Bad(パンクハザード11)
Name?目を開くと、そこは見慣れない天井だった。
──いや、見慣れないのもそのはず。まだその船室で眠ったことは、魚人島での一日だけなのだから。
ウタは布団から起き上がり、欠伸をしながら眼を擦った。
……どれくらい眠っていたのだろうか。
周囲を見ても、誰もいない。
ウタはベッドから降りて靴を履くと、船室から甲板へと出た。
「寒っ!!」
吹き付ける風は、冬の様相。
どうやら、まだパンクハザードの冬側にいるらしい。
ウタの声に、真っ先にルフィが気付いた。
「おーい、ウター!! 起きたならこっちこいよー!! そろそろサンジの飯だぞー!!」
ウタの方へと手を振りながら、船長が言う。
そのルフィのいつもの様子に、小さくほっと息を吐いて、ウタは手を振り返した。
「すぐ行くよ!!」
足取り軽くウタが船を降りる。
「おう、目が覚めたか眠り姫」
笑いながら、ゾロが言う。
「子供たちを止めてくれたの、お手柄だったわ。気分はどうかしら?」
手に顎を乗せて、ロビンが言う。
「ああウタさん、ヨホホ、よくお眠りだったようで。しっかり休めましたか?」
明るい声で、ブルックが言う。
そして──
「紅白髪の女子《おなご》! 改めて感謝いたす……!! 貴殿とサンジ殿が拙者を無理に連れ出してくれねば、こうして生きて息子と再会できたのかも怪しい所……!!」
「えっ、いや、わたし!? って息子さん!?」
いきなり土下座をして礼を言い始めた侍。確かに、その侍の一歩後ろに、髷を結った和装の少年が立っていた。
「……そっか、息子さんと逢えたんだ。良かった」
ふっ、と頬をほころばせて、ウタが言う。
だけど、とウタが続けた。
「逢えたんだから、それでいいでしょ。そんなにかしこまられるとこっちも困るって言うか……」
「し、しかし……」
「しかしもへちまもない」
ぴしゃりとウタに言われて、侍は「う、うむ」と頷くほかなかった。
すくりと立ち上がり、改めて、と侍が言う。
「拙者、名を錦えもんと申す! こちらは息子のモモの助にござる!」
そういえば、名前を聞いていなかったし、こちらから名乗ってもいなかったっけ、とウタは思い出す。
ニッ、と歯を見せて笑って、ウタが言った。
「ウタだよ! よろしく!」
うむ、と頷いた錦えもんの目尻に光るものに、ウタも思わず目尻を拭った。
そうだ、と思い出したようにウタはブルックに尋ねる。
「ねえブルック、他の子供たちは?」
ああ、とブルックが首を傾けて言う。
「それでしたら、ナミさんが海軍と交渉を行っています。今後の治療も含めて、海軍に一任しようと」
「……あの海軍たちは、信用できるの?」
疑ってかかるわけではないが、ウタもブルックと行ったライブ遠征にて、悪徳海兵の所業を目にすることもあった。
海軍だから信用できる、信用できないではなく、彼らが信用できるのか。
ウタはそれを心配していた。
何しろ、子供たちから怖がられるくらいには、人相が悪い人たちばかりだったから。
「ああ、ケムリンたちなら信用して大丈夫だぞ! あいつが悪いのは見てくれだけだ!」
ししし、と笑ってルフィが言う。
ルフィを信用していいものか、とも思うが、ウタにもムササビ少将という見てくれは海賊みたいだが立派な海兵の知り合いがいる。見た目だけで判断するのも筋違いだろう。
それに、一般常識に照らし合わせれば、海賊である“麦わらの一味”に保護されるよりも、海軍に保護された方が、親としても安心かもしれない。
そして、“麦わらの一味”には“麦わらの一味”の航海がある。それに、海賊同盟も。
「あ、そう言えばシーザーは?」
ふと思い出して、ウタはルフィに尋ねる。
「ブッ飛ばした」
「えっ」
あっけらかんと言うルフィに、ウタは思わず声を上げる。
だってよ、とルフィが顔を顰めて言う。
「あいつムカつくからよ。だから捕まえるのはやめてブッ飛ばしたんだ」
「だから、勝手に作戦を変えられたら困ると言っただろう、麦わら屋。……安心しろ歌姫屋、その後にきちんと捕縛してある。海楼石の手錠で拘束したから、悪さをすることもない」
呆れに少し苛立ちの籠った声。
