Alternative

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 29エピ

 トレセンの週明けはいつもどこかせわしない。土日に行われる重賞レースの結果を受けて取材に来る報道陣、次走に向けて作戦を練る各陣営と独特の空気感がある。だけど、今日はいつもよりも人が多く感じた。

「ねえパンサ、今日何となくだけどいつもより取材の人多くない?この間の土日のレースで何かあったっけ」

 隣のチームメイトに尋ねると、彼は『よくぞ聞いてくれました』と言わんばかりの得意げな顔でこちらを見る。

「うわっどうしたのさニヤついて」

「ひどくない?まあ俺もやっと重賞ウィナーの仲間入りしたし、今回は大目に見てやる!」

 ふふんという効果音が出そうなドヤ顔を見て思い出した。『福島レース場』で『逃げ切り勝ち』というレースファンからすると堪らない要素満載のレース。そんな福島記念で見事に勝利を収めたパンサラッサは確かに注目の的である。実際、自分たちのチームにも取材が何件も来ていた。

「でもパンサはもう取材終わったんでしょ?」

「あっ、確かに……じゃあこの人たち何しに来たんだ?」

 2人で話していると俄かに記者たちが色めき立つのが分かった。


「来たぞ!!彼女だ!!」「大波乱の立役者、何としても記事にしたいところね!!」「カメラ、しっかり撮れよ!!!」

 コツン、と蹄鉄が響く音。小さな音であるはずのそれを僕の耳ははっきりと捉えていた。彼らの視線の先には柔和な表情の男性を伴った少女。綺麗な青鹿毛とそれに映える紅の耳飾りには見覚えがあった。

「そっか、エリ女も日曜だったね」

 秋に誕生した女王の名はアカイイト。福島記念と同日に行われた阪神のメインレース、エリザベス女王杯。今年はとんでもない番狂せが起きていた。勝利したのは10番人気。何と5着までの掲示板組が全員重賞未勝利というすごいレースだったのだ。

「ああ……」

 やけにふにゃりとした相槌が隣から返ってくる。見ればパンサラッサの頬が僅かに紅潮していた。

「パンサ、もしかしてイトちゃんのこと気になったりとかしてる?」

「えっ…!!!コンちゃんアカイイト…さんと知り合いなの!!??」

「声がデカい、パンサ。知り合いも何も幼馴染だよ。大山で一緒だったんだ。パンサこそイトちゃんと仲良かったりするの?やけにちらちら見てるし怪しー」

「ばっ……違うって!!!!そんなのアカイイトさんに失礼だろ!」

 わいわいと話していた僕らの会話はいつの間にか周囲に丸聞こえになっていたらしい。「他の子が取材中だろ?」と笑顔で背後に迫っていたトレーナーの存在に気がついたが時既に遅し、僕らはトレーナー室の掃除を命じられた。


「それで、パンサはイトちゃんのことどこで知ったの」

 放課後、ファミレスに引っ張り込んでの尋問。答えによっては今後の色々を改めるぞ、なんて思いながら問う。

「コンちゃん何でそんなムキになってるのさ……プボにも詰められたし……うぅ、怖……2年前の未勝利戦の時だよ。その時に俺が負けた相手がアカイイトさんなんだ」

「へー、でパンサはそこで一目惚れをしたと。やっぱ顔?それともスタイル?」

 『ムキになってる』その言葉がちくりと胸を刺したがそれには気づかないふりをして話を続ける。

「ちがっ…!!最後の直線で突っ込んできた末脚と横顔に一目惚れしました……それで、その、さっき幼馴染って言ってたけどアカイイトさんのこと……何か知ってマスカ」

 なぜそこで丁寧語に?と思いつつ驚いた。あのパンサに好きな子が?

 パンサに聞かれたときに咄嗟に幼馴染だと言った。もちろんそれは事実だ。だけど、もう一つ僕と彼女の関係には名前がある。


『叔父と姪』


 同じ毛色に似たような形の流星。年のこともあり僕らが血縁関係にあることを知っている人は余り多くない。それもあってか、何故だかパンサには言えなかった。

「おーい、コンちゃん?」

「え、えっと、イトちゃんのことだよね。申し訳ないんだけど、流石に前すぎてなあ……」

「そうだよな、急に聞いちゃってごめん!とりあえずこれからも色々話聞いてもらえないかな?こういうこと、コンちゃんにしか話せなくてさあ」


「良いよ」と答えた自分はちゃんと笑えていただろうか。その後のことはあまり覚えていない。補習があったことに気づいたパンサが伝票そっちのけで慌てて飛び出していったのを見たような気はする。


ゆっくりと川沿いを歩きトレセンへ戻る。1人になると急に自分だけが置いて行かれたように感じてしまった。パンサも、イトちゃんも子どもじゃない。恋をするのは至って普通のことだ。パンサは眩しいくらいに真っ直ぐだ。なのに僕は──


