Bad(パンクハザード8)

Bad(パンクハザード8)

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 シーザー誘拐作戦が始まってから、数十分後。

 パンクハザードの研究所裏手にある廃墟内では、ガシャガシャと鎖の音が鳴っていた。

 鎖の音だけではない。

 うーうーという呻き声は、子供たちの発する声だった。

「ウソップ、ウタ! 何とかして!!」

「やってるけどよ!」

「禁断症状の方が強いみたい……」

 困ったように叫ぶウソップと、意気消沈して呟くウタ。

 子供たちは口からよだれを垂らし、涙を目に浮かべて呻いていた。

 ウソップの“爆睡星”は効かず、そしてウタの歌声ももはや子供たちには届かない。

 活路があるとすれば、ウタウタの能力で精神を閉じ込めてしまうことだろうが、この雪山でそれをやるのは自殺行為だ。

 さらに、ウタが眠ってウタウタの力が解除され、普通の眠りに落ちてしまえば、きっと禁断症状に苦しむ子供たちの方が早く目を覚ます。

 つまり、命を懸けてもほんの五分程度の先延ばしにしかならないだろうということ。

 そして、問題なのは鎖をほどこうと暴れる子供たちよりも……。

「ねえ……キャンディちょうだい……」

「苦しいよ……」

「頭痛い……」

 よたよたと歩み寄ってくる、そこまで体の大きくないため縛られていなかった子供たちだ。

「どうすりゃいい!?」

「私に訊かないでよ!?」

「──っ! 二人とも、とりあえず外へ!!」

 言い争っている間に、子供たちが暴れ出した。

 屋内で暴れられて、生き埋めになったら大変だと、ウタは二人を先導して外へと出る。

「──!!?」

 男が、そこに立っていた。

 吹雪の中に立っているその男を見て、ウタは絶句する。

 足がない。

 いや、ないわけではなく、煙のようになっている。

(ガス──!!)

 脳裏に浮かんだ単語は正鵠を射ていた。

 シュロロロロ、という笑い声に、子供たちがウタの思考を肯定するように「マスター」と口々にその名を呼ぶ。

「あんたがシーザーか!!」

 ウタは“指揮杖《ブラノカーナ》”を伸ばして構える。

 後ろでウソップも“黒カブト”を構えている。

 しかし、そんな二人を歯牙にもかけないように、シーザーは余裕綽々に話しかけてきた。

「お前たち、可哀そうなことをする……。何故連れ出した? 子供たちが苦しんでいるじゃないか……!」

「黙って!!」

 誰のせいだと思っている!!?

