Bad(パンクハザード9)

Bad(パンクハザード9)

Name?

「……う~ん? ……んん」

 一定間隔で、体が揺さぶられる感覚があった。

 それはまるで揺りかごのようで、しかし穏やかな眠りを誘うには、あまりにも荒々しかった。

 ゆっさゆっさというよりは、どしんどしんという擬音が似合うだろう。

「……ふぁ……」

 欠伸を嚙み殺して、ウタはゆっくりと目を開いた。

「……?」

 状況がわからない。

 周囲の光景から、少なくともここは屋内らしい。

 はて、今まで自分は何をしていたのだろうか。

 寝ぼけ眼を擦りながら、ウタは体を起こした。

「おや、目が覚めましたか」

 落ち着く低い声に、ウタはもう一度欠伸をしてから、その慣れ親しんだ声に尋ねる。

「……ブルック、ここ、どこ……?」

 その様子に、ブルックが愉快そうにヨホホと笑う。

「この世で生を最も強く実感する場、あるいはこの世で最も死を身近に感じる場。──端的に言ってしまえば、戦場ですよウタさん」

 ブルックの優しく愉快な声色が、深く鋭い声に変わり、ウタはようやく意識を覚醒させた。

「わっ、そうだ! ナミとウソップは!?」

 咄嗟に立ち上がろうとして転びそうになったウタだったが、ブルックがその腕を掴んだおかげで事なきを得た。

「私たちは大丈夫よ」

「おれ様にかかればどうってことねェよ!」

 その声にウタが振り返れば、そこにはウソップとナミがいた。いつの間にか、ナミが自分の体に戻っている。そして、その段になってようやく、ウタは自分が“茶ひげ”の背中に乗っていることに気が付いたのだった。

「お姫様はようやくお目覚めか。……状況はどれだけ分かってる?」

「あ、ゾロ。……えっと、何も?」

 ウタは首を傾げる。

 覚醒した頭で、視界から入ってくる情報を整理すれば、みんなして何かから逃げているらしい。みんな、というのは“麦わらの一味”だけではなく、数刻前に研究所入り口で見た海兵たちも含めての話だ。

 ゾロとサンジが、ケンカしながらウタに状況を説明する。

 現在、このパンクハザードはシーザーの放った毒ガス“シノクニ”によって、死の島になってしまっているということ。

 そして、そこから無事に脱出するには“R棟”のとある扉から続く通路まで行かねばならないこと。

 爆発により今までいた“A棟”も、爆発により流入した“シノクニ”により燦々たる有様になってしまったこと。

 さらにナミとウソップから、子供たちは未だ連れ去られたままだということを聞いた。

 ふむ、とウタは頭の中で情報を整理してから、ふと気になったことを口にした。

「で、なんで“茶ひげ”さんがわたしたちを乗せてくれてるの?」

 その疑問に、ぜえぜえと息を切らせながら、皆を乗せて走る“茶ひげ”が応える。

「シーザーに襲われた時に、お前さんに助けてもらったからな……。ぜえ、ただ、お前たちに恩義はあれど、後から来た四人は知らん……! 走れるなら降りてくれ……!」

「ご、ごめん」

 ウタが謝ると、“茶ひげ”が「お前はいいんだ」と言う。

「お前らだ、鼻の長くない男どもに骸骨!!」

「えっ」

 ウタは声を上げてブルックの顔を見る。

 ブルックは誤魔化すようにヨホホと笑い、ゾロが小さく息を吐く。

「そうは言ってもおれたちも走りづめで……さすがに走るのが面倒になっちまってだな」

 そんな暴論を振りかざすゾロに、うんうんと頷くのは、見覚えのない長身の侍。

 あ、とウタは彼が生首侍だということにようやく気が付き、そして声をかけようと──。

「!! 女の涙の落ちる音がした!!」

 不意にサンジがそう叫んで立ち上がり、タン、と“茶ひげ”の背中から飛び降りた。

 ウタはぽかんと口を開けて、その背中を見送ることしかできなかった。

「おい、サンジ!?」

 ウソップの声に、ゾロがほっとけ、とつまらなそうに言う。

「どうせいつものアレだ。心配するだけムダだろ」

「そうだけどよ……」

 ウソップの声に、ゾロはひらひらと手を振って、そして“茶ひげ”の背中に悠々と寝転んだ。

 一味のみんなが心配していないのだから、心配するのは野暮だろうと、ウタも気を取り直す。

 ルフィはシーザーを捕まえに単独行動。

 どうやら“侍”の体の件は終わったようだから、あとは侍の息子含め子供たちを助けることと、それから脱出するだけだ。

────

 

 

 

