Bad(パンクハザード1)
Name?魚人島を出て数時間。
“麦わらの一味”一行は、新世界の海を目指し、海上を目指して浮上していく。
周囲を警戒しながら、ゆっくりと浮上していけば、行きと比べれば危険も少ない──はずだったのだが。
「う、わ、わ、わ、わ!?」
急旋回を始めるサニー号に、ウタは咄嗟に船の欄干にしがみついた。
周囲から、一味の悲鳴やら怒声やらが聞こえる。
原因は、船長であるルフィの食い意地だろう。
深海で釣った魚に、さらに大きな魚が噛みついて、さらにそれまた大きな魚が食いついてきてしまったのだ。
それが、まずかった。
大物がさらなる大物を呼ぶその現状に、ルフィの食い意地がさらに高まり、そして彼が目に付けた巨大な海ヘビ。
あれも食おう、と。
しかし、それは海ヘビではなかったのだ。
“白い竜”と呼ばれる、稀に海底で発生する渦巻だった。
ロビン曰く、渦に捕まった船は後日、信じられない程遠くの海で、船だけが見つかるらしい。
それを聞いたルフィが『あれは夢の“ワープゾーン”!?』とか言っていたが、ルフィ以外はその本質に気が付いていた。
そして、それに気が付いた時には時すでに遅く、吊り上げようとした深海魚が“白い竜”に呑まれ、それに引っ張られサニー号も……。
そうして一味は悲鳴を上げながら、無軌道に揺れ動きながら運ばれるサニー号にしがみつく以外はできないのだった。
そして──
ドン!
と何かにぶつかって、きりもみ回転していた船が、不意に止まる。
「うべ!」
慣性によって尻餅をついたウタの喉が、情けない音を上げる。
何があったのか、と目線を上げると、そこには山のように大きな生き物が泳いでいた。
鯨だ。
群れだった。
「ラブーン!!?」
真っ先に声を上げたのは、ルフィだった。
そこにいたのは、アイランドクジラ。
ブルックの仲間であるラブーンと、同種の群れだった。
「バカいえ! ラブーンがいるのは“偉大なる航路”の前半だろ! あの巨体じゃ“赤い土の大陸《レッドライン》”の穴も通れねェだろうし」
冷静に言うのは、ウソップ。
実際にその指摘は的を得ている。何故なら、そのアイランドクジラの群れの中には、ルフィが描いた“麦わら海賊旗”のある個体は一頭もいないのだから。
「奇跡的……! アイランドクジラの群れに出会うなんて……!」
感動したようにロビンが言う。一味の中で博識なロビンが言うのだから、おそらくかなり希少な出来事なのだろう。
「ラブーンと同じように、頭にケガしてるのが何頭かいるぞ」
「うん、傷までそっくりだ……! びっくりした、ラブーンじゃねェのか!!」
ルフィが驚き冷めやらぬままに言う。
そんな中、明らかに様子のおかしな人物が一人──。
「ラブーン!! 止まってください!! ブルックです!! ほら、ビンクスの酒を歌いますよ! ラブーン!!」
涙を流しながら、鯨に向かって声を張り上げるブルック。
ウタは思い出す。ブルックの語っていた“仲間”の話を。
「よし」
ウタは一つ呟くと、“指揮杖《ブラノカーナ》”を伸ばしてブルックの頭を軽くコンコンと叩いた。
「ねえ、ブルック、このアイランドクジラはブルックの仲間のコじゃないみたいだけどさ」
ウタは立ち上がって、マイクをセットする。
「音楽が好きだったんでしょ? アイランドクジラ。だったら聞かせてあげようよ。あのコの親族とかいるかもしれないし」
ブルックは振り返り、ウタの提案に頷いた。
「……ええ! ええ、そうですね!!」
ブルックがバイオリンを構える間に、ナミたちは船の帆を張りに行ったようだった。
群れの只中に入ってしまった今となっては、それに逆らわずに行く方針のようだ。
そうして、ブルックの柔らかなバイオリンの音が海底に響く。
「ヨホホホ~」
ブルックが、歌う。
ウタも、歌う。
世界をけん引してきた音楽家による、鯨たちへ向けた小さな演奏会が始まった。
「ビンクスの酒を 届けに行くよ
海風 気まかせ 波まかせ
潮の向こうで 夕日も騒ぐ
空にゃ 輪をかく鳥の唄」