 そんな言葉も出せずに、ウタは“指揮杖”を振りかぶりシーザーに殴りかかった。

「待て、ウタ!!」

 ウソップの声が聞こえるが、しかしウタは止まらない。

 ブゥン、と唸りを上げて横なぎに振るわれた鉄棒は、しかしガスであるシーザーの体を捉えることはない。

 自然系の能力者が、この海で恐れられている理由の一つだ。

 その実体を捉えられるのは、練度の高い覇気か、あるいは弱点を突くか、別種の能力をぶつけるより他はない。

 もちろん、ウタとて怒りで我を忘れたわけではない。

 対抗手段も持っていないのに、命を捨てるような真似はしない。

 接敵したのは、ウタウタの実の能力を十全に使える三メートルの範囲から、相手を逃がさないため。

 目の前にシーザー・クラウンがいるのならば、ここで彼を倒して捕まえてしまえば、それで話は終わりだ。全てが上手くいく。

 くるりと手首を返して、ウタは肺いっぱいに息を吸い込もうとして──

「!?!?」

 ウタの喉がコヒュッ、と妙な音を立てた。

 がくり、とウタが膝から崩れ落ちる。

 そんなウタを見下ろして、シュロロロとシーザーが不敵に笑う。

「おいおい、そんなに乱暴したら子供たちが怖がってしまうじゃないか」

 くつくつと肩を震わせるシーザーに、ウソップが照準を合わせていた。

「てめェがガスだっていうなら……!!」

 ギリ、と“黒カブト”が軋みを上げる。

「“必殺・火の鳥星《ファイヤーバードスター》”!! ともう一発!!」

 手元から離れた弾丸が酸素と反応して発火し、まるで火の鳥のようにシーザーに飛来する。

 そしてウソップが連射したもう一発は、“火の鳥星”より速く跳び、そしてウタに当たるとウタを包むように一気に蔦を広げた。

 “必殺・陸浅蜊星《クラムシェルスター》”という、頑丈さが取り柄のポップグリーンだ。

 これで、ガスに引火してもウタがその爆発に直接巻き込まれることはないだろう。

「吹き飛べ悪党!!」

 ウソップの掛け声。

 しかし、その声とは裏腹に、“火の鳥星”はすぐに鎮火してぽす、と情けない音を立ててシーザーの体をすり抜けた。

「シュロロロ!! ガスなら引火すると思ったか!? 残念だ! おれは“気体《ガス》”人間! 周囲の気体を何でも操れるのさ!!」

「なっ──!」

 ウソップが目を見開いて絶句する。

 なら、どうやって戦えばいい?

 そんな絶望を後押しするように、ウソップとナミの背後でガチャン! という一際大きな音が鳴った。

 振り返れば、鉄の鎖で縛られていたはずの子供が、その鎖を腕力だけで引き千切り、キャンディを求めて走り出していた。

「待って!!」

 ナミが子供を引き留めようとするが、正気を失った子供にあっけなく殴られ、地面に倒れてしまった。

「さあ子供たち、怖い人たちから逃げて研究所に戻ったら、あとでキャンディをあげようじゃないか! 早くあっちにある“空飛ぶガス風船”に乗り込め!!」

 わざとらしい善人顔で、シーザーが言う。

「くそ、ナミ!!」

 倒れたナミを助けるために駆けだそうとしたウソップの前に、シーザーがぬっと接近する。

「が……か……」

 途端、ウソップが喉を抑え、口から泡を吹いて倒れた。

 にんまりと笑って、シーザーは勝ち誇ったように言う。

「そう、気体を操る能力さ。酸素を抜いてしまえば、お前らは何もできない!!」

 必死に“天候棒《クリマタクト》”を取り出したナミも、すぐに同様の手口で地面に倒れ伏した。

「お前たちの仲間も! 船長も!! こうやって窒息させてやったよ!! シュロロロ!!」

 さて、このまま息の根も止めようか、とシーザーが舌なめずりをしたところで、

「シーザー!!!」

 乱入者が現れる。

 ゴォウ!! と振るわれた巨大な鉄パイプに、シーザーの体が霧散し、一瞬能力が解ける。

「がはっ!」

「はあっ!」

 ナミとウソップが、息を大きく吸い込むも、一度酸素を失った体に、立ち上がれるだけの余裕はない。

 乱入者の名は、“茶ひげ”。

 今まで意識を失っていたようだが、子供たちが騒ぎ出したせいで目を覚ましたらしい。

 ナミとウソップを庇うように立って、“茶ひげ”が鉄パイプを構える。

「おお、お前は我が可愛い部下の“茶ひげ”じゃないか!」

 わざとらしい笑顔を作り、両腕を広げてシーザーが言う。

 黙れ、と“茶ひげ”が叫んだ。

「お前がおれを殺そうとしたことは知っている!! 部下を返してもらおう! あいつらまで同じ目には合わせられん!!」

 しかし、その言葉に対するシーザーの反応は、顔を歪めての「はァ?」という言葉だった。

「いつまで海賊船の船長気どりだ、“茶ひげ”? お前の部下は、もうおれの部下だ! この“新世界”の落ちこぼれ海賊風情は、おれ様のモルモットなのさ!!」

「シィィイザァアアアア!!!」

 “茶ひげ”の巨体が繰り出す、鉄パイプの一撃。

 裂帛の気合の一撃も、しかし覇気を纏わねば意味はない。

 するりと攻撃をやり過ごして、シーザーはその右手に持つカスタネットのようなものを“茶ひげ”に向けた。

 ダンッ!!