 トレセンに戻るとコースの人影もまばらになっていた。あれだけいた取材の人たちも皆帰り、自主トレーニングなのか数人が走っている。

「僕、イトちゃんのことどう思ってるんだろう……」

燃えるような夕日に目を細めてぼそりと呟く。僕の言葉も思考も、全部が赤に染まって溶け出していくような感覚が心地よかった。

「私がどうかした?」

「うわあああっ!!!」

 情けない悲鳴を上げてしまう。『驚かせちゃった?ごめんね』と詫びる彼女はトレーニングの途中なのだろう、汗が浮かんでいる。

「ちょうど休憩しようと思ってたところだし、少し話さない?」

 首を傾げて尋ねてきた彼女に対しノーと言う選択肢はなかった。


「えっと、まずはエリ女優勝おめでとう。本当にすごいレースだった……きっとお父さんも岡のおじさんも喜んでるよ」

「うん、ありがとう。まさか初めての重賞がG1だなんて……本当に嬉しい。運命的ってこういうことなのかな」

 今までどんな風に話してたんだっけ。これで大丈夫なのかな。なんて思いながらぽつぽつと言葉を紡いでいく。そんな時

「アカイイトさんですよね?先ほどはインタビューありがとうございました!今回の記事は間違いなくいいものになりますよ!!何といったって、チームメイトの引退からのG1勝利というドラマ!!志半ばでターフを去ったチームメイトの代わりに掴んだ勝利は本当にドラマチックでしたから!!」

 そう言って若い女性が話しかけてきた。

「……こちらこそありがとうございました。また次に勝ったときは、よろしくお願いします」

 そう言ってイトちゃんが立ち上がり、ぺこりとお辞儀をすると女性は興奮した様子で何やら一言二言話す。そして門の方へ向かっていった。その姿が見えなくなっても目の前の頭は下げられたままだ。

「イトちゃん……?」

 体調でも悪いのか、レースの反動が出たのではないか、不安になってそっと声をかけるとその肩が細かく震えていた。

「イトちゃん」

 もう一度声をかけると彼女はこちらを見つめる。ぎゅっと音が出そうなほどに握られた拳とぴんと張り詰めた雰囲気。目の前の彼女の顔は歪み、瞳には涙が浮かんでいた。


「ねえコントレイルくん、私の勝利ってヨカちゃんの『代わり』なの?ヨカちゃんは確かにチームメイトで、あの子のトレーナーと今回は契約を結んだ。でも……エリ女の勝利は誰のものでもない、私自身が取ったものじゃないの?」

 彼女のチームメイトがトレーニング中に骨折、目標としていたG1レースへの出走は叶わずそのまま引退することになったというニュースはトレセンでも話題になっていた。九州の星と謳われたスプリンターの引退はレース界に大きな衝撃を与え、彼女と同じチームであったアカイイトが優勝したというのはそういった面でも話題性があるのだろう。だけど、『代わりに勝った』というその言葉は酷だ。

「イトちゃんの気持ち、僕にも分かる」

「コントレイルくんにも?」

 潤んだ瞳に見つめられ、頷く。

 急逝した父と同じく、無敗で三冠を達成した僕はまるで父の生まれ変わりであるかのような扱いだった。周囲の人々は皆口を揃えて父にそっくりだと言う。彼らが見ているのはコントレイルではない。偉大な父の影にすぎないものを見ているだけだった。何をするにも父の面影が重ねられ、どんなにレースを勝っても父の再来だとしか言われない。

だから、彼女の気持ちは痛い程分かった。自分が自分として見られないことがどれだけ辛いか、『代用品』でしかないことがどれだけ自分を惨めにさせるか。


「……ごめんね、少しだけ許して」

 僕が話し終わると、ぽつりと一言だけが発せられる。そして隣に座っていた彼女の頭がこてんと肩に乗せられた。時折風が吹き、さらさらの青鹿毛が鼻先を擽る。ふわりと香る甘い匂いにのぼせそうになる。この子は友人が好きになった子で、自分の姪で……

こんなことが良くないのは頭では分かっている。だけど拒否することはできなかった。パンサには絶対に分からないものを2人で共有しているという優越感と背徳感が堪らなく身を焦がす。彼女の痛みを理解できるのに、悲しむ彼女を抱きしめることはできない。自分と限りなく近い存在であるのに繋がることは許されない。

自分と彼女が結ばれる将来は無いというのはもう百も承知だ。ぼんやりとした頭にふと浮かんだのはやがて来る『仕事』のこと。話を聞かされた当時は何とも思わなかった。せいぜいここでも僕は父の代用品なのかという淡い絶望感が湧き上がったくらいだ。

だけど今は違う。運命はなんて残酷なんだと叫びたくなった。


だからこそ、この瞬間だけは離れたくなかった。せめてもと思いターフの上に力無く投げ出された彼女の手の上にそっと自分の手を重ねる。先程強く握りしめていたからなのか、その細い指先には僅かに血が滲んでいた。ぎこちなく絡み合った指の感触と、あまりにも鮮やかな赫色を多分僕は一生忘れられない。

 



 

 






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