海底に、どこまで音が届くのだろうか。
初めて歌を聞くアイランドクジラが、どれだけ音楽をわかるのだろうか。
そんな常識的な疑問の壁をすり抜けて、二人の温かい歌声は、冷たい深海に染み渡っていく。
船の近くにいたアイランドクジラの目が、笑うように薄っすらと細まった。
そして、バイオリンの音に合わせて響く、ブオォという地鳴りのような低い声。
「さよなら港 つむぎの里よ
ドンと一丁唄お 船出の唄
金波銀波も しぶきにかえて
おれ達ゃゆくぞ 海の限り」
不意に、サニー号の後方下から泳いできたアイランドクジラが、優しくサニー号をその額に乗せた。
「おい!! 乗せてくれんのか?」
ルフィが嬉しそうに言う。
返事か、歌か、それとも別の何かか。
再び、地鳴りのような鳴き声が、今度は何方向からか聞こえてくる。
「ビンクスの酒を 届けにゆくよ
我ら海賊 海割ってく
波を枕に 寝ぐらは船よ
帆に旗に 蹴立てるはドクロ」
ふふ、とウタは笑みをこぼさずにはいられない。
アイランドクジラの群れとのセッションなんて、この世でやったことがあるのは、きっとわたしたちだけだろうから。
「嵐がきたぞ 千里の空に
波がおどるよ ドラムならせ
おくびょう風に 吹かれりゃ最後
明日の朝日が ないじゃなし」
「このまま、鯨たちに連れて行ってもらいましょ! みんな上昇海流にのるみいたい」
航海士の言葉に、船長が頷く。
「よし! じゃあみんなで歌うぞーっ!!」
拳を突き上げての宣言に、一味は笑いながら同意した。
前代未聞の、大合唱が始まる。
聴衆はもう、誰もいない。
何故なら、鯨も人も、全員が合唱の参加者なのだから。
「ビンクスの酒を 届けにゆくよ
今日か明日かと宵の夢
手をふる影に もう会えないよ
何をくよくよ 明日も月夜
ビンクスの酒を 届けにゆくよ
ドンと一丁唄お 海の唄
どうせ誰でも いつかはホネよ
果てなし あてなし 笑い話」
アイランドクジラの遊泳速度は、海流の流れもあってかかなりのものだ。
合唱が終わるころには、暗い海面が頭上で揺蕩っているのが見えた。
そして──
ブオオオオオオォォ!!
一緒に音楽を楽しんだお礼か、それとも歓声か。
海面に出たアイランドクジラたちが、空に向かって咆哮する。
その空は、ひどい天候だった。
もちろん、海も。
「天候最悪ー!!!」
「赤い海が見える!!」
冷や汗を流しながら、驚愕を口にするのはウソップとチョッパー。
「ヨホホ! 空は雷雨!!」
「風は強風!!」
「海は大荒れ!!」
それでも余裕を崩さないのは、年長の三人。ブルック、ロビン、そしてフランキーだ。
「指針、的外れ!」
呆れたようにナミが言い、
「逆巻く火の海!」
「まるで地獄の入り口」
サンジ、ゾロは、その荒波に怖気づくこともなく、笑みを浮かべている。
そして、
「さあ、大冒険だ!!」
見たことのない海の様相と、頼れる仲間たちに、ウタは歯を見せた笑みを浮かべ、
「望むところだァー!!!」
破顔したルフィが、“新世界”へ宣戦布告するように、声高に叫んだのだった。
────
ザバン!
高波にさらわれ、サニー号の船体が宙を舞う。
遠くで稲光が奔ったかと思うと、目視できる距離にある島で噴火が発生した。
雷鳴よりも大きな音とともに、赤い光と黒い煙が見える。
「ラブーンのご親族の皆様!! どうかお元気でー!!」
アイランドクジラの群れに、泣き泣き手を振るブルック。その後ろでは、ナミとルフィが言い争っていた。もとい、ルフィの決定にナミが異議を申し立てていた。
「よし、あの島行くぞ!!」
「待って聞いてルフィ、あの島は三本の指針のどれも差していないの! 異常よ!!」
「知るか! 見えてるんだから上陸だ!! もう指針なんてどうでもいい!!!」
ウタはそんな二人の言い争いを見てから、島の方へと目を向けた。
そもそもの話だ。
「ねえルフィ、文字通り火の海で近づけないよ? 行くにしても遠回りしないと……」
ウタがそう言った瞬間だった。
プォッホーホホホー!
プォッホーホホホー!