 ポップグリーンの影から、ウタが飛び出した。

  

────♪!!!!

 

『勝利を確信した攻撃をする時は、戦闘中で最も隙が生まれる瞬間です。覚えておいて損はないですよ』

 

 ブルックの言葉を思い出しながら、ウタは背後からとある楽曲の歌詞を叫んで跳びかかる。

 スカッ──。

 その攻撃は、しかし空を切り。

「“ガスタネット”!!」

 ドゴォンン……!!!

 爆発とともに降り積もった雪が巻き上がり、地面を揺るがさんばかりの轟音が響き渡る。

 否。

 実際に、地面が揺れるほどの轟音と衝撃だった。

「……どういうことだァ?」

 顔を歪めて、シーザーが言う。

 煙が晴れた後には、目の前にあった廃墟が、そこから姿を消していた。

 雪と廃墟のなくなった岩盤には、まるで抉られたような跡が見える。

 もちろん、“ガスタネット”にそこまでの破壊力はない。

(…………あの女か?)

 シーザーは首をひねりながら推察する。

 少なくとも、“茶ひげ”にこれができるとは思えない。

 ならば、あそこにいた“麦わらの一味”が怪しいが、動けなかった二人を除くと、自然と下手人は絞られる。

 つまり、あの時の攻撃はそもそもシーザーを狙ったわけではなく、雪山を岩肌ごと削ってこの場を離脱するための一撃だったということか。

(……だがこの雪山で、雪と廃墟の崩落に巻き込まれて、無事で済むとは考えづらいな)

