数十倍まで増幅させた能力であり、攻撃力や操作は始解時と大差はない(刃が劇的に増えた分操作の難易度は跳ね上がっているが)。
逆に能力が延長線にはないが始解時と何らかの関係を持っている例として分かりやすいのは砕蜂の卍解「雀蜂雷公鞭」。弐撃決殺を謳う暗器に近い形状の雀蜂に対し、雀蜂雷公鞭は超火力で敵を周囲一帯諸共殲滅する破壊兵器。暗殺という言葉とは対極にあるような姿として砕蜂は出すことを憚っているが、「より効率的に敵を殺す」という点では雀蜂と雀蜂雷公鞭はある意味共通している、使い分けの利く関係にある。
しかし、薄黒と白道筆墨は違う。
(薄黒の能力は、刀身を液状化・固体化することで自由な形状にすること。その卍解が、「主人にとって最適な未来へ行く道筋を提示すること」だと…!?)
始解と卍解は同じ斬魄刀が発揮する能力。一振りの斬魄刀から炎と氷が出ることがないように、斬魄刀の持つ能力はある種の方向性というものがある。雀部の斬魄刀も始解「厳霊丸」と卍解「黄煌厳霊離宮」はかなり近い関係にあるものだ。
しかし剣司の斬魄刀——「薄黒」は、始解時と全く異なる能力を見せてきた。主人の姿を変え、「主人にとって最も都合の良い未来の歴史を見せる」。これでは始解と全く関係が見えてこない。これは本当に同じ斬魄刀の持つ力なのか、そう言いたくなるくらいには。しかも、未来を見通す力とは…。
(それは最早、一介の死神が有して良い領域を超えている)
斬魄刀の能力は、基本的に直接攻撃系や鬼道系が多い。千本桜や鬼灯丸のように形状が変化しつつも直接刃で攻撃することが得意なものが前者、厳霊丸や氷輪丸のように刀身の形状変化の他に何らかの特殊な効果を有しているのが鬼道系と言われるものである。(中には卯ノ花のように始解が生物の成をしている特殊なものもあるが割愛)
だが未来を見通すことは例え鬼道衆の頭となるほどの鬼道の達人であろうと出来はしない。未来とは形のないものであり、例えこの世の霊子を全て従えようとも決して見ることも出来なければ殺すことも出来ないものだからだ。
山本元柳斎の流刃若火は、そこにある全てを地獄の如き業火で燃やし尽くす。
雀部長次郎の厳霊丸は、そこにある全てを雷鳴の速さと雷光の速さで斬り尽くす。
それでも、その2人でも。光の速さでなお追いつけないところにある未来は、決して斬れなかった。
しかし目の前に座るこの部下は到達してしまったのだという。山本元柳斎にも、雀部長次郎にも、日番谷冬獅郎や藍染惣右介、黒崎一護にも斬れなかった「未来」という光をも追い越す領域に。
(本気を出した私よりも、お前の眼の方が速いというのか……!?)
護廷の死神として誰よりも本気で山本元柳斎に仕えてきた。ずっと卍解の研鑽に心血を注いできた。全ては山本元柳斎の右腕として、尸魂界の全ての敵を斬る為に。この幾星霜で積み上げ研ぎ澄ませてきたその研鑽と矜持が、目の前の男を脅威と捉えずにはいられない。
(今の話が全て事実だったとして、剣司よ)
白道筆墨は、決してただの卍解などではない。
「剣司」
「はい?」
「卍解を手にした程度で、驕るな」
「…?そりゃそうでしょう、別にこの卍解には大紅蓮氷輪丸とかみたいな攻撃力は全然ありませんし、隙も大きすぎますし…」
「違う、そういうことではない。私が言いたいのは——!」
その力は最早、卍解の域を超えている。若き死神の身では確実に持て余す力だ。手にしたその力を制御する術を身につけなければ、差し出される未来を受け止める心を持たねば、真っ先にその力が圧し殺してしまうのは剣司自身だ。そして力に剣司が圧し潰された時、そこにいるのは最早死神とは呼べないものになるだろう。即ちそれは、瀞霊廷の
「それを、死神が言うか」
「——!?」
剣司の霊圧が、世界を塗り潰すように色を変えた。
「驕ったものだ。余はもとより、叢雲の彼方にいる」
「……剣司?厭、違う」
「剣司?否。我が名は、
言いたいこととは何ですか?」
「!?」
彼の霊圧が、一瞬で表にひっくり返る。
「……!…」
「あれ?長次郎さん?」
「…あ、ああ。私が言いたいのは、卍解の力に驕り溺れるなということだ」
怪訝そうな顔でこちらを見る剣司。その目と視線が合う。そう認識するや否や、雀部は咄嗟に喉から言葉を捻り出した。その感覚は、罪を隠して言い逃れをする罪人の嘘に似ている。
「確かに白道筆墨は非常に強力な卍解だ。だがだからといって、お前自身の身体能力や剣の腕自体が大幅に育つわけではない。今のお前は、謂わば包丁を与えられた稚児に過ぎんのだ」
「稚児」
「故にその力を信じすぎるな。斬魄刀を握る手に天命を委ねることはあっても、斬魄刀に心を預けるな。常に自分は未熟なのだと、弱く醜い太刀筋しか知らぬ身だと思い出せ」
「……言われずとも、心得ています」
嘘だ。
本当は、剣司の太刀筋はここ最近で見違えるように良くなっている。藍染達が尸魂界を裏切り虚圏へ移った後、剣司は雀部に今一度頭を下げて基礎から剣を学びに来たのだ。直属の部下の頼みを快く受け入れた雀部は、自らが磨き続けた剣術を彼に余すことなく叩き込んだ。
足運びが洗練され、太刀筋が色鮮やかになり、雷鳴の如き速さで敵を斬る術を身につけた剣司。彼がそこまで強くなれたのは雀部の指南もあるが、自らの弱さと弱さ故の恐怖を彼自身が忘れなかったからだ。双殛での戦いで死にかけ、手に掴んだ真実を闇へ落としかねなかった。斬るべき敵を前に為すすべなく殺される恐怖を知った。だから剣司は強くなれたのだ。そして剣司が強くなっていることは、雀部が一番よく分かっている。そうでなければ、自分や日番谷達の全力を死なずに掻い潜れていただろうか。血塗れで、いつ死んでもおかしくないほどに弱りながらも…それでも今の今まで彼が生きているのは、彼が強くなったから。彼自身が、運命の糸を手繰り寄せた。
彼は弱くも醜くもない。清く剛い心を持った、卍解を持つに相応しい隊士だ。
だからこそ、今の剣司を称賛するような真似を雀部はしない。
白道筆墨を手にした今、彼は今よりも更に剛くあらねばならない。誰よりも己を律し、誰よりも己を磨き続けなければならない。そうしなければ、きっとそう遠くないうちに剣司は力に振り回され使われてしまうから。そうすれば、自分は。
「卍解の力は、瀞霊廷より賜った斬魄刀があってこその力。ならば卍解の力は護廷と三界の為に使ってこそでありましょう。
この刈薙剣司。命朽ちるその時まで、護廷の死神で在り続ける所存です」
「…ならば、良いのだ」
その眼で見られることに耐え兼ねて、雀部は界境固定具の操作に集中するべく再び目を閉じた。