「あれ、チョッパー!?」

 パンクハザード、研究所は“B棟”──。

 “茶ひげ”の背から、ウタが声を上げて上階を指差す。

「あいつ何で巨大化してやがる!?」

「……あっちに例のキャンディがあるのかも……」

「あ?」

 ゾロの声に、ナミがぽつりと呟く。

 事情を詳しく知らないゾロとは違って、ウタはすぐに事情を察した。

 つまり、チョッパーは巨大化して、子供たちがキャンディを食べるのを阻止しているのだろう。

 ウタは首を巡らせて、上階へ繋がるであろうと階段を見つけると、“茶ひげ”の背中からぴょんと飛び降りた。

「“茶ひげ”さん、ありがとう! わたし、子供たちを助けに行くから!」

 ウタの声に、スタリと隣に降り立ったナミが言う。

「私たち、でしょ」

「チョッパーさんも大変そうです、早く向かったほうがよろしいかと」

「急ぐぞ!」

 次々に降りる一味の仲間たちが言う。

「さァて、あとはこいつの息子も探さなくちゃな」

「モモの助ー!!!」

 遅れて降りたゾロ、そして侍が口々に言う。

 どのみち、目的地は変わらない。

「行こう!」

 “茶ひげ”と別れ、ウタたちは上階へ向け走り出す。

 ところどころで、ウソップが後ろを振り返りゾロに声をかけている。

 ウタはその様子に首を傾げながらも、動かす足の速度は緩めない。

「あれ!?」

 ウタは階段を上り切った先で、急に立ち止まった。

 吹き抜けの廊下に出た時、そこには既にチョッパーが見当たらない。

 あんな巨体が、すぐに見えなくなるわけが……

「あそこだ!」

 ウソップが、狙撃手の面目躍如と言わんばかりに、真っ先に子供たちの足元を指で指し示す。

 “ランブルボール”の効果が切れてしまったのだろう、地面に倒れたチョッパーが、子供たちから、まさに踏んだり蹴ったりの状況になっている。

「急ぐぞ」

 ゾロの鋭い号令がかかり、一味は子供たちの合間をすり抜け、真っ先に駆け寄ったナミがチョッパーを救出した。

「チョッパー、状況を教えて!」

「こりゃどうなってんだ!?」

 ナミとウソップの声に、チョッパーが目に涙を溜めながら「みんな……」と言う。

 曰く、シーザーが子供たちに施しているのは「巨人のようにデカい、凶暴な兵士」を作る実験とのことだ。

 シーザーにとって子供たちは“実験動物《モルモット》”であり、その命に頓着はない。死んだら死んだで、新しい“実験動物”を仕入れればいい。その程度の認識のようだ。

 それを聞いて、一味の表情がさらに険しくなる。

「とにかく、すぐに子供たちを止めてくれ……! この奥の左の部屋がビスケットルームだ。そこにキャンディがあるんだよ……! 一人正気に戻ったモチャって子が、キャンディを守ってくれてるんだ……。モチャが危ない……!!」