 動けないのであれば、この後の“実験”でどうせ死ぬ命。

 わざわざ探す必要はないだろう、とシーザーは判断する。

「さあ子供たち! 全員いるね!? 研究所へ帰ろう!!」

 崩落を免れた“空飛ぶガス風船”に乗り込み、シーザーがわざとらしい善人面で言う。

 そして、空を飛ぶ船の上で、シーザーは電伝虫に向かって宣言する。

 本日、この島で“新兵器”の実験を行うことを。

 そして、それを聞くのは、“武力”を欲する国や売買人、海賊たちである。

 パンクハザードに立ち込める暗雲は、未だ晴れそうになかった。

 一方その頃──。

「ゲホゲホッ、痛たた、た、あー、ゲホッ!」

 ゲホゲホと咳込みながら体を起こしたのは、鼻の長い男だった。

 ウソップである。

「……ナミ、ウタ、生きてるか!?」

 呼吸を整えてから声を上げるが、返事はない。

 ウソップは不安そうな顔をして、周囲を見渡した。

 真っ先に見つけたのは、赤と白の髪をした女。

 ぐったりと倒れたまま、動く気配はない。

 ウソップは冷や汗を流しながら、四つん這いでウタに近づいて、その口元に手を当てた。

 ──呼吸はしている。

「よかったァ!」

 気絶している、というよりも、どうやら眠っているだけのようだ。

 ほっと息を吐いて、「そうだナミは……!」とウソップが呟いた瞬間、背後で誰かが起き上がる気配がした。

「ひ、ひどい目に遭ったわ……」

 額に手を当てて、ナミが言う。

「ナミ、お前も無事か!」

 嬉しそうに顔をほころばせて、ウソップが言う。

 ウソップの体も、ナミの入ったサンジの体も、あちこち擦り傷があり、そして痣もあった。

 もちろん、眠るウタも例外ではない。

 とりあえず、あの場にいた仲間の無事に、二人はほっと息を吐いた。

 それにしても、とウソップが言う。

「あいつの言ってた、ルフィを窒息させたってのは本当なのかよ……?」

 不安そうな声に、ナミが顔を顰める。

「……ルフィがあんなやつにやられるわけないでしょ」

「……だよな! 悪ィ、変なこと聞いた!」

 ははは、とから笑いをして、ウソップが言う。

 にしても、とウソップが話題を変える。

「だいぶ上から落ちてきたよな。あの爆発もそうだけど、おれたちよく無事だったもんだな!」

 そうね、とナミが頷こうとした時、重い足音が後ろから聞こえた。

「そこの女のおかげだ……」

 低い嗄れ声に、ブルックとナミが慌てて振り返る。

 そこには、あちこちから血を流した“茶ひげ”がよろよろと立っていた。頬には、何か濡れたような筋も残っていた。

「ウタが?」

 ナミが驚いたように首を傾げた。

 ああ、と“茶ひげ”が頷く。

「あそこで……全滅していてもおかしくなかった。だが、おれがMに……シーザーにやられそうになった瞬間に、何か呪文のようなものを唱えてシーザーに殴りかかったんだ。次の瞬間には、目の前が真っ暗になっていた。……おそらく、何か巨大なものを使って、建物も雪も根こそぎ削ったのだろう」

 爆発があったのは、それとほぼ同時だ、と“茶ひげ”が言う。

「崩落のおかげで、爆発の被害もさほど受けずに済んだ。本当に……ヘタをしたら死んでいた。……礼を言う」

「いや、そんな……」

 頭を下げる“茶ひげ”に、ナミは困ったような顔をした。

 しかし。

「ウタの能力……って言えば、歌の力よね?」

「そういや魚人島で、能力を使い過ぎると起きてられないからペース配分が結構難しいー、とか言ってた気がするな」

「それでこんな所でも、これほど安らかに眠っているわけね」

 ナミはそう言って、指でウタの鼻を軽く弾いた。

 ウタは口を歪めて「むにゃ……」と抗議するが、しかし起きる気配はない。

「“麦わらの一味”。お前たち、この後はどうする?」

「どうって言ったって……」

 ウソップは再び困ったように眉を寄せて、ナミの方を見た。

 そもそも、目的の子供の護衛は失敗したのだ。なら、今は何を成せばいい?

 答えに窮していると、“茶ひげ”が「おれは行くぞ」と言った。

「おれの部下たちまで、おれみたいな目には合わせられん。……すぐに、シーザーから部下たちを取り戻しに、研究所へ向かうつもりだ」

 そうね、とナミが頷いた。

「いろいろと状況は変わっちゃったけど、やるべきこと自体が変わったわけじゃない。ウソップ、私たちの役割は?」

「子供たちを護ること……だな!」

「なら、またシーザーから子供たちを奪い返せばいい。もしかしたら、また覚せい剤を投与されちゃったかもしれないけれど、それは考え方を変えれば、次に発作が起きるまでの猶予があるってこと。そっちはその間にチョッパーたちが何とかしてくれるわ」

 うん、とナミは“茶ひげ”に向き直る。

「私たちも、ウタが起きたらすぐに向かうわ。気にかけてくれてありがとう」

「いや……。……目的地が同じなら、乗せて行ってやろうか?」

「いいのかよ!? どう見てもお前の方が重傷だぞ?」

 ウソップが慮るように“茶ひげ”に言うが、彼は大丈夫だ、と首を横に振った。

「言ったろう、助けてもらった、と。恩を売ってもらってそのまんまじゃあ、仁義もなにもあったもんじゃねェ。なに、二人も三人も、お前らくらいの人間を乗せるくらい、わけないさ」

 ナミたちは“茶ひげ”の案に乗ることにした。

 目指すはパンクハザード研究所入り口。

 もうこうなったら、正面からでも裏口からでもいい、子供たちを奪い返す。

 目標を定め、ナミたちを乗せた“茶ひげ”は、雪原を走り出したのだった。

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