ウタが振り返れば、そこには雪ヒョウ柄の帽子を被った男が立っていた。
「あ、トラ男さん」
「トラ男ー!! 子供たちはどうだった?」
相変わらず話を聞かないルフィに、ローは溜息を吐いてから言う。
「とりあえず、体に残っていた薬物を取り除いておいた。……だが、覚せい剤の影響に関しては、長期治療は避けられん。しかし、それは海軍に任せればいいだろう」
「おー! トラ男、お前本当にいい奴だなァー!!」
ニコニコと笑って言うルフィに、顔を顰めたローが「黙れ」と苦々しく言う。
「医者として当然のことをしたまでだ。勘違いするんじゃねェ」
「……そういう所だと思うけどなァ……」
ウタがぽつりと呟くと、ローが肩を落として
「歌姫屋、お前もか……」
と呟いた。
そんな様子を、後ろからブルックとロビンが微笑まし気に眺めている。
しばらくそんな雑談をしていると、不意にいい香りが辺りに漂ってきた。
真っ先に気が付いたのは、もちろんルフィだった。
「おっ、サンジのメシができたみたいだ!! お前ら行くぞ!!」
「えっ?」
「なにっ!?」
「うわっ!?」
「おい麦わら屋!?」
ルフィはそう言うと、有無を言わさずに腕を伸ばし、ウタとロー、そして錦えもん親子を引っ張って匂いの方へと歩き出す。
フフ、ヨホホ、とロビンとブルックがそれぞれ笑って、その後をついて行く。
匂いの中心には、巨大な鍋を、これまた巨大なお玉でかき回すサンジがいた。
「おう、来たかルフィ!」
歯を見せて笑ったサンジが、器にスープを盛り付けて、近くの台の上に置いた。
その台には、既に様々な料理が並べられており、非常に食欲をそそる香りを上げている。
「うほー!! うまそうー!!!」
ルフィが目を輝かせて言うが、サンジに「お前は後だ」と諫められる。
サンジはそのまま、錦えもんとモモの助に声をかけた。
「お前ら、この所ほとんど食ってないんだろ? なら、まずスープから腹に入れな。なんならおかわりもたくさんあるぜ」
料理を前に、モモの助の腹が激しく音を立てる。
そして、後から後から出てくる唾を飲み込むように喉を鳴らして──。
「……い、いらぬ!! せっしゃ、腹など空いて……おらぬ!! 侍はほどこしなど受けぬのだ!! こんなもの!!」
モモの助は目をぎゅっと瞑りながら、差し出されたスープを捨てようとするように、頭上に掲げる。
おい、と今まで笑っていたサンジが、形相を変えてモモの助の胸倉を掴んだ。
「てめェ、その皿をどうするつもりだ!? ガキだろうと、食い物を粗末にする奴を、おれは許さねェぞ!!」
「なんだよー、サンジのメシはうめェのによー」
状況がわかっているのかわかっていないのか、ルフィが残念そうに言う。
どすん、と錦えもんが台の前に座り、箸を手に取った。
「いただきそうろうー!!!」
モモの助の気を引くように大声で宣言し、次々に皿の上の食材を一口ずつ食べていく。
「あっ、おい!!」
サンジが慌てたように言う。
だが、錦えもんはそれを気にしないように、「うまい、うまい」と言いながら次々に食べていく。
「モモの助……! 大丈夫……、大丈夫でござる!!」
その姿を見たモモの助の腹が、再び大きな音を立てる。
「これも、これも、なんとうまいメシであろうか……! モモの助、拙者、この者たちによって救われたのだ! もう大丈夫、信用してよいのだ……!!」
口から食べかすを飛ばしながらしゃべる錦えもんの声が、だんだんと湿っぽくなっていた。
「さァ……生きようぞ!! モモの助!!!」
涙を流しながら言う錦えもんの言葉に、モモの助も涙を流して、コクコクと頷いて、そしてスープに口を付け始めた。
「……なんか、様子がおかしいね」
「ええ、そうですね。……ワケあり、といったところでしょうか」
ウタの囁き声に、ブルックが小声で応える。
うーん、とウタは考え込むように小さく唸ってから、まあいいか、と考えるのをやめた。
「生きていれば、どうにでもなるでしょ」
向こうがどうしたいかもわからないのに、こちらから手を差し伸べるものでもないだろう。
肝心なのは、“彼ら自身がどうしたいのか”だ。
こうやって親子で再会できたのだ。さらに助けが必要なら、向こうから言ってくるだろう。
