Cak-120DF
Cak-120DF-11
ウマムスタン初の制式艦上戦闘機。Cak-120Fを艦上戦闘機に転用した戦闘機。
ウマムスタンは元々陸軍国であり、リソースは常に陸上機に偏る以上艦上機の陸上機との共通化は避けられなかった。特に当時は海軍航空隊が実質空軍のようになっており、そもそも海軍航空隊自体が陸軍航空隊的な色を強めていた。以上より、1940年に実用化されていた戦闘機の艦上戦闘機化が決定された。
艦上戦闘機を開発するにあたって、次の二つの機体が候補に上がった。すなわち、Kar-20FとCak-120Fである。Kar-20Fは優秀な航続距離と大柄な機体にしては高い機動性を持っていたものの、次の点から却下された。
1 高空性能は優秀であるものの、低空性能がそれに比べて貧弱であり艦上機に適さない。さらにターボチャージャーがデッドウェイト、空気抵抗となり効率が悪い。
2 これを改良する場合ターボチャージャーを外して機械式スーパーチャージャーなどに置き換えた上で、ダクトをなくし胴体設計をやり直す必要がある。こうした改設計には多くのリソースが必要である。
3 大型の機体であるが故に離着陸に大きな揚力を必要とし、フラップの改設計もまた大掛かりなものになる。脚にかかる負担も大であり、特に荒々しいものになることが多い空母への着艦時における事故損失が多発しかねない。
4 大型機故に空母上のスペースを圧迫する。これは格納庫が限られる空母では大きな問題である。
以上よりウマムスタン機の中では比較的航続距離の長いCak-120Fの艦上戦闘機化が決定された。「量産性が悪い機体を主力機にするのはいかがなものか」という意見もあったが、ウマムスタン海軍としては「空母上で運用できる機体は限られるため、多少量産性が悪くとも性能が良ければ良い」と判断した。後にアキツ海軍では間違いだったとして語られる性能重視だが、ウマムスタンの空戦の主戦場は大陸であり、アキツのように島嶼部で海軍戦闘機が主力戦闘機として戦う場面は少ない環境にあった。そのため、この判断は間違っているとも言い難い。
艦上戦闘機化にあたってエレベーターに搭載できるよう翼端の折りたたみ機構(この頃のウマムスタンには艦載機用の折りたたみ技術がなく、ダートのような大掛かりな折りたたみは導入されていない)、1200kmへの若干の航続距離強化が行われた。試験結果は軒並み良好であり、特にアキツより輸入されていた九六式艦上戦闘機と同等の航続距離は初の艦上戦闘機としては十分とされた。
Cak-120DF-11の議論自体は1939年から行われていたため、先行量産は1940年に始まり、天鸞の引き渡しとともに十数機がアキツに試験用として渡った。アキツ軍では次の点が高く評価された。
1 高い速度性能。高度によるが零戦に比べ60km/h〜70km/h以上優速なのは驚嘆に値する。
2 格闘性能も高い。低速域では零戦の方が上であるが、加速性能が良い上に中速度以上ではCak-120Fの方が優位である。
3 上昇性能もまた優秀であり、零戦に優越する。
しかし一方で次の点から艦上機に適さないとされた。
1 陸上機に大幅に勝り、旧式艦上機と同等といえど零戦に比べ航続距離がかなり短い。航続可能時間も同様であり、哨戒、警戒任務に支障をきたす。
2 元が陸上機であるため離着艦が非常にやりにくい。実戦運用となれば零戦より多くの事故喪失機が発生することはまず間違いない。
と正面戦闘能力を評価しつつも艦上機として未熟な部分が多く指摘された。試験中にダート開戦が迫り、当時のアキツ海軍の主力艦載機との共同運用が困難だったCak-120DFはその全てが地上に降ろされ、試験結果は天鸞に乗船していたウマムスタン武官らによって本国に報告され、Kar-23Fの艦上戦闘機仕様の開発に生かされることとなる。