不意に鳴り響く警笛のような音。
電伝虫だろうか。
ウタたち数名は部屋に駆け込み、その電伝虫を見る。
思い切り泣いた電伝虫が、その音を鳴らし続けていた。
「なんだ、コレ? 電伝虫が泣き出したぞ!? ハラでも壊したのか!?」
ルフィの言葉に、深海から引き揚げた魚の切り身を冷蔵庫へ閉まっていたサンジが答える。
「バカ、そりゃ“緊急信号”だ! 誰かが助けを求めてる」
「ふーん」
サンジの言葉を聞いて、ウタは迷わずにその受話器を取った。待って、というロビンの声が聞こえるが、もう間に合わない。
「もしもし? わたし“麦わらの一味”の音楽家、ウタだよ! どうかしたの?」
「……“緊急信号”の信頼性は五十パーセント。海軍の罠の可能性も高いわ」
「うォい!! 絶対罠だろ、こりゃあ!」
ロビンの言葉に、ウソップが頭を抱えて、ウタは「え?」と受話器を持ったまま振り返った。
「おいウタ! 勝手に取るなよ! おれが出たかったんだぞ!!」
「だって救難信号だって言うから」
「いやだから罠だから出るなよ!!」
ルフィは自分が出たかったのに、と腹を立て、そしてウソップの怒号が飛ぶ。
そうしているうちに、電伝虫がしゃべり始めた。
『た、助けてくれェー!!!』
演技や罠には聞こえないその迫真の声に、電伝虫周りにいた一味は動きを止めた。
『あ、あァ……寒い、助けて……』
「おい、どこにいるんだ!? そこ寒いのか!?」
ルフィがウタから受話器をひったくって声をかける。
『仲間たちが、次々に斬られる……! サムライに殺されるー!!!』
電伝虫から聞こえるのは返事ではなく、もはや悲鳴だ。
サムライ? とウタは首を傾げる。しかし斬られる殺されるとは穏やかではない。
「場所はどこ!?」
ウタがルフィの手にある受話器に向かって声を上げる。
『うわああ!! 誰でもいい!! 助けてくれ、ここはパンクハザード!! 早く──ぎゃあああ!!』
ズバン、というものを斬るような音とともに、電伝虫が沈黙する。
一呼吸おいて、ウソップとチョッパーが悲鳴を上げる。
「うわあああ!!」
「やられたァー!!?」
ルフィはそんな二人を意にも介さずに、受話器を戻すと顎に手を当てて首を傾げた。
「……事件の匂いがするぞ!」
もう起こった後だよ、という周囲からの指摘を受けるルフィ。
一方ロビンは冷静なもので、「これも罠かもしれない」と小さく呟いている。
壁にもたれかかっていたゾロが、「“侍”っていやあ……」と思い出したように言う。
「なあ、ブルック」
「ええ、その“侍”でしょう。スリラーバーグではお世話になりましたから」
ゾロとブルックの会話を聞きつけ、ウタが二人に尋ねる。
「何か知ってるの?」
あァ、とゾロが答える。
「ワノ国の剣士の呼び名だよ。おれの持っているこの“秋水”も竜を斬ったという伝説の“侍”のゾンビから貰ったんだよ」
「ヨホホ、その節はどうも。……ええ、ワノ国はよそ者を受け付けない鎖国国家で、“侍”があまりに強すぎるせいで、世界政府も手をだせないとか……」
その説明を聞いて、ウタは顔を引きつらせる。
ブルックが強すぎる、と言うならばその実力の高さが伺えようというものだ。
「……あれ、でもあの島はパンクハザードだよね? なんで“侍”がいるんだろ?」
「さて、そればかりは当人に訊いてみないと何とも言えませんね」
「もし確かめに行くのなら、おそらくあの火に囲まれた島よ。小電伝虫の念波なら、届く範囲はあの島くらいでしょうから」
ロビンのその言葉に、ルフィがよし、と頷いた。
「今の奴を助けにいくぞ!!」
船長の決定により、小船で先に上陸する組と、サニー号で島の周囲を回り上陸場所を探す組に分かれることになった。
くじ引きの結果、先遣隊はルフィ、ゾロ、ウソップ、ロビン。
残りは船に居残りだ。
「ちぇー、ちょっと行ってみたかったのに」
くじ引きで負けてしまったウタが、サニー号から出て行った船を見送りながら、口を尖らせて言う。
そんなウタの頭をポンポンと叩きながら、ナミが呆れたように言う。
「あんた、結構命知らずな所あるわよね……」
「ナミ、ウタはルフィの幼馴染なんだぞ?」
「ちょっとチョッパー! それどういうこと!?」
何を今更、と言わんばかりのチョッパーの口調に、ウタは怒って声を荒らげる。
幼馴染だからといって、性格が似ていると断定されるとは心外な!!
「よし!! ナミさん、ウタちゃん! 今、深海魚の冷たァーいデザート作るからね!」
ハートマークを飛ばしながら、サンジが言う。
ヨホホとブルックが笑い、フランキーがさあ、とサングラスを上げて言った。
「この船はそんじょそこらの火の海にゃ負けねェスーパーな船だ! さっさと上陸場所を探すぞ!」
「そうね!」
ナミの指示で、残った一味は船の操縦や調理のために、船内に散り散りになる。
その島での出会いが、今後の冒険の指針に大きな影響を与えることを、まだ知る者はいない──。