ヨホホ、と隣でブルックが笑い、ウタは軽くそちらを睨みつけた。
「なに?」
「いえいえ、ウタさんも言うようになったな、と」
「……誰かさんのおかげでね」
「いやー、どこの馬のホネなんでしょうねー」
おどけたように言うブルックに、ウタは苦笑を漏らした。
それで、とウタは周りを見渡して言う。
「ねえルフィ、これ、どうする?」
気が付けば、匂いにつられた子供たちや海兵たちが、鍋の周りに、皿や器を持って集まって来ていた。
腹の鳴る音や、おいしそうといった味に期待を寄せる声があちこちから聞こえてくる。
「おい、お前らさっきまで正義だ悪だと騒いでいなかったか?」
サンジが、近くにいた海兵を捕まえて声をかける。
「停戦で!」
「ご相伴させてくださいよ、アニキ!」
ガラの悪い海兵たちは、腹を鳴らしてニコニコと言う。
溜め息を吐くサンジとは裏腹に、のんびり後から歩いてきたゾロが、海兵に「それならお前らの船から酒を持ってこい」と声をかけていた。
そんな様子を見て、ローが眉を寄せてルフィに声をかけた。
「おい、麦わら屋。ここは急いで離れるぞ。のんびりメシを食っていたら追手が来る。仲間たちにもそう伝えろ」
今後の作戦への影響を考えての発言だったのだろう。
しかし、ルフィがそんなことを気にするはずもなかった。
そうなのか、と頷きつつ、ルフィは宣言する。
「野郎ども、時間がないからさっさとやるぞ!! 宴だァーっ!!!」
わああ、とあちこちで歓声が上がる。
目の前で起こった凶行に、ローはあんぐりと口を開けて呆然自失となる。
ヨホホ、とブルックが愉快そうに笑う。
「のんびりメシを食っていたら、なんて言い回しをしたら、ルフィさんならこうしますよね! ああ、笑い過ぎて腹が捩れそう!」
捩れる腹はないんですけど! とブルックが誰にも笑われないスカルジョークを飛ばす。
「ブルック、ちょっと楽器取ってくるから待ってて!」
ウタがブルックに声をかけて、船へ向かって駆けだした。
即興の宴は、立場も年齢も越えて、ただ冬の寒さに温かさを運び、にぎやかな時を演出した。
────
宴も終わり、“麦わらの一味”一行はフランキーの修理したタンカーを見上げていた。
その船に乗るのは、実験を受けていた子供たちと、そして海軍“G-5”の海兵たち。
海兵が地面に引いた“正義と悪の境界線”とやらによって、ルフィたちは少し遠くから、タンカーに乗る子供たちを見ていた。
「さっきまで一緒に宴やってたじゃねェか!」
いちいち妙なことにこだわるなー、とルフィがつまらなそうに海兵へと言う。
「それに関しちゃご馳走様でした!!」
「だがお前らは海賊!! 人間の恥だ!!」
海兵たちは厳つい顔でお礼を言いながら、まるで誰かにそれを言い聞かせるように、大声で言う。
小さく溜め息を吐いて、ウタは肩を竦めた。
「どうかした?」
そんなウタに、ナミが声をかける。
くすりと笑って、ウタが言う。
「こういう扱いをされると、海賊になったんだな、ってさ」
「後悔してる?」
「まさか」
嫌われようが蔑まれようが、それでも自分が“ウタ”であることに変わりはない。こうなる事も織り込み済みで、海賊になったのだから。
だが、頭でわかっているのと、実際にそう言われるのとでは、また違った味わいがある。
そんなウタの様子に、ナミはフフ、と笑みを漏らして、再びタンカーの方へと目を向けた。
何やら海兵たちは、棒に付けた海軍の幕を広げて、子供たちから一味が見えないようにするための目隠しにしていた。
子供たちは助けてくれた海賊たちを探しているような声を上げているが、それをかき消すように、海軍たちは海賊の悪口と海軍の正義を声高に叫んでいる。
「しょーもねェなァ……」
サンジが頭を掻きながら、呆れたように言う。
でも、とナミが微笑んで言った。
「子供たち、無事乗り込んだみたい」
ほっとしたナミの横顔を見て、ウタも口元を綻ばせた。
子供たちは、きっと親と再会することができるだろう。
「じゃ、乗り込んだのも確認したし、おれたちも出航するか!」
タンカーに背を向けたルフィが、笑顔で伸びをしながら言う。