 チョッパーの声に、ウソップがだけどよ、と眉尻を下げた。

「こんなの、どうしろって言うんだよ!? ちょっとやそっとじゃ止まらねェぞ!!」

 ウソップの言葉を裏付けるように、ロビンが地面から生やした道を通せんぼする巨大な両手を、子供たちは遠慮なく攻撃して、その隙間を乗り越えていく。

 そして、ビスケットルーム内。

 子供たちの顔を見て、部屋の中にいた、ウェーブのかかった黒髪の女の子──モチャは、その手に抱えた巨大なキャンディの包装を一層強く抱いて、逃げるために駆けだした。

「モチャー!! キャンディよこせ!!」

「ひとり占めするなよー!!」

「くれー!! キャンディー!!」

 それを追う子供たちが、口々に叫ぶ。それに対してモチャは、逃げながら

「ダメだよ……! みんな目を覚まして! これは、毒なんだってチョッパーちゃんが言ってたんだ……!!」

 息を切らせながら、説得するように言葉を話す。

 もちろん、狂乱している子供たちが、聞く耳をもつわけもない。

「あっ」

 モチャが声を上げる。

 つい先ほどまで出口があったはずのそこには、真っ白い壁がせり立っていた。

 そして、その前にいるのは、腕が鳥になった、緑髪の女──。

「モネさん! みんなを助けて!!」

 モチャが希望を見出したように表情を明るくして、その女に言う。

 しかし、彼女は静かにこう言った。

「ダメじゃない、独り占めしちゃ。みんなに分けてあげないと……」

 それを聞いたウタが、反射的に叫ぶ。

「モチャ、その人は敵!!!」

「えっ?」

 驚いた顔をして、モチャが足を止めて振り返った。

 ふっ、と女は羽ばたいてモチャに近づき、足のかぎ爪をそのキャンディに向け──。

「おっと、無粋な真似は見過ごせませんね」

 キン、と鍔音を鳴らして、女の背後を歩きながらブルックが言う。

「なっ──!?」

 いつの間に、と女が振り返った瞬間、その足がスパンと斬れた。

“鎮魂歌《レクイエム》・ラバンドゥロル”──またの名を、“鼻唄三丁矢筈斬り”。

 ブルックの得意とする、神速の剣技である。

 しかし、足を斬られたはずの女の体が、次の瞬間にさらりと砕けた。

 瞬きをしたほんの一瞬で、ビスケットルーム全体が、一面銀世界へと変貌している。

 ウタはその様子に目を見張った。

「自然系《ロギア》か!!」

 忌々しそうに、顔を顰めたゾロが言う。

 “雪”か、“冬”か。

 冷気に関係のある能力であろうことは、想像に難くなかった。

 問題なのは、ブルックの操る“黄泉の冷気”が通じないこと。

「ゾロ! 分厚そうだけど、あの白い壁斬れる!?」

 ウタの声に、ゾロが当たり前だと答える。

「斬るのは良いが、どうする?」

「わたしがあいつとやるよ。まだほかに壁があるかもしれないし、斬れる人が先行した方がいい」

 出入口を塞ぐ白い壁が、どれほどの厚さと強度を持っているかはわからない。

 剣士は三人いるが、ブルックの剣技は厚みや太さのあるものを斬ることには適しておらず、そして侍の実力は未知数だ。

 なら、ゾロに先行して道を切り開いてもらうのが最適だろう。

 そういう判断からの言葉だった。

「……自然系だぞ? 覇気は使えんのか?」

「なんとでもなると思う。“雪”でも“冬”でも“冷気”でも、対抗手段もいくつかあるし」

 冷たいのは苦手だけど、とウタはおどけたように言う。

 そうかよ、とゾロは笑いながら呟いて、ぐんと速度を上げた。

 一味も子供たちも抜き去り、抜き放った二刀で、出入り口を封鎖していた白い雪の壁を斬り崩す。

「おい! ここから早く逃げろ!!」

 ゾロがモチャに声をかける。

 モチャは何が起こったのかを理解できていないような表情だったが、何をすべきかは理解していたらしい。すぐさまゾロの開いた穴に入って、ビスケットルームから廊下へと抜けだし、そして走り出した。

 さて、ではここでそのゾロの開いた穴を死守していれば、万事解決になるか。

 正解は、否だった。

「う!?」

 ゾロとブルックを囲むように、雪の竜巻が発生し、剣士たちの視界を遮る。

「子供たち……、早くモチャを追いなさい……!」

 どこからともなく聞こえる女の声に、子供たちがわっと出入り口に押し寄せる。

 いつの間にか、白い壁は消えていた。

 視界を奪われていては、ゾロも十全に武器を振るえない。何しろ、子供たちを斬る恐れがある。

「あの女はどこ!?」

 チョッパーを抱えて子供たちを追いながら、ナミが周囲を見渡して言う。

 一面の銀世界。どこにも女の姿はない──。

「──ナミ、危ない!!」

 ロビンが声を発した時には、既に敵の術中だった。

「“万年雪”」

 そんな呟くような声が響いたかと思うと、ナミの足に、床からせり上がった雪が絡みつき、それはすぐに体まで登り、ナミを拘束する。

「雪、冷たっ!?」

 悲鳴を開けるナミの後ろに、雪から生えた女の体があった。

 それは、禍々しい見た目をしていた。

 白い雪の体に、腕の代わりの巨大な翼。そして、大きく広げられた口には、肉食動物も斯くやというほどの、鋭くとがった牙がずらりと並んでいる。

 あれで体を噛まれてしまったら、ひとたまりもないだろう。

「“四本樹《クロトワ・マーノ》”……“スパンク”!!」

 ロビンがナミの背から腕を生やして、その禍々しい女の顔に張り手を食らわせる。

 バラバラとその頭部は崩れたが、しかし相手は自然系。

 すぐに次の頭部が生えてくる──。

 

LaLa──La──!!♪


 ビスケットルーム内に、どこまでも響きそうな程に透き通った高音が鳴り響いた。

 ウタの声だ。

 その途端、女の体どころかナミを覆っていた雪も、形を失ってバラバラと崩れ落ちた。

「ふふっ」

 背後から聞こえた声に、ウタは振り返りながら“指揮杖《ブラノカーナ》”を振るった。

 ギィン!

 金属がぶつかる音が響く。

 つう──、とウタの頬に亀裂が入り、そこから赤い液体がこぼれ出てきた。

 女──モネが足で持つ、錐のような武器の先端が、頬を掠めたらしい。

「ふふふ、残念」

 ふわりと飛び上がり、距離を取りながらモネが言う。

 くるりと“指揮杖”を構え直して、ウタがみんなに向かって声を張り上げる。

「みんな! 先に行って!! この人はここで食い止めておくから!!」

「……わかった!」

「頼むわよ」

 一味の声を背に、ウタは肺の息を一度大きく吐き出した。

 気が付けば、ゾロたちも竜巻から脱出していたようだ。

 吹雪の音は聞こえず、ビスケットルームには遠ざかる足音と、モネの羽音、そして呼吸の音しか残っていない。

 その沈黙を破って、モネが言う。

「あなた、本当に“麦わらの一味”なのかしら? どこかで見たような気もするけれど、手配書を見たことがない気がするから……懸賞金は〇ベリーってところかしら?」

 少しあざけるような、挑発するような声色だった。

 しかしウタは、それには答えない。

ただ、息を吸って低い声で、小さく宣言する。

「さあ、歌うよ」


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