そうね、そうだな、と一味は口々に言って、サニー号へと歩き出した。
「そうだ、フランキーさん、ちょっと相談があるんだけど……」
「アウ、何だ? コーラならやらねェぞ」
「いや、コーラじゃなくって……。ちょっと改造をお願いしたいものがあってね」
「改造か! おれ様が何でもスーパーに仕上げてやるぜ!! 何をどうしたいんだ?」
「えっとまず、仕様的にできるかどうかを教えてほしいんだけど──」
ウタがさっそくフランキーに、能力の補強のための、物品の改造について相談していると、
不意に背後から大きな女性の怒鳴り声が響いた。
「やめなさい、あなたたち!!! みっともないっ!!!」
ウタは思わず飛び上がって、口から飛び出そうになった暴れる心臓を抑えて、振り返った。
どうやら、あのたしぎという女海兵が、声高に海賊の悪口を叫んでいた海兵たちを叱り飛ばしたらしい。
ウタがほっと胸をなでおろすと同時に、海兵が一人、たしぎに対して大声で言い返した。
「だっでよ、悪口でも言い続けねえど、おれだち、ごの無法者どもを……!!」
遠くからでもわかる、明らかな鼻声で、海兵が叫ぶ。
「好ぎになっぢまうよー!!! 海賊なのによォーっ!!!」
その声を皮切りに、あちこちで海兵の泣く声が聞こえ始める。
「なはは、変な海兵」
「ホントにね」
ルフィの言葉に、ウタが笑いながら頷いた。
「あっ」
ナミが声を上げた。
海兵たちが泣き始めたせいで、子供たちを隠していた横断幕が下がり、子供たちが薄っすらと涙を浮かべながら、一味の方を見ていた。
「海賊のお姉ちゃん、お兄ちゃん、本当にありがとう!!」
子供たちが、口々に叫ぶ。
見ず知らずの自分たちの「助けて」という言葉に応えてくれたこと。
事情も知らないのに、必死になって動いてくれたこと。
暴れてしまった自分たちを、見捨てないでいてくれたこと。
今まで誰も来てくれなかったのに、初めて来てくれた海賊が、外へ連れ出してくれたこと。
口々にお礼を言う子供たちに、一味は誰もが口に笑みを浮かべて、彼らに手を振った。
「……一応確認させてもらうが、おぬしら、本当に海賊か?」
信じられない、と言うように顔を顰めて、錦えもんがウタに声をかける。
子供たちにひらひらと手を振ってから、ウタは錦えもんの顔を見て答えた。
「いやー、どうやら海賊らしいよ、これでも。笑っちゃうよね」
あはは、と笑って、ウタは踵を返した。
世間的には、こういう海賊がいるなんて方が、信じられないのかもしれない。
だが、ウタが最初から知っている海賊は、これだ。
そのギャップに、恐らく一般市民であろう錦えもんが驚くのも無理はない。
あ、とウタは思い出したように錦えもんに尋ねた。
「そういえば、錦えもんさんはこっちに来るんだ?」
「うむ、和の国は非加盟国故、海軍に頼るわけにはいかんのだ。少なくとも、次の島までの同行に関しては、ルフィ殿にも話を通してある」
「そっか」
ウタの頷きに、錦えもんもうむ、と頷き返す。
「そこからは、小船を手に入れるなり、船を乗り継ぐなりして、ドレスローザへ向かう。……仲間が一人、囚われているのだ」
ドレスローザ、と聞いてウタが首を傾げた。
確か……。
「ねえトラ男さん!」
一味に先駆けてサニー号へと帰ろうとするローに、ウタが声をかけた。
「なんだ、歌姫屋」
気だるそうな声の返事だったが、ウタはそれを気にせずに尋ねる。
「さっき、この後の目的地について言ってたよね? なんて島だっけ?」
先ほどの宴の間に、ローはルフィとナミを捕まえて、目的地について話をしていようだ。
聞いていたのか、とローは溜め息を吐いてから答えた。
「ドレスローザだ。そこに、四皇“百獣”のカイドウを引きずり下ろすためのカギがある」
「カイ……ドウ……!?」
驚いたように、錦えもんが言う。
どうしたの、というウタの問いに、錦えもんは慌てて「なんでもござらん」と取り繕った。
「しかし、次の島がドレスローザであるならば、非常にありがたい……!」
錦えもんが呟く。
様々な思惑を乗せて、“麦わらの一味”と“侍”、そして“ハート海賊団”船長はドレスローザを目指す。
新世界の混迷は、まだ始まったばかりだ。